15 宿業返し
小さな入江がみえた。砂州が伸びて自然にできた地形のようだ。潮の関係だろう。
エメラルドの煌めきを湛えた海と白い砂浜は、さながらリゾートビーチのようだった。
「ほら、あれだよ」と、セディオが入江の中ほどを指差した。
そこには島があった。
でも、よく見ると波と一緒に揺れていた。それは海面に浮いている。
ずっと感じていた親近感、懐かしい気持ちが溢れてきた。
あの浮島だ。あそこからその信号が発せられている。
「カティもあそこか」
「そうさ。あそこから出てこようとしない」
「行ってみるよ」
「その脚で行けるか。手伝うよ」
「大丈夫だ。ひとりで行きたい」
僕は担架から降りて太刀を背に結び、ザルマの肩を借りて海に入った。冷たい水だ。
塩分濃度は地球より少し濃いかもしれない。左脛のキズが塩気で疼いた。
身体がよく浮いた。手を掻いてゆっくり近づいていく。
浮島の下の方でなにかが動いている。なにかの群れだ。
夥しい数の生物が群れている。魚? エビか?
顔を海中に入れて身体を浮かせたままゆっくり観察した。
それはウミヘビのように長くしなやかな体型だった。おそらく脊椎は持っていない。昆虫のような複眼を頭の両脇にもっている。口先は鋭く尖っていて器用そうに動かしていた。鳥がついばむ時の仕草に似ている。
ウミウシの仲間のように派手な色合いだ。朱色からピンク、白から水色、濃紺から赤紫。目まぐるしく体色を変化させている。
海中でそれらが無数に寄せ集まって蠢いている。巨大な群れだ。入江の外まで繋がっている。
そう、この浮島はさながら海竜のようだ。
奇妙な生物の群れがこの浮島を形成している。それぞれが体全体でヒレをうって島に浮力を与えているようだ。
島に触れられる距離に近づいたが、どこに手を掛けていいものか?
しかし、よく観察すれば海上に出た部分は色があせて白くなっていた。
その生物の死骸のようだ。葦わらのような繊維質の物質だ。その細い繊維が島の浮上部分に集積している。自らの遺骸を献上して島の材料にしているということらしい。
その上部に手をついて身体を海から上げた。脛のキズが痛みを発したがすぐに収まった。
思ったより広々している。中央に行くほど小高い。そこは丘といってもよさそうな大きさに盛り上がっていた。
カティはどこだろう。
隠れていられそうな場所はその丘以外にはなさそうだ。
なんとか這って移動した。丘の裏に小さい口が開いていた。
「カティ。いるんだろ」返事はない。「僕だよ、タイエンだ」
「いるわ」カティの声が奥の方から聞こえた。
「カティ」いろんな感情が吹き上がってきて思わず声が裏返ってしまった。「カティ。すごく心配したよ。もう逢えないと思ってたんだ」
「……」
「カティ。元気なんだろ。姿を見せてよ」
「…いやよ」
「なんでさ。なんでそんな暗いところにいるのさ」
「……」
「僕のことが嫌いになったのか」
「そんなわけない。勘違いしないで」
「だったら何でだよ」
「会いたくないの」
「…僕のことが嫌いになったんじゃないのに、なぜ会いたくないなんて」
「会えないのよ」
「じゃあ、そっちに行くよ」
「それもだめ」
「お願いだよ。カティ。僕はここまで…」やばい、例の嗚咽が始まった。「…君に逢いたくて…逢いたくて」
嗚咽が止まらなくなった。「君を抱きしめたい…いますぐに…」
白く細い生物の遺骸が集まってできた浮島の上で、僕は泣き出した。その丘の小さな穴の前で大声で泣いていた。
小さく波に揺られていることが感じられる。
そのとき、狭い穴の中から手が出てきて、そっと僕の頭を抱いた。
「泣かないで。あたしだって泣いちゃうじゃない」
「会いたかったよ、カティ。死ぬほど会いたかったんだ」
カティは僕に負けないくらい号泣しはじめた。
僕たち二人はそのまましばらくそうやって抱き合っていた。動くことも話すことも、とてもできそうになかった。
ようやく泣き止んでも言葉がなかなかでてこない。
「脚、怪我してるの」と、カティがやっと話せた。
「うん。大丈夫。そ、そのうち治るよ」まだ嗚咽が完全に収まっていない。「カティ。ごめんよ。僕が君をひとりっきりにしたから…」
「違うのよ。どうしても伝えたいことがあったの。でも、言いそびれてしまって…なかなか言えなかったから」
「伝えたいことって、なに?」
「タイエン。あなた、きっとショックを受ける」
「修羅場をくぐってきたんだ、もうショックなんて受けないよ」
「ほんとに?」
「ほんとうだって。約束する」
「わかった。そっちに出る」カティは小さい穴から這い出してきた。
久しぶりに会うカティ。どこも変わったところはない……?
