第6話 そして 未来へ…
蛍が向かったのは、光が生きていた時代。その時代の佐渡。
艦から出ると、閑散とした岩地。真っ直ぐに父親の記憶の通りに進み、岩間に降りて行く。目的地はすぐだ。
かくして、岩の壁に現れたのは、有ってはいけない、そこには到底不釣り合いな未来の文明の証拠たる操作盤。
有って欲しくはなかった。けれども、蛍は確信していた。これが答えだ。
今まで費やしてきた捜査の答え…それはこんなに、身近なことだった。自分自身だった。自分こそが未来を歪めた元凶だったのだ。
他の誰が触れても反応しない。蛍こそが鍵となる。父はそこまでして、蛍を守ろうとした。蛍の選択に全てを託した。歴史家としての良心を賭けてこの仕掛けを残したのだろう。
起動ボタンにそっと触れる。
パッと光が灯る。まるで夜に蛍が光り出すかのように。青い優しい光…
「蛍…辿り着いたんだね」
モニターに映し出されたのは、懐かしい父の姿。流れてきたのは、まぎれも無い父の声。父の言葉。嬉しそうで悲しそうな。それは蛍も同じだった。言葉も出ない。
「この扉を開けるためには、幾つかの質問に答えて貰うよ」
父親の声がそう言った。釣られて蛍は頷く。
「君が飼っていた犬の名前は?」
BASEの中でしか生きられない蛍のために父が連れてきた小さい白い犬…
「riki…」
黄色い光が灯った。正解の証だろう。
芝生の庭で転げ回ったのは作られた記憶だったが、BASEの中で蛍はrikiと数年間を過ごした。
「君が付けた名前だったね。可愛い子だった」
父親の言葉にまた頷く。
「君が大好きだった野球選手が居たね。覚えているかな?」
次の問いに、蛍は目を閉じて微笑んだ。
あの記憶も、偽りなのか…父とよくキャッチボールをした。父は何故この記憶を植え付けたのか…それは、彼が娘と引き換えに失った長男…蛍が決して出会うことの出来なかった存在しない兄、弥彦との思い出なのだ…と気がついた。
「小林繁…」
彼の物語を何度も見た。読んだ。そして憧れた。それは事実だ。そんな蛍を見て、父は失った長男弥彦を重ねたのだろう。だから、蛍の記憶を作る際に野球少女だった過去を組み込んだのだ。知らずにいた自分を罵りたい気持ちだった。
再び黄色い光が灯る。
「君が悩んでいる時にいつも私が言っていた言葉を覚えているかい?悩んだときは?」
「笑顔の方に…」
蛍は泣き出しそうな顔でそれでも微笑んだ。黄色い明かりがそれを照らす。
父はいつもそう言って、蛍の好きなようにさせてくれた。負い目だったのかもしれない。
「次の質問だよ」
父親の声がそう告げた。もうすぐ終わってしまう父との再会…
間違った答えを言ったら、どうなるのだろう。誰かに脅され連れて来られていたら、敢えて誤って答えたらそれらを撃退することができるように作られているはずだ。
質問に答えなければ、扉は開かない。父の隠した歴史が露見することも無い。そしてそうすれば、蛍が間違った歴史の存在…という答えも闇の中。
だけど…蛍は涙を堪えてモニターを見つめた。
父は、私に託した。自分の過ちを正せる可能性を自分にくれた。それは、父と同じ歴史家として、とても光栄な事だ。見つけ出すと信じてくれた父。そして、恐らく正してくれるだろうと言う信頼。そこに、大きな大きな父の愛を感じていた。だから…私は進む!蛍は首を振ってモニターに向かい合った。
「君が無人島に流れ着いたとして。ただ1人誰かを連れて行くとしたら、誰を連れて行きたいかな?」
蛍は大きく目を見開いた。この問いに答えはある?その答えを父は知り得る?分からないけど、答えなくては…誰を…と考え思い浮かんだ顔を首を振って打ち消す。
「誰を連れて行くのかな?」
父親の優しい声が繰り返した。
「一緒にいたい人はいるの。でも連れて行かないのよ」
蛍は思ったままに言葉にした。父に嘘はつけない。
「私のせいで巻き込みたく無いもの。あの人はたくさんの人に必要とされていて、たくさんの人に色々なことを残すの。私が連れて行ったら勿体無い。申し訳ない。あの人には日本で、たくさんの人の前でやりたいことをして、笑っていて欲しい」
蛍の脳裏にもう二度と会うことの無いその人の姿が見える。思い浮かべ、微笑んだ。そうだ…彼のためにも、歴史を戻すのだ。悔やみはしない。
「代わりに図書館が欲しいな。本を読めば1人じゃ無い。世界もひとつじゃ無い。それが叶えば、私は1人で大丈夫」
正解は分からないけど、だからこそ本当の思いを答えた。それしか思い浮かばない。
モニターの中の父親は静かに笑っている。黄色い光りは灯らない。
はなから扉を開ける方法は無いのでは…と思いかけた時に
「どうやら、正解のようだね」
父親がそう言った。
