若女将も青春するのです!
静と大浴場で一緒になったあと、心路はパジャマに着替えて布団に寝ころんでいた。叔父の家のようにwifiがないので、あまり動画などは見れないが、それでもなんとなくスマホをいじってしまう。
旅館の部屋に住まうのもだんだん慣れてきたようだ。
そのとき、突然部屋の戸を叩く音がした。
「はーい」
大女将だろうか。心路はスマホをしまってドアに駆け寄り、ドアを開ける。
「はじめまして」
そこに立っていたのは心路よりちょっと背の高い青年だった。確か町長の息子の光輝だったか。
「は、はじめまして」
心路は突然の訪問にどきまぎして答える。
「あ、でも玄関で会ったからさっきぶりか」
光輝はそう言ってケラケラと笑った。
「あ、あのぅ……」
光輝が挨拶に来るのはいいが、どうしてそういうことになったのかとんと理由が分からない。何か用があるのだろうか。
「ごめんね、急に押し掛けちゃって。でもさ、同じくらいの女の子がいるって茂美さんに聞いたからさ、これは挨拶しなきゃと思って」
光輝はイタズラっぽい笑顔を浮かべる。クラスに一人はいる、元気だけが取り柄の男子といった趣だ。
「もう知ってるかも知れないけど、俺、金田光輝、よろしく」
「こ、心路です。よろしくお願いします」
やっと状況が理解できた心路は、いくらか冷静さを取り戻し、挨拶を返した。人懐こい笑顔を向けられて、心路も若干頬が緩む。
「それで、早速で悪いんだけど、部屋上がっていい?一人で暇なんだよね。10時過ぎくらいまで居させて」
「えっと……」
正直、プライベートの空間にはあまり他人を入れたくはない。
「ちょっとだけでいいからさ、ね?」
光輝の無邪気な目に押し切られ、渋々中へ招き入れた。一応、他人が入ってもいいくらいにはある程度片付けてある。
「心路ちゃんはさ、ここに来る前どこに住んでたの?」
光輝は座布団を引っ張り出してきて、ドカッと座り、どこかで勝ってきたのであろう菓子パンの袋を開けた。
「ここへ来る前は横浜で、その前は埼玉です」
「うわ~、すげえなあ、じゃあちょっと電車乗りゃ東京じゃん。もうここなんて田舎過ぎてやってらんないでしょ?」
光輝は興味津々といった感じだ。まあ正直田舎過ぎるとは思うが、まあ慣れてしまえばどうということもないとは思う。そういうのも全部ひっくるめて、「そんなことないですよ」と返した。
「いいな~、都会。横浜とかってどんな感じなの?やっぱすげえ人いる?」
「まあ、人は多いですね。あとは建物が多いとか……」
「コンビニもいっぱいあるんだろ?」
コンビニなんか気にしたことはないが、まあここ――目陸田よりは多いだろう。
「はい」
「ここなんか町の中に大井さんのやってるコンビニ一軒しかねえんだもんなあ」
「それは難儀ですね」
そういえば、ここへ越してきてから旅館の外へ出ていない気がする。たまには町の方へ行ってみるのもいいかもしれない。
「ああ、あと電車もいっぱい繋がってるんだろ?10個とかさ」
個、というのが両ということだと理解するのに若干かかった。そうは言っても心路も気にしていたわけではないので、大体そのくらいだったと思います、と答えた。
「ここなんか多くて二個だからなあ。電車の音もがたんごとん、で終わりだぜ?」
光輝はいかに一両編成が虚しいかを力説する。ちなみに、ここでいう電車というのは気動車の間違いであるのだが、光輝も心路もそんなこと知る由もない。
「あと電車と言えば自動の改札機、憧れるよなあ。切符を入れると穴が開いて出てくるんだろ?」
「え、いや、私はほとんどSuicaで済ませてしまうので」
「スイカ?ああっ、あの噂のスイカね!どういうのか分からないけどバスとか電車に乗れるんだよね」
分からないのによくがっつくなあ、と思いつつ、財布からSuicaを取り出して見せる。
「これがSuica?意外に硬い!どうやって使うのこれ」
「切符売り場でチャージして改札にタッチするんです」
「チャージ?タッチ?」
まあ慣れていない人はこういう反応になるのだろう。心路も小学生のときに随分苦心したものだ。
