第2話 15代将軍 徳川慶喜公というお方
タイムトラベルは、一瞬で終わる。
体の中を壁のような何かが突き抜けていく感じ。蛍はいつも目を閉じてやり過ごす。慣れたけど、気分の良いものではない。
そして目を開けたら着いている。移動先は近くに熱反応や空気の乱れがない場所が自動的に選ばれる。勿論目撃されるのを避け、着いた早々のトラブルを回避するためだ。
今回は慶喜公の寝所の2間離れた無人の部屋だ。艦は時空の狭間に待機させ、目を丸くしたままの光を従えて降り立つ。
2間の距離とはいえ、将軍になろうというお方の寝所だ。たどり着くまで無人ということはない。
けれどこちらには文明の利器がある。
一瞬、ほんの数秒意識を混沌とさせる道具がある。数秒後には混沌としていたことすら気が付かずに正常に戻る。
過去で捜査復旧活動をするための必須アイテムだ。
寝所の前に控えている小姓の前に小さな虫を思わせるカプセルを放り、気体を噴出したのを見計らってその横をすり抜ける。
こういう道具を披露する時の徹は子供のようにワクワクしている。今回光を連れて来たのも同じような感覚だろう。早速役に立って貰おう。
何度も通って来ている慶喜公の寝所。勿論彼の記憶には残っていない。
静かに目を閉じている彼は今は禁裏御守衛総督の要職に就いている。
彼の足元に跪き、そっと声をかける。
「慶喜公…」
彼は、寝起きが良い。静かに目を開けて、目を見張る。光は見つめられて困ったように見つめ返している。
「君は?」
彼は身を起こし居住まいを整えながら聞いてきた。警戒は解けたようだ。
「ちょっとだけ、私たちの話を聞いていただきたくて」
「私たち?」
会話がそこまで済むのを待って、暗がりから蛍が現れる。直ぐにこうべを垂れて慶喜公に無礼を詫びる。
「これから面妖な話をいたします。簡単には信じていただけないと存じますので、まず、これを見ていただきます」
徹が考えた動画作戦だ。
面食らっている慶喜公の前にモニターをかざす。
そこに映し出されるのは、慶喜公本人だ。
「写っておるか?やぁ。見ておるか?私は間違えなくおぬしだ。鏡を見てくるか?禁裏御守衛総督徳川慶喜だ。信じられないだろうが、まぁ、話を聞きなさい」
慶喜公と言う人は、好奇心旺盛な人だ。見た事もない道具を楽しそうに試してみる。
日本で初めて自転車に乗った人と言われているし、多趣味で、写真を撮るのも趣味の一つだった。この動画を撮るときも最初は写真の進化したものだと説明した。今、その話をモニターの中で自分で自分に説明してくれている。ツボが同じなのだから、本人の説明を興味津々で聞いている。実際、この方法を取り入れてからかなり手間が省けている。このお方に合った方法だったのだろう。
「本当に、面妖だね…私は以前にも君に会っているのだね?」
彼は柔軟に受け入れた。
「正確には会った事実はその都度無くなるのですが、はい。私は何度もあなた様にお会いしております」
蛍はもう一度こうべを垂れた。
「あぁ、良いよ。蛍とやら。私と君は何度も親しい間柄になっているのだろう?堅苦しいことは省いて、共に問題に取り組もう」
この方は…と思わず蛍の口元に笑みが浮かぶ。
「蛍のいた未来は争いのない平和なものだったのだね…けれど、今現代、光のいる未来では日の本は滅んでいる…」
言いながら、慶喜公は悲しい顔をした。
「して、今宵を選んで現れた理由が有るのであろう?」
流石幼少時代から次期将軍を期待された頭の切れ方を見せる。
「ご存知でしょう?尊皇攘夷派の動きを。間もなく後に禁門の変、蛤御門の変と呼ばれる戦が、京都で起きます」
「蛤御門?御所でか?」
「はい。あなた様が蛤御門を守備し長州藩を京都から追い出すことに一旦は成功します」