「君がなんと答えたのか私は知り得ない。だけど君がたどり着く答えを幾つかキーワードにしていてね。君は、私がなって欲しいと思った娘に育っているみたいだね。誇らしいよ。次が最後の質問だ。君は知っているはずだ。後は君に託す。良いと思うようにしてくれたら良い。君が大好きな物語だ。唱えよ、友と」
そう言った途端モニターは消えた。
「メルロン…」
条件反射で言葉が飛び出した。父は知っている。蛍が大好きだった物語を。考えるまでも無い。モリアの坑道の石の扉を開ける呪文はこれなのだ。周囲に溶け込み判別出来なかった岩のドアが、音を立てて開いた。
「コレは‥何なの?」
いつの間にか蛍の背後に光が立って居た。別に驚きはしない。初めて会った時に比べ、光は既に十分状況を理解している。黙って待って居たりは出来ないだろう。それを知っていながら、蛍は光を警戒しなかった。艦の中に彼女が潜んでいることは、容易に予想できたのに。
少しずつ疑問の答えが見つかって行く。達成感など無い。恐怖と失望が増していくだけだ。その思いを共有したかったのかもしれない。けれども増していくのは秘密も一緒で、それを打ち明け無いまま共有できる感情に限界がある事も解って居た。共有しないことが最後の心の支えなのかもしれない。なので、光と蛍が求めている物の持つ存在意味は違う。だけど、コレが日の本の地下反乱軍にとっては探していた切り札その物なのだろう。
「黄金」
振り返った蛍の顔は、眉を八の字に歪め今にも泣きだしそうなその表情は、いつも冷静に行動して来た・・・むしろ冷酷にも思えていた蛍には、似つかわしくない物だと光は感じた。
「本当にあったのね」
蛍がこじ開けた岩の扉の向こうに覗く空間をもっと良く見ようと光は歩を進めたが、蛍は複雑な表情で光を見つめたまま、場所を空けようとはしなかった。米連合軍の盾としてアジア諸国と戦ってきた空たち日の本の兵士たちからなる反乱軍は、既に軍から兵器を奪いヨーロッパ諸国との交渉の段階に入っている。必要なのはもはや伝説と化していた取引の切り札、埋蔵金だった。
それが目の前にある。
「蛍・・」
蛍は動かない。
「それをどうするつもりなの?」
光の問いに蛍の表情に動揺が走った。それも珍しい事だった。
「まさか、慶喜公に渡す気?」
続けて問うた光を、哀しい目で見つめてくる。
「それは出来ない・・」
歴史がまた変わるから。そんなことは重々承知している。どんなに彼を助けたくても、何をしても無理だった。彼は、あの愛しい人は、最後の将軍となって、その身を賭けて長く続いた平和な江戸時代を出来るだけ穏便に終わらせないといけない。どんな汚名を着ても。どんな不自由を強いられても。色々な物を失い哀しくても。
将軍になるのを拒んでも、もっと早い段階で・・13代将軍になったとしても、14代将軍になったとしても、新政府軍を打ち負かしても、最後まで戦っても、歴史は好転しなかった。更なる悲惨な未来に突き進んだ。
今居る、この世界がまさにそれだ。明治維新は国を脆弱化させ、開国に失敗し、他国に付け込まれた。米連合国の植民地となり、アジア諸国と戦う盾にされた。光も、他の子供たちも地下の洞窟で産れ、本物の空を見たことが無かった。
自由を手に入れようと戦っていて、それが目前なのだ。蛍にもそれは解って居た。けれども、コレを渡す訳にはいかなかった。その歴史は、偽物なのだ。
「せめて、そう言って欲しかった」
恋の為に過去に旅をし、歴史を無茶苦茶にした人たちを軽蔑していた蛍が、今どんなに慶喜公を恋慕っているか、何とか守りたいと願っているか、光には解って居たから。だから、職務も常識も規則も全部脱ぎ捨てて、慶喜公の為に馬鹿な行動に出てくれた方がどんなに納得できたか。だけど、いつもの冷静な顔を脱ぎ捨て、哀しみに表情を歪めながら、蛍は、きっと正しい事だけをしようとしている。
「正しい歴史に帰す・・」
蛍は繰り返し繰り返し脳に刻み込まれているのであろう言葉を口にした。その残酷な言葉に、ついにポロリと涙が零れ落ちた。慶喜公との最後の別れの際にも零れ落ちなかった涙が。それは自分の愛の為だけでは無い。友の為に、両親の為に・・産まれてしまった沢山の命。産まれなかった沢山の命。苦しみや悲しみやささやかな喜びや僅かな希望やそう言う物をひっくるめて、泣けるのだ。歴史を変えてしまいそこに産まれたたった一つの命を守ろうとした父の愛・・それを自らの手で終わらせなくてはいけない。その身勝手な愛が愛おしいと思える自分に泣けるのだ。
僅かに体をずらし光に道を開ける。その狭い道をすり抜け、扉の中に足を踏み入れた光の目に飛び込んできたのは、黄金では無く岩の扉の内側に刻まれた文章だった。
「1601年(慶長6年)鶴子銀山の山師が天命に寄り鉱山を捜し歩き、3名が日本海に浮かぶ小さな島でついに探し当てる。
