第5話 闇の中の記憶

 光も自分の任務をこなすのに慣れてきた。最初の一声をかけるタイミングや、声のトーンが変わって来ている。

 慶喜公は驚きはしたが

「では、今していることはすべて無駄という事かい?」

 静かに話を受け入れた。

「無駄な事などありません。一時は実を結び、それが未来で慶喜公の評価を上げてもおります」

 ちょっとムキになって反論した蛍に、慶喜公は優しく微笑んだ。

「それなら嬉しいよ」

 慶喜公の協力を得て、徳川宗家を支える収入を調べる。慶喜公の将軍時代の中で一番潤っていたはずの時期。目新しい物は出てこない。

 BASEの徹に、場所の特定の確認をする。

「こっちで何箇所かスタッフ送り込んで調査進めとるし、そっちに集中したらええ」

 そう言われて何も言えなくなる。

「行くのかい?」

「はい…」

「きっと、日の本の未来を取り戻しておくれ」

 慶喜公に優しく言われ、 目が潤みそうになるのを理性で抑える。

「必ず」

 何度目の別れだろう…蛍は目をきつく結び、幸せな慶喜公のお姿を記憶の一番新しい場所に残した。

 BASEに戻り、歴史を扱った書物に目を通す。

「…」

 何か不自然だ。

「何?」

 光に聞かれたが、上手く説明できない。

 どこかで、何かを読んだ。ルネサンス時代の異国の人にジパングのことを聞かれた日本人の女子高生が応えた言葉。なんか変な設定だ。何で読んだんだろう…

 そんな妙な設定…コミックか?BASEにコミックなど保管されていない。

 あれ…と思い当たり、蛍は居住スペースに移動する。

「何や?珍しいな。部屋に戻るんか?」

 スタッフには一人一室の部屋が与えられている。もっとも、仕事も寝るのも自分の艦で済ますスタッフが多いので、単なる荷物置き場に成り果てている場合が多いが。蛍もその代表的な一人だ。

 子供の頃に使っていた部屋だ。父が歴史家として過去に同行している間、ここに住んでいた。かなり長い間。カプセルベッドの横に、組み込まれた音楽や映像や電子書籍。ここにも鉱石が組み込まれ、歴史の変動の影響を受けない。

「これだ…」

 子供の頃読んだ。タイムトラベルが絵空事だった時代の空想物語。高校生の二人が未来や過去にランダムに飛ばされる。そこで出会ったローマ人に言われる。ジパングと言うと…

「黄金の国…」

 黄金の国ジパング…と言う言葉にはっきりと聞き覚えはない。頭に闇が広がる。だが、嘗てこの文章を読んだ時に、違和感を感じた記憶もない。それは明確に。当時私は違和感無くこの文章を読んだ。なのに、今は知らない言葉だ。

 女子高生が答える

「そう、佐渡や石見で金銀がザクザク…」

 頭の中で、何か嫌な金属音が響いた気がした。胸がどくんと脈打つ。

「佐渡…」

 どこだ?この文章も、嘗ては違和感無く読んだ筈だ。でも、知らない。何処だ?急いで艦に駆け戻り、扉をロックしてパソコンにその文字を入力する。

 妙な形の島が映し出された。

「島…」

 それを見つめ、言葉を失う。島だ…記憶の闇の中にある島。どうして…胸がざわざわする。記憶が抜け落ちている。

「私の健康チェックのデータを出して」

 そう告げる声が震えた。

 何かの病気?それとも過去に頭部を損傷する怪我でもあった?そうでなければ、意図的に消された…?モニターに、映し出された自分の健康チェックのデータに目を走らせる蛍の動きが止まった。

「この先は?」

「この先はありません」

 蛍の問いにコンピュータが答えた。

 これを見ると、蛍は6歳のある日突然このBASEに現れた事になる。そしてその後ずっとここに居る。そんな事ってある?蛍には、外の世界の記憶がある。家族で過ごした家。学校。友達。学校帰りの寄り道や、誕生会や、友達と行ったテーマパークの思い出…

