2 鉄に焦がれて

 なにをやるべきかは自分で決める。誰かから指図されることはない。ここではそういうルールだった。

 かといって遊んでいたり役に立たなかったりしてもいいとはならない。

 「役に立つ仕事をする」、これが大前提だ。エンタングラーであっても例外ではない。みんなに必要とされる仕事をみつけること。

 どうせやるなら、まだ誰も手を付けていないことをやってみたい。いろいろ検討をして鍛冶屋をやることにした。

 ナイフやハンマーは既に製造されていたが、どれもバイオ樹脂性で使い勝手の点で金属器に比べかなり劣っていた。切れ味のいいナイフや固く打ち込みやすいハンマー、よく掘れるシャベルがやはり必要だ。

 ガデルらにそう相談すると「大賛成。いま、まさに求められてる」とのこと。

 でも、まずは鍛冶以前に鉄をつくることが先だ。

 鉄鉱石を集め熱を加えて溶かし、純度の高い鉄を取り出す。

 簡単なようでそうそう容易くはない。高カロリーの液体燃料はすでに相当量を抽出できるようになっている。エネルギー培養槽が拡張され余裕が生まれているからだ。

 液体燃料からバイオコークスに変換生成する製造ラインも稼働が始まったところだ。バイオコークスは高熱を発しながらゆっくり燃焼する。製鉄には最適の燃料だ。

 原料の鉄鉱石も簡単に入手できる。辺りに転がっている黒い石礫いしつぶてはほとんどが磁鉄鉱だ。鉄含有量も充分だろう。

 つまり燃料と原料は揃っている。しかし、道具や設備がほぼゼロに等しい。必要な物はすべて手作りで作成しなければならない。バイオ技術は高熱域に弱い。五百度以上の高温に耐えうる有機材料は皆無だ。製鉄が後回しになっていたのもこのためだ。

 まずジェムラインに蓄積されているスキルセットをインストールする。

 古代の製鉄スキルと鍛造スキルが脳内に移植され、神経ネットワークが構築された。この間、身震いするような不思議な感覚に襲われる。スキルが完全に取り込まれるとひどい疲労感が残った。

 実地ならば数年を経てようやく得られる経験的スキルをわずか数分に凝縮して脳内ネットワークを構築してしまうのだから無理もない。実際、神経細胞は疲労し発熱してしまう。そういうときはひたすら休養。なにもせず身体と脳をじっくり休ませた。

 ただ身体を横たえていたいのだが、暇を持て余すカティの愚痴をきくはめになった。ほとんどは聞き流したが、そうはいかないこともある。

「タイエン。あたし、ここでうまくやっていけると思う?」

「ちゃんと受け容れること。それだけだよ」

「それが難しいのよ。知ってるでしょ」

「わかるよ。でも諦めちゃダメさ」

 カティは黙り込んだ。

「それとも脳のネットワークを弄ってみる」

「本気で言ってるの。怒るわよ」

 あながち冗談とも言えなかった。カティの頑な拒絶が病的なレベルと判定されれば強制的に脳内神経ネットワークの再構成を施される畏れがある。地球ではエンタングラーであるという理由で放任されていたが、ここでもそれが通るという保証はない。入植組織のホミニンたちがそれを決める。そういう決定が下る事態も念頭にいれておく必要があった。

「あいつらの侵入を許した時点でそれはあたしじゃない。あたしは死ぬの。タイエン、あたしじゃないものを愛し続けられるの?」

 今度は僕が黙りこむ。

「どうなの?」

「たぶん、無理。愛せないと思う」

「だったら、もうあたしにそんなこと言わないで。約束よ」

「わかった。約束する」


 中世ヨーロッパのレン炉を組むか、日本のたたらでいくか?