「まあ、最初にこれにお金を入れといて、改札機に触れるとその分のお金が引かれるんです。たしか全国のコンビニで使えるようになったんじゃなかったんでしたっけ」
「そうなの!?じゃあ大井さんとこでも使えるかな」
「店舗にもよりますが。セブンとかファミマですか?ローソンとかサークルKですか?」
「皐月」
「はい?」
聞き取れなくて思わず心路は聞き返す。
「だから、さくらんぼ皐月だって。知らない?直売所も兼ねてるコンビニ」
知ってるどころか聞いたことすらない。そもそも、名前がどこかのスナックの名前のようでまったくイメージが掴めない。
「知らないのー?そうかあ、こっちでは有名なんだけどな」
光輝は不服そうに口をとがらす。そうは言っても知らないものは知らないし、それしかコンビニがないとはなんともはやなんともはや……。
「えーと……とりあえずそこじゃSuicaは使えないと思います」
心路が普通にそう言うと、光輝は目に見えて落胆した。
「この中にまだ3000円近く入ってるんですけど、使うところなさそうですね」
正直今後関東に帰ることもないだろうし、と心の中で言った。
「それにしてもさ、そもそもなんでこんなド田舎に来たわけ?親は?」
光輝に訊ねられて、他意はないと分かっていてもやはり暗い気持ちになってしまう。言葉に詰まった私を見て、光輝は何かを察したのか「無理して言わなくてもいいよ」と愛想笑いをした。
「人に知られたくない過去の一つや二つ、誰にでもあるし。話したいことだけ話せばいいよ」
そう言われるとなんだか言わなければいけないような気がしてくる。
「その代わりといっちゃなんだけど、暇つぶしに俺の昔話でもするか」
「俺は町長の息子だろ?」と前置きして光輝は話を始めた。
「俺が生まれてすぐ、親父が町長になったから、今までずっと『町長の息子』って肩書きを背負って走ってきた。小学校中学校のときは学級委員に立候補したし、高校からは本格的に政治家を目指した。で、頑張って工業大学の経済学部に入ったけど、そこで俺なんでこんなことやってんだろー、って思ったんだよね」
そこで光輝は言葉を切った。相づちを打とうか迷っていると、光輝はそのまま続けた。
「んで、大学やめた」
「やめたんですか!?」
「そーだぜ」と光輝は胸を張る。胸を張るようなことではないような気もするが……。
「そんで俺、林業手伝うことにしたんだ。林業家のおっさんに弟子入りして」
へへっ、と光輝は鼻の下を指で拭う。
「なんか似合わないです。光輝さんと林業」
「そーか?」
光輝はどこから買ってきたのか、ペットボトルのメロンソーダを取り出して一口含む。ちなみに、その製造会社は全く心路の知らない会社だった。
「なんつーか、あの木のにおい?と男の汗臭さみたいのが立ちこめててさ、そん中にいるとなんか落ち着くんだよな。町のことを考えるなんて、やっぱガラじゃねえよ」
そう言うと、光輝はおもむろにメロンソーダをグビグビと一気飲みして、「ぷはあっ」と大きい声を出した。
「あの、どうして今その話を」
正直、光輝が今の話をする理由が分からない。話したがりなだけなのか、それとも……。
「不本意でここに来たんだろーけど、自分のやりたいようにやれよって話」
光輝はそう言って、無邪気な笑みを心路に向けた。
「じゃー、俺もう戻るわ。話、聞いてくれてありがとな」
「こ、こちらこそ、ありがとうございました」
光輝は心路に片手で別れを告げると、空になったペットボトルを片手に心路の部屋を後にした。
――自分のやりたいようにやれよ。
心路は心の中で光輝の言葉を反芻した。思えば、人生の中でマトモにこういった話をしたのは光輝が初めてかもしれない。
――光輝さんが私を知ろうと努力してるんだから、それに答えなきゃ駄目だ。
心路は不思議な想いを胸に、カーテン越しに見える杉の林を眺めた。
心路はスマホの電子アラームで目を覚ました。眼前にはもう見慣れた旅館の天井。
そしてこれもまた慣れた手つきで髪を梳き、着物を着て、一回厨房の茶の間へ顔を出した。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
茂美はいつものようにお菓子をつまみながらテレビを見ている。地方の番組なのか、知らないニュース番組だ。