 急にそれらの記憶が寒々しく揺らいだ。これは私の感情だろうか?私はこんなにはしゃいだのだろうか…?違和感が湧いてきた。

「最初に受けて居る記憶更新の内容は?」

 歴史家たちは、脳内の歴史を個人的感情で歪めたり、忘れたりしないように、定期的に記憶を上書きされる。暗記するより楽だが、蛍はそれを6歳で受けて居る事になる。

 現れた文字列を文章に直して行く。

「これは…何…?」

 そこに現れた文章は、6歳より前のささやかな日常だった。薄っすらと蛍の脳内に残って居る記憶。

「何…?」

 急いで次の更新に移る。

「小学校入学…」

 真新しいランドセルを背負って、桜の下を母親に手を引かれて行く幼い蛍。そしてその後の生活の細かいディテールが文章として現れた。

 まるで日記のように記された毎日の記憶が上書きされて居る。

「上書きされる前の記憶は?」

 動画が現れた。

 BASEの中で遊ぶ幼い少女。その毎日。その少女は、蛍だ。

「私は…BASEから出た事がない…?」

 正確には、BASEの居住スペースだが、導き出された結論はそれしかなかった。

「待って…それじゃあ…」

 一番最初の記憶更新。その時に消された元の記憶。一瞬躊躇し、それから続行した。

 幼い、曖昧な記憶。

 何処かの海辺だ。誰かに手を引かれて歩く。眩しい光の中、少女が必死で見上げて居るのは、

「お母さん…?」

 着物を着て、髪を結い上げた女性が気持ちをかき乱した。記憶にない、忘れる筈のない母親の姿。

「行きなさい」

 手を離し、そう言い背中を押す。闇の中の母の記憶。

「さぁ、行こうか」

 そう言って手を差し出したのは、懐かしい父親だ。

 父が迎えに来て、BASEに連れて来た。それまで自分は何処にいた?それを考え、蛍の背筋に悪寒が走る。

 思わず目を逸らした。全身の血が泡立ち、冷静さを消し去る。自分の心臓の鼓動がうるさくて、何も考えられない。考えたくない。だけど…

 蛍は自分の物ではないように思い通りに動かない指を何とか動かし、父の名前を入力した。父のパスワードは記憶している。×××0919…この数字は何を意味するのだろう。

 父の管理データは抵抗せずに現れた。

 何を見るべきか…しばし考え、自分が6歳だった頃を調べる。

 父は、佐渡に飛んでいる。やはりあの海辺は佐渡なのだ。その6年ちょっと前にも。

 蛍は、すぅっと気持ちの動揺が冷めて行くのが分かった。ここだ。歴史の書き換え箇所があるとしたら、間違い無くここなのだ。そして、それが出来るのは、そうだ。歴史家なのだ。理由はともあれ、父親が歴史を改ざんした。そうとしか思えない。

 そこより先の父親の記憶を再生する。

 蛍が自分の記憶として大事にしていた、緑の芝生のある都会的な家が映っていた。その庭で父とキャッチボールをした。だけど、そこに写っていたのは、父親とキャッチボールしているのは、蛍では無かった。そこにいるのは、見覚えのない少年。だけど、そんな2人の周りをチョロチョロしているもう1人の更に幼い少年には、見覚えがあった。

「徹…」

 鑑の外のBASEを写したモニターに、真っ直ぐにこちらを見つめる徹の姿が映し出されている。その目は、驚いている目ではない。何もかも知っている目だ。蛍が何を見、何を知ったのか、分かっている目だ。そんな事がある?

