九品目:和風麻婆豆腐
藤原晃彦の朝は早い。朝4時にアラームが鳴り、覚醒しきれていない頭でアラームを止める。布団から起き上がり、身支度を整える。歯を磨き、髭を剃り、髪の毛を整える。顔を洗い、意識をはっきりさせ、一階の厨房に移動する。階段の近くの棚に置いてあった車の鍵を取り、裏口から外に出る。
時期は夏で、4時の時間帯だと日が出てくる少し前で既に明るくなっていた。澄んだ空気を吸い込み、裏口の駐車場に置いてある、自家用の軽自動車に乗り込み、エンジンをかける。アクセルを踏み、車を進める。
朝方で車の出入りが少ない道路を走らせる。車を走らせること数分、晃彦は大きな市場に到着した。エンジンを止め、車を降りて市場の中へ向かう。市場の中は卸業者や農家の人で賑わっていた。
「おぉー、やっぱりここは活気が良いな」
「おぉ! 藤原さん」
晃彦の元にガタイの大きい男性が近づいてきた。
「あ、森本さん! おはようございます」
「おう! どうだ、店は?」
「まぁ、ぼちぼちですね」
「はっはっはっ! そうかそうか! 今度、邪魔するぜ」
「えぇ、ぜひ」
男性と軽い会話を交わすと、目的地である農家の元に向かった。
「おはようございます。秋田さん」
「おぉ……藤原君、おはようさん」
農家の秋田さんに挨拶をし、並べられている野菜や山菜を見回す。トマトや人参、じゃが芋とどれも大振りで価格もリーズナブルであった。
「やっぱり秋田さんの野菜は良いですね。お、この玉ねぎも良いなー」
「さすがだね、藤原君。その玉ねぎ、今年一番の出来なんだよ」
「本当ですか? なら、この玉ねぎとキャベツ、大根を一箱ずつ。じゃが芋と茄子は三袋ずつ……あとは……このゼンマイも貰おうかな」
「はいよ」
晃彦はお目当ての物と品質の良い物を選び、お金を渡す。お金を受け取った農家の秋田さんは先程、晃彦が頼んだ物とは別の袋を渡した。
「良かったら、これも持って行って」
「ん?」
晃彦は袋を受け取り、中身を見ると中には鷹の爪が入っていた。
「え? いいんですか?」
「あぁ、趣味で作ったはいいが量が多くてな。貰ってくれ」
「ぜひ、頂きます」
頼んだ品物を受け取り、農家の秋田さんに挨拶をして、その場から離れる。次に訪れたのは乾物屋の遠藤さんの所だ。乾物屋と言っているが干物も取り扱っており、【妖精の宿り木】では必需品である、とある物を買いに来たのだ。
「遠藤さん、おはようございます」
「あら、藤原ちゃん、おはよう!!」
「昆布とかつお節…………鮭とばをください」
「いつも、ありがとうねー!!」
「いえいえ、遠藤さんの鮭とばは人気なので」
ここで買うのは出汁用の昆布とかつお節。そしてロージュがいつも頼む、鮭とばを調達している。遠藤さんにお金を渡すと頼んだ品とは別の物が一緒に入っていた。
「そう言ってくれると嬉しいわ!! これおまけね!」
「良いですか? ありがとうございます!」
おまけで貰ったのはしめじやエノキ、椎茸などのキノコ類だった。
「キノコですか。良いですね」
「えぇ、親戚から貰った物なのよ。お裾分け」
「ありがとうございます」
遠藤さんに挨拶をし、買い出しも終わったので車に戻る。車に荷物を載せ、店へと戻る。店に戻ると、荷物を全て店の中に移動させる。
買い出しや荷物の整理を行っていたら、時刻は朝7時になっていた。晃彦は次に一階の清掃を始めた。床のごみを箒で掃き、その後はモップで水拭きをする。床掃除が終わるとカウンターとテーブルを雑巾で拭いていく。カウンターやテーブルを拭き終わると、メニューや卓上調味料を整えていく。全体の清掃が終わり、晃彦は調理用の身支度を整え、仕込みの準備に取り掛かる。
昼はこちらの世界のお客様が来店するため、それ相応に客数も多い。そして、昼営業限定で日替わり定食を販売している。サラリーマンのお客様に気軽に食べて貰えるように、価格は800円にしているためよく売れる料理の一つである。
「今日の日替わりはどうするか……昨日がエビフライで、一昨日が白身フライだったから」
晃彦は冷蔵庫を開けて、食材を確認しながら日替わりメニューを考える。
「魚続きだったし、豚ロースが余っているから……よし、今日の日替わりは生姜焼きにするか」
豚ロースを取り出し、薄切りに切り分けていく。全て切り終わると大きなバットに薄切りにした肉を並べラップをして冷蔵庫に置いておく。