「あっ!」言葉を失ってしまった。
「わかるでしょ」カティはお腹を擦った。「ここよ」
「それってなに? まるで…そんな」
カティの下腹部が大きく張り出している。
「あたし、妊娠してるの」
「えっ? だって、そんなこと…」
「たぶん、もうすぐ産まれる」
「産むってなにを?」僕は混乱し始めた。「待って、待って。それってどうなってる」
「タイエン、さっき約束したこと覚えてる」と、カティは怒りだした。
「えっ。ああ、ショック。ショックじゃない。ショックなんかない。驚いただけ…びっくりした」
「同じことでしょ」
「わかった。ちょっと待って」僕は深呼吸を繰返した。
「最初に言っておくわ。あたしは浮気してない。ワラフの子だなんて決して疑わないで」
「そんなこと疑ってない。そもそもそういう構造にない。妊娠なんてできないよ」
「じゃあ、これはなに。目の前の現実を無視するの」カティはまた怒りだした。
「なにかの病気とか、そういうことは?」
「動いてる。この中に生命が宿ってるの。母体がそんな勘違いするとでも思う」
外殻靭体は女性形態や男性形態など外見上の性差があることが多い。これは自己イメージへの配慮からだ。元の性からあまりに隔たったボディだと精神がうまくなじめないことがある。これを防ぐ目的でプロポーションなどで性を表現させてある。いわば肉体を持っていたときの名残に過ぎない。
従って、自己融合を繰り返したホミニンは外殻靭体の性を中性化していく傾向がみられる。ただし、筋肉労働を主とするホミニンは力を発揮するための筋束を太くすることから外見上は男性形態に偏る結果となった。
いずれの性表現形であろうと外殻靭体には生殖器官を設けることはない。もちろん生殖細胞もない。そもそも固有のゲノムをもつことがない。どのホミニンも同じ遺伝子コードから表現されているからだ。
カティが妊娠することは絶対にない。常識的には……。
「君のお腹には赤ちゃんがいるんだね?」
「そうよ。赤ちゃんがもうすぐ産まれる」
「その赤ちゃんは、僕と君の子なのか」
「あたり前でしょ。だから言いたくなかったのよ。そういう言い方されたくない」
「ごめん。ただ、混乱しちゃって」
「いいわよ、仕方ない」
「その、いつから」
「オルビオにいるときから。気付いたのはあなたが刀を打ち出したころね」
「まだ3ヶ月たってない」
「それは非難なの。早産でも仕方ないでしょ。あなたはこのお腹に気づきもしなかったくせに」
「非難じゃない、ただの事実だ。怒らないでくれ」
「不安なの。どうしていいか、わからないの」
「カティ。ひとりでそんな不安を抱えてたんだね。僕も一緒に乗り越えたい」
「タイエン。わたしのタイエン。わたしを許してくれるの」
「当たり前だろ。やっと君に会えたんだ。どんなことだろうと乗り切ってみせるよ」
「嬉しい、タイエン。会いたかった。あなたが受け入れてくれるか心配だった」
カティはここでまた泣き出した。やっと僕は慰める立場になれた。
僕だって不安がないわけでない。まして子どもができる実感があるわけがない。
はっきりしていることがある。カティのお腹にいる赤ん坊(?)は僕の子ではない。
でも、受け入れるほかなかった。
カティの妊娠を彼女の目線で無理やり受け入れた。消化させるような余裕はなかった。でも、正直カティを慰めている間も混乱しつづけた。
産むっていったいどうやって?