 蛍は、手の甲に輝く鉱石を見つめた。安全の為に常にある。帰還後チューブに繋がれるたび、鉱石の効力も復活する。私たちの保険。徹の目を見返しながら、黙ってそれを外した。僅かな痛みを伴い、血が滲んだ。目を離さないまま、行き先を入力して実行キーを押した。徹はそれを黙って見送った。

 時間旅行は一瞬で着く。だけど、蛍は艦をゆっくり動かし、目的の時間の手前で止め、父親の記憶を遡った。

 私は、消えはしない。このまま外に出ても。過去でも未来でも、この歴史の中でなら。そう、光と同じだ…

 冷静に、それを予想し、受け入れている自分に驚きながら。


 タイムトラベルが可能となり、1番危ぶまれた犯罪の1つが起こった。

 過去で、1つの金鉱が盗まれたのだ。1601年(慶長6年)鶴子銀山の山師が佐渡島の相川で見付けた金山が、歴史上から消えた。勿論 BASEがそれを見逃すはずがなく、警告音が響き渡った。

「1601年の日本で、トラブル発生」

「警戒レベルMAXの案件よ。慎重に調査し勧めて。歴史家の同行を依頼します」

「源四郎、同行してください」

 直ぐにその時代に調査隊が送られ、歴史家の源四郎は歴史の指導者として同行した。

 金山で栄えたその島は、その時点では山海の産物に恵まれた、貧しい普通の島だった。大佐渡に横たう大佐渡山脈の先端付近の山中に艦は停止した。

「源四郎は艦に待機して、スタッフにモニターで支持して下さい」

 そう言われ、源四郎は1人艦に残った。

「N3の位置が、最初に山師に発見された金鉱だ」

「了解。現在N2地点を北に移動中」

「洞窟を確認。熱反応なし。侵入します」

 源四郎の指示で三名のスタッフは山中の洞窟に踏み入った。

「待って!何か居る」

 スタッフに緊張が走った。洞窟の岩間に人が倒れて居る。

「熱反応…なし」


 最悪の事態が脳裏に浮かび、それは現実となった。それは事切れた山師の遺体だった。

「外部損傷なし」

「これは…電気類による内部破壊の可能性が高いな」

 2050年代の武器だ。それが意味するのは、タイムトラベラーによる犯行ということだった。

 山師たちの遺体が発見され、天命を受けて居た彼らが金山発見の報を届ける前に消されたことが分かった。

 そして、犯人たちはそこに罠を仕掛けて居た。遺体調査の為にコードを差し込んだ途端、遺体に蓄積されて居た電流が放出された。

 源四郎が見つめるモニターに突然遺体が爆発し、BASEのスタッフたちが吹き飛ぶシーンが映った。

「そんな…」

 驚きと、恐怖と、そして絶望が襲ってきた。源四郎は歴史家だ。艦の操縦は分からない。

 1人過去に取り残された。幸い艦の中は時間が流れない。空腹にもならないし眠くもならない。時間は一瞬でそして無限だった。

 しかし人は睡眠で安らぎ、食欲を満たし癒される。艦の中に居続けることは精神面で不可能だった。

 どのくらいの時間の末にか、そろりと艦から這い出た源四郎は、地上で倒れた。

 そして目を覚ましたのは粗末な家の中だった。

「目が覚めたのね?大丈夫?」

 周囲を見渡し惚ける源四郎に、粗末な着物に身を包んだ若い女が微笑みかけた。

 荒く削った木の器に水を満たして渡してくれた。

「山に倒れて居たのよ。どこから来たの?」

 しかし源四郎はその問いに答えられなかった。

「覚えて居ない…」

 そう答えた。

「頭を打ったのかもしれないわ。ゆっくり休んで」

 そう言って甲斐甲斐しく世話をしてくれたその娘はしのと名乗った。

「ありがとう」

 源四郎はその言葉に甘えしのの世話になり、やがて元気を取り戻すと、しのの男手として田畑の世話に精を出した。

「このままずっと何も思い出さないで…」

 そう言って甘えて来るしのが可愛く思えた。 元の時代に戻れる保証は無い。遠い未来にいる家族の事を忘れた訳ではなかった。けれど、帰れないかもしれないという諦めと恐怖から、源四郎はしのに救いを求めた。

