5 恋するホミニン

 討伐隊への参加意思をワラフに伝え、ホミニンたちに許諾された。

 カティも一緒だ。もう思い悩む必要はなくなった。

 ワラフにそう伝えた時、吹っ切れた様子が少し意外だったらしい。なにがあったか訊いてはこなかったが、沈着冷静なワラフがわずかに戸惑ったようにみえた。

 討伐隊は僕ら3名の他に、蘇生したばかりのペシェ、身軽なギ・フォングやリフォル、ダゴゥ、剛力役に巨躯のプビカリと新巨人のドリッコが加わり、総勢で9名の編成となった。

 遠く西ハロガー海洋への出発までに後10日。

 それまでに武器一式をはじめ食料や資材を調達し、必要なスキルをインストールしなければならない。

 カティは早々にスキル・インストを終えていたが、僕はまだ登山スキルが残されている。剣術スキルはかなりハードだった。登山スキルも同じような脳の部位を対象とする。おそらく同様にキツい。慌てることはない。もう二三日後にしよう。

 その前に抜刀で二度と同じ過ちを犯さないように手立てを考えることが最優先だ。

 あの夢の警告を素直に受け取ろう。カティを守りきれない糞野郎にはもう二度とならない。

 なにか策を練る必要がある。遠征の目的地までは長い旅路となる。その半分は急峻な山岳地帯だ。長い太刀を腰に佩刀したままで登山することはかなり困難だ。やはり背負うほかはないだろう。即座に戦闘態勢をとる必要からリュックを背負っても抜刀できる装備を実装しなくてはならない。なにかアイディアがいる。そんな装備はかつてないのだ。自分で考えなければならない、オリジナルの装備を。


 コンバットナイフ5本の作製を終えた。カティの分も含まれている。ミモザはひたすら鏃を研磨し続けている。まだしばらくかかるだろう。

 ワラフの刀鍛冶はいよいよ佳境を迎えようとしている。かなりのハイペースで工程を進めている。

 手際がいいことは認めるが、早すぎないか? やや疑念が浮かんだ。

「仕上げに時間を割きたいですからね。ここまでは充分に鍛えてありますよ」

「剣術スキルも入れなきゃならんだろう。もう時間ギリギリかもしれん」

「間に合わせますよ。大丈夫です」

 ワラフの負担を減らすべく素延べの槌打ちを手伝い、藁灰づくりや泥汁の調合を引き受けた。ワラフはそれからわずか3日で焼入れに成功した。

 長さは70センチ強。身幅太く、重ね厚く、反り浅い。切先が伸び上がっている。抜刀に適した新刀の特徴だ。

同田貫どうたぬきですよ」

 それは兜をも割ることのできる豪刀とされる。実際、明治天皇の御前で兜割りを実演した猛者がいた。

 一方で実用性・量産性を重視したがために美しくはない。

 ワラフは優美さより切れ味、使いやすさを優先した。

 この選択は製作期間が短いという条件も加味した結果だろう。

 研いでみると地肌は板目で明るい。刃文は面白味にかけるのたれを描いていた。

「君らしいね。一匹狼の拝一刀おがみいっとうってわけだ」

「それをいうなら子連れ狼でしょう」

 ワラフはホミニンらしくない孤高の雰囲気をもっている。なので、ついうっかり言い誤ってしまった。少なくとも今後も子連れになることはないだろう。

「銘は?」

「勿論。もう決めてます」ワラフはそういうとタガネを取り出し、茎表なかごおもてに器用に楷書体を刻んだ。


『同田貫笑フ』


「どうです? いいでしょう。宛字を考えてみました」

 なんと返事していいのやら。思わず吹き出しそうになるがなんとか堪える。

 しかし、これ自体は笑うはずのないものだ。間が抜けた感じがかえって不気味だ。

 なぜ、日本語スキルをインストールしなかったのだろう。もう少しで男の美学を完成させられたのに。

 ジェムラインの知識体系を参照するだけでは辞書を眺めているのと差はない。その真髄まで体得しようとするならやはりスキルとして自分の中に取り込まないといけない。日本語スキルであれば表象体の脳でなくジェムラインの側核自己体にインストールできたのに。

「う、うん。ユニークだね。いいと思うよ」

 そう言うのが精一杯だった。所詮、銘を刻むのは自己満足でしかない。今の状況を考えれば、この銘を誰に読まれるわけでもない。ワラフの達成感を台無しにすることだけは避けよう。

「変だって言いたいんでしょう。ちゃんと日本語はいれましたから。それでもこれでよかったんです」

「…そうなんだ。なんか珍しいとは思ったけど。ワラフ、君はやっぱり変わってる」

 センスの問題か。それともまた謎掛けされているのか?


