3 刀鍛冶大円

 微弱な地震が頻発していた。火山活動が活発であることはわかっているが、地質調査となると後手になっていた。まだほとんど手付かずだった。その余裕がなかったからだ。

 ところが、獲得できるエネルギー量の増加に比例して成体するホミニンが増え始めている。余裕が生まれてきたのだ。

 そこで、オルビオ入植区初の地質調査隊が編成されることになった。ペシェ・ロンチュリ山脈の奥深くまでの地質調査が主任務だ。

 もうひとつ、ジェムライン到達域の拡大を副務としていた。

 現在、オルビオ入植区を中心に半径30キロ圏内でしか安定してジェムラインにアクセスできない。ジェムラインとのJSS中継アンテナの設置が進んでいないからだ。調査隊の進路に沿ってこの中継アンテナを設置し、山脈の麓あたりまでアクセス圏を拡大させる予定だ。

 編成人員は5名。鍛冶工房からワラフが抜擢された。

 所要日数約50日(ユングリム時間)、移動距離およそ千三百キロ、すべて徒歩だ。この経路の7割が山岳地帯となる予定だ。かなりハードな旅となる。新しいボディでなければ到底この任務は務まらない。

 ワラフは地質学の知識と登山スキルなど、調査旅行に必要と思われるスキルをインストールし、乾燥食料や測量機器、ロープ、携帯用シャベルなどの所持品を整えた。

「このナイフを持って行きなよ」

 僕はワラフに研ぎ終えたばかりのサバイバルナイフを渡した。

「これは凄い。武器になりますね」

「なんにでも使える。切れ味は保証する」

「ありがとう。そうそう、僕からも置き土産があるんですよ」

 そういうとミモザを伴って出ていき、二人で金属の塊を運んできた。キラキラとよく光を反射する美しい鉄塊だ。

「なんだと思います?」

玉鋼たまはがねにみえる」

「そうでしょ。完成した高炉で最初にできた鉄です。バイオコークスの純度をあげてチタンを含ませてみたんです」

「原料はどうした?」

「砂鉄です。ほら、湿地に流れる川があるでしょ。あそこの砂鉄です。磁石を置くと面白いように採れました」

「素晴らしいじゃないか。これはほんとにいい」

 欣喜雀躍とはまさにこの心境のことだろう。胸が高鳴って狂おしいくらいだ。

 手元に置かれた金属塊は和鉄の最高峰である玉鋼だ。いままで叩いた鉄とは比べ物にならないほど純度が高い。炭素の含有率は1%から一・五%と適度だ。これを叩いたらどんな名品ができるか、腕がうずき始めた。

「頼みごとがある」

「なんでしょう?」

「もしでいいんだが、もし質のいい天然砥石が見つかったら持ってきてほしい」

 ワラフはしばらく首を傾げていたが、事情が飲み込めたらしくこの無理な申し出を受けてくれた。

 天然砥石とは、放散虫が化石化した軟泥質の堆積岩の中で、刀剣の研磨に適したものをいう。

 放散虫はガラスの骨格を持つ海産の原生生物で、地球では5億年前に出現し広い地域に分布して現在も生息している。この惑星ユングリムでも出現時期こそずっと後になるがほぼ同様の生物であり、異星間平衡進化の見本のような生物だ。どちらの星の放散虫も種類が多く、顕微鏡で覗くとそのどれもが幾何学模様をした美しいガラス細工の骨格を見せる。

 オルビオ入植区付近の露出した軟泥層からもこの天然砥石は採石できている。しかし、石が硬く刃卸にはいいが、仕上げは納得できない。もっとキメの細かい粒子で薄く研磨したい。


 ワラフたち5名の地質調査隊は荷車二台に大量の食料や資材を積んで大陸の西端に聳えるペシェ・ロンチュリ山脈を目指して旅立った。オルビオ入植区の総勢50数名が全員で見送った。

 見送り側にフォスの姿がみえた。外殻靭体の傷みはさらにひどくなっている。腕や脚からうっすらと体液が滲み出ていた。

「少し休んだら?」

「何を言ってる。なんにもならないじゃないか。休んだだけ無駄だ」

 フォスはそういってあの過酷な縦坑に戻っていった。

 身体を労るなどという気持ちは寸分と持っていない。自分の肉体がまもなく滅びようとしているのに他人事のようだ。

 おそらく、ここのホミニンたちは全員フォスと同じだろう。皆、肉体を軽んじている。死に恐怖を感じず、生に執着しない。不平や不満をもたず他者のために額に汗して懸命に働き、その日一日を精一杯に生きる。