 いずれにしてもそのままの炉を作成してもうまくいきそうにない。ここの条件にあった炉に置き換える必要があった。それにはやはり試行錯誤を繰り返すほかはない。最初からうまく行くとは元より思っていない。

 まず築炉からはじめる。

 素材となる粘土は5キロも離れた湿地からカティと二人で掘り起こし、荷車に積んで運んできた。

 灰はリサイクルになった樹脂廃材を燃やすことで大量に得られた。

 砂地に盛土した上に直径一二〇センチ、深さ20センチ程度の穴を掘り、粘土に灰と塩を混ぜたものを塗り、ヘラで叩いて固める。これが炉床だ。

 炉床の縁から盛土の外まで下り勾配の溝を掘っておく。穴の周囲に沿って石を粘土で積み上げ、高さ1メートルほどの窯炉を築く。

 フイゴからのホースを繋ぐためのノズルは灰を作るときの熱で粘土を素焼きして作成した。窯炉の下に穴を開けてノズルをはめ込む。

 この窯炉はレン炉とたたらの両方からいいとこ取りした結果だ。

 こんなものを10日ほどかけて3基作ってみた。

 窯炉内に固形燃料で火をおこし、二晩おく。粘土の水分を飛ばし炉内の湿度を下げるためだ。

 炉の乾燥を待つ間に鉄鉱石をできるだけ細かく砕いてみる。これに最も苦心したが土中に火薬とともに埋めて重石おもしを載せ、爆破するとうまく砕くことができた。

 空気を送り出すためのフイゴとホースはジェムラインの製造ラインに任せた。蛇腹の部分も含め有機樹脂で一体成形されている。送風時、空気がわずかでも逆流しないようにうまく仕上がっていた。

 フイゴは脚で踏む。やはり最初の動力は人力で臨むことになるようだ。

 高カロリーのバイオコークスには炭素が豊富であり、硫黄やリンを可能な限り除去してあったがそれでも様々な不純物が含有されている。それらの物質が鉄にどのような影響を及ぼすのかまったく未知数だ。

 また鉄の還元には通常、石灰石を利用する。しかし、バイオコークスに強い還元作用があるので石灰石がなくとも酸化鉄から鉄ができるはずだ。

 こうして作業に取り掛かってみると遅れた技術と思われるものが意外にも高度な文明を下支えしているがよくわかる。

 なにごとにも順序があるのだ。基礎をしっかり築いて積み上げていくこと、これがオルビオ入植区の当面の課題となっている。

 高い技術力だけあっても文明は維持できない。泥臭い話だが、結局のところ試練や忍耐の繰り返しは必ず経験しなければならないということになる。


 ようやく火入れのときを迎えた。

 炉内には大量のバイオコークス、鉄鉱石の欠片かけらが80キロ超、固定用の砂利などを収めてある。

 燃料に着火すると窯炉上部の穴から勢い良く焔があがった。

 慌ただしくフイゴを踏み込み空気を送り込む。送風の加減で温度調整をするのだが、その目安は焔の色だ。しかし、地球とは大気圧や大気組成が微妙に異なる。ジェムラインから受け取った製鉄スキルで正しい温度調整が可能なのか自信がもてない。

 赤外線を感知できるバイオサーモセンサーは存在するのだが、表面温度だけしか測定できないのであまり役立ちそうにない。焔の色は橙色から緑黄色が混じり始めている。千三百度前後で維持したい。あまり高温になると窯炉の壁が溶け出してしまうからだ。

 窯炉は凄まじい熱を放ち、容易には近づけなかった。

 フイゴを踏むペースを遅くし勢いを減じてみたり、焔が衰えすぎたかのようにみえたときは二人で同時に踏み込んで火力を回復した。

 バイオコークスを窯炉上部からできる限り偏りがないように30分おきに放り込んだ。

 なにかと慌ただしい。

 カティは交代でのフイゴ踏みをこなしながら、この激しい焔を陶然と見ていた。面白がっているようだ。

 5時間後、盛土に掘った溝に粘性のある灼熱の液体が流れ始めた。スラグだ。これは金屎かなぐそとも呼ばれるように、二酸化ケイ素を主とした鉱滓ざんさいだ。少々の鉄と微量の酸化アルミニウムや酸化マグネシウムなどを含むため資源としての価値がないわけでもない。しかし、現段階ではそれぞれの金属を精錬できる設備がない。いまは鉄だけに集中するほかない。