 翌日、ワラフは昼すぎまで工房に姿を見せなかった。姿を現したときには、なんだかフラフラしていた。

「剣術スキル、いれましたよ」

「かなりハードだったようだね」

「脳が満杯です。これが限界です」

「それで何流にしたの?」

「柳生新陰流です」

 やはり、そう来たか。

 新陰流は日本の戦国時代に念流、新当流、陰流を修めた上泉伊勢守秀綱によって興された。これを引き継いだ柳生石舟斎は徳川家康に認められ、その五男宗矩は徳川三代の兵法師範となった。有名な柳生十兵衛は宗矩の嫡男だ。

 ワラフがインスールした柳生新陰流は、石舟斎の孫兵庫助の尾張柳生の流れを汲んでいた。

 ワラフは質素な樹脂製の拵えに刀身を収めると抜刀を行った。右手を柄に添えると同時に切先は下弦の弧を描き正面をとらえた。

 早い。

 左手の鞘を後方に引く動作が目視しきれないくらいに素早い。腰の回転が加わってそれをさらに加速させる。この切先を躱すことは不可能にみえた。

「鍔を造りませんか」

 ワラフも僕と同じ不満を持つようだ。樹脂製の鍔では居合術を存分に活かし切れない。その部分に受けが効かないからだ。

「そうしたいとは思うよ。でも金工スキルをいれる余裕がない」

「意匠を凝らさなければ鍛冶だけでいけますよ」

「そうかな。やってみるか」

 そういうやり取りの最中にミモザが声を掛けてきた。

「ブレードヘッドを手伝ってください。間に合いそうもありません」

「ミモザ、それは君の仕事だ。僕らに押し付けるべきでない」

 ワラフは確かにそう言い放ったのだ。僕は唖然としてワラフの顔を見て、続いてミモザを振り返った。

 ミモザは例の思考停止モードに入ったように動かなくなったが、やがて諦めたように鏃を砥石に掛ける作業に戻った。

「ワラフ。君、なんだか凄いね。いや、なんと言っていいのか。まるで人間みたいだ」

 僕の心ない言葉にワラフは一瞬、強い憤りを発した。その感情が伝わってきたのだ。

 すぐに自制したようだったが、確かに怒りの感情が芽生えていた。ワラフの精神にはなにかが起こっていた。この変化は明らかにホミニンの個体差のレベルを超えている。ホミニン同士での言い争いや意見の食い違いなど生まれようがないのだ。

 すべてのホミニンはジェムラインの表象に過ぎず、その言動に矛盾は生じない。ジェムラインは自己矛盾しない存在とされている。にもかかわらずミモザとワラフのやり取りは明確に意見の食い違いがみられる。これは何を意味しているのだろう。

 ひとつの表象体にすぎないワラフの内面になにかがきざしたか。

 ジェムライン内部になにか深刻なトラブルが生じているのか?

「済まない。あまりに意外だったのでついうっかり…」

「タイエン、僕は人として生きたい。常にそう心がけています。あなたやカティさんからそう学びました。自分がなんであるか、それはよくわかっていません。でも、自分が自分であることを大切にして生きたい。僕は人です。そう思って欲しい」

「ああ、そのとおりだ。君は立派な人間だ。前々から薄々、そう感じていたんだ。今、すっきりしたよ。やっぱり君は他のホミニンとは違う。それは君が人だからだ」

「ありがとう、タイエン」

 以前から徐々ににではあるが、ワラフに絆を感じていた。それは友情に近い。だけど、なにか違和感を感じて全幅の信頼をもてないでいる。常に一歩退いた立場でワラフに接している。完全に受け容れる気持ちが持てない。

 僕は疑い深い。ワラフにではなく、僕に問題があるのだろうか。

 あるいは所詮、ホミニンだという思い込みがそういう線引をさせていたのか。

「ワラフ、少しばかり君を誤解していたかもしれない。お互いにもっと心を開こう」

「僕は常にそうしています」

「ワラフ…、では訊きたいことがある」

「何ですか?」

「なぜ、あのとき玉鋼を僕に?」

「あなたが喜ぶと思ったからです」

「あのとき確かに自分でも驚くほど興奮した。でも玉鋼がそういう喜びをもたらすとは、まったくもって予想外だった。君にそれがわかったことが不思議だ。わざわざ砂鉄を集め、バイオコークスの純度をあげ、チタンまで添加して、完成したばかりの高炉でなぜ玉鋼を造ったのか? どうもしっくりしない」

「充分にあなたを納得させられはしないかもしれませんが答えてみます」ワラフはそう言うと天を仰いでしばらく黙考し、徐ろに切り出した。

「タイエン、あなたはあのころから鉄に憑かれていた。鍛冶に没頭するあなたをみれば傍目はためで見てもそれはわかりました。カティさんはそういってよく愚痴をいっていました。たぶん寂しい気持ちからでしょう」

「カティを思っての行動なら玉鋼は逆効果では? だってもっと没入することになる。事実、そうなった」

「いえいえ、誤解です。カティさんはハンマーなどを作っているあなたを見るのが寂しかったのです。だから軌道修正することにしたんです。それは僕しかできない。僕の役目だったんです」