 近代以前であれば、立派な生き方として為政者から褒め称えられただろう。社会の模範だと。ここでは誰に褒められるわけでもなく強制されるわけでもなく、全員が模範的な生き方をしている。

 カティはそんな彼らを蟻に喩えた。個を捨てて全体のために働く蟻。確かに似ている。

 でも、全く同じともいえない。ホミニンは生きがいや喜びを感じ、人生に希望を持っている。

 カティはジェムラインの演出だと罵ったが、そうは思えない。個として人生を楽しんでいる。そこに嘘はない。直感的にそう確信できる。

 では、理想的な生き方なのか? そう認めるにはなにか抵抗がある。

 彼らに自由意志はあるのだろうか? そうも見えない。与えられた命を与えられた枠の中で精一杯生きる。型にはまった人生といっていいだろう。人生になんの疑問もない。苦悩もしない。自分の可能性を追い求めようなどという意欲は生涯持たないだろう。

 それは幸せな人生なのだろうか? 面白いことに彼らホミニンたちは幸せそうに見える。ならば、それで充分ではないか。


 数日後、フォスら数名が縦坑の中で事故死した。

 吹き出した熱水に全身を茹でられ絶命した。カニのように赤く茹で上がったフォスの外殻靭体が縦坑から引き上げられた。

 ジェムラインに記録されたフォスの最期の絶叫は「この次は右側をやれ、グワァッ、ガァグォ」だった。熱湯に悶え苦しみ脳が活動停止する直前に、通常の業務指示を出している。

 フォスの死体は他の犠牲者と同様に折りたたまれて、リサイクルに回された。作業は淡々と進み、誰一人として悲しむ者も悼む者もいなかった。周囲にオマールエビを煮込んだときのソースと同じ香りが漂っている。奇怪な光景だ。いまや内蔵がそのような食品を受けつけないのに食欲が刺激され、却って気分が悪くなった。

 そして数日後、フォスはなにくわぬ顔で復活した。新品の外殻靭体で颯爽と作業を開始していたのだ。これで3回目の復活だという。復活中にジェムラインの中で自己補完を遂げたので以前のフォスと全く同じではなくなったが、フォスの記憶や経験はすべて引き継いでいた。

 これでは肉体が軽んじられるのは当然だ。死は終わりではなく再生イベントだ。少々、不快な思いはするが深刻ではない。それはまるで風呂に入るのに似ている。こびりついた垢を落とし、湯船に浸かり、石鹸の香りをさせながら気分さっぱりでやり直せるのだ。

 死は永遠の別れどころか、二三日の旅行休暇ほどの重みしかない。

 ここでは好きなだけ人生をやり直せその都度、与えられた条件で精一杯生きる。

 僕とカティはここでは異質な存在だ。彼らホミニンの価値観が未だに受け容れられない。

 カティはその違いを強く自覚し徹底して拒絶している。

 自分はどうだろう。違和感を感じながら、なんとか馴染もうとしている。フォスのような生き方を望んでいるのだろうか? 少なくとも拒絶はしない。死の恐怖を克服し、生への執着を捨てる。それはむしろ望ましい。仕事にものめり込んでいる。儲けや報酬などまったく不要だ。鍛冶に純粋な喜びを見出してしまった。

 鍛冶工房には鋳物の注文も舞込むようになった。モーターやポンプの部品、パイプのぎ手など面倒臭そうなのがいっぱいだ。いや、鍛冶屋だから鋳物も当然、作るべきだ。でも、なんだかやる気がしない。鉄は叩くに限る。

 ミモザに相談すると、快く鋳物を請け負ってくれた。

「複雑なものでも樹脂製造ラインで原型を起こせば、この工房設備で充分鋳造できます」とこともなげに言った。ミモザは仕事を選り好みすることはないようだ。

 僕とホミニンの仕事に対する態度の違いはこのあたりに出ている。僕は仕事を選り好みする。好きなことにのめり込み、嫌なことはしたくない。そこに明確な理由はない。心がそう決めるのだ。