 スラグが流れ出たことで窯炉内に鉄塊が生まれたことはほぼ間違いない。

 窯炉が冷えるのを一晩待ってから、炉の壁面を打ち砕いて底に溜まった塊を取り出す。ゴツゴツしていびつな形をした鉄塊が取り出せた。15キロほどありそうだ。

 初回としては予想外にうまくいった。残った2基の窯炉でも同様の方法で合計50キロ弱の鉄を得た。

 鉄の質はよくわからないが、鉄を作るという目的は達成できた。

 大量に上質の鉄を作り出すことはまだ先の話だ。今後、継続的に製鉄を行うのであれば、耐火レンガで高炉を建造することになるだろう。いちいち窯炉を破壊していては生産性があがらない。


 ガデルとフォスが製鉄現場に現れ、鉄塊を握ってしげしげと観察した。

「こりゃいい。ユングリム史上初の製鉄だ。いよいよ鉄器時代に突入だな。ともかくおめでとう、だ」そういうとガデルは製鉄の成功を祝って、エプロンと手袋を贈ってくれた。

 どちらも耐熱樹脂製の不織布で作られている。手袋は鍛冶の必須アイテムだ。エプロンは鍛造時に飛び散る火花を遮るためだろう。

「ありがとう。つまり、早く鍛冶をしろってことだろ」

「まあ、そうさ。鉄の道具が必要になってきてる。必要なら新人を弟子入りさせられるよ」

「わかった。そのときが来たら頼むよ」

「岩石を砕くノミとハンマーが要る。できるかい?」大柄なフォスが低い声で訊ねてきた。

 彼の外殻靭体エクスポーサルボディはところどころに傷が目立ち、変形や変色もみられる。深い傷はパテで補強してあるがもう限界に思えた。過酷な作業環境に長らく従事した結果だろう。

「トンネル掘りか」

「地下に向かって掘ってるが、固い岩盤に阻まれてね。ダイナマイトを差し込む穴を穿ちたい」

「質の高い鉄でないと岩を砕く道具にならない。いまはまだ難しいかもしれない。すぐに納品という訳にはいかないけどやってみるよ。もう少し時間が欲しい」

「もちろん待つさ。だが、急いでくれ。できる限り良い物を大量に欲しい」

 フォスが最初の注文主となった。


 製鉄の成功を喜ぶのも束の間。すぐに鍛冶屋を開業しなければならない。

 なんと工房を建てるところからスタートだ。

 設計はジェムラインが行った。構造部材はすべて樹脂製造ラインで作成され、ホミニン数名によって手際よく組み立てられた。

 2日後には30平米ほどの小さなアーチ状の建屋が完成した。例の龍の骨組みのような構造物だ。

 このかまぼこ型の建屋は両端が吹きさらしになっている。鍛冶工房ということを考えるとこの構造は致し方ないのかもしれない。

 この惑星ユングリムは地軸の傾きが平均20度なのだが、コマが不安定に回転するような自転を行っている。この歳差運動周期が極端に短い上に運動角も大きい。月の半分ほどしかない3つの衛星の動きがこのおかしな自転の原因なのだが、不安定にみえてこの状態で安定化しているという。

 季節の変動が目まぐるしく、夏の日差しになったかと思えば、翌週には木枯らしが吹き荒れ、またすぐに気温が上昇し始め雷雨に見舞われる。このように行きつ戻りつしながら季節が移り変わる。

 気象天文部によるとここの緯度では96節句に分類できるそうだ。オルビオ入植区近辺は寒暖の差が大きく、気象は激しい。寒風が吹きすさぶころ、この工房はずいぶんと厳しい環境になると容易に想像できた。

 炉は工房の中央に据えた。製鉄のときに作った窯炉ほどの高温にする必要がないので単純な構造でサイズも小さい。フイゴは製鉄に使ったものをそのまま利用できそうだ。

 フイゴを除く主な鍛冶道具は鉄を素材とするため、ジェムラインに頼れない。最低限必要な道具はすべて自作する。まずハンマーと金床かなとこは欠かせない。それからハサミ、タガネ、ヤスリ、火かき棒は揃えなければならない。