「なんてことだ! カティが僕に日本刀を造らせようとしたというのか」

「違います。早橡はやとちりしないでください。カティさんは日本刀とはいっさい関係ありません。そう仕組んだのは僕です」

「君が一人で僕ら二人を操ったというのか」

「そう言われても仕方ないかもしれません。でも、私欲を満たすためではありません。お二人の関係を元に戻したかったのです。カティさんがハンマー製作を悲しんだのは、あなたがジェムラインに隷従しているかのように思えたからです。でもタイエン、あなたはその気持をいっさい汲もうとしなかった。それどころかカティさんのこと、ちゃんと見ようともしていなかった。実際、依頼された品々の製作に日々、追われてましたよね」

「確かにそうだった」

「お二人がどんどん疎遠になっているように感じました。僕はそれが辛かった。だから、元のような円満な関係になるにはどうすればよいかを考えたんです。そのことについてカティさんとはなにも相談していません。まず、あなたを鍛冶から引き離すことは困難だと判断しました。ならば、カティさんが悲しくならないようにジェムラインに隷従していることにならない鍛冶仕事をあなたに与えればよいと考えたのです」

「なるほど、筋は通ってる。しかし、それが日本刀によく結びついたね」

「あなたは刃物を特別に好んだ。ノミの刃の切れやサバイバルナイフの切れ味に強くこだわっていました。玉鋼をみれば日本刀を鍛えたくなるはずだと容易に想像できました。なおかつ、ジェムラインが発注するはずのないものでした」

「なるほど。君の策略に見事にはまってしまったということか」

「策略だなんて…誰も陥れるような気などなかった」

「ワラフ、君が僕達の関係を心配してくれたことには感謝したい。でも、僕らの関係はそんなに弱くない。疎遠そうに見えたかもしれないが、一時的だったんだ。僕は何よりもカティが大切なんだ」

「その気持は本当と思います。でも、一時的でもカティさんは悲しんでいました」

「なぜ、カティを悲しませたくないと?」

「それは…おそらくカティさんにそういう気持ちをいだいているからでしょう」

「ワラフ、それなら僕たちは恋敵こいがたきということじゃないか」

「あなたからカティさんを奪いたいという気持ちがないといえば嘘になります。でも、その一方で二人が幸せでいられるように心の底から願ってもいます。とても矛盾していますが本当なんです。実際僕自身、この矛盾に気づいて混乱し、どうしたらいいのか随分悩みました。というか、今も悩んでいます」

「そうだったのか。すまない、ワラフ。君が恋してるなんてまったく想像もできなかったよ。すごく驚いている」

「それは仕方ありません。本来は恋とは無縁の存在です。なぜ、そうなったのか…カティさんを好きになってしまったのか、いくら考えてもわからないのです。本当に不思議です」

「恋の理由なんて考えても無駄だよ。君が人になったのなら尚更ね」

 ワラフのとった行動に対する疑念の一部が払拭された。それでもまだすっきりしていない。たくさんの疑いが積み重なっていたのだ。ワラフを信頼し友とするためには、それらをひとつひとつほぐしてしまわないと。

「ワラフ、ほかにも訊きたいことがある」

「なんでも訊いてください」

「なぜ、君が地質調査隊に選ばれたんだろう。他のメンバーの顔ぶれから見ても君が選ばれる理由がわからない」

「立候補したからです。言わずにいてすみません。それほど大したことではないと思ってました」

「なぜ、行こうと思った?」

「自己矛盾に耐えられなくなってました。いったん、この関係から脱け出してしまいたくなったのです。自棄やけになったわけではありません。客観的になれる時間が欲しかったのです」

「そうか、知らずにいたよ。君が悩むなんてまったく思いも寄らなかった」

「そうなんです。僕自身が一番驚いています。矛盾した気持ちがあることに気づいて本当に困惑しました。どう対処すべきか、まるで見当がつかなかったのです。誰にも相談できないことでした」

「だろうね。相談する相手はいなかったろう。僕やカティはその当事者だし、ほかのホミニンに理解できるはずもない」

「孤独というものがよくわかりました。調査隊の他の連中と一緒にいても孤独のままでした。生死をかけてお互いを助けあって登山している時も、やっぱり一人でした。むしろ彼らと向きあえば向き合うほど、僕とは違う存在だと思い知らされてしまいました」

