三品目:クリームシチュー(前編)

初めて【妖精の宿り木】を訪れたのは今から半年前のことだ。


 半年前。

 モンスターの討伐を終えたオスカーは冒険者ギルド【翼竜の鉤爪】で手続きを行っていた。


「こちらが今回の報酬です! お疲れ様でした!」

「……あぁ……」


 受付嬢のリベットから報酬をもらい、ギルドを後にする。外に出ると日は完全に落ちており、月の光が照らされていた。オスカーは一度、自宅に戻り、鎧などを脱いで軽装になってから再び外に出た。アセムント通りを歩くと人で賑わっており、オスカーは夕食をどうするか悩んでいた。

 季節は冬になっており、肌寒い時期になっていた。雪は降っていないが寒さがオスカーの体に凍みる。


……寒いな……。

腹も減ったし……飯はどうするか……。


 人混みを嫌うオスカーはなるべく人がいなさそうな所を探す。すると一軒の古びた酒屋を見つけた。外から覗き込むと冒険者らしき男が数名、飲んでいるだけだった。既に酔っぱらっている冒険者たちは煩わしいが比較的、客は少なそうに見えた。


面倒だし、ここでいいか……。


 オスカーは店に入ると適当にカウンターに座った。店主と思われる中年の男は挨拶も何もせず、ただ黙ってメニューをオスカーに向かって放り投げる。人見知りで文句も言えないオスカーは黙ってメニューを拾い、中を見る。


……特にこれを食べたいって物もあるわけではないし……ここは適当に安いヤツでも頼むか……。


「…………腸詰と……あとは適当にスープとパンを頼む」

「はいよ」


 中年の男は背を向けて調理を始めた。オスカーはボーっとしながら料理を待つ。

 室内のためいくらかは寒さをしのぐことが出来るが部屋の中は暖房などは無く、寒さで身震いをするオスカー。寒さに耐えながら待つこと数分、店主はオスカーの前に腸詰が乗った皿と黒いパンを二つ、それと薄い茶色のスープを出した。

 オスカーはスープを手に取り、一口啜る。スープは見た目通り、僅かに風味が感じられる程度の味付けの薄いスープだった。


味はほとんど無いな……まぁ……温かいだけマシだな。


 続けて黒いパンを一つ取り、指でちぎろうとするがパンが固く、なかなかちぎることが出来なかった。少し力を込めてパンをちぎる。ちぎったパンを口の中に放り込むと、パンは中まで固く噛むのに顎に力が入る。


……はぁ……そのまま食うのは疲れるな……。


 オスカーは再びパンをちぎり、今度はスープに浸して食べる。スープを吸っていくらか柔らかくなったパンは小麦粉の風味とスープの僅かな風味を感じる程度だった。ただ、先ほどの固いパンよりは良いのかオスカーはパンをちぎってはスープに浸して食べることを繰り返していた。


うん……スープに浸せば食えるな……。


 パンをある程度食べると次はフォークを手に取り、腸詰を一本刺して食べた。腸詰は脂が多くネットリしていた。しかし、脂っぽくてくどい感じがした。


……うーん……微妙だな……。


 腸詰をある程度食べ進むところでフォークが止まった。オスカーはフォークを置き、カウンターに硬貨を置いて身支度を整え始めた。


「……ごちそうさま」

「…………」


 出された食事を残された店主は黙って皿を下げた。

 オスカーは店を後にし、アセムント通りを散策していた。満足のいかない食事だったためか、余計に空腹を感じていた。


食べ直すのも面倒だな……どうしたものか……。


 先程の店が極端に質の悪い酒屋というわけではない。アセムント通りでは大体は酒がメインの飲食店が多く、アルコール度数の高い酒の肴として食事する人がほとんどだ。

 そのため、酒にコストをかける店舗が多く、食事についてはコスト削減で質の悪い食事を提供している。また、酒の影響で味覚も狂っているため、質が悪くても文句を言う客はほとんどしない。

 しかし、オスカーは酒が飲めないため、どうしても質の悪い食事しか食べられないのだ。


……仕方ない……値は張るが、【黒羊の宿】で食べ直すか。


 【黒羊の宿】とはアセムント通りの中央にある高級宿屋のことだ。一部の貴族や有名冒険者が通う高級店であり、食事のクオリティも高い。しかし、その反面、料金も高く、一般の冒険者が食事するのにも覚悟がいる。

 いつもなら行くことがないが、今のオスカーは高難易度の任務を終えた後で金銭的には余裕がある。

 オスカーは【黒羊の宿】へ。向かおうとするが、ふと一つの路地に目がいった。その路地は街灯がなく日中でも薄暗い路地で通ったことは一度もなかった。


……【黒羊の宿】に行く前に少し散策でもするか……。


 【黒羊の宿】に向かう前に気になった路地へ入る。街灯がないため、月明りを頼りに周囲を見回す。外れた路地のせいか人一人も通っておらず開けている店もほとんどなかった。

 目新しいものは何もあく、ため息を漏らすオスカー。


…………何もないか……さっさと【黒羊の宿】に……ん?


 目的地に向かおうとすると、一つの明かりが見えた。明かりの元に近づくと一軒の店がやっていたのだ。

 看板に目を向けるとそこには料理屋【妖精の宿り木】と書かれていた。


……【妖精の宿り木】……こんな所に料理屋なんてあったのか……。

何かの縁だ。【黒羊の宿】じゃなくて、ここで食事するか。


 一呼吸置いて店の扉に手を掛ける。扉を開けると付けられていた鈴がカランカランとなる。

 鈴の音で気が付いたのか、店の中にいた真っ白な服の男性がオスカーに気が付き目が合う。


「いらっしゃいませ」

「…………どうも」


 店主と思われる白い服の男しかおらず、客は誰もいなかった。


しまった……ッ!?