 かつて鍛冶職人たちは鍛冶道具すべてを自作したという。ならば彼らのスキルを得た今、不可能な技ではない。と思いたいところだが、やはり不利な点がある。道具を作るためのその道具がないのだ。鉄製ハンマーを作るには鉄ハンマーと金床が必要だ。残念ながら両方ともにない。

 鶏が先か卵が先か。同じジレンマに陥った。

 史実はその中間といったところだろう。初めて鉄を鍛造するときに使ったハンマーはおそらく青銅製だった。その青銅器を初めて鍛造するとき使ったハンマーは石鎚だった。石器から青銅器、そして鉄器へ。歴史を遡ればそういうことになる。

 しかし、ここに青銅器はない。石鎚なら作れそうだ。石で鉄を鍛える。歴史の過程をひとつ飛ばすことになる。できるのだろうか? インストールされた製鉄スキルにはこの疑問に答えるデータは存在しない。

 あれこれ考えあぐねたが、実行すればいいだけの話だ。失うものは労力と時間だけ。失敗してもそこからなにかを学べばいい。

 形のいい鉄鉱石を選んでに結わえる。

 柄と結び紐は耐熱性樹脂で作成してある。

 金床は台座がなるべく平らになっている花崗岩を代用物としてみた。

 炉を高温にして小さめの鉄塊を明るい橙色に輝くまで熱する。

 ハサミがないので2つの長い石で挟み込んで金床代用物の花崗岩の台座に移動。

 赤く発光する鉄塊の片方だけその石で押さえて、石鎚で打つ。スパーク。さらに強く打つ。またスパーク。火花が勢い良く飛び跳ねる。

 なんとかいけそうだ。歪な形ではあるが打撃面だけはまともな鉄製ハンマーの頭ができた。

 これを利用して別のハンマーを鍛える。

 こんなことを2度繰り返してついにまともなハンマーを鍛え上げた。それでもタガネがないので柄を通す穴を後付することになる。

 ハンマーが完成すると次はハサミ・金床・ヤスリ・タガネと、みっともない仕事を繰り返してようやくまともな道具一式を得られた。


 さて、受注品のハンマーとノミの製作に移りたいところだが、既に原料となる鉄塊を使いきってしまった。再び、製鉄のため窯炉を作らなければならない。なんともまどろっこしい。

 気づけば、働き詰めでもうふた月が経過しようとしていた。

 その間、カティはなにを考え、なにをしていたのか? 

 前半はよく手伝った。窯炉の材料探しから運搬までは文句ない。築炉や製鉄についてもよくやったと思う。

 工房建設の時は姿が見えなかった。ホミニンたちの出入りが多かったからだろう。

 その間、どこでなにをしていたのか尋ねていない。

 工房の完成後はただそこにいるだけだった。鍛造スキルを断乎インストールしないので手伝いたくともできることがほとんどなかった。歌を口ずさんだり、土をねたり、食物の繊維を編んだりしてなんとか時間をやり過ごしていたように思う。そして相変わらず愚痴や小言のようなことを口にしていた。

 しかし、僕は鍛冶職人モードに没入しきり、鉄のことで頭がいっぱいだった。正直、カティを鬱陶しく邪魔に思ったこともあった。時に彼女の態度にイライラが募って限界すら感じた。

 たとえば、鉄を打ち出し終わって一息ついているときのこんな会話。

「タイエン。鉄を叩くのが好きなのね。活き活きしてる」

「そう見えるか」

「喜びを感じてる?」

「まあ、そうかな。やり甲斐はある」

「どうして?」

「仕事だからさ。悪いことではないだろう?」

「それはあなたの仕事なの」

「なにか役割を持たなきゃならないだろう」

「本来ではないわ」

「エンタングラーとしての仕事のことか。それは別さ。意識して行える仕事ではない。一生懸命にやろうたって空回りするだけだ。それに鉄打ちがサインになるかもしれないだろう」