 ホミニンたちはそういうような不完全な意思決定をしそうもない。そもそもホミニンに好き嫌いの価値判断はあるのだろうか。

「ミモザ、君はなんのために仕事してるの」

「みんなの役に立つためです」

「やってみたい仕事ってあるの」

「やるべき仕事をしっかりとこなしたいです」

「じゃあ、やりたくないことは?」

「やる必要のないことですかね。無駄ですから」

「なるほど。確かにね。それじゃあ、もし。もしだよ、無駄な仕事を強要されたとしたらどうする?」

「誰が強要するのですか?」

「そうだな、たとえば侵略者」

「もちろん、従いませんよ。命をかけて戦います」

「限りある命だったら。明日、死んでしまってもう復活できないとして」

「難しい質問ですね。考えたことがありません。でも、やはり今と変わらないかと思いますよ。やるべきことはやりたいこと。同じでしょ」

 おそらく同じ質問をどのホミニンにしたとしても、返ってくる回答は似通ったものだろう。

 「やりたい」「やってみたい」という能動的な欲求が存在しないので、本来の質問の意味も本当は理解できていないのかもしれない。全体の役に立つことがホミニンたちの仕事への価値判断になっている。

 一見、立派な価値判断だが、そんなに単純に仕事を分けられるだろうか?

 今は役立ちそうでなくとも未来に繋がる仕事だってある。逆に言えばいまは役立っているが未来には害悪をもたらす仕事もある。

 歴史が決めることだ。ホミニンたちやジェムラインに未来を確実に見通す力があるとでもいうのだろうか。


 鋳物はミモザが担当してくれることになった。

 それでもこなしきれないほどの注文が溜まっている。生産活動が活発になってきたのでこれからも注文は増え続けるだろう。

 いま、やらなければもうチャンスはこないかもしれない。後悔したくない。熟慮して決めた。あの玉鋼で日本刀を鍛える。

 日本刀は武器だ。ここで必要とされるものではない。戦争も争いごとも起きない。暗殺や辻斬を意図する者もいなければその対象になる者もいない。襲ってくる猛獣もいなければ狩りをすることもない。全く必要のないものだ。誰も喜んでくれない。誰の役にも立たない。それでもやはり日本刀を鍛えたい。あの玉鋼を目にしてしまってはこの欲求を抑えることはできそうにない。一振りだけでいい。それで満足できる。

 そう決断すると即座に刀匠スキルをインストールした。例によって、身震いするような感覚にとらわれ、身体がだるくなった。

 しばらく休養だ。スキルはいくらでもインストールできるものではない。脳の容量を超えてスキルを保持できない。もし、容量オーバーであれば以前のスキルが失われる。正確にはそのスキルに関しての脳内神経ネットワークが解消されてしまう。

 製鉄と鍛造のスキルに加えて刀匠のスキルをインストールしている。そろそろ上限だろうか。似通ったスキルがあるのでその重複部分は幾らか容量が軽減されていることも有り得る。

 折角、培ってきたスキルだけにできれば失いたくない。ここのホミニンたちであれば躊躇なく潰してしまうだろう。必要になった時にはじめからインストールすれば済む話だ。惜しいと思う気持ちもホミニンはないのだろうか。たぶん微妙なところだ。ホミニンによってはそう感じる個体がいるかもしれない。


 カティはなぜかワラフとは打ち解けたが、ミモザについては他のホミニン同様に好まないようだ。彼女が工房にいる間は姿を消した。どこでなにをしているのか知らないが、夜には部屋に戻ってきた。ワラフが帰ってくるまでそうしているつもりだろう。