カティには産道がない。外殻靭体にそんな気の利いた器官は存在しない。帝王切開なんてスキルは誰ももっていない。どうやって赤ん坊を取り上げるんだ。
お腹の胎児は正常に成長してるのか? カティが成体してからすぐに妊娠したとしてもまだ半年足らず。しかし、ユングリム時間だ。地球時間に換算すれば8ヶ月か。その割にお腹は目立たない。ホミニンの胎児だからか?
それより母体は安全でいられるのか。出産をどう迎えたらいい?
カティに言えばまた怒り出すかもしれない。もう少しあとでカティと話しあおう。ただ、すぐそこに母体へのリスクが迫ってる。なにか対策を打てるのか?
ペシェにはなにか知恵があるかもしれない。だが、あいつは天文と地質の専門家だ。医学や外殻靭体について期待するほど知識があるはずもないか。
一難去ってまた一難。
否、多難去ってまた多難って感じだ。
心が休まる間がない。やっぱりカティらしいや。
それでもしばらく穏やかな日々が続いた。
カティと僕は日がな一日、奇妙な浮島の上でいちゃついていた。カティのお腹を擦り、ときに耳をあてその鼓動を聞いた。お腹に向かって自己紹介したり、歌を歌った。
夜にはカティを抱き寄せ、ここまでの過酷な旅の一部始終を語って聞かせた。ただし、リフォルとダゴゥが寝袋に入り込んできたことは内緒だ。変な誤解を生むだけだ。
中空にワカクサが昇り、優しい光を投げかけていた。夜の波が緑に煌めいている。
夢の中でジオに会ったとき、カティの居場所はワカクサだと指し示したことを聞かせた。
「あたし、あの月が大好き。できることなら行ってみたい。誰か素敵な人達が住んでいそう」
「僕も。なんだか落ち着く」
「この浮島も落ち着くでしょ」
「そうなんだ。不思議に落ち着く。あの月と同じ感覚になる」
「ねえ。笑わないで聞いて」
「うん?」
「この島ってミウラだって思うの。そう感じない」
「…うん。だとする、ワカクサはミウラの月だな。そしてあのちっちゃいのがジオだ」
明るく輝くスカルムーンが夜空を慌ただしく移動していた。
「ほんと。あれってジオちゃんにそっくり」
カティが笑うのは久しぶりだった。
毎日、浜辺のホミニンたちが浮島にやってきた。
「来たよ」ドゥ・ウィンギが当番らしい。
「お乳、掬っておいたわよ。足りるかしら」
カティは植物の実を割いて作った大きな器をドゥ・ウィンギに渡した。中には白い液体が満たされていた。
「ありがとう」
ドゥ・ウィンギはその器を受取り、代わりの器を置いてペコリと頭を下げて戻っていった。
「ドゥ・ウィンギって、なんだか可愛くない」
あんな朴訥な男のどこがいいんだかわからないが、カティはどのホミニンたちも嫌っていなかった。それを指摘すると、「だって、あたしを守ってくれてるの。文句なんか言えないでしょ」と、平然としていた。
ドゥ・ウィンギが「お乳」といって受け取った液体は、スワイゲルと同じような成分でできていた。僕たちの唯一の食料といえる。浮島の少し窪んだところには自然と滲み出して気づくと溢れている。それをカティが掬い取って渡していた。いつの間にかカティの日課になっていたが、さして労力も必要なかった。
浜辺では余った「お乳」を焚き火で煮立てて固形の保存食にしていた。
「オルビオ奪還のための準備だ」と、ペシェが言った。
春になったら向かうことに決めたらしい。
「ここに居てもいいんだが、なんだか退屈でさ」と、セディオが愚痴っぽく言った。
だったら僕も行く、と言うと「赤ん坊を優先させろ」と全員から拒絶された。
「あっちが安全とわかれば迎えに来てやるよ」
脚のキズはずいぶん癒えてきた。この海の成分がいいのか、治りが早いようだ。裂けたところに薄く膚殻が再生し、みるみる厚さを増している。歩く程度なら痛みもなかった。
