第5話 (5)お前は、冷凍マグロか
「馬鹿もん。何が古い歌じゃ、失礼を言うにもほどが有る。
わしらの青春時代を代表する、チークダンスの定番曲。それが芸者ワルツじゃ。
いろんな女の子と頬と頬を寄せて、踊ったもんじゃ。
思い出すのう。柳川町の千佳ちゃん。祇園町の小染ちゃん。芸者の小巻ちゃん。
どれも絶世の別嬪じゃった!
踊りが上手な子は、夜の床の方も上手だった。
いま思い出しても、ワシの全身が熱くなるのう・・・いっひっひ」
最長老の右手が、ちひろのくびれた腰へ回る。
びくっと身体を固くするちひろを、最長老の目がやんわりと叱る。
(これこれ。なにを緊張しておる。
最初はだれでも、怖くて力が入るものじゃが、それもすぐに慣れる。
そのうち気分が良くなり、自分から動かずにいられなくなる。
お前さんはただワシに任せて、身体を預けるがよい。
決して悪いようにはせん。ワシを信じてあとからゆっくりと着いて来い)
せまいホールの真ん中へ、ちひろが引っ張り出されていく。
(密着される最初の相手が最高齢の82歳とは、私の男運も、最悪だなぁ・・・)
ちひろの絶望とは裏腹に82歳の最年長が、満面の笑みでちひろを抱き寄せる。
いつでもいいぞ、準備は整ったと最長老が女将を急かす。
「はい」と答えて、女将が芸者ワルツの曲をかける。
芸者ワルツは現役の芸者・神楽坂はん子が歌い、大ヒットした昭和の歌だ。
♪~あなたのリードで嶋田もゆれる。チークダンスの悩ましさ~・・・
という艶っぽい歌詞ではじまる。
男女が密着して踊るチームダンスを、お座敷の畳の上に持ち込んだことで、
芸としきたりを大事にする花柳界を震撼させた1曲だ。
軽快なテンポに乗り、最長老の身体が動き出す。
だがちひろは普通のダンスはおろか、チークダンスなるものを、まったく知らない。
身体を固くしたまま、最長老のリードに足を踏み出すことができない。
ただ呆然と、ホールの真ん中で枯れ木のように立ち尽くす。
(なんじゃお前さんという女は。まったくもって手ごたえが無さ過ぎるのう。
これではまるで、マグロを抱いているようじゃ!)
(マグロ?。マグロって・・・もしかしたら、
あの大海原を泳ぎ回っている、大きなマグロのことですか?)
(そのマグロじゃ。他にどんなマグロがこの世に居る。
セックスの時に無反応なおなごは、魚市場に横たわっている冷凍マグロと同んなじじゃ。
冷たいし、死んでおるから、自分から動こうとせん。
ははぁ・・・さてはお前さん。いまだに、男というものを知らんのか!)
(お、おじいちゃん。わたしはまだ高校を出たばかりの18歳です!)
(18歳なら、決して遅くは無かろう。
早いおなごは、16歳で結婚して、早々と子供を産む。
まったくもって救いようの無いおなごじゃのう。お前さんと言う女は。
引導を渡すから怪我をしないうちに、さっさと家へ帰るがよい」
くるりと強引に右手を引かれた瞬間、ちひろが思わず態勢を崩す。
バタバタと動いたちひろの足が、誤って最高齢のジジィの靴を踏んでしまう。
「痛たた。なんちゅうおなごじゃ、人の靴を踏みよって。
無反応なうえに、新品の靴まで踏むとは言語同断。お前さんなどとは踊ってられんわ。
もうええ。とっとと帰ってしまえ。
わしにはもっとええ相手が、ちゃんとここに待機しておる」
ぱっとちひろの手を離した最高齢のジジィが、
「ワシの相手は、今度この子じゃ」と、思いがけないモノを指さす。
(6)へつづく
農協おくりびと 落合順平 @vkd58788
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