第4話 徳川の埋蔵金?
「お帰りなさい」
一息ついて思考を巡らす蛍に、モニターの中の光が声をかけてきた。
「入っても良い?」
まだ青ざめているように見える。蛍が行って帰ってくる間、BASEではほとんど時間は経っていない。光を直視するのは心苦しかったが、蛍は頷くしかなかった。巻き込んだ以上、避けては通れまい。
「気分はどう?」
蛍は、光に向き合った。目を逸らさずに見つめる。徹はどんな風に説明したのだろう。
「今回も、失敗だったの?」
「そうね…」
冷静なように見える。緊張しているようにも。白い肌が青味を帯びて震えているような痛々しさ。
「またすぐ行くの?」
「そのつもり」
蛍の答えに光は頷き、前回自分に与えられた席に着く。それを目で追いながら言葉を探した。
「納得したの?」
自分の席の少し後方を振り返るような形で、光を見つめて問うと、光はもう一度頷いた。
どんな風に…?と更に聞きたがったけど、光が醸し出す緊張感に圧倒されそれ以上言葉を掛けられなかった。
進路を慶応四年(1868年)の2月12日の上野寛永寺の大慈院に向ける。慶喜公が江戸城を田安家の徳川慶頼に預け蟄居恭順に入った日。
「われらはたとえ幕府にはそむくとも、朝廷に向いて弓引くことあるべからず。これは義公(徳川光圀卿)以来の家訓なり」
と後に語った、恭順の理由。月代も剃らず、髭も薄く伸ばし、粗末な木綿の羽織袴で過ごした処分が下るまでの不安な日々。蛍は出来ることなら訪ねたくなかった。痛々しい慶喜公を見たくはなかった。無分別に過去を変えようとした歴史上の英雄に恋する少女たちのように、慶喜公を救いたくなってしまう自分が怖かったから。妾に錦の御旗のレプリカを作らせた大久保利通も、14代将軍徳川家茂公に婚約者和宮さまを奪われた形の有栖川宮様をも恨んでしまいそうだった。けれども、この時に明確に歴史が変わっていることが分かる。
慶喜公の使いの旗本山岡鉄太郎が、江戸城総攻撃の為駿府まで来ていた西軍の西郷と会い、恭順の意思を再度伝え降伏条件を持ち帰る。
そこに記された慶喜公の備前藩預かりを撤回するために尽力するのが勝海舟。同意した西郷に賛同し岩倉具視、大久保利通らの圧力に抵抗し水戸藩預りへと説得したのが、先に慶喜公を道ずれにした桂小五郎が改名した木戸孝允なのが皮肉だ。それが蛍が記憶していて、BASEのコンピューターに残されている過去。
だが、光の時代では違う。備前藩預かりは撤回されなかった。慶喜公は備前藩の命で切腹している。
「前回より緊迫した時代なので、気を引き締めて」
蛍は光に忠告した。慶喜公は不安の中にいる。以前より警戒心も強いだろう。何としても備前藩預かりにはさせられない。それは誤った歴史だ。
既に勝海舟担当の白丸にも、桂小五郎担当の萬にも、ミッション同行の了承を得ている。
ひっそりとした寺院の外壁の内側に艦は停止した。暗がりに人の熱反応はない。
慶喜公は板の間に座り瞑想していた。その背中が小さく感じられ、蛍は胸が締め付けられた。…が、勿論それは顔に出さない。
「誰かいるのかい?」
闇の中に静かな声が響く。
「見ていただきたいものがあります」
光がその愛嬌のある表情で声をかけると、慶喜公は目を開け振り返った。
光の横で、蛍は深く深く頭を下げていた。
「娘二人でこんな刻限に来たのかい?」
やつれてはいたが、以前と変わらぬ細やかな気遣いをする。
「コレを見ていただきたくて」
蛍はモニターの動画を彼に見えるように差し出した。
自由で元気な頃の慶喜公が陽気に喋っている。彼はいつもようにはしゃぎはせず、静かに見入っていた。