ときどき浮島の下に潜って生物の群れを観察した。安直だけどヒカリヘビと名付けた。
ヒカリヘビが勢い良く胴をくねらせて浮島の真下に集まっている。夥しい数だ。確認できる範囲で数十万匹はいるだろう。入江の外にはおそらくその数十倍いる。外洋で捕食して入江の浮島に戻ってきている様子だ。この浮島はヒカリヘビの巣のような存在なのかもしれない。
ヒカリヘビは体色を目まぐるしく変化させているが、個体ごとに無秩序に変化しているわけではなさそうだ。群れの場所ごとで色彩の変化が同期している。場所ごとに稲妻のような光が伝わることもある。ときどき群れ全体が一瞬、発光するときがある。なぜ、数十万の個体が瞬間的に完全同期できるのだろう。個体間でどのような情報のやり取りをしているのか、検討もつかない。不思議な生物だ。
ヒカリヘビの群から僕とカティはある種の電磁波を受け取っている。その電磁波が親しみや懐かしさを呼び起こしているようだ。観察でわかったように、この電磁波は同期した発光や発色と関係ありそうだ。ヒカリヘビの発する電気的メッセージが発光と同時に電磁パルスになって伝わってくる。
ペシェにこの現象の発見を話してみた。
「俺はどうも海が苦手でな、ちゃんと観察してないんだ」と、ペシェは前置きした。「お前の話を聞いて思いつくのは脳だな。脳の活動に似てる」
「ヒカリヘビが思考しているということ?」
「そう。群れが思考している。意思疎通できるはずだ」
「どうやって?」
「そいつはわからんよ」ペシェは考えこんだ。「オルビオで拾った電波はこのヒカリヘビ群の微弱な電磁パルスだったと思う。意図的ではなく偶然だったんだ。ダークキャッスルの影響でたまたま電離層が乱れたことで偶然にこの生物の発する微弱電波が届いたのさ」
「ダークキャッスルが関係してる?」あの暗黒の呪われた衛星のことだ。
「すべて仮定の話だ。ひとつはっきりわかっていることがある」
「あのヒカリヘビたちは同胞だということだ。自然界にはありえないD型のアミノ酸を産出している。地球から届いた高エネルギー波が作成したウィルスが海に流れて、このヒカリヘビに感染している。それはまず間違いない。だとするなら、なにか地球由来の思念を抱くようになっていたとしても不思議ではない」
群れとして思考している。
地球由来の思念。
それはミウラなのか?
そうならばなんとしても意思疎通をしたい。
「ヒカリヘビの様子がなんかおかしい」カティがそう指摘した。
「どんなふうに」
「お乳の出が少ない。それに光り方が変わったような気がする」
そういわれてみればここ二三日、短いピッチで紫や赤に点滅することが多い。こんな点滅の仕方ははじめてみた。
胸騒ぎがした。
「思考のパターンが変わったということだろうな」ペシェはわかりきったことだといわんばかりだ。
「つまり、警戒警報が鳴っているってことだ」
「なんだよ、警戒警報って」
「危険が迫ってるんだ。用心しろ」ペシェの声は低かった。
翌日の午後。薄曇り。小雨はあがったが肌寒い。
浮島の上でひとり揺られていた。
ヒカリヘビの群れは全体で点滅し続けている。同じ思考パターンが続いているということだ。
警戒! 警戒! 警戒!
午後も遅くなって東の空になにかが現れた。黒い影が染みのように広がった。
鳥の群れのようだ。ゆらゆら揺れて飛んでいる。
徐々に高度を落としているようだ。個体の姿が視認できるようになった。
鳥ではない。羽がみえない。
膜だ。飛膜を羽ばたかせて飛んでいる。だがコウモリには似ていない。
鋭いクチバシがある。カラスほどの体長にそれと同等の尖ったクチバシがあった。
翼竜に似ている。
もの凄い数だ。数千匹、いや一万匹以上いるかもしれない。
群れは頭上にうずまき出した。竜巻のように上げては降りてくる。こちらの様子をみているのか?
