第3話 歴史は変わらない

 元治元年7月19日。1864年8月20日。京都で長州藩らによる武力衝突事件、禁門の変が起きた。後に蛤御門の変。元治の変。元治甲子の変。色々な名前で呼ばれる。

 徳川将軍15代の中で、初代徳川家康公以外で戦場で戦った事があるのは徳川慶喜公のみである。

 水戸嫌いの大奥や、烈公と言われた父、徳川斉昭公の迫害等々で、将軍になる事を熱望されながらなれずに翻弄されて来たお方。

 最後の最後。お飾りに祭り上げられてきた代々の将軍たちの尻拭いをするために将軍にならざる得なかったお方。

 彼は京都が燃える中、蛤御門を守った。

 蛍が記憶している。

 コンピューターでもそう記録されている。

 今回は、その加減を変えるミッションだ。


 町娘姿に着替えた蛍と光は、危険では無いと思われる距離で慶喜公の活躍を見守っていた。

 光は似合いますか?と言って物珍しそうに着物の袖を引っ張ったり、鏡の中の自分の髪を興味深く眺めている。

「似合っていると思うわ」

 と冷静に答えながら、華奢な女の子が着ると可愛いものだな…と光を眺めていた。光の動きはいちいち可愛い。思わずため息が出る。恐らく、慶喜公の隣に並んでも様になるだろう。そう言う作戦も使えるかもしれない。自分では、とても男女の仲には見えないだろう。そんな事を考えてしまい慌てて頭から追い出す。

 戦いに勝つまでは、記録されている歴史だ。そこから先の長州藩完全制圧する事が必要だ。

 慶喜公は、馬を駆った。長州の残党を更に更にと追い詰めていく。


「京の町に出ていたのか」

 京内の残党を一掃し、陣を立て直した慶喜公は2人に気がつきやって来た。屋敷内の時よりも精悍な顔つきをしている。

「お見事でした」

「まだだ。このまま桂と高杉を討ち長州を一掃する。2人は危険の及ばない場所で待つが良い」

 そう言い残し、陣の指揮に戻る。まさか戦に着いて歩くわけにはいかない。この時代の女はそんなことはしない。二人は艦に戻り見守るしかない。

「危険だったら助けるの?」

 光はハラハラしながら、時々手で目を覆いながらモニターを見ている。

「手出しはしない。間違った方向に進んだら今回のミッション発動前に戻って、ミッション実施不可にすればいい」

 蛍は冷静にモニターを眺めている。…ように見える。だが、生まれた時から戦場の下で生きてきた光より、むしろ戦場に慣れてはいない。そんな平和な時代に生まれついている。

 見るのは忍びない。でも、どこかの分岐点を見極め、更なるミッションに組み込む必要が無いか見守るのも仕事の一つだ。

 蛍は歴史家だ。BASEの中にいて、過去の変動の影響を受けていない数少ない歴史家だ。改ざんされた可能性のある、コンピューターに保存された歴史と記憶を照らし合わせ、改ざん箇所を探るのも重要な任務だった。

 見捨てないといけない。冷静に。分かっている。今までもそうしてきた。これからもそうだ。

 そう思いながら、光を見つめる。見捨てなくてはいけない命。それは、過去の誰かだけではない…


 禁門の変は、長州に集まっている脱藩者や京から追われた者たちと共に、長州の七卿と藩主親子の無実を勝ち取るために起きた戦だった。そしてその前に、反対派の高杉晋作は京に潜む桂小五郎と合流している。

 陣を立て直した慶喜公は、彼らを討つ。

 長州征伐には徳川慶勝公が総大将として赴く。


 両手を強く握りしめ、蛍はモニターを見つめる。

 慶喜公は得意の口先で翻弄してくる高杉を討った。そして、桂を追い詰める。

「あなたとは、同じ日本の未来を目指せると思ったが…」

「形が違えど、日本の未来の為なのです」

 剣を交え、離れた後、一瞬早く慶喜公の刀が桂の身を捉えた。けれども、桂は笑みを浮かべ

「お互い、見届けられない未来の為に…」

 そう末期の言葉を残し、その剣を慶喜公に突き立てた。

 ひっ…と光が声を漏らし、蛍は目を固く閉じ、

「失敗だ」

 そう呟いた。間髪入れずに艦を操作しBASEに帰還する。出発直後の時間。

 見るまでもなく分かっている。左手の甲の石は、金色に点滅している。

「健康チェックをするわ」

 蛍は光の身体に菅を繋いで行く。動悸がひどい。安定剤が注入されるだろう。そうしながら、今のミッションに、実行不可を入力する。実行キーを押せば良い。これによって、数分前の自分達の出発は取り止められる。ひとまず、慶喜公と桂、高杉の最期は取り消される。分かっていても、気分の良い物ではない。

 長州は、禁門の変後、長州征伐に合わせて英仏米蘭四国連合艦隊の砲撃を受ける。そこは変わらない。長州は、その講和の代表に、それまで蔑んできた高杉晋作を、伊藤俊輔、井上聞多を従わせ送り込む。そして彼の奇異なる熱弁で難を逃れる。それがコンピューターが記録し蛍が記憶していた歴史だ。

