三品目:クリームシチュー(後編)

 私、藤原晃彦は栃木県にある先祖代々続く料亭の次男坊として生まれた。

 幼いことから料理の技術を叩き込まれ、誰よりも研鑽を積んできたと自負している。それこそ長男である兄よりも料理の技術は上だった。

 しかし、先祖代々、料亭は長男が継ぐという悪しき風習で私は料亭を継ぐことが出来なかった。

 兄の下で働くことを拒んだ私は東京の大学へ進学を機に家を出て、数々の飲食店でアルバイトをしながら和食以外の料理の知識を蓄えていった。そんな下積み時代を送り、今年で30歳になった。

 私は30歳という節目で念願の自分の店を持つことになった。

 知人の援助で借金することもなく、店を出すことが出来た。店も知人の紹介で一軒家を安く購入。一階を店舗に、二階を自室に改装した。


「ふぅー……こんなものかな」


 段ボールから調理道具や食器を取り出し、荷解きを続ける。立ち上がりながら腰を叩く。

 明日から店をオープンさせるため、開店準備を進めている。取り出した調理道具や食器を棚に置き、整理していく。

 荷解きも終え、オープンに向けての仕込みも始めていく。時間がかかる煮込み料理や全ての客に提供する予定のみそ汁を作っていく。野菜やこんにゃくを切り、鍋に入れていく。酒、みりん、醤油などの調味料を入れて鍋に火をつける。煮詰めていきながら、別の作業を進めていく。別の鍋の蓋を開けると鍋の中には昆布を浸した水が入っていた。鍋に火をかけ、昆布を沸かす。その間にネギや豆腐を切りながら下準備を進めている。

 鍋が沸騰する直前で昆布を取り出し、鰹節を入れ出汁を取る。出汁を取った鰹節を取り出し、そこに先程切ったネギや豆腐を入れる。最後に味噌を入れて溶く。

 煮物とみそ汁の準備を終え、ひと段落着く。


「食材よし……道具よし……食器よし……うん。仕込みも問題なし」


 エプロンを外し、伸びをする。

 ふと外を見ると雨が土砂降りで雨水の音が店内に響き渡っていた。


凄い雨だな……明日、大丈夫か? まぁ、明日の天気予報は晴れだったし問題ないだろ……。


 店の電気を消し、寝支度を整える。寝室がある二階へ上がり、布団に潜る。

 目を瞑り、明日のオープンのことを考える。


明日はお客さん来るかな……知人は挨拶しに来てくれるが……。

 

 土砂降りの雨が窓を強く叩く。心配になっていると。

 ゴロゴロ……ゴロ……ゴロゴロ……。

 遠くの方で雷が鳴っていた。


……ん? 雷か? 今晩は荒れそうだな。


 ゴロゴロッ!!


……近くなったな。


 ガシャァァァァンッ!!

 轟音と共に家が揺れる。家に雷が落ちたと思い、勢いよく飛び起きた。


「ッ!? 落ちたのかッ!?」


 慌てて階段を下りて、電気のスイッチを入れる。電気は問題なく付き、冷蔵庫などの電化製品も正常に動いているか確認する。電化製品も正常に動いていた。一安心してため息を漏らす。


「良かった……電気は無事か」


 外の空気を吸うために店のガラス戸から外に出る。購入した店舗は商店街に面しており、人通りも多い。しかし、外に出ると、そこは見知らぬ薄暗い路地だった。


「……えっ?」


 左右を見ても見回しても人通りのない路地だった。


「ここはどこだ?」


 慌てて路地を走り出し、足元が見えず転びそうになる。息を切らしながら路地を出ると、そこは中世風の建物が並んでいた。人々もシャツやスーツではなく、革製の服や中には鎧や剣を持っている人もいた。突然の出来事に困惑する。


「……何なんだ?」




翌日。

 混乱している私の元に国王の家臣と名乗る男がやってきた。どうやら私は異世界転移という現象に巻き込まれたらしい。

 ここはセンブロム王国という国で、国王主体で転移の魔法の研究をしていたところ、魔法の誤作動でこの世界と私の世界が繋がってしまい、私の店が異世界との境界線になってしまったようだ。

 実際に店の裏口を出ると、そこは今まで通りの見慣れた景色で安心した。


「つまり……私の店の正面入り口が、そちらの世界に。裏口が私達の世界に繋がっていると……?」

「誠に申し訳ございません。こちらの不手際でご迷惑をお掛けしてしまい」


 センブロム王国大臣の【ロベルト・ヴィネット】が深々と頭を下げる。


「頭を上げてください……しかし、参ったなぁ」


 事情が事情だったため、オープンは延期。裏口からはスマホの電波が通っていたので、知人に連絡し、延期の旨を伝えた。

 さすがに店が異世界と繋がっているということは言えず、トラブルで解決するまでオープンは厳しそうと伝えた。


「初めてのケースで我々もどう対処すれば良いか」

「ちなみに、その異世界転移とかって頻繁に行っている物なのでしょうか?」

「いいえ。センブロム王国では転移は転移でも主に瞬間移動を目的で転移魔法が使われます。しかし、隣国のダジャル帝国では魔法技術が盛んな為、転移魔法で異世界人を何人も呼んでいるとは噂で聞いております。わが国でも初の試みとして異世界人を呼ぶための転移魔法の研究していた次第です。……しかし、基本は一瞬で異世界との繋がりは消えてしまいます。このようにずっと繋がっているというのは初めてです……」