その動きのために上昇気流が発生していることが感じられた。空気が島の上空へ吸い上げられている。
空一面を黒い影が覆ってしまった。羽ばたきの飛膜が擦れあう音が耳障りだ。
ハロガーの冥い思念は生き残っていた。
この気味の悪い生物をジェムラインのニューロ胞の中で密かに生み出していたのだ。この浮島を狙う目的でこの世に送り出された生物だろう。
こいつらは、ペシェ・ロンチュリ山脈を飛び越え、疲弊し腹を空かせている。一気に浮島を遅い、ヒカリヘビを喰らおうと、いま狙いを定めているのだ。
この数でいっきに襲撃されたら浮島を守り切れない。この太刀といえども守備範囲が広すぎる。とても無理だ。
カティは事前に避難させた。島から退避することを極度に嫌ったが、なんとか説得してペシェたちホミニンと安全な場所に移動させた。
ひとりだと気楽だ。思う存分、暴れてやろう。
黒い渦の最上に昇ったクチバシ竜が飛膜を閉じ、垂直下降に入った。
来る!
次々に続いた。数百匹が一気に急降下してくる。
突如、50mの宙空に黒い瀑布が出現したかの様相だ。
こんなもの、太刀で切り刻むまでのことだ。
太刀を頭上にかかげ、高速で振り回した。
サクッ、サクッと小気味よくなにかが刃にあたる。同時にぬめりある液体が降り注ぐ。
視界が悪くなる。見えづらい。
足元がヌルヌルしてきた。滑りそうだ。
垂直攻撃が終わらぬうちに水平攻撃がはじまった。目がよくみえない。
八の字を書くように太刀を回転させる。しかし、これでは攻撃をかわしきれない。下半身が手薄になっている。
激しく飛沫があがって肉の塊が胸や肩、顔にはじけ飛ぶ。
その衝撃で体の重心が維持できない。
脚になにかが突き刺さった。左腿、右脛。
これはやばい。限界だ。
海に落ちるように逃げた。
脚に刺さった奴はクチバシのところで切り落とした。水中で青黒い血が流れ出て周りに漂っている。
クチバシ竜は水中に逃れてもなお、ダイビングして襲ってきた。
一定の深さを維持したいが、身体の浮力が邪魔をした。
いつまでも潜り続けるわけにもいかない。息が続かない。
頭上ではクチバシ竜のダイビングが続いていた。あまりの数に白い泡しかみえなくなっている。ヒカリヘビのシグナルが反射して泡は緑に色づいて見えた。
ダイビングを避けて海中を浮島の中央部に向かった。密集していたヒカリヘビは僕があがり始めると、その道筋だけ間を開けてくれた。知性があるように感じられる。
ありがたいことに中央部分には空気溜まりがあった。顔を出して息継ぎをする。
人心地ついたが、このままでは埒があかない。
クチバシ竜は浮島の上で破壊の限りを尽くしているようだ。喉太い雄叫びが騒々しい。ザク、ザクというなにかが裂ける音が伝わってきた。浮島を形作っているヒカリヘビの繊維状の遺骸が千切られているようだ。このままでは浮島は分断され沈められてしまうだろう。
思わず右手に握った太刀をみる。緑の光が水中にあって輝きを増している。
だが、水中で太刀を振ることは難しい。地上に出なければ太刀は威力を発揮できない。かといって、敵の数があまりに多い。地上に出ればすぐにやられてしまうだろう。
これは、万事休すか。
ハロガーの物量作戦にこのままやられてしまうのか。
待て。ここで死んだらカティはどうなる。お腹の子どもは。
ヒカリヘビの浮島がなくては生きられないではないか? ここはなにがなんでも死守しなければならない拠点だ。
気ばかり焦る。なにか策を練らなければ……
!! なにか頭のなかで閃いた。