「僕を討伐隊に参加をさせたい理由は、僕を加えて孤独を癒やすためか?」

「まさか。違います」

「冗談だよ。でも調査隊ではなにがあったんだい? ジェムラインでは君のその記憶に繋げられないんだ。隠されているとしか思えない」

「その質問にはまだ答えられません。禁忌とされています。その制約には従わなくてはなりません。残念ですが…」

「じゃあ君は人になったのにいまだにジェムラインの支配下にあるということかい」

「…そういうことになります」ワラフは苦しげだった。

「ジェムラインは、僕やカティから隠していたいだけなんだろうか」

「……それだけとは限りません」

「ホミニンたちにも知られたくないことなのか」

「…おそらく」

「ジェムラインとホミニンが分離しているように聞こえるけど」

「本質的に無理なんです。存在する限り、無矛盾でなんていられない」

「…なんのことさ?」

 ワラフが吐き捨てるように言ったことをうまく飲み込めなかった。

「これ以上話せません。すみません。いつかきっと話せます。それまで待ってください」

「わかったよ、ワラフ。正直に話してくれてありがとう。君へのわだかまりがかなり無くなった」

 これ以上、ワラフに要求することはできなかった。隠蔽が有るとしてもそれはワラフの意思とは別のところにあった。彼を窮地に追い込むようなことはできない。

「僕も気持ちが楽になりました。話せてよかった」

「これから君を人として見る努力をする」

「是非、よろしく」

 お互い照れくさかったので訳もなく笑って、それから握手した。友情の始まりと信じて。


 気象天文部の古株ペシェが鍛冶工房を訪れた。古株といっても地質調査隊への何者かの襲撃で落命したため、そのボディは数日前に蘇生したばかりの新品だった。

 ペシェは岩壁を登攀とうはんする時にクラックに打ち込むハーケンを必要としていた。ジェムラインを通さず直接、注文に来ることは極めて珍しい。

 どうもワラフのミモザにとった態度が関係ありそうだ。ミモザはクロスボウのブレードヘッドで手一杯、ワラフは同田貫に関する仕事以外を拒否している。僕に直接、依頼する他にハーケンを入手できないと踏んだのだろう。

 太刀『異改童子切大円模』の鍔を造ろうとしていたが、客観的に考えてハーケンを優先すべきことは明白だ。もちろんペシェの依頼を快諾した。

「ペシェ、君はロッククライミングのエキスパートだ。初回も大活躍だった」

「ああ、最初に登った時のことは一部記憶している。断片化しているがね。それでも充分に役に立つ記憶だ。二度目はもっとうまくやる自信がある」

 前回、中継アンテナを通じて省略して送られてきJSSが記憶として保持されているようだ。

「今回は武器を運搬しやすいようにザイルを使ってみる。このザイルは絶対に切れない」

 ペシェは持ち込んできた赤茶色をしたザイルを手渡してきた。

「これを支えるハーケンはやはり鋼鉄でないとね。硬い岩盤に打ち込んで何度でも繰り返し使いたい」

「絶対に折れない鋼鉄のハーケンをつくってみせるよ。ところで、君はどんな武器を装備するんだい?」

「爆薬専門だ。ダイナマイトに手榴弾、地雷、機雷、爆雷、なんでもござれだ」

「ずいぶん幅があるね。一体、どんな敵を想定してるんだ?」

「俺を殺した奴らについてまったく記憶がない。想定のしようがない。だから力で叩き潰すことにした。どんな敵であろうと一発ドカーンで終わりだ」

「同胞の可能性はほんとうにないのか?」

「俺たち以外にこの惑星に同胞が出現していないか、俺はずっと探し続けてきた。様々な電波を飛ばしてね。たった一度切りだが、それらしい通信を傍受した。だが、それっきりさ。その後は必死の呼びかけにも全く応答なし。なにかの間違いだったのかもしれん。これだけ探しても反応がないんだ。オルビオを除いてこのユングリムにうまく付着したジェムライン同胞は存在しないと結論した。俺たちは孤独だとね。それがこんなにお隣同士に居たとすれば、喜ぶべきか悲しむべきか。いずれにしてもさ、同胞に殺されたとは思いたくないね」