「…どうかしら。なぜ、鍛冶仕事に喜びがあるの?」

「なぜって?」

「思い通りに成功したから? みんなの役に立つから? 自然に関与したから? それとも労働そのものが好きなの」

「わからないよ。そんなことまで考えなきゃならないか」

「カナヅチをどれだけ作っても未来につながらないわ。あなたには気の毒だけど」

「なぜ、そんなことがわかる」

「タイエン、怒らないで。あたしはあたしに正直でいたいの。ただそれだけ」カティはそう言い残してどこかへ行ってしまった。


 製鉄事業に新人のミモザとワラフが加わり、新しい窯炉を建設することになった。

「大きい高炉にしましょう」とワラフ。

「水車を利用して送風できれば作業効率が上がります」とミモザ。

 高炉建設のため、彼ら(彼女ら?)は耐火レンガ製造のスキルをインストールし、その製造を始めた。

 耐火レンガの素材となるアルミナを得るために、最初に僕とカティが作った窯炉を修理して鉄鉱石を溶かした。あのスラグからアルミナを抽出できるという。よって、期せずして相当量の鉄を得られた。

 高炉の建設は彼らに任せて、フォスの注文したノミとハンマーの鍛造を進めることになった。

 一週間で、最高級品とは言わないまでもそこそこの品質のノミとハンマーを叩き上げた。

 5本づつ携えてフォスの現場に赴いた。露天掘りの縦坑が数本掘られている。一部の縦坑に入れられたパイプからは熱湯が湧出し、周囲に湯気を立ち上げていた。

 ホミニンたち数名が縦坑を登り出てきた。その中にボディを泥だらけにしたフォスがいた。

 傷つき、熱変性した外殻靭体はほとんど撥水性を失っている。安全を確保しようという意識は全く持ち合わせていないようだ。

 納品物を見てフォスはいたく満足気だった。それを見た別のホミニンがその場でシャベルとツルハシの注文をよこした。やはり鉄の需要は強い。忙しくなりそうだ。

 その足でレンガの焼き場に立ち寄るとカティがいた。カティはワラフと会話しながらレンガ製造を手伝っているようだった。

 ホミニンをあれほど嫌っていたのになんの気まぐれだ? 

「炉の内側だけであれば既に必要な量が焼きあがったので高炉を建設に入ろうかと思います」と、ワラフが報告した。

 カティは悪びれる様子もなく耐火レンガの積み上げを続けている。

 見た目にも美しい耐火レンガが3パレットに積まれている。さすがにこれは職人の技だ。二千度の高温に耐えるだろう。ミモザとワラフは昼夜を問わず、レンガを焼き続けた。でなければ短期間でここまで完成させられない。全く、ここのホミニンは無謀な奴らばっかだ。


 夜。ホミニンたちはみなジェムラインに繋ぐ。

 そして僕らは退屈しながら眠ってしまおうとあがく。カティとの会話は億劫になっていた。

 この夜もやはり気分が滅入ることになる。

「また注文もらったの。あいつら、人モドキのくせに偉そうね。モノを催促する立場にないと思うけど」

「僕らと何が違うのさ? 僕らも彼らも同じボディ構造のホミニンだよ」

「心の構造が違う。知ってるくせに」

「ジェムラインに繋がっているということなら僕もそうだ。カティ、君だってジェムライン経由で自己複製されてるじゃないか」

「それはすごく嫌なことだけど、そんなことは問題じゃない。人格や記憶がデータ化され、移植されたとしてもあたしたちは立派な人間よ。はっきりしてるの。あなただってそう感じるでしょう」

「そう思うよ。僕も君も人だ。間違いない」

「そうでしょ。でも、あいつらは違う。人のふりをしているけど人じゃない。だから、人モドキなの」

「そこがわからないよ。彼らがオリジナルじゃないからか?」

「オリジナルの肉体が消滅していることは問題じゃないの。自己補完するために交じり合うことがいけないのよ。その過程で人であることを捨ててしまっている」


 自己補完とは、ジェムラインの中で自律的に発生する精神融合現象のことだ。この場合の自己とはその経験や記憶、さらには無意識下のすべての精神活動も含まれる。

 ほとんどの人は生まれるとすぐに脳内にSSEV(Synaptic signal encoding virus-bot)を巣食わせ、ジェムラインと完全同期してそのまま成長するようになっていた。

