一品目:オークカツ定食(後編)
はぁ……腹が減ったな。
センブロム王国にあるアセムント通りから一つ外れた路地を一人で歩くオスカー。
アセムント通りは商業施設や飲食店が並ぶ大通りで日が落ちても尚、人々で賑わっている。街灯に照らされながら食事や買い物を楽しんでいる。
しかし、オスカーが歩いている路地には人が一人も通っておらず、街灯もないため薄暗く月の光だけが足元を照らしている。
ギルドの時とは違い鉄の鎧にフルフェイスではなく、素顔を出しており、ラフな格好をしていた。オスカーは自らの無精ひげを撫でながらため息を漏らす。
レオンのヤツ。今日も話しかけてきたな。
こんなおっさんと話して何が楽しいのか。それに他の奴らも俺を【
俺はただ話すのが苦手なだけなのに……。一人の方が気楽で任務を受けてたら気が付いたら異名まで付けられる始末だし……はぁ……。
先程までのギルドのやり取りを反省しながら進んでいくと、薄暗い路地に一つの光が見えた。光の先には【妖精の宿り木】と書かれた看板が立っていた。
それに食事は絶対に一人で、ここで取ると決まっているんだ。
このオーク肉で何を食べよう……。
明かりがついている店の前で足を止め、一呼吸置いて店の扉に手を掛ける。扉を開けると付けられていた鈴がカランカランとなる。
鈴の音で気が付いたのか、店の中にいた真っ白な服の男性がオスカーに気が付き目が合う。
「いらっしゃいませ」
「…………どうも」
頭を下げた真っ白な服の男性にオスカーは一言だけ挨拶をすると店に入り、カウンターに座る。上着を脱いで椅子に掛け、荷物を置いて店の中を見回す。
今日はカウンターに一人とテーブルに二人か……。
人がいると気楽に食事ができないからなぁ……まぁ……何とかるか。
オスカーが席に座ると真っ白な服の男性、この料理屋【妖精の宿り木】のオーナーでシェフでもある【アキヒコ・フジワラ】が近づいてきた。オスカーの目の前に水が入ったコップと丸められた布を置く。
オスカーはカウンターのテーブルに持ってきた麻袋を置いた。アキヒコは手を布で拭き、麻袋の口を開いて中身を確認する。
「おぉ、これは立派なオークの肉ですね。今日はこれで何にしますか」
「そうだな……今日は無性に腹が減ったからガッツリしたものが食べたい」
「ガッツリですか……そうですね。生姜焼きも良いですが、こんなに良い肉ならカツにしましょう」
「……カツか……」
前にもカツと付いた名前のモノを食べたが美味かったなぁ……。
あれは確か……カツドンという料理だったか。
「カツっていうことは、この前のカツドンか?」
「いえ、カツ丼は揚げたカツとタマネギを割下で煮込み、卵とじにして、米飯にのせた料理でしたが、今回は揚げたてをそのまま食べて貰います」
揚げる。ということはフライという料理に近いのか。
あれもサクサクの衣が最高だった。
…………だが、オークの肉は固くて臭いもある癖の強い食材だ。店主の技量なら美味く調理してくれると思い持ってきたが……ここは店主に任せるべきだな。
「なら、そのカツを食べたい」
「かしこまりました。せっかくなのでご飯とみそ汁も付けてカツ定食でご用意いたしますね」
何ッ!?
ゴハンとミソシルだとッ!!
ゴハンは確かライスのこと……ミソシルは茶色い豆のスープだったはず。
【妖精の宿り木】で出てくる料理でこの二つに合わない料理はほとんど無いと言ってもいい程の名脇役だ。ここの店主が一緒に付けると言っているんだ。合うに決まっている。
「そのカツ定食で頼む」
「かしこまりました」
アキヒコは頭を下げ、オスカーの麻袋を預かり、調理を始めた。オスカーは渡された水を飲みながら調理の様子を窺う。アキヒコは麻袋からオーク肉を取り出しと、一枚一枚丁寧に板に置く。包丁で均等にオークの肉を切り分けていくが所々は削ぎ落とすように切っていた。
切り分けたオーク肉を並べると調理場には似合わないハンマーのような道具を取り出すと、おもむろに肉を叩き始めた。
その様子にオスカーは驚愕した。
に、肉をハンマーで叩いている……?
何をしているんだ?
オスカーの視線に気が付いたのかアキヒコは叩きながら解説を始める。
「驚かせて申し訳ございません。これは肉を柔らかくするための道具で、これで叩くと肉の筋繊維を断つことができて柔らかくなるんですよ」
肉を柔らかくするためだけの道具……?