ヒカリヘビは緑色に明滅している。赤や紫ではなくなった。ゆっくりと力強い脈動だ。なにか新しいパターンに思念が変わっているようだ。
我が太刀もまったく同じだ。同じ脈動をしている。完全に同期しているではないか? 非常に強い緑色を発している。
いったん脚を蹴って深く潜って、海上に出る。とたんにクチバシ竜が襲ってくる。潜ると同時にクチバシ竜の群れに太刀を向けた。
「行け!」頭のなかで叫ぶ。
すると、ヒカリヘビの大群が矢のような速度で、ダイブしてくるクチバシ竜の群れに襲いかかった。
意思がつながったのだ。
数十匹のクチバシ竜はあっという間にヒカリヘビの餌食になった。全身にヒカリヘビが突き刺さった。水中では動きの遅いクチバシ竜はひとたまりもなかった。飛膜、腹、首、頭を次々に貫かれて、海に浮かんだ。
同じことをなんども繰り返す。クチバシ竜は面白いようにこの作戦にかかり文字通り海の藻屑となった。海面を無残な死骸が覆っていった。数はあっても知能がない。失策から学べず行動を修正できないのだ。
ヒカリヘビも無傷ではなかった。クチバシ竜に衝突して命を失うもの、貫いたままで身体から抜け出せないものがいた。補充が必要だ。外洋から入江に呼び寄せた。
「来い!」
数十秒を開けずに大量のヒカリヘビが猛烈な勢いで外洋から侵入してくるのがみえた。大きなクジラほどの塊だ。
浮島からクチバシ竜を追い払ってやる。
海上に顔を出し、浮島に向かって太刀を振り上げる。
「撃て!」
ヒカリヘビは海中で勢いをつけて宙に舞った。わずかなヒレを広げてトビウオのように滑空した。
浮島を蹂躙していたクチバシ竜の大群はこの襲撃をまったく予想だにしていなかった。数万の矢が一瞬のうちにクチバシ竜を襲った。
壮絶な光景だ。自分でこれを指揮しているのかと思うと怖気るほどの無残な殺戮が繰り返されていた。
数分のうちに浮島にクチバシ竜の死骸が山積された。無傷で残ったクチバシ竜はただの一匹も見られなくなった。哀れな声をあげて悶え苦しむクチバシ竜が海に落ちていった。
あれほどの大群だったクチバシ竜は壊滅した。空に難を逃れた数百匹が行き場を失って旋回している。
一匹たりとも逃すか!
俄然、強気になった
さすがに空を舞うクチバシ竜はヒカリヘビの射程ではなかった。
このくらいの数なら太刀で勝負できる。
浮島に再上陸した。クチバシ竜の死骸を蹴落として丘の上に駆け上がる。
間抜けなクチバシ竜は同じ攻撃を仕掛けてきた。
真上から急降下してくる群れにまず対峙する。
横から向かってくる群れはヒカリヘビに襲わせた。
「振ーれ、振ーれ。もっとだ」
気味の悪い声がした。気のせいか?
「もっとだ、タイエン。もっと振れ」
「誰だ?」思わず声に出した。
クチバシ竜の襲撃は散発になり、終焉を迎えつつあった。最早、数えるほどしかいない。勝利は決定的だ。
あの声は何だ? ハロガーとは違う。別の誰かだ。
確かに聞いた。底知れぬ不気味さと寂寥感をもった声。
深淵から届いたかのような呪われた声。
僕の名を呼んだ。
いったい誰だ?
気づけば丘の上に崩れ落ちていた。脚のキズが深い。
壮絶な死闘は数時間にも及んでいた。
日が落ちかかっている。
カティが胸に飛び込んできた。
すぐあとにセディオの姿がみえる。その後ろに、ペシェ、ザルマ、ドゥ・ウィンギが立っている。
「大丈夫なの」カティが覗きこむ。
「痛いよ。カティ」
カティのお腹がキズのある脚に乗っていた。
それでもカティは僕を抱きしめて離そうとはしなかった。
「あれを見ろ」
ペシェが西の空を指差した。禍々しい夕日があった。黒い尾を引いている?!