 今のところ、カティの勝手気ままな行動はホミニンの間で問題視されてはいないが、許容範囲ぎりぎりのところではないだろうか。

 日が暮れて随分経ってからカティが戻ってきた。

「こんな時間までいったいなにしてるんだ」

「今夜はワカクサが満月だからずっと眺めてた。地球にいるときのような気分になれるから」

 ワカクサは3つある月のうち、最も大きく最も遠くを回っている衛星のことだ。青白い茫洋とした光を放っている。おそらく大気を持ち液体の水もあると推定されている。。

 カティの勝手な行動を非難しそうになりそうだった。僕は曖昧に返事して、日本刀を鍛えることを話した。

「カナヅチより遥かにクールよ。きっと役立つ」意外にもカティは肯定的だった。

「武器だよ。役立つって、そりゃ物騒だよ」

「日本刀を造ろうとしているのはあなたよ。あたしじゃない」

「それはそうだが、武器として使う気はないよ」

「タイエン、何言ってるの。訳がわからないわ。何のために造るの」

「造りたいんだ。理由といわれても困る。そうしないといられない」

「面白い人。でも、そういうところが好きなの」カティはそういうと腕に抱きついてきた。「夢に出てきたじゃない、日本刀。なにか関係あるのかしら」

「そういえばそうだ。でも関係無いように思うけど」

「意識しないだけで日本刀になにか特別な関心があるのよ。偶然なんてないんだから」

「そうかな」

「あなた、日本人の血を引いてるでしょ」

「日系人だよ。お祖父ちゃんまでは日本に住んでた」

「なにか聞いてないの。先祖が刀鍛冶だったとか」

「いや、そんなことは聞いたことがない。ああ、そういえば子どもの頃、東京の博物館で日本刀をみたことがある。千年以上前の古い日本刀だったと思う」

「きっと、それよ。そのときから惹かれているの。人の心とはそういうもの」


 あれは両親と日本を訪問したときだから、少年というより幼児に近い年齢だった。まだエンタングラーとしての素質も見出されていなかった。

 その頃、ジェムラインによって不老不死が実現され、その稼働が始まったばかりだった。人々はこぞってジェムラインに自己を複製し生体脳と同期させ、死や病を克服した。

 また国家や人種を超えた意識の拡大と精神世界の繋がりは『世界絶対平和』・『戦争永久放棄』を約束し、人類が永遠の未来を享受したとして大いに喜んだ。世界全体が熱狂的な興奮状態となり、経済は隆盛し、かつてないほどの金融バブルが発生した。

 当時、子ども心にも社会の熱狂を感じた。祖父の元を訪問した時、東京も活況を呈していた。東京は清潔で秩序だっているのに人々の賑わいに華やぎ、鮮やかな色彩に溢れた街として印象に残っている。

 母がいうに幼少期は聞き分けがよく、おとなしい子どもだったそうだ。なにかに熱中しやすくひとりで遊ぶことが多かった。

 東京では両親の都合で祖父に預けられ、手を引かれて動物園にいった。しかし、ゾウやキリン、パンダなどおよそ子どもが喜びそうなどんな動物を前にしても、これといって興味を示さず祖父を落胆させた。

 祖父はなにを思ったか、その足で近くの大きな博物館に連れて行ってくれた。その博物館のほとんどの収蔵品には動物以上に興味を示さなかったが、なぜか武具・刀剣コーナーだけに強い反応を示したそうだ。

 今となっては自分自身でもその理由はわからない。食い入るように日本刀や槍、甲冑など武具を見つめていたそうだ。祖父は孫がはじめて関心を示したことに喜んだが、あまりに熱心でなかなか帰ろうとしなくなったことで、しまいには困窮してしまったそうだ。

 そのとき見た一振りの日本刀はいまでもよく覚えている。「童子切どうじぎり」と呼ばれる太刀たちだ。

 酒天童子という鬼の首をねた伝説がその名の由来となっている。国宝に指定された名刀中の名刀だ。その製作は千年以上前、平安時代後期、伯耆ほうき国安綱の作とされる。

 80センチを超える刀身は腰のあたりからゆるやかに反り、切先に行くほど身幅が細くなっている。優美さと武器としての実用性を兼ね備えた剛剣だ。


 酒天童子の伝説は『御伽草子おとぎぞうし』に伝えられている。

 平安の都は、地震や台風、火事、疫病、飢饉など相次いで災厄に見舞われた。

 人々はおそおののきき、陰陽道おんみょうどうなどの呪術的な信仰に救いを求めた。

 朝廷はこれらの災いを丹波の大江山に棲む鬼、酒天童子の所業とみなし、源頼光に命じて討伐隊を送った。

 討伐隊は頼光をはじめ、渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武、藤原保昌ら武勇に聞こえた6名とその家来たちだった。

 旅の途中、一行は4人の神に出会い、鬼の力を封じる酒と兜を与えられ、その助言に従い山伏やまぶしに変装した。

 鬼の屋敷に近づくと川で洗濯する老婆に出会った。元は貴族の娘であったが鬼にさらわれ、その屋敷に二百年もの永きにわたって使役させられているという。

 老婆から間取りや状況を詳しく聞き出し充分に策を練って、鬼の屋敷を訪れた。山伏に変装した一行に、鬼たちは油断し屋敷に泊まることを許した。

 頼光は宿泊の礼にと酒を進呈すると、鬼たちはすぐさま酒盛りをはじめた。

 鬼たちの領袖りょうしゅうである酒天童子は興が乗るに従って自らについて語りだした。

 はじめは比叡山に棲んでいたが伝教大師の法力があまりに強く、そこに居られなくなってしまった。仕方なくこの大江山に移り住み、極悪非道の限りを尽くした。ところが、それを聞きつけた弘法大師により力を封じ込められてしまった。大師亡き後は、そういう力を持つ者がいなくなったので、いまは都で好き放題に暴れられるという。