見終えた慶喜公は顔を上げ二人を交互に見つめると。
「面妖だね…」
そう呟いた。
「おまえが蛍だね?」
そう蛍を見つめて言った。
「はい…」
蛍は頭を垂れたまま答えた。この時が一番緊張するのだ。この人に受け入れられなければ全てが始まらない。それはそうなのだが、それとは別の意味合いで、受け入れなかった時に自分が受けるであろう衝撃が予想出来た。怖かった。この人に否定されるのが。
自覚している。現代では感じたことのないその思い。自分が慶喜公に感じているのが、恋心だと。
「おまえがここに来たということは、まだ日の本の未来は暗いのかい?」
「はい…」
静かな口調に静かに応える。
(この人を救いたい)
「今の私には、何かを変える力など無いよ?」
「変わらないと、未来が変わらないのです」
詳しくは話せないけれど。
(この人を救いたい)
(この人を救いたい)
顔には出さないけれど、心が叫んでいる。血の涙を流しながら。
すっと手が伸び、頭を垂れたままの蛍の頬を上に向けせる。
「日の本の為に苦労をかける。すまないね」
優しく微笑まれ、
「仕事ですから…」
精一杯強がった。
「薩摩も長州も勝手に外国船に攻撃をして、その賠償が幕府に求められる。幕府は常に困窮し、尊皇派の賄賂に対抗する手立てもなかった。本当にもう、何も残らない位に」
慶喜公が伏せ目がちに話してくれる。力になろうとしてくれているのだ。
「埋蔵金は?」
それまで一歩下がり大人しくしていた光が、唐突に口を開いた。
「徳川の埋蔵金があるのでは無いのですか?」
勇気を振り絞った…という感じで光は両足を踏ん張って立っている。
「それは常に語られてきているけれど、実際には確認されていないのよ」
「あなたの世界では、でしょ?私の世界には有るはずなんです!」
そう言われ、蛍は考えた。その可能性を。
「そんな物があるのなら、私が欲しいくらいだねぇ」
慶喜公にそう言われ、確かに…と思う。
「在るべき財が無いが故の衰退…?」
「徳川宗家は、常に裏の争いが有る。埋蔵金があったとしても代々に引き継ぎはし無いであろう。我の子々孫々に代々宗家を継がせる算段が出来たのは吉宗公くらいではあるまいか?」
慶喜公の意見はもっともだ。権力争いが激しく、誰もが自分の家から将軍を出したくて足を引っ張りあった。いつの時代、どこの国でも同じだ。
「そうでなければ、大御所様、神君か…」
蛍にもそれが一番受け入れやすい仮説だと思う。織田、豊臣の最期を思えば、徳川家康が子々孫々のために何かを残してもおかしくは無い。ただ、であればもっと早々にその出番が来ているはずだ。正しく伝達され利用されていれば、今こんなに困窮してはいないはずだ。
「地中の洞窟にあるはずなんです」
光の必死さが蛍には不思議に思えた。この子がこんなに強く何かを主張したのは初めてだ。
「根拠は?」
「見た人がいるの。日の本の反乱軍の人が、不思議な絡繰が付いていて開かない扉を洞窟の中で」
「絡繰?」
「日の本の上で戦争が起こり、皆が各地で洞窟や地下に逃げ込んだ時、人工的に作られた洞窟があって、その奥深くに。BASEにあるような操作盤。そんなものを作れたのは江戸時代、徳川家しかないでしょ」
「どうであろう…?」
慶喜公は首を捻った。
「待って。絡繰…?江戸時代に?もっと詳しい場所は?」
蛍は考えを巡らせている。果たしてそんな歴史があっただろうか…?
「どこかの海の近くよ」
「海…」
日本は島国だ。何処にでも海はある。でもどこかの洞窟に、機械で封印された扉がある…?