 つまり正体不明の敵が同胞である可能性を捨てきれないでいるということだ。

「あいつはその正体を知ってる。だが、俺達には知らされていない」

 ペシェはワラフを一瞥した。ワラフはペシェが来てから無視を続け、同田貫の研ぎ出しに専念している。

「ワラフの意思じゃない、君らに伝えられないのは奇妙だが」

 ワラフをかばうつもりだったが却って事態の異常さを際立たせてしまった。

「そう。なんだかおかしい。でもどんなに奇妙であっても、真実は自ずと姿を現す。俺達はそれを待っているのさ」ペシェは謎のような言葉を残して工房を去った。

 ペシェの言う「俺達」にワラフが加えられていない。ワラフとホミニンとの対立はいよいよ鮮明になっている。


 居室ではカティにせがまれて、腰に佩刀した状態からの抜刀術を何度も繰り返し披露した。

 カティはその度に拍手をしてはしゃいだ。

「凄い。どんな敵でも一刀両断にできそう」

「どんな相手かも知れない。接近戦にならなかったら役に立たないよ」

「また後ろ向きになってる。もっと自信を持って」

「ペシェは手榴弾を装備するそうだ。向こうだってもっと優れた近代兵器を準備しているかもしれない。日本刀は時代遅れに思えてきた」

「どうして悪い方に物事を捉えちゃうの」

「慎重でいたいんだ。そのためにはいろいろな可能性を考えなくちゃいけない」

「そんな風に考え続けたら楽しくないじゃないの」

「楽しむために未来を考えるわけじゃない。戦争に行くんだよ。命を大事にしたいんだ」

「…あたしは戦争だって楽しんでみせる」

「ひどい考えだよ。人を殺すことを楽しむなんて」

「相手は人じゃない。ここでの戦争はゲームなの」

 カティの言う通り、敵が人である可能性はほぼない。同胞であったとしてもホミニンだ。

 カティはホミニンを人と認めていない。もし敵に殺されたとしてもジェムラインによって蘇生される。つまりリセット可能だ。それは戦争ゲームそのものだ。

「同胞だったらどうだろう。エンタングラーがいるかも」

「バカね。もしそうなら戦争になんてならない」

「それは過信だよ」

「エンタングラーは同士討ちしないの。そんなこと絶対させない」

「カティ、恋するホミニンがいるんだ。知ってたか?」

「なあに、突然?」

「誰だと思う」

「誰かしら。そんなの興味ない。あったとしてもきっと疑似えせ恋愛よ」

「恋に悩み自暴自棄になってもか」

「もしそうなら面白い。誰が誰に恋してるの?」

「ワラフさ。ワラフは君に恋してる」

「面白い考えだけど、あり得ないわよ。どうしてそう思ったの?」

「ワラフがそう告白した。事実なんだ」

「…冗談ばっかり」カティはなぜかお腹をさすった。

「いや、ホントさ。ワラフはその思いを吹っ切るために調査隊に参加したんだ」

「それは変よ。だってワラフって13人を融合させた表象体よ。女の比率の方が高いんだから」

「君が魅力的だったからさ。少しも不思議でない」

「なんか嫌だ…ホミニンに好かれても全然嬉しくない」

「ワラフはもうホミニンとはいえない気がする。自我が芽生えている」

 ワラフが恋に悩み、日本刀鍛造を仕組んだこと、他のホミニンたちと反目していることなどカティに聞かせた。

「なにか違うとは思ってたけど…でも、やっぱり人とは思えない」

「カティ、君は最初からワラフがお気に入りだったじゃないか」

「話し易かったの。なんていうか優しい感じ」

「ほらね」

「何。もしかしてヤキモチ?」

「そうじゃなくて、君の心は意思に反してワラフを受け入れていたのさ」

「……」

「僕もね、ワラフを友達にしたんだ」

「タイエン、あなたらしい。でも、気を許しすぎると痛い目に合うわよ」そう言うとカティは完全食料スワイゲルのボトルを口につけた。

 僕も一気に流しこむ。

「物事を決めつけすぎるのはよくないよ。その都度、柔軟に考えよう。いろんなことがすごい勢いで変化してるんだ。合わせていかなきゃ、いい結果に繋がらないよ。ワラフは僕らの味方だ、とても頼りになるね」

「今は、でしょ」

「心の絆を大切にすることさ。どんどん深く強くね。自分次第さ」

「タイエン、なんか変にょ。頭、マワル」

「カティ、僕も…。モラレちゃ…」

 スワイゲルが手元から落ちた。力が入れられない。そのまま意識を失った。


 わずかに光の点が見える。

 夜目が効くはずだがその点以外は真っ暗だ。音もしない。硬い岩の上に身を横たえているようだ。上体を起こすと後頭部がズキズキした。なにがあったのか思い出した。急激な意識低下だった。スワイゲルになにか薬物を混ぜられたに違いない。

 誰がこんなことを? あれからどのくらい経過したのか?

「カティ、どこだ?」大声で叫んだつもりだがくぐもった声になってしまった。

 ひどく蒸し暑いことに気がついた。

 ジェムラインにアクセスできない。何度試みても沈黙している。まるで反応がない。こんなことはかつてない。

「おーい。誰か!!」

 しばらく待ったがこちらも反応がない。

 壁に寄りかかって立ち上がってみるが、すぐに膝が崩れた。充分な力が入らない。脱水が起きているらしい。外殻靭体の表面がピリピリしている。手先が震えているようだ。

 まずい。このままだとまた意識を失ってしまう。

 這いつくばって必死で光の点に進んだ。近づいたと思ったが見えなくなってしまった。

 それでも構わず前進すると固いものに頭を打ち据えた。触ってみると分厚い樹脂製の扉のようだった。光の点とみえたのは鍵穴だった。穴を覗くと暗い坑道が続いていた。遠い照明が鍵穴を通して光の点として見えていた。

 どうやら僕は地下牢に捕らわれている。こんなものがオルビオにあったとは。

 牢の扉を力の限り叩いた。鈍い音が坑道を伝わった。頑丈な扉だ。とても蹴破るような力は残っていない。それでも狂ったように長く叩き続けた。

 駄目だ。誰も来ない。ここはフォスたちが熱水を求めて掘り進んだ坑道の一部のようだ。とても地上まで音が届きそうにない。

 蒸し暑いのは熱源が近くにあるからだろう。だったら、作業時間になれば誰かが戻ってくるはずだ。今は夜なのかもしれない。だから、誰もいないのだ。夜が明けるまで体力を温存しよう。