 徐々に霊験ある酒が効いて、鬼たちは泥酔し寝込んでしまった。そこを見計らっていた頼光は酒天童子の首を刎ねた。首は宙を舞い、頼光に襲いかかってきた。

「図ったな、人間ども。我はただの一度も嘘偽りを申したことがないというに。口惜しいぞ、卑怯な奴らめ。噛み殺してしてくれるわ!」

 そう語ると断末魔の雄叫びをあげて頼光の頭に食らいついてきたが、神から与えられた兜がこれを防いだ。討伐隊はこの生首をもって都に帰ろうとしたがその途中、何者かに盗まれてしまったという。


 最凶の鬼として都人に怖れられた酒呑童子の首を斬った太刀「童子切」は以来、足利家を通じて織田信長にわたり、豊臣家を経て徳川家に伝えられた。

 こうして千年以上にもわたって時の権力者の間を伝世した後、博物館に収められ、奇跡的に我がタイエン少年に巡りあって、その幼い心を激しく揺さぶった。

 祖父は、鬼をデーモンつまり日本の悪魔だと説明した。悪魔の首を刎ねた刀ということは神の力を宿した刀ということになる。短絡ではあるが子どもの理解力では致し方ない。宗教的には誤解している部分もあったが、この刀にますます興味を抱く結果となった。

 鋭い切先から、鈍く輝く地肌、研ぎ澄まされた刀文、銘の刻まれたなかごまで飽きることなく舐めるように眺め続けていたと思う。悪魔を倒す力が具現されていることが驚きだった。ジェムラインのようにどんなに実用的であっても目に見えず形のない存在より、目に見えて確からしいものに子どもは魅了される。


 そのころ、僕の脳内にSSEV(Synaptic signal encoding virus-bot)を植え付けるかどうかで両親は揉めていた。父は推進派、母は慎重派だった。

 SSEVとは、脳内の神経ネットワークの活動を数値計量化し、ジェムラインとリアルタイムに相互データ交換を可能とするナノマシンのことだ。

 このSSEVは長い期間にわたり繰り返し実験が行われ、度重なる臨床試験にもパスしてきたことで安全性は高いとされた。事実、健康被害はほぼ報告されていなかった。

 しかし、幼い子どもにSSEVを植え付ける行為には、理性が受容できても母性が拒絶反応を示した。

 いまはそのような反応は杞憂だと一笑に付されてしまうが、当時は至極一般的な反応だった。

 SSEVのベースは無害化された単純ヘルペスウイルスだ。このDNAにゲノム編集を行い、主にふたつの機能を実装させた。

 ひとつはニューロンやシナプスの発する電気シグナルをエンコードし、自らの相対的位置情報と合わせて微弱な電磁波として発信する機能であり、もうひとつがジェムラインから自らに該当するパルスを受信しシナプスに伝達する機能だ。

 ひとつひとつの機能は単純だが、その数はあまりに膨大だ。脳全体で千億以上にも及ぶ。病原菌に近いものを注射器によって体内に大量にいれるわけなので不安になるのは当然だった。

 ウイルスであるので細胞の核内に侵入し自己増殖もする。普通の人間ならそんなものを積極的に身体に取り込みたいとは思わない。

 しかし、世の中には普通でない人間もたくさんいた。そういう種類の人間はむしろ積極的にこのSSEVを自らの体内に受け入れて広告塔の役割を果たした。

 彼らはSSEVを取り込んでジェムラインと同期エミュレートすることで超人的な知能や技能、運動能力を発揮し、さらに肉体的に極めて健康で精神的にも安定していることを顕示した。このことが広く喧伝されるとたちまちちSSEV接種が人気化した。一種のトレンドとなったのだ。

 社会変化はあまりに急激だったのでSSEV反対派は突然、少数派となり一気に劣勢に追い込まれた。

 父は若くしてアメリカに移住してから極端な「超自由主義者」になっていた。

 超自由主義とは従来の自由主義思想に未来というタイムスケールを加えた思想だ。未来の人類社会を守るために多少の犠牲を払ってでもあらゆる規制を撤廃すべしと主張していた。自由主義という名を借りてはいるが事実は中国の無軌道な暴走に対抗するための方便に過ぎなかった。