その後徳川家康が、伏見城にて大久保長安に佐渡金山の支配を命じる。長い江戸時代を支える財源となった」
光の世界には無い歴史。蛍ですら、知らなかった歴史。
地下の洞窟で産まれ育った光。でも、蛍もまた本来BASEの中でしか生きられない人生だった。
岩の中にあったのは精製された黄金ではなく、石英脈の岩そのもの。本来1601年に発見され、歴史の一員となるはずだったその金鉱は、何者かによって隠されたその黄金たちは、歴史の変動を正す為に過去に向かった蛍の父によって更に隠された。時代を超えて出会ってしまい、恋に落ち、産まれてしまった蛍の命を消させないために。
「私が存在した、信じていた世界も、偽物だった」
まっすぐ光を見つめ蛍は涙を流しながら、けれどもいつもと変わらない冷静な口調でそう言う。
光は扉の文字から視線を引きはがし、蛍を見つめた。
「あなたも、消えるのよ・・?」
我が身の事を語るより、それはずっと残酷な事に思えた。
自分の周りの人たちが歴史が変わる度に消えてしまう事を、いつか蛍に詰め寄った事。自分も消えてしまうのだと知って責め立てた時、蛍はその怒りを一身に受け止め、言い訳も怒りもしなかった。
歴史を正す。正しい世界を取り戻す。その為に生きて来た蛍が、自身がその過ちそのものだと知った哀しみと、その事実さえ受けとめ揺るがない意志で正そうとしている事が、酷く哀れに思えた。
「消えるくらいなら・・慶喜公の為に使ったらいいじゃない・・」
無駄だと知りながら言ってみた。
「愛の為に生きるなんて、私らしくない」
ボロボロに泣いているくせに蛍はそんな格好良いことを言った。
「それに、正しい歴史では慶喜公は生きながらえる。長く不自由で不名誉な謹慎生活を送るけれど、彼は負けずに生き永らえ、人生の中に楽しみや喜びを見出せる」
蛍はその記憶の中から消えてしまうけれど。
(ごめん・・空。音々。皆。こんな蛍の仕事、邪魔することは私には出来ない)
光は流れ落ちる涙をぬぐう事も無く、心の中で謝って蛍の隣に立った。
「何をするの?」
2人並んで同じ方向を見つめる。
「1601年に飛んで、山師に発見させる」
2人並んで同じ過去を見つめる。
そして、同じ未来を。そこに二人はいないけれど。
BASEの記録では、山師は佐渡金鉱を発見後調査中に命を落としている。独り占めしようと目論んだアジアの某国の策略だったことが判明した。
「手を貸して」
蛍の呼び掛けで、沢山のタイムマシンが1601年に到着した。
「知っていたのね」
そう蛍に声を掛けられた徹は、目を細めて蛍を見つめた。
「解決出来るんは君自身だと思うてたからな」
そう応えながら、厳つい中年男の容姿に似合わない優しい目をしていた。
「恨んでいた?」
蛍は初めて見る徹の優しい目を見つめながら問いかけた。
「最初はな。恨んでいた・・言うより何でや!?って思うとった」
それはそうだろう。何の疑いも無く家族だったのに、ある日突然兄の存在が消えた。BASEに居た徹にはその変化がリアルに襲って来たのだ。それが、父が母を裏切った結果だと理解し、一人で受け止めた苦悩を思うと、蛍はどうしようもなく徹を愛おしく感じた。兄と呼んではいけない兄。彼は消えた兄を取り戻す。父への不信は拭えなくとも、家族を取り戻すのだ。自分を正視もしてくれなかった徹を思い出す。今は、まっすぐ優しい目で見つめている。この目を手に入れられて良かった・・それだけで十分だ。覚悟は出来ている。
「痛くないのよね」
光は蛍を見ずに問いかけた。
「一瞬で消えて無くなるのよ」
蛍の答えは何の慰めにもならないと光は思った。蛍らしい・・とも。
「パラレルワールドは存在しないって言ったわよね」
続けての問いにも
「世界は一つだけよ」
簡潔な答えだった。勧誘マニュアルのままの答え。
「本当に、消え去るのね・・」
こぼれた光の呟きにちらりと蛍が視線を向けた。
「今、ここに存在している」
そう言って、自分の左胸の上部に手を置く。心・・と言いたいのだろうと光は推測した。
「消えて無くなっても、誰も覚えてなくても、今、光は私のここに居る」
照れる様子も無くそう言うと、蛍は珍しく微笑んだ。
「悪くない最期ね」
友と一緒なら。
本当に無くなるのかな・・私たちが存在する世界。青くて広い空の下、大好きな人や友達や知らない人たちも。私たちも居て自由に生きている世界は無いのかな。もう一度問えば、違う答えが返ってきたかもしれない。
けれどその瞬間過去が変わった。
まばゆい光も残さず。黒い粉も残さず。・・未来が、変わった。
おわり
その未来が たとえ消えたとしても 月島 @bloom
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