考えた末、蛍は顔を上げた。
「BASEに戻らないといけません」
蛍は慶喜公をまっすぐ見つめた。
「思い当たることがあるのかい?」
「いいえ。ですが調べなくてはいけません」
もっとお側にいたいけれど…
「勝海舟と桂小五郎に、私の仲間が付いています。何としても水戸謹慎に変わるように尽力します」
心の声を隠し、話をする蛍に、慶喜公は優しく頷いた。
「探しておくれ。日の本の未来のために」
微笑んで見送ってくれる。蛍には、それがなんだかひどく辛かった。
「今回はどないしてん?」
BASEに戻るなり扉を開けて出てきた蛍に徹は驚いた。
「光の世界の日の本の生き残りが逃げ込んだ場所を特定して」
蛍はそれだけ言うと、自分もモニターに向かって捜査を始めた。
徳川幕府の衰退。尊王攘夷派の必要以上の追撃一掃が、本来の歴史以上に積もった不満の表れだとしたら、確かに、その理由は財政不振かもしれない。
そして、光の時代に有ってはいけない未来の文明の断片があったのだとしたら、そこに日の本が滅ぶきっかけとなった歴史への介入があったと考えるのが筋だ。
本来、徳川幕府を支えた財政は何がある?
そして光の世界まで封印されている物は何?
父から叩き込まれた記憶を手繰る。ダメだ、頭に闇が広がるように何も見えてこない。どうして?そこだけ教えられていないなんて事がある?
蛍は、BASEに残された正しい歴史に目を走らせながら、自分の記憶を探った。
「どうして…」
何も引っかからない。その事がむしろ異常に思えた。
勿論、元々江戸時代は財政難だったはずだ。蔵入地からの年貢が主な財源だ。そして石見銀山…
「蛍」
いつの間にか背後に光が立っていた。
「確か、海を越えて連れて来られた…と言っていたと思うの。陸路が無いから」
蛍はすぐに
「島に条件を絞って」
と徹に情報を流した。
「調査しに、次のトラベルには行かないの?」
蛍を真剣な顔で見つめながら光が訴える。
「現場に飛ぶのが仕事でしょ?」
そんな光を蛍は見つめ返した。
「埋蔵金にこだわるのね」
不安げな目で訴える光。それは凄く不自然に思えた。
「歴史を元に戻すのでしょ。埋蔵金を探してよ。それが仕事でしょ」
「絡繰が使われていると言ったでしょ?あなたが考えているような単純な埋蔵金ではないかもしれないのよ」
光の熱さを蛍は去なそうとした。でも
「それでも、必要なの。私たちには。あなたにはどうでも良い人たちだろうけど、私には守るべき人たちなの。彼らは確かに居て、私は彼らの一員で。本来の歴史に戻るその直前までは、彼らを守ることを諦めない」
蛍に言葉は無かった。光の思いは当然なのだろう。
「正しい歴史に戻って、私が消えるその時まで」
光の目に宿る悲しみか、憎しみか…それは自分に向けられているのか、もっと大きな何かに向けられているのか、分からない。受け止めることも、去なすことも蛍には出来ない大きな思い。これ以上彼女を連れて行くのは危険かもしれない。
だけど、行かない理由は無い。BASEでの調査は徹に任せればいい。
自分の中に残っていない記憶のことも気になる。どこから抜けているのか、現地に行って確かめたい。
「徹、行くわ。調査は進めておいて」
蛍は行き先を設定した。慶応の改革。慶応2年(1866年)以後に慶喜公が行なった改革。江戸幕府最後の幕政改革だ。
フランス公使・レオン・ロッシュを通じてフランスから240万ドルの援助を受け、横須賀製鉄所や造・修船所を設立し、ジュール・ブリュネを始めとする軍事顧問団を招いて行った軍制改革。老中の月番制廃止、陸軍総裁・海軍総裁・会計総裁・国内事務総裁・外国事務総裁の設置。
そして実弟昭武公をパリ万国博覧会に派遣し、幕臣子弟の欧州留学も奨励した。兵庫開港問題も、朝廷を執拗に説いて勅許を得て、勅許を得ずに兵庫開港を声明した慶喜を糾弾するはずだった薩摩・越前・土佐・宇和島の四侯会議を解散に追い込んだ。
慶喜公が生気にあふれている頃。
先の立て続けの失敗と、前回の窮地の慶喜公を思うと蛍の胸は痛んだが、今回会う慶喜公は束の間でも幸せに中にいる。大変ではあるが、活力を持って事に当たっている。少しだけ救われる思いだった。
「行くわ」
徹にそう言い残し、艦を始動した。歴史の闇の解明と、慶喜公に会いたい想いと、そしてもう1つ。自分の記憶への消せない不信感を抱えて。
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