「そうなんですね……」


 ロベルトと話をしていると兵士と思われる男が近づいてきた。今はこの現象を解決するために王国から派遣された兵士や魔法研究員という人達が店を調べている。


「ヴィネット大臣。ご報告がございます」

「どうした?」

「裏口から向こうの世界へ行こうとしましたが、見えない結界のようなもので行くことができません」

「それは本当か?」


 兵士からの報告を受けたロベルトは勢い良く立ち上がると裏口へ向かう。裏口の扉が閉まっており、ロベルトがドアノブに手を掛けようとすると反発するように弾かれてしまった。


「確かに……何か結界のようなもので妨げられているな。転移魔法の影響か?」

「おそらくは……異世界との次元の歪みで拒絶されているのかと」

「あれ……? 私、先ほど電話するために外に出ましたけど」


 ドアノブに手を掛けて、扉を開ける。扉は簡単に開き、外に出る。ロベルトは開けられた扉から外に出ようとするが、見えない壁のようなもので防がれ、外に出ることが出来なかった。


「どうやらフジワラ殿だけが、こちらの世界とフジワラ殿の世界を行き来することが出来るらしい」

「そうなんですね」

「良かった。これで戦争の火種は回避できた」


 ロベルトの不穏な言葉に耳を疑う。


「せ、戦争ですか?」

「当たり前です。異世界と何時でも行き来することが出来ると知れば、未知の資源が手に入る可能性があります。そうなれば、この場所を求め各国がセンブロム王国に宣戦布告してきてもおかしくない。それにこの世界だけではない、未知の資源を求め、こちらの世界とフジワラ殿の世界が戦争する可能性だってあります」

「な、なるほど……でも、そんなことを私に言って良かったのですか?」

「なに、戦争は私に取っては不本意ですからね。もし、行われるようなら断固反対しますよ」


 ロベルトは厭味ったらしく話していた。どうやら国政で散々な目に会ってきたらしい。


「それでフジワラ殿。相談なんですが……」

「はい」

「こちらの不手際で迷惑をかけているのだ。惜しみなく支援をします。その代わり、定期的にこの店に人を派遣させてもいいだろうか?」


 ロベルトが手を上げると、初老の男性がやってきた。白髪でモノクルを掛けていた。

 老人はロベルトの隣に腰を掛ける。


「こちらの方は魔法研究局の局長、ロージュ・デミンス様です」

「初めまして、店主よ。ワシの名はロージュ・デミンス。魔法研究局……その名の通り、様々な魔法の研究をしておる。そこの責任者を任されておる」

「は、初めまして。藤原晃彦です」


 【ロージュ・デミンス】と名乗った初老は気さくに手を上げた。

 自分の名前を聞いた時、ロージュは自分の髭を撫でた。


「おそらく、こちらの世界で、そのように名乗ると不審がられるじゃろう……アキヒコ・フジワラと名乗った方が良いな」

「わ、分かりました」

「うむ、それでワシが定期的に店主の店に伺わせてもらうわ」

「そのことなんですが……私は元々、ここで飲食店を行う予定だったので、店を開けたいのですが……」

「店か……」


 こちら提案にロベルトは腕を組んで悩んでいた。

 確かに異世界と繋がる場所を一般人に簡単に見せていいはずはないが……私の長年の夢をこのまま終わらせるわけにもいかない。


「別にいいんじゃないか?」

「「え?」」


 ロージュの言葉にロベルトと一緒に振り向いた。


「互いの世界に干渉が出来ない以上、どうすることもできん。ならば、ここはこの店の主である店主が好きに使うのが一番じゃろ」

「しかし!!」

「それにこうなってしまったのも我々が原因だしの」


 ロージュの言葉にロベルトは言葉が詰まる。


「良いのですか?」

「うむ、その代わりワシにも異世界の飯を食べさせてほしいの」

「えぇ、ぜひ!」


 思わずロージュの手を掴み、大きく手を振る。ロージュはカッカッカッと笑いながら手を握り返してくる。


「店主よ、店をやっていくなら、こういうのはどうじゃ?」

「はい?」

「裏口も客が入れるように改装し、昼は裏口からお主の世界の客を招き入れる。そして、夜には正面口でこちらの世界の客を招き入れるというのは。もちろん、裏口の改装費用はこちらが持とう」