 あらゆる生体側の経験や記憶、精神活動はすべて脳内神経ネットワークのシグナルとしてSSEVでエンコードされ、ジェムライン側にリアルタイムで送信される。

 同様にジェムライン側で独自に発生したニューラルネットワークの活動も生体脳に瞬時に伝達される。成長過程で変容する個性や人格もジェムライン側にそっくりそのまま形成され保持される。

 完全にシンクロした2つのネットワークはあたかも同一の心として一人の人間に内感された。

 当初、死すべき運命にある人間がその運命に抗って永遠を手にするための方途だった。肉体は滅びてもジェムライン上の自己は消滅することはない。その気になればいつでも新品の完璧なボディに自己を再構築し街中を闊歩できる。

 人類は死を克服した。そういっても過言ではなかった。

 ジェムラインが創設された頃、ほとんどすべての人々がそこに複製自己を置き、永遠の命を喜んだ。

 究極の目的であるはずの「永遠の命」、つまり「不滅の精神」と「復活する肉体」を得たにもかかわらず、人々はそれでも満足しなかった。達成された目的は途端に価値を失うという習いなのか、草創期からすでに綻びがみえはじめた。

 ひとつは、生体脳のスペックの低さや衰えにある。

 言わずもがなではあるが、生体脳はジェムラインに比べ出来が悪い。思考速度が遅い、物覚えが悪い、学習効率が悪い、IQが低い、判断を誤りやすい、老いて朽ち始める…。

 記憶をジェムライン側におけば無尽蔵にして完璧な記憶媒体がある。記憶に関して、生体脳と完全同期させずジェムラインに大半は置いておこうと誰もが思うようになった。

 学習に関しても、すでにジェムラインが全知であるのだからそれを拝借すれば良い。なぜ時間と労力をかけて学習や教育をする必要があるのか。これも至極当然の考えだろう。

 生体脳が老いてボケ始めたならジェムライン側もそれに従うのか? 答えは断乎ノーだ。

 こういう人間側の事情によって生体脳とジェムラインにある複製自己は最初から完全同期することはなかった。やがて徹底してジェムライン偏重になり、生体脳は抜け殻か、精々ひとつの移動センサーの役割を担うに過ぎなくなっていった。

 さらにもうひとつ、人類究極の目的と思われた「永遠の命」を凌駕する人類最大の欲求があった。

 それは「孤独の克服」であり、またその先には全的人格に至る「完全志向性」があった。それらは欲求というより性向というべきかもしれない。

 生体脳を放棄した人々はやがて個人という概念をも放棄した。

 この過程はやや複雑で必ずしも一様ではなかった。ジェムライン創設時から10年ほどは「自己の孤高性」を守るべきとする風潮があり、個人で居続けることを強要するような法律化もなされていた。

 しかし、生体脳がなおざりにされジェムライン内に自己を保持する者が圧倒的多数になるに連れて、個人や個体でいることの意義が次第に失われてしまった。

 法的な規制は徐々に撤廃され、自己は他者を直接、受け容れられるようになった。その結果、自己はジェムラインの中で自由気ままに複数の精神と交わり融合しはじめた。

 このように自己の欠陥を補い、孤独から開放されることを自己補完という。お互いの弱点を補い合ってより強い自己をつくることを志向して自律的に自己補完が繰り返された。

 自己は、あらゆる機会に融合され無制限に新しい自己を生み出した。この過程で個人という概念は過去の遺物となり、以降まったく顧みられることはなくなった。もちろん、プライバシーも消滅し、名誉や富のような普遍と思われた価値も意味を成さなくなった。

 自己とはいうが、それは文字通り名残りに過ぎない。融合を繰り返すことで実質的にはジェムライン表象というべき存在に変容していた。個という形で現れるが、常に全体と繋がっている存在ということだ。