 高杉を失った長州は、先方の申し出の数々を断り切れなかった。特に彦島の租借地化が日本を弱体させた。

 モニターを繋ぐ。

 外の有り様は相変わらず惨憺たる物だった。

「今回はあかんかったね」

 徹の声。

「最悪の結果よ」

 蛍の返事も暗い。

「自分もチェックせんといけんよ?」

 それを読み取ってか、徹に言われる。

 言われるまでもない。蛍も自分に菅を繋いで横たわる。

「居ない…」

 チェックを受けながらモニターを眺めていた光が声を上げた。

 モニターにはいつものように外の様子…光が居た洞窟を含めた数箇所が映し出されている。そこに人は居なかった。誰一人。

「あの子達は⁉︎」

 執着は無かったはずなのに、光はショックを受けていた。

「興奮しているな。あかん。開けるで」

 そう言うと同時に艦の扉が開き、救護班が光を支え安定剤を注入した。

 そんな光を横目で見ながら、蛍は身を起こして実行キーを押す。瞬間画面が歪み、次に映し出された洞窟には、以前のように人々が映し出されていた。

「音々…」

 安心したようにモニターに手を差し伸べ、光は倒れこんだ。

「最初やからね。無理させんと、少し寝かせたら良いやん」

 徹の言葉を聞きながら、これで、慶喜公の最期が取り消された事にほっとしていた。徹は蛍の側に立ち、差し出そうとした手を、躊躇した後引っ込めた。

「六人の賢人会議に向かうわ」

 それが蛍の答えだった。留まるつもりはない。

「松平容保公担当の雲雀と組む」

 会津藩主松平容保。壬生浪士組の預かり主。最後まで旧幕府の為に戦った、もう一人の幕末のヒーロー。もちろん彼に関わるミッションも数多く行われている。

 白虎隊が自害しなかったら…そもそも慶喜公と共に恭順していたら…山南敬助を離隊切腹させなければ…そうじゃない。

 井伊直弼が安政の大獄を行わなず、吉田松陰を生かしておいても、程なくして彼は病死した。彼は歴史の舞台から早々に姿を消す運命だった。

 何も変わらない。あの江戸幕府の終わらせ方。あれを変えるキーはそう言うところではない。

 慶喜公が死ぬのを何度も目にした。その度にそれを無かったことにしてきたけれど、心に蓄積されていく。消しても消しても悪夢のように思い出す。これを終わらせたい。

 そして自分の知っている、父から学んだ歴史の記憶が揺らぐのが、薄れるのが怖い。何が本当か分からなくなっていくようで、怖い。

「あまり思い入れ過ぎたらあかんよ」

 まだそばに立っていた徹が優しい声で言う。

「いつかは、その命も消えんねん」

 その命…それは慶喜公の事?それとも正しい歴史を見つけたら消えてしまう今ある命の事…?光を見つめる。今回は彼女は置いて行こう。次のミッションに行く前に、きっと話し合う必要がある。

 蛍はミッションを選ぶと、雲雀に同行依頼サインを出す。すぐに了解サインが出た。

「行くわ。必要なら光に説明を済ませておいて」

「しゃーないな」

 徹は不本意そうだが渋々引き受け、救護班に運ばれる光と共に艦から出て行った。


 六人の賢人会議は元治元年若洲屋敷で行われた、松平春嶽、伊達宗城、山内容堂、島津久光、松平容保、そして一橋慶喜公の六人による後見邸会議の事である。ヨーロッパの共和政治に習った国策方針を打ち出した会議で、これがうまく行けば戊辰戦争は回避出来たのではないかと言われている。そう。後に慶喜公の大政奉還が事もなく終わると思われた。

「表立ってはいけません。あくまでも14代将軍徳川家茂公のご意向として、老中や大奥からの妨害を回避して推し進めるのです」

「私はあの連中には嫌われているからね」

 蛍の言葉を聞いて、慶喜公は苦笑した。

「後の無用な争いを避ける為ですから、私も尽力しましょう」

 松平容保公も理解を示してくれた。

 この会議が破綻したのはひとえに老中たちの圧力だった。これでは上手く動かせない…と慶喜公の方針が曲げられ行くことによって生まれた溝によって崩壊したとコンピューターに記録されている。

 どんなお考えが、胸の内があったのかは、本人にしか分からない。その圧力こそが、歪められた歴史である可能性を蛍は考えたのだ。これが上手く行けば、薩長同盟は起こらない。

 しかしこれも上手くは行かなかった。途中から薩摩島津久光が方針を曲げ暴走し始める。

 蛍は苦悩し続ける慶喜公を見続けるのが辛かった。

「引き時ね」

 二人の意見が一致し、艦はBASEに帰還し、不可が決定した。

 いつもと同じように、出発直後の時間に戻り、結局大きくは変わっていない未来をため息をつく。

 そしていつもと同じように菅を身体に繋ぎ、束の間の休憩を取るのだった。

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