 しばらく休むつもりがそのまま気を失ってしまった。


……縁側に木漏れ日が揺らいでいた。

 一匹のミンミン蝉がけたたましく鳴いている。初夏の遅い午後。古い日本家屋にいる。

 背を向けた安楽椅子が畳の上で揺れている。誰かが中庭を眺めながらしきりと前後に漕いでいるようだ。なんだか落ち着きが無い。

 誰かはわからなかったが特別関心もひかなかったので同じように中庭を眺めていた。

 江戸風鈴の音色が響く。

「こうしてみると日本の夏は風情があるな」安楽椅子から声がかかった。

 そのまま無視していると安楽椅子が止まり誰かが立ち上がった。外殻靭体の人影が動く。

「タイエン、どうした? 元気が無いじゃないか」

 声の主はそう言うと座卓を挟んで床の間を背にしてあぐらをかいた。ハロガーがいた。

「また、あんたか。今度は用件を尋ねてもいいのか」

「ああ、構わんよ。こちらが君の爺さんの家にお邪魔させてもらっている身分だ」

「で、何?」

「君と差し向かいで話したかったのさ。あのお嬢ちゃんのいないところでね」

 カティのことを思うとなぜか心のどこかに焦燥が湧き上がった。

「ああ、いいさ。構わないよ」

 襖が開き、お盆を持った母が入ってきた。まだ若い時分のままで髪が長い。

 母は笑顔でハロガーに会釈して座卓の上にスイカの切り身と麦茶を置くと黙ったまま退席した。

「美人のお母さんじゃないか。タイエン、君は絵に描いたように幸せな男だよ」ハロガーはそう言うとスイカに塩をまぶして一口かじった。

 ハロガーの口元から赤い果汁が溢れでている。

「消化できないんじゃないかな。無理して食わなくていいぞ」

「これは日本の夏の定番だ。味わいたいんだよ」そう言いながら美味しそうにスイカを一切れ食べてしまった。「私の一部には日本人がいる。そいつが懐かしむんだ」

「僕の夢に共振しているのか?」

「そうだ…君が唯一、話し合える存在だからな」

「他のホミニンじゃダメなのかい」

「そう。通じないんだ、何もな」

「ハロガー。あんたはことごとく気の毒だな」

「同情してもらえるとなんだか癒やされるよ」そう言って麦茶を飲んだ。「おお、香ばしい。煮だした麦茶だな」

「で、話ってなに?」

 僕は膝を抱えてハロガーの様子を観察していた。ハロガーはその異様な出で立ちにもかかわらず和室に馴染んでみえた。

「私はユングリム人として初めて空を飛んだ」

「知ってるさ。その映像も見させてもらった。人かどうかはわからないが、価値は認めるよ。かなりの蛮勇とは思ったが…ユングリムのリリエンタールといったところだな」

「ありがとう。君は人を乗せるのがうまいね。その仕事に必然性があったから応じたんだよ。オルビオの発展と拡大に大きく貢献できると思ってな。確実に死ぬことも知っていたがまったく怖くなかった。すぐに生き返られるからな。ところが、実際に首を切断された時は少なからず恐怖を感じたんだ。神経回路を遮断してあったので痛みは全く感じていない。なのに、自分だった首なし胴を見た途端、経験したことのない恐怖を感じた」

「当然だろう。誰だってそうなる」

「そうだろうか。ジェムラインに意識の中枢がそのまま残っている状況だ。肉体の死滅を見届けることがなぜそんな恐怖に繋がるのか? 自問自答しているうちに観測気球に積まれて離陸した。激しく回転してひどく気分が悪くなった。地上から遠ざかるに連れて恐怖感はどんどん増大していくんだ。怖いのに目をつむることもできない。瞼を閉じる神経が絶縁処置されていたからだ。長い時間だった。血流が細って意識が遠のくまでの3時間、恐怖が募り続け発狂寸前だった。ユングリムの広大なパノラマを目にしていながらそんなものは全く意識に上ってこない。ひたすら恐怖に支配されていたんだ」

「ひどい目に遭ったね。お気の毒としかいいようがないよ。…なんでそんな話をしにきたんだ」

「こんな恐怖を味わった者は人類史上、私だけだ」

「…いやあ、それはどうかな。何百億人もいたからな。その中でトップかどうか客観的なデータがないじゃないか。というかそんな自慢話なのか」

「違う、そうじゃない。激しい恐怖は人を変える。ある水準を超えた恐怖は脳そのものの構造を変えてしまうんだ」

「…自分がそうだといいたいのか」

「そうだ。あれは私への試練だった。あのとき私は開眼したのだ。ジェムラインに繋がれたままであっても私は気付き、そして生まれ変わったんだ」

「しかし、あんたはそれからジェムラインの中にひきこもったままじゃないか」

「時期を待っていた。間もなく始まる。タイエン、楽しみにし給え。ハロガー劇場の開幕だ」

「……」…。


「タイエン。…タイエン、生きてるか」誰かの呼び声がした。すぐ近くだ。扉の前にいる。

「……」声が出ない。

 扉を手の甲で弱々しく叩き返した。

「無事か。いま開けてやる」

 ガチャガチャ鍵を回すような音ともに扉が開かれた。

「悪かったな、タイエン。許してくれよ。こんなはずじゃなかったんだ」

 フォスに抱きかかえられたようだ。

 なにかが喉に流れ込んでくる。口にスワイゲルがあてがわれていた。

「ともかく飲め。変なものはなにも入いっちゃねぇ。安心しろ」

 乳飲み子のようにむしゃぶりついて飲み干した。惨めな格好だ。

 気づくと光の中にいた。陽射しが眩しい。光彩の調整がうまくできていない。

 全天が白い光で覆われている。人影が見える。誰かが覗きこんでいるようだ。

「よく生きてたな。もうだめかと思ったよ」ペシェらしき声がした。

「あのサウナに5日間もいて生きているとは凄いやつだ」誰の声かわからない。

 また意識が遠のいていく。なにが起こったのか。

「こんなはずじゃない」って、なぜ薬を盛った。

 カティはどこだ? 無事なのか?