「含みがあるのう?」
「未来の事を多く語る事ははばかられます。しかし、彼らは力をつけて戻って来ます。今回していただくのは、長州藩の徹底排除です」
「桂か?」
「桂小五郎、高杉晋作を含めてでございます」
未来でも人気のあるこの2人。高杉晋作は病に倒れるとはいえ、長州藩を勢いつけた男だ。桂小五郎に至っては明治政府に欠かせない後の木戸孝允。私恨はない。惜しいと思う。けれど、それ故に試すことを避けては通れない。ここでダメなら、豊臣秀吉に仕えた毛利家が徳川家に受けた不遇を取り除く所まで遡る事も視野に入れている。徳川家康公は蛍の担当ではないが。
更に、井伊直弼の暗殺は無かったことにする事も計画されている。大老の担当も別にいて、かなりの重要度で色々試されている。
狂った歴史を正す作業はまさに暗中模索だ。
「うむ…やってみよう。日の本の未来のために」
慶喜公はそう言うと涼やかな目を細めて笑った。
彼の許可を得、艦のある異空間を彼の部屋に繋げると、2人はそこで待機する。
「呼びたてしたい時にはどのようにしたら良い?」
「蛍と。呼んでいただければ、分かるようになっております。くれぐれも他言なさいませんように。別の場所から未来が変わってしまうやもしれませんので」
「心得た」
微笑んで見送る彼の穏やかな笑顔を守りたいと蛍は願った。
「蛍?」
暫くして蛍の待機していたコンピューターが反応した。慶喜公がキーワードとなる蛍の名を呼んだのだ。
外に第三者の熱反応が無いことが確認され、空間が開く。
「お呼びですか?」
蛍の姿を認めると
「眠っていたのでは無いか?」
慶喜公は気遣った。
「中では時間が流れませんので、睡眠も必要無いので大丈夫です」
蛍の答えに興味深そうに聞き入る。この人はいつもそうだ…と蛍は思った。
「眠れませんか…?」
蛍も気遣う。先ほど眠りを邪魔してもいる。
「こんな面妖なことが起きたからね。何であろう…色々知りたいと思ってしまうね。堪えようとしているのだけれど」
子供のようだ。
「お前のいた未来で、私はどういう風に思われているのだろうね?私は日の本のために役に立つのかね?」
答えが得られるか…?心配そうな顔でこちらを伺う。困った人だ。
「私が公に会いに来るのは、今回で12回目でございます」
「そんなに?」
「それだけ、日の本の未来に関わる方だとだけ申し上げておきます」
精一杯の答えだ。言いたい事は山ほどある。蛍の大好きな歴史上の人物だ。けれど言えない。惹かれてもいけない。
未来でも、幕末は人気がある。新撰組、坂本龍馬、高杉晋作…色々な物語が創作され、史実とはかけ離れたりもしているが、実際、長く平和が続いた時代。江戸時代でも未来でも、命がけで大義のために戦った男たちの物語は人々を魅了するものだ。
蛍は歴史家だ。歴史家の父に幼少期から仕込まれた筋金入りだ。
だから、BASEから協力要請が来た。浮ついた気持ちで歴史上の人物に憧れたりはしない。
長く続いた江戸時代を穏便に終わらすことに人生を捧げた、彼の生き様に惹かれるのだ。この先の不遇や長い苦悩を避けられるなら避けさせたい。勿論それは叶わない。だから。何としても歪んだ歴史のせいで彼が辿る更なる不遇を取り除きたい。正したい。
12回…会うたびに惹かれ、彼の記憶から消える。自分の記憶の中にだけ共有した時間が思い出として蓄積されていく。
「今はしっかりお休みください」
蛍はそっと公の手に触れて慰める。無礼では無かっただろうか…?という不安は杞憂に終わる。公は高貴な笑みを浮かべ
「そうしよう」
そう言っただけだった。
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