「人とはなにか? 哲学的問題だよ」

「哲学的問題だから何なの。どうでもいいとでも言いたいの」

「そうじゃないけど、そんなことを考えるのは僕らの手に余る問題さ」

「違う。あたしにとっては大切なことなのよ。考えなければいけない大問題なの。なぜ、わかってくれないの」

「ねえ、カティ。僕はここの連中とうまくやっていきたい。ここが僕らの居場所なんだよ。彼らと反目しあってもなんの得もない。考え方を変えなきゃダメだ」

「絶対にイヤよ。そんな大切こと、変えられるわけないじゃない。タイエン、あなたどうかしてる」

「僕は現実的に生きようとしているだけだ」

「かもしれない。でも、それは目先のことに惑わされて人として生きることを放棄しようとしてることよ」

「だから、人ってなんだよ? 僕は人間だ。人間として生きてる。なにがいけない」

「人は悩むわ。苦しんだりときには死んでしまいたいと思うことだってあるの」

「わかるよ。今がそうだから」

「あいつらはそうじゃない」

「そんなこと、どうしてわかるのさ。君は遠ざけてばかりで彼らとちゃんと向き合ったことなんかないじゃないか」

「まさか気づいてないの? 遠巻きに見ててもよくわかるわよ。あいつらは悩んだり苦しんだり絶対にしない。それどころか決して争ったり揉めたりしない。他人を羨んだり妬んだり、恨んだり憎んだりもない。騙したり支配しようともしない。欲望に身を任せたり怠惰に過ごすこともない。そうでしょ。そういうところ見たことある。思い出して」

「いや。ないよ」

「それぞれ個性的に振舞っているようだけど、安っぽい演出よ。根っこは同じジェムラインで繋がってる。同じものが形を変えて現れているだけ。蟻と同じ。いえ、蟻より質が悪い。だって、自分たちを人だと思い込んでるのよ。幸せそうにしたり満足感に浸ってるところを見ると心底ムカつく」

 カティは、自己補完を行ったものは個を失いジェムライン表象になったのだから最早、人とは呼べないと主張している。

 この惑星で成体したホミニンたちは、僕ら二人のエンタングラーを除き、全員が自己補完を繰り返した自己、つまりジェムライン表象をその肉体に宿している。

 カティの論に従えば、ここのホミニンたちは人ではないと結論される。

「彼らは自己補完を繰り返してきたから充分に強く逞しくなったんだよ。自らの劣情を完全に制御できるのさ」

「タイエン。あなたってどうしてそんなにお人好しなの。なんでそんな嘘を信じちゃってるの。ほんと驚いたわよ」

「嘘って?」

「あなたはジェムラインの知識しか持ち合わせていない。ジェムラインが全知全能と信じているからそんなことになっちゃうのよ」

「ジェムラインに無い知識があるとでも」

「隠された情報があるの」

「どういう情報さ」

「知られたくない情報。自らに都合の悪い情報は隠蔽するの」

「まさか。ジェムラインは意思をもっていない。だからそんな行動はしないよ。意思をもっているのは内在する人々の精神だ、たしかその筈だろう?」

「ジェムラインと自己補完した無数の表象とを区別することは誰にもできない。渾然一体となってしまったの。もう人の精神でもない。まったく別のものになってしまったのよ」

「別のものって何だよ」

「別の何かに。誰もコントロールできない自律した何かに。あなたに金物を催促しに来る気味の悪いやつらのことよ」

 ヒト以外の肉体に人の精神を宿した者をホミニンと呼んでいる。この定義によると外殻靭体に自己をダウンロードされた僕らはホミニンで、同じ外殻靭体であっても人の精神でないものを宿した彼らはホミニンでないということになる。なんだかややこしい。

「気味が悪いって…カティ、参ったよ。僕は少なからず彼らに親近感を感じてる。そんな言い方はやめてくれ」

「お人好しのタイエン。向こうはどう思ってるかしら。目を覚ましなさい」

「カティ。もう無理だ。黙ってくれ」

 そこから僕は口を聞かなかった。カティも黙ったままだ。

 頭が混乱してる。神経がささくれだって落ち着かない。

 ジェムラインにとって知られると不都合な情報とはなんだろう。なぜ隠さなければならない。本当にそんなことがあるだろうか?

 ジェムラインに繋いで真偽を確かめてみようか。カティの言うことが真実ならば正しい答えを得られるはずはない。ジェムラインが隠すからだ。デタラメなら元よりそんな情報は存在しない。つまりジェムラインに繋いでも無駄ということだ。

 自分の頭で考えろということか。カティはそう仕向けたかったんだろう。

 なぜ、今頃になってそんな揺さぶりをかけてきたんだろう。地球に居るときに話し合われてもよかったんじゃないか? カティは何か企んでいるのか?

 きっとなにかある。カティに感じる初めての疑義。

 これは妙だ。ほんとに…。



 ……何者かがソファに横たわっている。外殻靭体だ。

 もんどり打ってひどく苦しがっている。よく見ればカティだった。

「カティ。大丈夫か? どこが苦しい?」

 僕は駆け寄って上体を助け起こした。

「放っておいて」カティは呼吸が荒く、そう言うのがやっとだった。

「いま助けを呼んで来るからしっかりしろ」とはいえ、どこにレスキューがいるのか皆目見当がつかなかった。

「ミウラを呼んでこよう」

 独り言ちてジェムラインにダイブし、ミウラを捕捉しようとしたが存在が確認できなかった。ミウラとは僕らの育ての親であり恩師だ。

「止めて。繋がないで。有象無象の輩が来てしまうから」

「誰のことさ。ミウラなら大丈夫だろう?」

 カティは意識が混濁しているのだろうか。やがて激しい呼吸は治まったがぐったりしてしまった。

「これを外して」

 外殻靭体にある左胸の突起を右手で弱々しく引き下げて懸命に脱ごうとしている。

「カティ。それはできないよ。脱げる構造になってない」

 驚くことにわずかに胸の外殻靭体がはずれ始めた。その隙間にカティの紅潮した素肌が見えた。

「まさかあり得ない」あまりの驚愕に息が止まった。

「ダメ、ダメ。そんなことしたら危ないから」

 カティの行為を抑えようとしたが胸の膚殻が外れて床に転がり落ちた。

 血まみれのバストが露わになっている。慌てて床に転げた膚殻ふかくを拾ってみたが、形質が柔らかく劣化してグルグルと巻き上がってしまった。これでは元の位置に戻すのは無理だ。

 カティに目を戻すと変化は激しさを増していた。左肩から上腕部の膚殻も脱落。

 両方の下腿部や腰部も外れ始めた。ゆっくりと滑り落ちていくようにみえる。

 わずかの間に腹部と頭部の膚殻を残して外殻靭体は床に散らばってしまった。腹部の膚殻も実際には既に外れていてカティの本来の身体に乗っている状態だった。

 全身血まみれではあったがその下には瑞々しい皮膚が再生していることがわかった。横隔膜が大きく二度呼吸すると腹部もずり落ちた。

 カティは横たえていた裸体をゆっくり起こしソファの背に凭れかかった。血液が玉のように弾かれ滴り落ちた。だが出血している様子はない。

「カティ。いったい全体、なにが起こってるんだ」

 カティは両耳あたりに左右それぞれの手を宛がい、首を振って頭部の膚殻を割った。

 仮面が落ちる。

 豊かな黒髪が波打った。白い肌に透き通った青い静脈。そこには生命の躍動があった。

「びっくりした?」カッティは悪戯っぽい笑みを浮かべている。

「まるで脱皮したようにみえたよ」

「脱皮そのものよ。あたしは生まれ変わったの」

 玉座に鎮座した女王のような威厳を放っている。神々しいほどに美しい。

「なにがなんだか、さっぱりだ」ぼくの思考は完全に停止した。

 このとき初めて自分自身は外殻靭体ではなく素の身体でいることがわかった。

「いつもわかろうとしないくせに……。でも、もういいの。あなたには理解できない」

「わかるように説明して欲しい」

 カティはまじまじと僕の顔を見つめた。

「かわいそうなタイエン。ほんとうにかわいそう」カティは突然、涙を流し出した。

 ネガティブな感情の放流。それは本物の憐れみだった。

「かわいそうって何がさ」

「あたしを許してね、何があっても」

「わからないんだってば。なにを許せばいい」

「わからなくてもいいの。でも許して欲しい。お願いだから」

 絶望的に悲しげなカティ。相変わらず感情の起伏が激しい。

 僕は訳も分からず頷いた。

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