 その過激な思想は政治や経済のみならず科学全般に適用された。父は超自由主義を標榜することでアメリカ社会に早く認められ、成功に近づけると思っていたようだ。父の本心が超自由主義だったとは思えないし、その本質を理解していたとも思えない。母は父のこの態度を超自由建前主義と揶揄やゆしていた。しかし、父は仮に建前であっても、息子の脳神経内にSSEVを施術すれば本物としてアメリカ社会が認めるだろうという考えだった。

 母は父のこの安直で粗忽そこつな考え方を嫌った。両親は表立って夫婦げんかこそしていなかったが、対立が長引き深い溝が生まれていたようだ。日本に来たのもこのあたりのことが理由だったかもしれない。

 親の不仲に子どもは敏感だ。まして自分が原因であると知っていたのだからその心中や穏やかであるはずがない。我ながらかわいそうだったと思う。そんなときに神の刀と出会った。神の力で、両親の仲を引き裂こうとしている悪の巣窟ジェムラインを断ち切ってしまおうと夢想していたのではないだろうか。

 結局、SSEV移植は沙汰止みとなった。エンタングラーの素質が認められたためしばらく延期となったのだ。これで両親の仲もよくなると思いきや、期せずして離婚となってしまった。SSEV移植だけが原因ではなかったということだ。

 カティの指摘通り、夢に日本刀が出てきたことはしっかりと理由があった。僕の心のどこかに悪の権化ジェムラインを日本刀で成敗しようとする物語が出来上がっていたのだ。

 今日になるまで、こんなトラウマがあるなんて全く気づいていなかった。夢の中でガデルに斬りかかったのも納得がいった。ガデルはジェムライン表象体だからジェムラインそのものといえる。全身から邪気を放っていたのもそういう理由だ。

 では、なぜ今、日本刀を鍛えようと心が動くのか? まさかジェムラインを実際に破壊したいという衝動の表れなのか? もし、そうなら危険な行動だ。強い自制心をもってこの欲求を抑えこむべきだ。

「心の訴えを無視つもりなの。その欲求を抑え込んだら病気なるわよ。あなたの宿命ならそれに従えばいいのよ」

「カティ、君ってもう…。相談するんじゃなかった」

 カティの回答は予想通り単純明快。わかりやすいのはいいが、無責任に過ぎる。

 相談相手としてはまったく不適格だ。かと云って、ホミニンの誰かに相談する気も起きなかった。そんなことを伝えようものなら、ジェムラインによる更生処置を施されるおそれがある。ホミニンとは価値観の根源が異なる。

 結局、真に信頼しうる存在となることはない。この星では、カティと僕は異質な存在だ。生涯、孤独を囲って生きるほかないのだ。


 一週間以上、玉鋼を横目にシャベルの刃を叩いた。

 スチールを叩いて薄く延ばすにはかなりの労力がかかる。均一に伸ばそうとしてもむらが生じる。おまけにうまく焼きならさないとすぐに割れてしまう。なかなかの難物だ。一日一枚ができるかどうかという生産性の低さ。出荷しても折れたり曲がったりでクレームが多い。フォスたちは固い地盤を掘っているので理由はよく分かる。シャベルのニーズは高いが、生産方式を見なおさないとすでに限界だ。

 うんざりしながら叩き続ける。シャベルなんか圧延機を導入して薄板をプレスで打ちぬくのが一番いい。大量生産してなおかつ質を高められる。そういう道具だ。僕のやりたい仕事ではない。

 そしてどうにも玉鋼に目がいく。時折、手を当ててその質感を確かめる。

「宿命には逆らえないのか」最早、限界かもしれない。

 このままでは他の仕事にも差し支える。日本刀を鍛えたからといってその先どうなるか決まっているわけではない。「やっぱりやろう」と唐突に決めた。シャベルのスチール板を投げ出した。

 まず火床ほどの準備を始める。従来の炉では刀身が収まりきらないので奥へ伸ばした。玉箸や切りタガネ、デコ棒、あてびしなどを新たに作り、焼入れに使う湯船を用意した。フイゴも手引できるように形を変えた。環境を整えるまでに丸十日を要した。

「いったい、何をしようとしているんです」とミモザ。

「日本刀を鍛えるんだ」

「誰がそんな発注を?」

「誰の頼みでもない。発注などもらっていない」

「はあ? では、なぜです」

「自分の満足のために行う」

「自分のためだけにやりたいのですか?」

「そうだ。今回限りだ」

 ミモザはしばらく固まっていた。

 逡巡しているようにみえるが、実際はジェムラインの総意を待っているのだ。

 この意思決定の方法は実は謎だ。ホミニン全員で多数決でも行っているのだろうか?