「いいですか!?」

「ロージュ様ッ!? それはいくら何でも!!」


 ロージュの提案に困惑する二人。


「先ほども言った通り、互いの世界に干渉することは不可能。時間さえずらせば問題ないじゃろ。何かあればワシが対応しよう」

「……それであれば私が文句を言うことはできません」

「あ、ありがとうございます。ロージュさん」

「なに、気にせんでよい」

「そうだ。 皆さん、宜しければご飯を食べていきますか?」


 席を立ちあがり、カウンターに置きっぱなしになっていたエプロンを着る。


「オープン準備で用意していた煮物とみそ汁があるんですよ。捨てるのも勿体ないので、食べていってください。全員分ありますので」

「おぉ! 早速、異世界の料理が食べられるのか!」

「是非とも頂こう。皆、こちらで食事にしよう!」


 ロージュは嬉しそうにしながら自分の髭を撫で、ロベルトは兵士や魔法研究の職員を集める。

 まさか、お客様第一号が異世界の人達だとは夢にも思わず、自然と笑みを浮かべながら調理を始める。


「異世界で自分の料理が通用するのか……よし、やってみよう!」


こうして、ひょんなことから異世界に転移した藤原晃彦は半分、異世界で料理を振舞うことになったのだ。




異世界を訪れてから半年後。


 この生活にも慣れ始め、今は夜営業の準備をしていた。


「今日は寒いからみそ汁の代わりにクリームシチューでも作っておくか」


 早速、クリームシチューの準備に取り掛かる。食材を切りながらこの半年間のことを思い出す。

 裏口の改装をすぐに取り掛かり、裏口からもお客様を招き入れられるようにした。

 ちなみに自分の世界で外から正面口に入れるかと言うと、自分は問題なく入れる。しかし、ロージュ曰く、結界の影響で認識阻害をされており、他の人間は外から正面口から入ろうとはせず無意識に裏口に回ってしまうらしい。都合がいいのか悪いのか。

 改装が終わると昼限定で自分の世界での営業を開始させた。少しずつであるが定期に来てくれるお客様も増え、順調に店を続けている。

 夜の異世界での営業に関しては文化や食材、通貨の違いなどのロージュから教わり、最低限の知識はある状態で始められた。しかし、転移先がメインストリートから外れた薄暗い路地のため、客足は少ない。


……こっちの世界でもやっていけるのかな……。


 不安になりながらもクリームシチューを温める。

 自分の世界の店名だとこちらの世界のお客様は読めないということで、ロージュが【妖精の宿り木】という店名を付けてくれた。

 ロージュ自身も約束通りに定期的……ほぼ毎日、店に通っては気に入った日本酒と鮭とばを摘まんでいる。


ロージュさん、完全に飲むために店に来てるもんな……。

調査しているんだろうか?


「よし。クリームシチューの準備もできたし、店を開けるか」


 準備を終え、正面口の扉の鍵を開ける。これで何時でもお客様が来ることが可能だ。

 来店を心待ちにしていると、扉に付けていた鈴がカランとなる。扉が開き、そこには一人の男性が立っていた。

 こちらの存在に気づき目が合う。


「いらっしゃいませ」

「…………どうも」


 男性はなぜがおそるおそる店内を見回しながら入ってくる。


「開けたばかりで誰もいませんが、どうぞカウンターにお掛けください」

「……あぁ……」


 口数の少ない男性は上着を脱いでカウンターに座る。男性が座ったことを確認すると、コップに水を入れ、温めていたおしぼりを取り出して、男性の前に置いた。


「こちらをどうぞ」

「……何も頼んでいないが?」

「サービスです。水もお代わり自由ですので、いつでもお呼びください」

「…………は?」


 水とおしぼりを出された男性はキョトンとしていた。


そういえば……この世界では水は有料なんだっけ? まぁ、外国でも似たようなことは多いから大丈夫だろ。


「何をお食べになりますか?」

「……そうだな……何か軽いものを適当に頼む」


軽いものか……サンドイッチやおにぎりが良さそうだな。

いや、外は寒いし、せっかく用意したアレもある。ここは……。


「軽いものですか…………クリームシチューを用意してありますので、クリームシチューとパンでいかがでしょうか? 今日は寒いですし、丁度いいかと」

「クリームシチュー……?」


そうえいば……この世界では乳やクリームはジャム的な存在でスープとかにする文化は無いんだったか。


「あぁ、この世界には無いのですね……温かいクリームのスープです」


 こちらの説明は男性は黙って長考していた。


「では、それを頼む」

「かしこまりました」


 男性からクリームシチューのオーダーを受けると直ぐに準備に取り掛かる。

 クリームシチューは事前に用意しているため、コンロに火をつけて温めなおす。商店街のパン屋さんから卸したロールパンを二つ取り出し、トースターに入れて焼き上げる。その間にクリームシチューを焦げないようにかき混ぜる。

 トースターの合図でパンの焼き具合を確認し、食器にパンを乗せ、器にクリームシチューを注ぐ。温められたクリームシチューからは湯気が立ち上っている。

 クリームシチューとパンが出来上がり、男性の前に置いた。


「お待たせいたしました。クリームシチューでございます」


これが私、藤原晃彦とオスカー・アンダルクさんの初めての出会いである。

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