生姜焼き用のタレも用意しておく。大きなボウルに酒、砂糖、醤油、みりん、水、すりおろした生姜を入れ混ぜていく。タレができたボウルにもラップをして、こちらも冷蔵庫に置いておく。付け合わせのキャベツは先程、秋田さんから買ったキャベツを使用する。
キャベツを次々と千切りに切っていき、山になった千切りキャベツをボウルに入れて、こちらもラップをして冷蔵庫に置いておく。
「生姜焼きの準備はオッケー。次はみそ汁と副菜の準備だな……副菜はひじきの炒り煮にするか」
晃彦はそうして、開店までに次々と下準備を終わらしていく。途中、小休憩を挟みながら下準備を一個一個終わらせていき、全てが終わった頃には時刻は10時になっていた。
お店は11時から開店させるため、あと一時間しか時間がなかった。晃彦は一息つき、小さな椅子を取り出し、そこに腰掛ける。
「ふぅー……とりあえず下準備は大丈夫だな。店を開ける前に腹ごしらえでもするか」
炊飯器を開け、炊いてあった米をよそい、そのまま塩をかけて握る。二つおにぎりを作り、先ほど作ったみそ汁を器に注ぎ、冷蔵庫から余り物の漬物を取り出す。塩むすび二つと漬物、みそ汁と簡素な料理だった。
塩むすびを齧りながらみそ汁を啜る。
「はぁー……おにぎり、みそ汁、漬物……やっぱり日本の飯と言ったらこれだな」
爪楊枝で漬物を取り、一口齧る。そして、追うように塩むすびを食べる。全て食べ終わり、食器を片付け、伸びをする。時刻は10時50分、営業開始まで十分だった。
「さて、ちょっと早いが店開けちゃうか」
裏口の扉を開け、暖簾を掛ける。すると、近くでタバコを吸っていた中年の男性がこちらに気が付き、近づいてきた。
「あ、山岸さん。こんにちは」
「おう、今日は早いんだな」
山岸さん。近くの建築会社で働く現場監督のおじちゃんである。開店一番で来店してくれる常連さんの一人である。山岸さんはタバコを携帯灰皿に入れ、店に入る。
カウンターに座り、持ってきていた新聞を広げる。晃彦は慣れた手つきで水とおしぼりを渡す。
「今日の日替わりは?」
「生姜焼きです」
「なら、日替わりと瓶ビール」
「山岸さん、この後も仕事ですよね? ビールはまずいんじゃ?」
「うるせぇ、運転や仕事は若い奴らに任せてるから良いんだよ」
「まったく……。文句言われても知りませんからね」
飲み物用の冷蔵庫から瓶ビール一本とコップを取り出し、山岸さんのカウンターに置いた。山岸さんは読んでいた新聞を畳み、嬉しそうに瓶ビールの蓋を外し、コップに注ぐ。
注文された日替わり定食の生姜焼きを作り出す。プライパンに油を敷き、火をつける。そして、下準備していた豚ロースを取り出し、薄力粉をまぶして熱したフライパンに豚ロースを入れる。
豚ロースが焼き上がる間に玉ねぎをくし切りにしていく。しっかりと焼き目が付いてきたら、くし切りにした玉ねぎを入れる。玉ねぎがしんなりしだしたら、下準備していたタレをフライパンに入れ、煮詰めていく。
千切りしていたキャベツを皿に盛り、生姜焼きをその上に乗せる。ご飯とみそ汁、副菜のひじきの炒り煮を用意し、山岸さんの前に置く。
「お待たせいたしました。日替わり定食の生姜焼きです」
「お、来た来た! いただきます!!」
山岸さんは箸を持ち、生姜焼きを頬張る。生姜焼きを堪能しながらビールを流し込む。
「カーッ!! 美味い!」
「ありがとうございます」
晃彦はそんなやり取りをしていると他のお客さんも次々と来店してきた。日替わり定食を中心に色々な料理が注文される。
「日替わり定食一つ!」
「こっちはミックスフライ定食と焼き魚定食を一つずつ」
「順番にお出ししますので、少々お待ちください!!」
あっという間に時刻は12時半。昼時となり、カウンターもテーブル席も満席。飛び交う注文を対応しながら、一個ずつ迅速にかつ丁寧に仕上げていく。
「こちら、日替わりの生姜焼き定食です。こちらはレバニラ定食です」
効率よく料理を提供しお客さんを待たせないようにしている。兎に角、ひたすらに目の前の注文を捌いていく。
「1600円、ちょうど頂きました。ありがとうございます」
「ごちそうさまでした」
「美味しかったです。また来ますね」
「ありがとうございました」
時刻は14時。昼営業は14時までとなっており、最後のお客さんが店を去る。晃彦は一息つきながら外の暖簾を片付けるために外へ出る。すると店の前にスーツ姿の男性が立っていた。晃彦はその男性に見覚えがあった。
「あれ? 芦川さん?」
「おう、藤原」
芦川隆二。大学時代の先輩で今は不動産関係の仕事をしている。晃彦が店を出す時に支援や店の手配をしてくれた恩人である。