そんなものが存在するのか。
アキヒコの説明に納得し、オスカーは会釈して黙って見続けた。オーク肉をある程度、叩き終わると肉に塩と胡椒をまぶしていく。次の工程としてアキヒコは金属製の底が浅く平べったい器を三つ用意した。一つには溶いた卵を流し込み、残りの二つにはそれぞれ異なる粉を入れ始めた。
オーク肉を掴むと、きめの細かい粉の方の器にオーク肉を入れ、粉をまんべんなく付ける。余分な粉を落としながら、次は溶いた卵にくぐらせる。最後に最初の粉と違い、一粒一粒が大きい粉をまぶしてく。この工程を全てのオーク肉にしていく。
粉を付けたオーク肉を寝かしている間に、アキヒコは油を確認する。しっかりと油が適正な温度になっていることを確認し、次に付け合わせと思われる野菜を用意する。緑色の球体をした野菜を手際よく包丁で切り、まるで糸のように細く切っていく。
あの野菜は確か……キャベツという野菜だったな。あれをどうするんだ?
テンポよく切られていくキャベツ。包丁の音色が心地よく感じる。
キャベツを切り終わると、寝かせていたオーク肉を油に投入する。オーク肉が揚がっていく音がオスカーの食欲を湧き上らせる。
この音……フライの時もそうだったが……この音で腹が減っていく。
早く食べたいと俺の中の食欲が暴れだしてくる。
オーク肉の衣が色づいてくると上下を返し、様子を見る。こんがりとした良い色になったところで引き上げ、油を切る。
余熱で火を通している間に、炊飯器の蓋を開け、米を茶碗に盛る。そして、温めておいたみそ汁を器に注ぎ、大皿に細かく切ったキャベツを盛り付ける。
最後に揚がったオーク肉をザクッ、ザクッと軽快な音を奏でながら、食べやすいサイズに切り分けてキャベツの上に乗せる。料理が完成し、オスカーの前に並べられる。
「お待たせいたしました。オークカツ定食でございます」
うわぁー……こりゃ凄いな。
オスカーは出されたカツをまじまじと見つめる。分厚いオーク肉は綺麗な黄金色の衣が纏わり、揚げられた香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。色、香りで食欲が刺激される。
逸る気持ちを抑えながら箸という食器を手に取る。
ここ【妖精の宿り木】ではナイフやフォークもあるが、このハシというもので食べるのが流儀らしい……。
このハシを扱うのに苦戦したが、今では簡単に扱うことが出来る。
逆にこのハシでゴハンを食べると何倍も美味く感じるから不思議だ。
さぁ、実食だ。まずは心を落ち着かせるためにミソシルを……。
オスカーはみそ汁を手に取ると一口啜る。体中に温かさが染み渡るのを感じた。
あぁ……このミソシルはいつ飲んでも心が安らぐ。このミソシル独特の風味がたまらない。
みそ汁を飲んで落ち着いたオスカーはついにカツを手に取る。カツは食べやすいように切り分けてあるが、そのひと切れのカツの重量感に驚愕する。
お、重い! なんだ、この重厚感はッ!!
早速、一口。
オスカーは恐る恐るカツを一口。その瞬間、オスカーに衝撃が走った。
柔らかいッ!!
オークの肉はただ焼いただけだと固くて嚙み千切ることも困難。そして、臭くて食べたものではないが、これは違うッ!! これは本当にオーク肉なのか!?
そして、この肉汁だ……衣を纏っているおかげで肉汁が一切逃げ出しておらず、噛めば噛むほど肉汁が湯水のごとく溢れてくる。
「固くて臭いはずのオーク肉がこんなに柔らかいとは……」
「えぇ、オークの肉は筋繊維が強いので、先程の道具で繊維を断つことで柔らかく、臭みに関しても臭みの原因は不衛生な皮によるものなので皮付近の肉はなるべく使用しないようにしてあります」
「……成る程な……」
カツの旨みに驚愕しながらも一切れ、また一切れと食べ進めていく。オーク肉を噛むたびに肉の旨みと油の甘さが口いっぱいに広がる。柔らかいオーク肉を包み込むサクサクの衣。旨みだけではなく食感も楽しみながらカツを食べる。
カツを堪能しているオスカーの口角は自然と上がっており、笑みを浮かべていた。
「お好みでテーブルに置いてあるソースをおかけください」
「……ソースだと?」
確か……前に食べたフライにもソースは相性抜群だった。
はっ!! 同じ揚げ物のカツにもソースが合うのか!?
オスカーはソースを手に取り、カツに回しかける。ソースがかかったカツを一口頬張る。その瞬間、先程のオーク肉の旨みと甘みとは異なり、香辛料のスパイシーな香りと刺激が一気にオスカーの口内に広がった。
やはり、そうか!!