 気絶している間もスワイゲルの大量補給は続けられたそうだ。口からスワイゲルを5リットルと真水を3リットル。フォスらが流し込んだとあとで聞いた。

 目覚めた時、ホールにひとり寝転がらされていた。疲労感は残っていたが気分は悪くなかった。

「カティは?」

 立ち上がってみたが異常はなかった。

 ジェムラインにはアクセスできなかった。地下牢の時と違ってかすかにその存在は感じられる。しかし、やはり繋がらない。なにか異常が起きた。

 カティを早く探さないと。

 広場に急ぐと、フォスとプビカリが3分割されたホミニンの死骸を運んでいた。胸から上がフォス、腰から下がブビカリ。間の胴はまだ地面に放置されていた。

「おお、タイエン。元気になったようだな」とフォスが僕の姿に気づいて声を掛けてきた。

「それは誰だい。なにがあった?」

「ドゥ・ウィンギが3つになった」と冗談めかしてプビカリ。

 ドゥ・ウィンギは地質調査隊で剛力役だった巨漢だ。

「俺達の身体はな、切り刻むに丁度いい硬さらしいぜ」これもプビカリ。

「これはワラフの仕業さ。見張り役3人を切り捨てて逃げていきやがった」とフォス。

「3人だって。ワラフが? なんで?」

 ニューロ胞集積所の入り口付近に他の二人の惨殺体が転がっているのが見えた。こちらは胴を2つに割られている。

 これが柳生新陰流の業か。ドゥ・ウィンギを袈裟懸けに斬り、その返しで胴を真横から斬り落としている。あの細身のワラフがこの巨漢をいとも簡単に輪切りにした。

「タイエン、お前には話さなければならないことがたくさんある。まあそこに座れ」

 そう言うとフォスはドゥ・ウィンギの上半身をエネルギー変換施設の壁にもたせかけて置いた。しかし、その首は残された右腕にだらしなくしなだれて倒れてしまった。

 フォスはそれに構わず岩の上に腰掛けた。

 僕は促されるまま、その前にある適当な大きさの岩に座った。

「なにから話せばいいかな。なかなか複雑な話だ。ゆっくり聞きな」

「待ってくれ。カティが先だ」

「その女の話も聞くんだ」

 小脇に胴体を抱えたプビカリがやってきて、空いている片腕でドゥ・ウィンギの右手を掴むと引き摺りながら運んでいってしまった。

「どういうことだ。カティは無事なのか」

「落ち着けって。おそらく無事さ」

「おそらく?」

「ワラフと一緒に逃げた。いま、どこかは知らん」

「……ワラフと…」

 フォスが言ったことが飲み込めずしばらく呆然としていた。

「ここを逃げ出したのはお前の女の意思だろうな。辛いだろうが状況からみてそういうことになる」

「そんなこと…あるか」

 カティがワラフと逃げた、自分の意思で。なぜ逃げた? 僕からか? それじゃ、まるで駆け落ちじゃないか。

 ワラフにまで裏切られた。信用すべきでなかったのだ。

 ワナワナと手が震えだした。息が苦しい。激しい怒りと悲しみ、焦りと不安。一緒くたになって一斉に沸き上がってきた。

 こうしてはいられない、早く見つけないと。

「なにかの間違いだ。カティは誘拐されたんじゃないのか」そう言い放ってその場を立ち去ろうとしたが、フォスの怪力に制止された。

「探すって言ってもな、どこを探す気さ。行き先を知ってるってのか?」

「いや、どこへ行った?」

「…だろう。お前はお寝んねしてたが、出て行ったのは5日前だ。行き先がわかったとしても簡単には追いつけないぜ」

 僕は地面にへたり込んだ。

 カティがいなくなってしまった。何も言わず僕から去って行ってしまった。

 顔も歪めず涙も出さず慟哭した。

 こんな身体でいても、時に感情の制御が効かなくなってしまう。幾ら泣いても次から次と何かが胸の奥から沸き上がってくる。

「おい、いい加減に泣き止みな。みっともねえよ」フォスは腕を組んで辛抱強く見守っていたがついに我慢できなくなったようだ。

 そう言われたことはわかったが、止められない。涙が出ない分だけ始末が悪い。

 長かった慟哭はようやく治ったが、しゃっくりのような嗚咽がしばらく続いた。

「まったく情けねえやつだな。女に逃げられたくらいで世界の終わりみたいに…まあそんなんでいいから聞きな」フォスはため息混じりに言った。「お前も知ってると思うが、ワラフは旅から戻るとなんだか変わってただろう。俺達と協調することを拒むようになってたし、勝手に日本刀を造り出した…だよな?」