客が誰もいない、ハズレか……。


「開けたばかりで誰もいませんが、どうぞカウンターにお掛けください」

「……あぁ……」


……仕方ない……。

ここは適当に何か頼んで、さっさと出るか。


「こちらをどうぞ」


 店主だと思われる男がオスカーの前に水と丸められた布を置いた。


「……何も頼んでいないが?」

「サービスです。水もお代わり自由ですので、いつでもお呼びください」

「…………は?」


水が無料……?

それにこの布は?


 オスカーは一口水を飲み、丸められた布を見る。布からは湯気が立ち上っていた。おそるおそる布を手に取ると温もりを感じた。


おぉ……温かい。

外が寒かったから、この温もりはありがたい。


「何をお食べになりますか?」

「……そうだな……何か軽いものを適当に頼む」

「軽いものですか…………クリームシチューを用意してありますので、クリームシチューとパンでいかがでしょうか? 今日は寒いですし、丁度いいかと」


…………クリームシチュー……?

なんだ、それは?


「クリームシチュー……?」

「あぁ、この世界には無いのですね……温かいクリームのスープです」


クリームのスープ…………全く想像できん。

まぁ、温かいスープであれば極端に不味くもないだろ。


「では、それを頼む」

「かしこまりました」


 店主は頭を下げると調理を始める。既に置かれていた巨大な鍋に火をかける。鍋の中身を温めている間に、店主は籠の中からパンを二つ取り出し、トースターに入れ摘みを回す。鍋の蓋を取り、中身が焦げないようにゆっくりとかき混ぜる。

 乳の優しい香りがオスカーの方にまで香ってくる。


おぉ……確かにこれはクリーム……乳の香りだ。


 乳に優しい香りを感じていると自然とオスカーの腹が鳴った。自分の腹を押さえながらクリームシチューの出来上がりを楽しみに待つ。


ハズレかと思っていたが……ここはもしかしたら……。


 香りを楽しむこと数分。チーンッとトースターから焼きあがった合図が鳴る。店主は食器棚から真っ白な食器を取り出し、焼きあがったパンを乗せる。そして、大きめの器を取り出し、その器にクリームシチューを注ぐ。調理が終わり、焼きあがったパンと温められたクリームシチューがオスカーの前に置かれた。


「お待たせいたしました。クリームシチューでございます」


 オスカーはクリームシチューが入った器を手に取り、まじまじと見つめる。先程、食べてきた店が出した薄茶色のスープではなく、真っ白でとろみのあるスープだった。しかもスープの中身は肉や野菜がゴロゴロと入っていた。


これがクリームシチュー……。


 スプーンを手に取り、クリームシチューをすくう。スープとは思えない重量感をスプーンから感じた。


本当にスープなのか?

このとろみ……それに具がこんなにも……。


 スプーンからよそったクリームシチューは未だに湯気が立ち上っており、一口食べる。その瞬間、体全身に衝撃が走った。

 クリームシチューの温かさが寒さを消し去り、クリーム。乳の甘みが口の中に広がり、その後から肉と野菜の旨みが広がっていく。


う、美味いッ!!

乳の豊かな香りと甘さが口いっぱいに広がり、そこから肉と野菜の旨みが押し寄せてくる。

口の中が旨みで大渋滞しているッ!?


「……美味い……」

「ありがとうございます。弱火でゆっくり時間をかけて煮込んでいますので、肉や野菜の旨みをしっかり抽出しております」


そんなに手間暇がかかっているのか。


 一口、二口とクリームシチューを啜る。そして、パンを手に取る。手に取ったパンをちぎる。先程の店の固いパンと違い、簡単にちぎれる。小麦とバターの香りが立ち上る。

 ちぎったパンを一口食べる。パンの感触に再び驚愕する。パンの表面は焼かれてカリッとしており、中はモチッと弾力があった。そして、バターの風味が口いっぱいに広がる。


パンもクオリティが高い。

外はカリカリ……中はモチッとフワッとしており、噛めば噛むほど小麦とバターの風味が……。


 オスカーはふと先程の店での行動を思います。パンをちぎり、クリームシチューに付けて、一口食べる。バターのコクとクリームシチューの旨みが混ざり合い、素晴らしいハーモニーを奏でていた。


こ、これはッ!!

これはパンを柔らかくするために浸した妥協策とは明らかに違う!

パンの小麦とバターの風味が濃厚なクリームシチューと混ざりあり、さらに奥深い味わいを生み出しているッ!!


 気が付くとオスカーは無我夢中でパンとクリームシチューを食べ進め、最後は皿に残ったクリームシチューを拭き取るようにパンですくい、完食した。


「ごちそうさま……凄く美味かった」

「ありがとうございます」


 温かいクリームシチューで身も心も和らいだオスカーは満足げに身支度を整える。


「……お代はいくらだ?」

「あ、えーと……300円じゃなくて、300ルーンでございます」

「…………随分と安いな」


 オスカーは硬貨を取り出し、カウンターに置いた。


「…………また寄らせて貰ってもいいか?」

「えぇ、いつでもお待ちしております」


 店主は頭を下げると、オスカーは店を出た。寒空で凍えられていた体はクリームシチューで温められ、寒さなんて気にも留めず、自宅に戻る。


クリームシチューか……美味かったな。

明日は何を食べようか……。


 いつの間にか明日も【妖精の宿り木】に行くことが決まっており、次は何を食べようか心躍らせていた。


 これが【孤高の鉄剣士アルーフ・リベリ】と呼ばれる冒険者【オスカー・アンダルク】と異世界からやってきた【妖精の宿り木】の店主【アキヒコ・フジワラ】の出会いである。

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