 AIのようなにあらゆる未来予測値を計算しているのか?

 意思統率者がいるのだろうか?

 ジェムラインに複製自己を置いてはいるが、ジェムラインそのものではない者にとってこの意思決定方法はブラックボックスとなっている。

「わかりました。でも、約束ですよ。今回限りにしてください。仕事が回らなくなります」

 ミモザに了解を得たということはジェムラインを通じてここのホミニン全員の許諾を貰ったと同じことになる。

「もちろんだ。約束する」

 なぜ日本刀を造ることが許されたかはわからない。

 彼らは危険を察知していないのだろうか?

 理由もなく武器を造る男がいるというのに大した説明なしに許可を与えたのだ。

 予想外に懐が深いのか、それとも僕を信頼してくれているからか? よくわからない。

 なにか理由があることは間違いないが、いまは理由などに興味がない。チャンスを与えられたのだ。ありがたくトライさせてもらう。


 準備が整うとさっそく火床に火をおこしフイゴで風を送った。

 拳大こぶしだいにした玉鋼を数個、火床に入れて小豆色に赤らめたところで加減しながら叩いた。

 火に馴染ませて延ばしていく。こうして必要な量を薄く延ばしてから細かく打ち砕いて小割りしていく。うまく割れた材料だけが皮鉄かわがねの材料とできる。

 玉鋼といえどもこの厳しい選別に合格できる材料はわずか5分の1ほどだ。優れた日本刀を造るにはこの材料の選別が極めて大切になる。

 皮鉄とは、柔らかい心鉄しんがねを包む刀身の外側の呼び名だ。日本刀は「折れず」「曲がらず」「よく斬れる」が真骨頂だ。柔と剛の相反する性質を一振りの日本刀にもたせるために、炭素含有量が少なく柔らかい鉄を心鉄にし、炭含有量が多く硬い皮鉄を外から被せた二重構造になっている。

 デコ棒の先に選別された材料をのせ、火床にいれて赤くなったところを叩き、これを繰り返して材料を積み重ねる。

 この工程を積沸つみわかしという。

 材料の炭素が抜けてしまわないように火床の燃料と送風に絶妙な加減がいる。本来、燃料には松炭を使うが、ここではバイオコークスを使っている。なので炭素の調整は刀匠スキルの勘だけを頼るとうまくいかない。熱した鉄の色が頼りだ。鉄が沸いてくると火床に火華が散る。そのとき鉄が朱から黄色に変化していればうまくいっている証拠だ。

 材料が適度にデコ棒に積み重ねられたら短冊状に鍛錬し、タガネで切り離す。これを6回繰り返す。

 この地金づくりを下鍛えという。

 日本刀は大振りであってもその刀身の重さは1キロを超えない。意外に軽く感じるが、それは鍛えられて薄く延ばされているからだ。地金6枚ということは日本刀二振りの皮鉄の分量にあたる。

 一振りの約束ではあるが、工程の途中で失敗もありえる。飽くまで予備のつもりだ。

 心鉄は炭素を抜いて柔らかくするので、強く叩いて徐々に火床を高温にしていく。皮鉄と同様に短冊2枚の地金を鍛える。これもやはり二振り分だ。

 次に皮鉄用の地金3枚を鍛接させ均質にしていく。

 上鍛えだ。

 鍛接し叩いて延ばし、また割って鍛接し、藁灰を掛け泥汁につけ、火床で沸かす。この工程を数回繰り返す。心金も同様に鍛える。心金は皮鉄の3分の1の量でいい。

 ようやく心金を皮鉄で包む甲伏こうぶせという作業に入る。

 火床で熱した皮鉄をU字型の型台に載せ、軽く叩いて型に合わせる。曲がったところでデコ棒の先につけた心金を皮鉄で包み込み、心金の一方の先を閉じるように包み鍛接する。この塊を泥汁に漬け藁灰をまぶして火床で沸かす。

 ここからは素延すのべといって低い温度でゆっくり打ち延ばしていく。

 火床で沸かして叩いて延ばすこと数十回、ようやく刀の形に近くづく。

 ここでデコ棒から切り離し、平箸で挟む。表面の酸化皮膜を除くため、金床や金槌に水打ちを行いながら刀身を叩く。

 しだいに刀身の表面は滑らかになっていくのがわかる。


「やってるね」ガデルが見学に来た。

 僕は手を休めた。かなり体力が奪われているのがわかる。

 外殻靭体エクスポーサルボディの欠点は筋肉が増量しないことだ。通常の人体なら激しい運動を行えば必要な筋肉が増加してそれを補おうとする。人体の自然な反応だ。結果、きつい作業をこなしていけるように身体が馴染む。