「金光さんは?」
「ああ、かねさんは魚の買い出しに行ったよ。たまには魚も食べたいでしょう?」
金光はオーナーと言いながらも、毎度雑務を任されていて大変そうだ。しかし当の本人は喜んでやっているらしい。
大女将は厨房の奥でせっせと朝食を作っている。いつもの味噌汁の匂いが茶の間まで漂ってくる。
茶の間で少し茂美と世間話をしてから厨房に行くと、だいたいお客様用の朝ご飯が持っていける状態になっている頃だ。
「一膳、食膳をお運びします」
3つ並んだ膳の片方を両手でしっかりと掴む。赤い漆の塗られた膳は滑りやすいので、左右の持ち手をしっかりと掴む。やや奥側を持つと安定することも気付いた。
広間に行くと、既に町長と光輝、そしてその秘書の女性が席に着いていた。秘書の女性と町長が隣に、その向かいに光輝が座っている形だ。
「失礼します」
食膳を机の上で半回転させ、町長の前に音を立てずに置く。すると、後から来た大女将が続けてその隣の秘書に膳を出す。
廊下へ出てから小走りで残った膳を取り、光輝の前に置いた。光輝は昨日と同じ調子で「ありがと」と笑いかけてくる。
気にしない気にしない。仕事中、平常心、平常心。
最後に大女将が付け合わせを持ってきて朝ご飯のおもてなしは終了だ。
「ごゆっくりおくつろぎ下さい」
入口でお辞儀をして、そそくさと厨房へ帰る。戻るとテレビから朝ドラのオープニングテーマが流れてくる。BSで見ているから、現在七時半だ。
朝ドラを見終わって、地デジに回してニュースを挟んだ後、もう一度朝ドラを見る。これが朝の習慣になっている。
「そろそろお膳を下げに行くよ」
大女将に声をかけられて、すぐに足袋を履いて広間へ向かった。
綺麗に食べ終えられた食器類を重ね、お台所に持っていき、流しでスポンジを使って二人掛かりで皿洗いをする。叔父さんのところでも皿洗いはしていたし、すぐに洗い方を修得した。
洗い終わったら九時頃にお客様――今回は町長一行をお見送りする。これが大体の朝の仕事の内容だ。
「町長が帰られるよ」
再度大女将に声を掛けられ、今度はロビーへと向かう。丁度心路たちが着いたときに、エレベーターから荷物を持った町長たちが降りてきた。
「今日もお世話になりました。また来るからね」
町長が大女将と心路を交互に見てそう言った。
「こちらこそいつも来ていただいて。いつでもお越しくださいな」
大女将が靴を揃え、町長は「悪いね」と言いながら靴を履き、荷物を持ち直した。
秘書も光輝も靴を履いて荷物の用意も完了した。
「じゃあ、また来るね、おばさん。心路ちゃんもまたね」
唐突に光輝に手を振られ、心路は特に反応できずに「は、はあ」と気のない返事をした。
そして、そのまま三人が外へ出て行くので、心路たちも見送りのために表へ出た。
三人の乗った小型車は白い煙を吐きながら急な坂を下って茂みの奥に消えて見えなくなった。
見送りを済ませて玄関に戻ると、静が意味ありげな目線を向けてくるので近くに寄ってみた。
「心路ちゃん、あいつと話したの?」
「あいつ……ですか?」
「光輝よ。心路ちゃんのこと、名前で呼んでたじゃない」
静は心底嫌そうな顔で言う。
「静さんは光輝さんのことご存知なんですか?」
「同級生なの、あいつと。あいつ、変だからあまり相手にしない方がいいよ」
「そうなんですか?」
静は更に顔を近付けてくる。
「マイペースというか、自分勝手?そんでもってデリカシーないから。中学の時だって『経血見せてくれ』って学年中の女子に頼んで回って謹慎になったんだから。普通じゃないわよね」
「それはまた……」
「本人は『好奇心に真摯なだけだ』とか言ってるけど、やっぱただの変人よ」
静が嘘をついているとは思わないが、昨夜話をした光輝がそんな風に利己的な人には見えなかった。本人の言う通り素直なだけなのか、それとも成長したのかは定かではないが、昨日自分に向き合ってくれた光輝のことは信じようと心に決めて、心路は玄関の箒を手に取った。
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