58匹目 愛のキスを君に
「――それでは、ただ今より魔王様の結婚式を始めさせてもらいます」
多くの招待客が集められた聖堂。
結局、ルーシー姐さんとは合流できないまま結婚式が始まってしまった。
本当に大丈夫かなぁ。先が思いやられる。
僕はなるべく壇上に近い席を確保し、そこに腰かけた。
――さて、ギルダの位置は。
聖堂の吹き抜けになっている2階部分を見上げると、案の定そこにギルダがいた。そこは地位の高い人物しか座れない特等席である。脚を組んで豪華な椅子に寄りかかって座り、僕を見下すように眺めていた。
――態度が腹の立つヤツだな。
数時間後、お前の汚い手段で築いてきた地位は完全に崩壊する。すぐにお前の面子は潰れ、焦りと怒りで狼狽することだろう。
どれもこれもお前が招いたことだ。
お前のやってきたことは、今から清算される。僕と仲間の手によって。
僕は視線を壇上に戻し、司会として挨拶や祝辞をごちゃごちゃと喋っている牧師を見つめた。牧師の言葉など、正直聞く気にもならない。彼はこの結婚の裏にどんな事情があるのか知っているのだろうか。
「――それでは、新郎新婦の入場です!」
バァン!
式場後方の扉が勢いよく開かれ、腕を組んだ2つの人影が招待客の目に飛び込む。
一人は魔王のおっさん。
ずっと玉座に腰かけていたせいで弱った足腰を無理矢理に
そして、その横にいるのが――
「クリスティーナ」
彼女は綺麗な白いウエディングドレスを身に纏っていた。自分の目を疑うほどに美しい。その挑発的なまでに強調された胸元が男性招待客の目を惹く。
ティアラやネックレス、指輪などに施されている装飾や宝石も豪華なものばかり。
ただ、傀儡の術をかけられている影響で顔は蒼白になり、感情を一切出すことはできない。ひたすらに前を見つめ、壇上に登って牧師の前に立つ。
「それでは、これから人生の伴侶となる者を見つめ合ってください」
牧師の言葉に反応するよう命令されているのだろうか。
おっさんとクリスティーナは彼の言うまま互いに向き合う。
「では、これから夫となる者よ。あなたはこれから目の前にいる者を最愛の妻とし、彼女を支え、死が二人を別つまで永遠に愛することを誓いますか?」
「チカイ……マス」
おっさんはこの世界の言語で『誓います』と言った。牧師の言葉に反応して特定の言葉を喋るようプログラムされているのだろう。
次に牧師は顔の向きをクリスティーナに定め、彼女の瞳を覗き込む。
「では、これから妻となる者よ」
牧師は問いかけを始める。
「あなたはこれから目の前にいる者を夫とし、彼を支え、死が二人を別つまで永遠に愛することを誓いますか?」
「……誓います」
普通の流れなら、この後に誓いのキスが控えている。
しかし――
「あなたは、本当の本当に、この男を愛していますか?」
「……」
牧師の問いは続く。
「おい、あの牧師はなぜ勝手に台詞を変更したんだ!?」
「わ、分かりません!」
2階の特等席付近からギルダの慌てる声が聞こえる。彼の忠臣であるユーリングと相談しているようだった。どうやらこの牧師の質問は予定外のものらしい。
「あなたは、この愛している人の名前を言えますか?」
「……言えません」
「それはなぜですか?」
「この人の名前を……知らないから」
クリスティーナの言葉に騒然とする招待客。
これから結婚するというのに、相手の名前を知らないなんておかしな話だ。
それもそうだろう。ギルダにとって、クリスティーナは命令されたとおりに動けばそれでいいのだから。相手の名前など知らなくても、儀式さえ済めばそれで……。
おそらく、牧師が投げかけている質問は彼のアドリブだ。
クリスティーナたちは牧師の特定の台詞に対して特定の答えをするようプログラムされていたが、それ以外の言葉には素直に従うように命令されているのだろう。
「事前の打ち合わせと違うぞ!? どうなっている!?」
「わ、私には分かりません……」
「早くどうにかするんだ! このままじゃ、あの女が余計なことを喋ってしまうだろ!」
ギルダが客のどよめきに反応したのか、ヒステリックに叫んでいる。
僕もここまでヤツが慌てた声は初めて聞いたな。
「では、本当はこの人を愛していないのではないのですか?」
「はい……愛してません」
この言葉によって、客はさらに困惑する。
それは完全にクリスティーナの心の声だった。牧師の質問にそのまま返答してしまっているのだ。
僕も何が起きているのか理解できず、壇上を凝視した。
「では、あなたに愛している異性はいますか?」
「……います」
「それは、誰ですか?」
その質問に、彼女はこう答えた。
「――カジ……グレイハーベスト」
「え……」
彼女は間違いなく僕の名前を呟いた。
「どうして、彼を愛しているのですか?」
「優しくて……みんなに慕われている」
「他に理由はありますか?」
「彼は私を抱き締めてくれた……温かくて……心地よくて……嬉しかった。追い詰められていた私の心を……救ってくれた」
クリスティーナの頬に、大粒の涙が流れる。
傀儡にされていても、心だけはそこにちゃんと残っているのだ。僕との思い出を振り返って、心が泣いているのだ。
「彼に会いたいですか?」
「会い……たい」
彼女からその言葉が出た瞬間、牧師と僕の視線が重なった。
「え」
牧師は僕に向けてウインクをする。
そうか! そういうことだったのか!
「では、愛するもの同士、誓いのキスを――」
牧師は式を次の段階へ移行させる。
僕は客席を立ち上がり、走り出していた。
壇上に向かって。
クリスティーナに向かって。
クリスティーナの唇がおっさんの唇と重なりそうな瞬間――
――どけえええっ!
僕はおっさんを横へ突き飛ばし、彼がいた位置に陣取ってクリスティーナと向かい合う。僕はクリスティーナの背中に手を回して抱き寄せた。
そして――
僕はクリスティーナとキスをした。
多くの客が、僕らを呆然と見つめている。
僕の口の中に隠していた傀儡の術の解除用魔法薬。
その容器の蓋を歯と舌を使って外し、僕の口から彼女の口へ魔法薬を流し込んだ。
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