「…ヒッ…」頷いて同意を伝えた。

「ヤツが変わっちまった理由はわからないが危険と判断した。ヤツを眠らせてその間に脳神経網に矯正処置を加えることにした。ボディごと再構築する手もあったがそこまではする気はなかった。遠征も近かったしな。そこで、スワイゲルに伝達阻害剤を混ぜて眠ってもらった。刀を持って暴れられても困る。お前たちも同じように拘束した。お前らに矯正処置を加える予定はなかったが、ワラフ救出に動かれたんではたまらん。ワラフを矯正するまでの間、少々大人しくしてもらえればそれでよかったのさ」

「僕とカティとどうして分けておいた。カティはどこにいたんだ」

「ふたり一緒では脱走の危険があった。あの地下牢は女にはちっとばかし過酷だ。だから集積所の個室にしばらくいてもらった」

「嘘だ。カティも矯正しようとしたんだ」

「…タイエン、お前ちょっと賢くなったみてえだな。実はそのとおりさ。あのお嬢ちゃんも、少々危ない存在になってきていた。ワラフほどの危険因子じゃないが、早目に処置したほうが安全ということになったのさ。悪く思うな。命まで奪おうってつもりはなかった。尖り過ぎたところを少し削りとる処置だ。余程、注意深く観察しない限り気づかないような変化だ」

「…カティはそれをやられたのか」

「いや、できなかった。その前にワラフが来て連れて行ったからな。見ての通りさ」

 カティを救出するときに3人を切り捨てたということらしい。

「ワラフの野郎、うまいこと脱走しやがった。拘束具が内側からズタズタに切られていた。なにか刃物を隠し持っていたに違いない」

 そういえばワラフは同田貫の鍔を造るとき、あわせて小柄こづかも造っていた。武器としてはほとんど役立ちそうにもない小柄を鍛えているところを見て、完璧主義者のワラフらしいと思った覚えがある。

 しかし、すでにあのときには拘束されることを想定していたのだろう。同田貫の拵えの一部とみせてミモザを油断させ、腕の接合部分に小柄を仕込んでいたのではないか。最初から鍔など目的としていなかったのだ。だとしたら相当賢いやつだ。

「なぜ、追わなかった」

「そりゃ、無理ってもんさ。ジェムラインが停止しちまったんだ。俺達は一瞬で低能になった。ボディは作業用でしかない。大切なモノはみんな、ジェムラインに仕舞ってあったのさ。誰もなにも決められないし、なにをしていいかもわからない。慌てふためき、ただウロウロしてたのさ。いまはいくらか回復してきた。だからお前のことも思い出せた。それまでお前は誰からも完全に忘れ去られていた」

「ひどいじゃないか、忘れるなんて。ジェムラインを停めたのもワラフなのか」

「そうらしいな。ニューロ胞の中に大量の伝達阻害剤をたらし込んでいったそうだ。俺たちは体よくしっぺ返しを喰らっちまった」

「もうダメなのか?」

「さあな。ガデルら技術者がいま中和作業をしているところさ」

「ずいぶん暢気だな。ジェムラインが元に戻らなきゃ、みんな生きていけない。死体など片付けてる場合じゃない」

「俺たちに他にできることはなにもない。スキルがなきゃ、なにも手伝えない。邪魔なだけさ。スワイゲルのストックはあと一カ月程度だ。それまでにジェムラインが稼働しなければ全員餓死するだろう。あるいは、それ以前に自滅するかもしれん。俺達はきれいさっぱり存在意義を失っちまった」

「ずいぶん脆いんだな」

「そういう仕様なんだからしょうがないよ。気の毒だがそのときはタイエン、お前も同じ運命をたどることになる。恨むならワラフを恨め」

「誰も信用できない。ワラフもお前らホミニンも両方だ」

「まあ、好きにしなよ。お前から信用されてない訳だが、それでもひとつヒントをくれてやろう」

「なんだ」

「荷車が一台無くなってる。ワラフとカティに持ち去られた」

「…」

「わかるだろう。荷車に積むほどの荷物があったのさ。ところがスワイゲルを含めて荷車以外に無くなったものが見当たらない。なぜだと思う」

「勿体ぶらないでくれないか。イライラする」

「そんなに短気にならなくてもいいじゃないか。まあいい、教えてやろう。荷物は事前にどこかに準備されていた。その場所に必要量のスワイゲルも少しづつ備蓄していたってことさ」

「この逃亡は計画されていたということか。ワラフならやりそうだな」

「さて、ワラフだけかな」

「…何を言う!」カティも逃亡計画に加担していたとでもいいたいのか。

「どう思うか、それはお前の勝手さ。だが、もうひとつ先を考えろ。スワイゲルはジェムラインでしか作れない。それが無くなればこの惑星で生きちゃいけない」

「わかるさ、だからなんだ?」

「あいつら二人はどこへ行った?」

 なんてことだ。行き先は見えているではないか!

 フォスはなぜ、そんな深読みができたんだ。ジェムラインの稼働が衰えているのに。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る