 2人は夫婦になった。

 そして2年ほどが過ぎた頃、山で木の実を集めている源四郎の前に、突然艦が現れた。

「源四郎さんですね」

 そう言われて直ぐに反応が出来ないくらい、過去の生活に馴染んで居た。

「色々な不手際があり、回収が遅れてすみません。どの時点で艦を出たのか通信が途絶えて確認が取れなかったので探しました」

 そう言われた。喜ぶべきだったのだろうが、複雑な思いで聞いて居た。

 そのまま回収されBASEに戻ると、 BASEで働いている次男の徹に突然殴られた。

「徹…?」

「何があったか分かっているのか⁉︎過去で何をしたか。どうなるか考えなかったのか!」

 彼の怒りの訳を知って、源四郎は崩れ落ちた。歴史が変わった。歴史を正しに行った筈が、更に変わってしまった。未来から2人の息子、長男の弥彦と次男の徹の存在が消えて居た。ここに徹が居るのは、BASEの中に居て歴史の変動の影響を免れたからに過ぎなかった。

 直ぐに山師殺害前に飛んで賊から守り、元の歴史に戻さなくてはいけない。その前に、今後何かあった時のために…と源四郎は艦の操縦や連絡手段、データのアクセスの仕方等を習った。

 試運転として、源四郎は1人過去に向かった。

 自分が去ってから少し後の、しのの元に。そして、こっそり覗いたその世界でしのは、幼い娘を背負って女1人で田畑を耕して居た。

 源四郎は歴史家だ。そして今回、過去に関わり未来が変わってしまう事を身を以て体験した。その歴史を正すつもりだった。

 けれど…そうしたら目の前にいるあの赤子はどうなる?

 消えてしまう。あの子を愛おしそうに見つめるしのの腕の中から。母を見上げあどけなく笑う自分の娘が…

 会ってはいけない。分かって居た。だけど、源四郎は止められなかった。

 突然消え、そしてまた突然現れた源四郎をしのは責めなかった。ただただ泣いた。その細い肩を抱きながら、源四郎も泣いた。何が正しいか判断など出来ない。ただ愛おしくて泣いた。

 そして、説明した。自分がどこから来たか。そして今から何が起こるのか。

「しのは、私に出会う前に戻る。私たちの娘は、消えてしまう」

「そんなのは嫌!」

 しのは源四郎に縋って泣いた。

「この子が生きられるとしたら、BASEの中だけだ。しのは二度と会えない。それでも?」

 しのは迷わず頷いた。

「この子が生きていけるなら、私は1人でも耐えられる…」

 源四郎はもう一度しのを抱きしめた。

「直ぐに迎えに来る」

 そう言い残し、一旦2人と別れ艦に戻った。源四郎がBASEに戻った時点で、歴史の修復が行われる。今しかない。

 BASEの歴史データにアクセス出来る人間は限られている。迅速に行わなくてはいけない。もう二度と、しのを1人にしたくなかった。

 その為には、この歴史を正させるわけには行けない。とても身勝手な理由だ。分かって居た。自分は歴史家だ。だけど、人の子の親なのだ。幼い我が子を失いたくは無い。健気なしのをもう悲しませたくは無い…

 ただその想いだけだった。その想いから、BASEの歴史データを改ざんした。何重にもトラップを混ぜ込み歴史を作り上げた。全ての世界上から、佐渡の金山の存在を封印した。BASEが山師殺害の歴史を正さなければ、しのと娘は安泰のはずだ。

 そうして、歴史は改ざんされた。

 それから数年かけて、BASEとしのの家を行き来しながら、金山の金鉱への入り口を封印した。しかし、調査と言う名目とはいえ、自分の行動が疑われるのは時間の問題だった。

 そのくらい深刻に未来は変わってしまって居た。

 苦悩した末、入り口に鍵となる操作盤を取り付けた。鍵は、愛娘蛍自身だ。

 それが終わると、しのにその時が来たと告げた。いつ発覚し消えてしまうか分からない蛍を、安全なBASEに移さないといけない。

 蛍をBASEに連れ帰ると、スタッフ用の居住スペースの一室に住まわせた。BASEの中では歳をとらない。なので生活は鉱石の効力で外で過ごせるギリギリまで部屋で過ごさせた。蛍には、部屋とBASEだけが世界の全てだった。BASEで働いて生きていく他に選択肢はない。自分の知識の全てを与えて歴史家として育て上げた。蛍は立派な歴史家になった。それを見届け、源四郎は姿を消した。

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