「いったい、どういうこった?」セディオがひどく驚いている。
そこに姿を表していたのは、夕日なんかじゃない。第二衛星ダークキャッスルだ。
衛星表面が真っ赤に爛れている。
暗黒の衛星とよばれるほど黒く暗い衛星が赤々と燃えているようだ。よく見れば衛星の周縁では炎があがっているようではないか。
「燃えているんだ」ペシェは断言した。「あの赤黒い尾をみろ。あれは宇宙空間に吹き上げられた煙だ。間違いない。暗黒城は燃えている」
夜の帳にあったこの星ユングリムをダークキャッスルが血に染めたように照らしだした。
灼けつくような恐ろしい夜景が広がっている。海がマグマのように赤く染まった。
「落ちてくるのか。いよいよ、この星も終わりなんだ」セディオがいうとザルマとドゥ・ウィンギが狼狽えた。
「それは違うな。その逆だ。救われたんだ」またしてもペシェが断言した。
「どういうことさ」僕は怯えるカティを抱きながらおもわず訊いた。
「よく見ろ。もし大気圏に突入して燃えているなら進行方向が強く燃えるはずだ。だが、この燃え方は違う。全体が燃えている。火山のような噴火がみえるだろう。あれは内部から燃えている証拠だ」
なるほど言われてみればその通りだ。ペシェとはつくづく冷静な男だ。この異常事態にそこまで緻密な観察を行えているとは。
「どうして救われたとわかる?」
「暗黒城は近い将来この星に落ちてくると観測でわかった。年々、公転周期が遅くなっていたからだ。この惑星とお互いの重力で引っ張りあっているためにブレーキがかかった状態だった。だが、あれを見ろ。ものすごい勢いで燃えている。あの勢いで燃えるなら暗黒城は急激にその質量を減らすと予想できる。重力のブレーキから開放されることになる。じゅうぶんに質量が小さくなればむしろ、この星から遠ざかるはずだ。どんどん外側に公転軌道が移っていくだろう」
「そんなのダメよ。ワカクサに衝突するじゃない」
「それはありえるな。まだ先の話だ。その前に燃え尽きて消えるかもしれん」
「でも、なんで突然燃え出したんだ?」合点のいかないセディオが言った。
「わからん。あの衛星は鉄の塊だ。簡単に燃えるような材料じゃない。考えられるのは核分裂による熱が発生した可能性だ。放射性物質が突然臨界点に達して核分裂が始まったとしたら燃え尽きるのも早いぞ」
「放射能を撒き散らしてるのか」
「まあ、いくらか地上に降ってくるだろうな」
「どれくらいで燃え尽きるのよ」と、カティが不安げにきいた。
「さあな、数万年から数百万年ってところだろう」
「ちっとも早くない。こんな夜空は嫌い」
あの暗い怨嗟のような声を思い出していた。
「振ーれ、振ーれ。もっと振るんだ、タイエン」
交絡が起きたのだ。自分がエンタングラーであることの自覚を忘れ去っていた。
なにものかが僕の力を利用した。自分に都合のいいように宇宙の摂理を切り替えたんだ。
その結果がこれだ。暗黒城が地上に落下せず、燃え尽きる運命になった。
いったい、なにものなんだ。
そいつは僕のことを知っている。不気味な存在だ。
そいつは僕を利用し、ハロガーさえも利用した。
心の底に焼き付いているトラウマ。
あのオンクリー博士の言葉を思い返した。
「……。僕はここにどうしてもなんらかの意図を感じてしまうんだ。それは人間やジェムラインのような卑近な存在なんかじゃない。もっと大いなる存在がそこに関与している気がする。君はまだ幼い。だからこのことを記憶にとどめて時期が来た時に思い出して欲しい。決してマッドサイエンティストのたわ言とは思わないでくれ。君自身が宇宙の災厄とならないように用心するんだ」
僕はいま宇宙の災厄になってしまったんだろうか。
カティとそのお腹を感じながら、意識が遠のいていくのがわかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます