10 第一部 儚き明日の幸福『!』



 屋敷に帰ったアスウェルは、レミィを自分の部屋に連れてきた。


「あの……。お話って、何ですか」


 レミィは果物の入った籠を抱いたままだ。

 他の使用人と合流する前に、話を聞いておきたかったのだ。


「町の人間が狂想バーサク化した」

「知ってます。……私の目の前にいたんですから」

「お前の戦闘技術は何だ」

「分かりません」


 少女は口を閉じて俯く。

 答えるつもりはないようだった。


「ボードウィンの事をお前が知っている限り、全て話せ」

「どういう、意味ですか。それ」


 警戒の色を声ににじませて後ずさるレミィに銃を突きつける。


「お前はあいつらの仲間か」

「言ってる事の意味が分かりません」


 アスウィルは銃の引き金に添えていた指に力をこめる。

 レミィはそれを見て息を呑んだ。

 ただの脅しなどではないと分かったようだ。


 妹を攫った組織の人間だというのなら、誰だろうと撃つ。躊躇いはしない。

 たとえそれが自分の妹と同じくらいの歳の少女であろうとも。


「今日お前の手渡したクッキーを食べた人間が、境人きょうにんとなった」

「え……」

「お前は、ボードウィンの指図で行動した。違うか?」

「違います! 私はっ……そんな事しません」


 レミィは、こちらに一歩向かってくる。

 銃に突きつけられたまま。

 まっすぐこちらを見つめながら訴えかけてくる。


 その様子は、まるで無実そのもののように見えるだろう。

 アスウェルが何も知らなければ信じていたかもしれない。


「私が、そんな事するわけないじゃないですか。どうして、アスウェルさんがそんな事を言うんですか。他の誰でもないアスウェルさんが……」


 何を言われても鵜呑みにすることはない。情にほだされる事も。


 レミィは視線を落として呟く。

 前髪で隠れて、表情が良く見えない。


「分かりました。アスウィルさんの中では……、私が犯人なんですね。あの時みたいに来てくれたんだって、助けてくれる為に思い出してくれたと思ってたのに……、全部私の勘違いだったんですね」


 何を言っているか分からない。

 いや、分かる必要などないだろう。

 目の前の少女は敵なのだから。


 レミィは悲しそうな顔で、アスウェルの目の前で立ち止まった。


「私を殺すんですか。その銃で」


 構えも見せない姿で、まるで殺されてもいいかのように振る舞う少女。

 引き金にそえた指に力を入れようとした瞬間。


「アスウェル、レミィ知らないか」


 扉の外からノックの音。

 確かこの声は、馴れ馴れしい使用人連中の一人、アレスの声だったか。


 撃つべきか迷った。


 (テキストメモ)状況は明らか。その少女は限りなく敵に近い。

 (指示)少女は危険だと意見を述べる。「https://kakuyomu.jp/works/1177354054882786238/episodes/1177354054882786284

 (指示)それでいいのかと問いかける。


 アスウェルはつかの間、迷って。


「……」


 撃てなかった。

 アスウェルは、何をする事もなく窓を開けて屋敷を出ていく。


「アスウェルさん、私達はもう会えません。さようなら」


 まるでこれから何が起こるか分かっているかのようなレミィの言葉が背後から聞こえてきた。





 数日が経った、その日の深夜。

 草木も寝静まる頃合いに、準備を整えたアスウェルはボードウィンを殺すために屋敷へ再び訪れた。


 屋敷の内に人の気配は感じられなかった。

 慎重に周辺を探って進むが、誰もいない。


 やはり期間を置いたのがまずかったのか。

 こちらの狙いが気取られたのかもしれない。


 だがあの時はそうするしかなかった。

 敵の戦力は未知数、準備もせずに戦闘するわけにもいかない。


 復讐をするチャンスを与えられたにも関わらず。

 その貴重な機会を一度フイにした自分の愚かさに、何を言っているのかと思うが。


「……ふがいない、この様か」


 とにかく少しでも情報を得るためにボードウィンの書斎に向かう。


 だがやはり、部屋に入るが、資料となり得る物は全て無くなっていた。


 諦め悪く部屋の中を物色する。

 この数週間の苦労を徒労で終わらせたくない。


「「「この日々を決して無駄にしてはならない」」」

「「「お前が頑張ってきたことは無駄じゃない、俺がそれを証明する」」」


 また訳も分からない情報がよみがえって来た。

 相手をしても無駄だ。

 時々思い浮かぶそれをアスウェルは知った事はないし、目の当たりにしたことも言った事もないのだから。


 復讐のことばかり考えて、頭がおかしくなりでもしたか。


 とにかく無視して作業を続ける。


 資料棚を動かして隠し扉を見つけた。

 その先は、壁の間の空間を利用しているようだった。

 扉を開け、下へと続く階段を長いこと歩いていく。

 その場所は、地下だ。


 地下室には牢屋が並んでいた。

 その中に、人間だった者達が放り込まれている。

 彼らは身動き一つしない。

 当然だ、みな死んでいるのだから。


 全員使用人達だった。


「……っ」


 言葉亡き骸を前に、鉄格子に拳を叩きつける。

 どうして自分はこんなにも衝撃を受けているのか。

 分からない。


 たかが数週間を過ごした人間達の死に。

 碌に交流などしてこなかったというのに。

 親友でも家族でもないというのに。


 馴れ馴れしくて、客との距離を間違えているとしか思えない、礼儀のなっていない使用人共の死に何故こんなにも動揺する?

 そしてどうしてその中に、檸檬色の髪の少女が交ざっていない事にわずかに安堵している?


 アスウェルは色々な物を見誤ってしまった。

 結果は全く関係のない第三者の死だった。


 奥まで歩いていく。

 さらに扉があった。

 この扉はどこにつながっているのか。


 アスウェルは扉を開ける。


「――死んでください――」


 その前にも、牢屋があった。

 通り過ぎようとしたその一つから声がしたのだ。


 何か硬質な物がバラバラに砕けて床に落ちる音。

 瞬間、アスウェルは後ろに飛ぶ。

 牢屋の檻が切断されて、散らばっている。


 視線を向けると牢屋の隅にはレミィがいた。

 その周囲には風が吹いている。

 魔法。

 こいつは魔人だったのか。


 魔人は、この世界では存在するだけで人々に疎まれる。

 正体を隠していた事に大しては驚かないが。


 レミィの様子が大分変わっていた。

 かさついた肌に多くの傷跡、檸檬色の髪は傷んで元のツヤを失っている。

 その中で瞳だけを爛々と輝かせながら、足を痛めているのかこちらへと這いずってくる。

 檻を掴んで、こちらを睨みつける。


「助けてくれるって思ってたのに! 貴方は死神だった! 信じていたのに、信じたのに! あの日に貴方がかけてくれた言葉が私は嬉しかったのに。 貴方が、きっと犯人だった。貴方が、皆を殺したんだ!!」


 薄暗い地下に、少女の絶叫はただ響く。


「返してください。優しかったレン姉さんを、アレス兄さんを、コニーさんを、皆を、返して下さい、返してっ、返してっっ!!」


 唇が切れて、血が流れるのもかまわずに喋り続ける。


「あんた達はそうやって私から大切なものを奪っていくんだ。お父さんとお母さんも……、私が過ごすはずだった毎日も……」


 間違えた。間違えだらけだった。

 アスウェルのした行動は、目的を果たせず、一般人を巻き込み、深く心を傷つけることしかしなかった。

 深い後悔が襲う。

 自分は間違っていたのか?


 誰が傷つこうと、何を犠牲にしようと構わないと思っていたのに。

 今更、後悔の念が心の内に溢れてくる。


 だから気づかなかった。

 自分の背後に誰かが立った事を。


「……止めてっ!! これ以上は……っ!!」


 レミィの声。

 こちらをたった今殺そうとしていたくせに、心配するのか。間抜けにもそう思ってしまった。


 気づいた時には床に倒れていた。

 背中から深く切られた。

 炎に炙られたように熱い。

 勢いよく血が流れ出ていくのを感じる。体をうまく動かせられない


「……お願い、もうこれ以上私から幸せを奪わないで……、皆を傷つけないで」


 少女の涙交じりのその言葉を最後に、アスウェルは意識を失った。


 ……泣くな。


 そう言いたかったが言葉は音にならなかった。



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