 ところが、この外殻靭体はそうならない。筋トレしても意味が無い。どうしても外殻靭体を作業環境に適応させたいときは、乗り換えるほかない。フォスが巨躯なのはそうしたからだ。穴を掘るのに怪力が必要だったからだろう。

 刀匠を続けるならば右腕だけ2割増しにしたいところだ。腕がもげそうだ。金槌を打ち込みすぎなのだ。

「勝手をさせてもらってるよ。迷惑かけて済まないね」と僕。若干の皮肉を込めたつもりだ。

「あんたのたっての希望だ。そりゃ断れないさ。で、順調なのかい」

「いまのところはね。でも最後の焼入れまでほんとのところどうなるかわからない」

「そうかい。うまく行くことを祈ってるよ」

「君らに期待されているわけではないができる限り頑張るよ」

「まあそう言うなって。あんたがやってることは文化活動さ。無意味なこととは思わない。我々に欠けているものを補おうとしてくれていると思ってる」

「そう言ってもらえるとなんだか嬉しいよ」

「堂々とやればいい」

「ありがとう」

 僕は作業に戻って火床に風を送り始めたが、ガデルは腕組みしたまま火床を覗き込んでいた。

 吹き上がった焔がガデルの能面のような顔に映っている。

「他になにか用か?」

「うん。実はな、少しある」

 もしやカティがなにかやったか? 肝が冷えた。

「もうじき、調査隊が戻る。たぶん三四日後だ」

「そうか。みんな無事か」

 カティとは関係なさそうだ。とりあえず安堵した。

「それなんだが…ワラフだけ戻る」ガデルは一瞬、言い澱んだ。

「他の4人はどうした?」

「わからん。なにかあったようだ」

「何かって事故か?」

「よくわからんのだ。事故というかなにかに襲われたようなんだ」

「襲われたって、そんなことはありえないよ」

 まさに驚愕だ。言葉を失った。いったいなにが襲うのだろう。この星の陸生動物は小型の昆虫のような動物しか出現していない。大型の生物が出現するのは少なくとも数千万年先になるだろう。

「そうさ。そのあり得ないことが起こったらしい」

 小さな昆虫であっても侮れない。群れで襲われれば安穏とはしていられない。しかし、この外殻靭体の強靭な膚殻ふかくを貫けるような武器をもった生物がいるだろうか。

「4人は殺られたのか」

「おそらくな。幸いワラフは無事らしい」

 ガデルは4人の犠牲を悼んではいない。 

 フォスの事故死と同じように、その4人も即座に復活させられる。死を悼む必要はまったくない。

 ワラフが無事で幸いと言ったのは、なにが起こったのかを知っている生き証人が得られるからだ。

 ガデルとは裏腹に僕は密かにワラフの無事を喜んでいた。曲がりなりにも自分の弟子と勝手に思い込んでいたからだ。

 ガデルがわざわざ調査隊の事件を報告に来たが、その真意を図り損ねた。ここでは仲間の訃報をいちいち報せらせたりしない。そんなことは日常茶飯事だったし、その気になればいつでもジェムラインから情報が得られる。

 今回、異常なのはその内容だ。外敵に襲われて死傷者が出たのはオルビオ入植区では初めてだった。

 それはわかるが、なぜ僕に報らせに来た。

「武器か」思わず口を継いで出てしまった。

「このまま放置しておくわけにも行かない。いずれ再調査が必要になる。相手がどんな奴かまだわからないが、なんらかの武装はしなくちゃならん。そう思うだろう」

「武装ってこれを使う気か」

 素延べ状態の刀身を持ち上げてみせた。

「どうだろう。まだわからん。だが、考慮しておくべきだろう。いまのところ、ここで唯一の武器らしい武器だからな」

 さっきまで文化活動だと言って慰労してくれていたはずなのに、全く本心ではなかったわけだ。このあたりはホミニンであろうと人であろうと変わりないところか。衝突を避けるためにはときに嘘や建前も必要なのだろう。

 今にして思えば、日本刀製作の許可をしたときにすでにこの異常事態を察知していたのではあるまいか。あの時点で武器を必要としていたのだ。

 僕が日本刀を鍛えずにいられなくなったことは単なる偶然だろうか? タイミングを考えると出来すぎのように思える。誰かに心を操作せれているのではないか? そんな気味の悪い考えが一瞬、脳裏を過った。

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