香辛料が効いたソースと揚げ物は合わないわけがないッ!! これはゴハンが欲しくなる!
茶碗を手に取り、米をかき込む。カツを食べ、米をかき込む。オスカーはただひたすらに繰り返し食べ進めていた。旨みの爆弾であるカツを白い米で追っかける。まさに祝福の時間であった。合間にみそ汁を啜り、緩急をつけていく。
オーク肉の油の甘みとソースのスパイスな味わいをゴハンが中和していく。
カツ、ソース、ゴハン。これが完成形なのか……。
ふとオスカーはカツの下敷きにされていたキャベツに目を向けた。
そういえば、このキャベツは?
キャベツを一摘まみ取り、一口食べる。キャベツの瑞々しさが口内のオーク肉の油を洗浄していく。オスカーの口内は一瞬で綺麗さっぱりになったのだ。
さっぱりしているな……そうか。油っこく飽きやすいカツの味をこのキャベツでリセットすることが出来るのか。
口直しだと確信したオスカーはキャベツを食べ、再びカツを食べる。口の中がリセットされ、最初の一口のような感覚で飽きずにカツを食べることができる。カツ、ご飯、みそ汁、キャベツ。この定食には無駄なものは一切なく、交互に食べることで永遠に食べられると錯覚してしまうほどの推進力を持っていた。
カツとソース、ゴハン。この三すくみで完成形だと思っていた……。
しかし、この三すくみだと味が濃く、単調になってしまう。
だが、ここにミソシルとキャベツが入ることにより、口の中がリセットされ、再度美味しくカツを食べることが出来る!
これが究極形態! カツの無限機構かッ!!
カツを一口齧り、米をかき込む。もはやオスカーの手を止めることは本人ですら不可能だった。
この美味さ! この厚み!
今、俺が嚙み締めているのは肉の形をした幸せだ。
最後の一切れを食べ終わり、茶碗の米を一粒も逃さないように集めて食べる。最後にみそ汁を飲み干し、息を漏らす。ソースで汚れた口を渡された布で拭う。
ふぅ……出てきた時は一瞬食べきれるか不安だったが、要らぬ心配だった。
本当に美味い肉は軽く食べることができてしまう……不思議なものだ……。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございます」
カツの余韻を感じつつ身支度を整える。ポケットから硬貨を取り出し、カウンターのテーブルに置いた。
「丁度ですね。また、いらしてください」
「そうだ。何か、足らないものはあるか?」
オスカーの質問にアキヒコは何か思い出したのか、厨房の方に向かい何かを確認していた。
「そうでした。油が切れそうだったので菜種……ここで言うとサンフワラーの実が欲しいですね。あと、岩塩じゃなくて……ソルティックライトっていう鉱石も可能であれば」
「分かった。いつも通り、ギルドに依頼を出しておいてくれ。他の依頼と一緒に採取してくる」
「いつも助かります」
店主と【妖精の宿り木】には世話になっている。それくらいのこと造作もない。
「また来る」
「えぇ、お待ちしております」
オスカーは挨拶をすると店を後にした。その様子を見ていたカウンターの初老は不思議そうにアキヒコに話しかける。
「あの人、随分と楽しそうに食っていたのぅ」
「はい。本人は口下手と言っているのですが、表情に出やすいようで。本人もそれを分かっていて仕事中は顔を隠しているようです」
「ほぉ……何者なんじゃ?」
「確か冒険者だったかと……」
アキヒコは初老に酒を注ぎながら会話を続ける。初老は注がれた酒を飲みながら、オスカーが去った扉を見つめていた。
「姿を隠した冒険者……まさか【孤高の鉄剣士】かのう?」
「何ですか? 【孤高の鉄剣士】って」
「高難易度の依頼を一人で遂行される凄腕の冒険者のことじゃ。リベリという名は初代センブロム王国、国王に仕えていた伝説の剣士【フルード・ディ・リベリ】から来ているんじゃよ」
「すごい方なんですね」
初老はテーブルに出されているおつまみを摘まみつつ酒を飲む。
「まぁ、先ほどの人が【孤高の鉄剣士】とは限らぬしな。……気のせいか……あ、店主よ。鮭とばのお代わりを」
「かしこまりました」
食事を終えたオスカーは店に入る前の憂鬱な気持ちはどこかへ行ってしまい、満足げに路地を歩く。
あんなに肉を食べたのに胃袋が全然もたれていない。
さてと……店主に頼まれた物もあるし、明日も依頼を受けにギルドに向かうとするか。
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