「どうぞ、中へ」
「良いのか? もう店、閉めるんだろ?」
「芦川さんは別ですよ、どうぞどうぞ」
「なら、お邪魔するよ」
芦川は晃彦の案内で店に入る。上着を脱ぎ、畳んだ上着とバッグを隣の椅子に置き、カウンターに座る。晃彦は水を差しだすと、芦川は水を一口飲み、店内を見回す。
「繁盛しているようだな」
「はい、おかげさまで」
「最初、トラブルで店をオープンできないと言われた時は焦ったが……」
「その節は申し訳ございません」
流石に異世界と繋がっているということは言えず、今も理由は言っていない。芦川も晃彦が話しずらい内容だと察し、深く言及してこない。
「何か食べていきますか?」
「悪いな、気を遣わせちゃって」
「良いんですよ、今日はどうします? 日替わりは生姜焼きですが……」
「そんなの決まっているだろ? 俺が頼むのは一つだけ……」
「…………和風麻婆豆腐ですね」
「分かってるじゃないか。それを一つ」
「かしこまりました」
和風麻婆豆腐。晃彦が大学卒業後、修行のため中華料理屋でアルバイトしている頃に作っていたまかない料理だ。試しに芦川にも食べさせたら、ドハマりし、何かあれば和風麻婆豆腐を食べさせていた。
晃彦は早速調理に取り掛かる。木綿豆腐の水を切り、クッキングペーパーで二重に包む。その後、クッキングペーパーに包んだ豆腐を電子レンジに入れて加熱させる。その間に長ネギと遠藤さんから貰ったしめじ、エノキ、椎茸を切っていく。長ネギはみじん切り、しめじはよく解して、エノキは三センチ幅で切り、椎茸は薄切りにしていく。加熱し、水切りが終わった豆腐をサイの目状に切る。
フライパンにごま油をひき、豚ひき肉を入れて、色が変わるまで炒める。ひき肉の色が変わり始めたら長ネギ、しめじ、エノキ、椎茸を入れ炒める。
食材に火が入った所で昆布とかつお節で出した出汁を入れ、煮込む。次に豆腐、醤油、味噌、酒、砂糖、すりおろした生姜を加えて軽く煮込み、水溶き片栗粉でとろみをつけ、最後に秋田さんから貰った鷹の爪をまぶす。
ご飯とみそ汁、副菜のひじきの炒り煮を用意して、芦川の前に置いた。
「お待たせいたしました。和風麻婆豆腐です」
「おぉ! これだよ、これ! 今日はキノコが多めなのか、いいねぇ」
芦川は嬉しそうにレンゲを手に取り、麻婆豆腐をすくい一口食べる。
口に入れた瞬間、優しい風味が口いっぱいに広がる。昆布やかつお節の出汁の風味とキノコの旨みがふわりと口の中に広がり、後を追うように醤油と生姜の香りが鼻に抜ける。
「うん……美味いな。出汁の風味とキノコの旨みがしっかり伝わってくる。それに鷹の爪が良いアクセントになっていて、メリハリがある」
もう一口食べる。和風麻婆豆腐の旨みを堪能しながら、ピリリと鷹の爪の辛さが舌に伝わってくる。しかし、激辛というわけでもなく、その刺激が食欲を刺激させ、さらに食べたくなる。
芦川は和風麻婆豆腐を一口食べ、すかさずご飯をかき込む。
「やっぱり麻婆豆腐には米だよな」
「麻婆豆腐って…………芦川さん辛い料理、苦手じゃないですか。和風麻婆豆腐を出すまで普通の麻婆豆腐も食べられなかったのに」
「だから、これが良いだろ? 本格麻婆豆腐とかよく言われるが……辛すぎても味が分からん、やっぱり日本人には日本人に合った味付けが良いんだよ」
「まぁ、それは否定しませんが」
晃彦は夜営業の下準備の前に昼の営業で出た食器を洗い始める。
「そういえば、藤原。アルバイトは雇わないのか?」
「人件費って高いじゃないですか……まだ、ウチの売り上げだけじゃ厳しいですよ。それに――」
晃彦はもしアルバイトを雇い、異世界のことがバレた際のことを想像する。最悪、戦争になるというロベルトの言葉を思い出し、身震いした。
その様子を芦川は和風麻婆豆腐を食べながら不思議そうに見つめる。
「どうした?」
「いえ、とにかく今は人を雇うことは考えていません」
「そうか」
芦川は和風麻婆豆腐を食べ終わると口を拭き、身支度を整える。ポケットから財布を取り出し、千円札をカウンターに置いた。
「釣りは要らん」
「ちょっ、芦川さん!?」
「その代わり、何か困ったことがあればすぐに相談しろよ?」
芦川はそう言い残すと店を出ていった。晃彦はカウンターに置かれた千円札を拾い、ため息をついた。
「はぁ……まったく……あの人には適わないな。さぁ、夜営業分の下準備を始めないとな」
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