55匹目 優しさと冷酷さ
「ごめんな。僕の助手が暴力を……」
「いや、大丈夫だ……気にしないでくれ」
――ニルニィが部屋を飛び出した後。
僕らは研究所で佇んでいた。
「アイツ、戦争で両親を亡くしてるんだ。だから、大切な人を失うことの辛さをよく分かってる。きっとアイツはこの世に残される人の気持ちを君に考えてほしかったんだよ」
「……そうだったのか」
クリスティーナは俯き、目を伏せる。
やはり実際に辛さを経験している者の言葉は、彼女の心に重く圧しかかったのだろう。
「……私も考え方が無責任だったかもしれん。平手打ちも許す。彼女に謝らねば」
「僕からも彼女に伝えておくよ。『君の言葉を聞いて反省してたよ』って」
「やはり優しいな、カジ殿は」
彼女は暗い顔を上げて不器用に微笑んだ。
「この研究所にいる面々はカジ殿のそういう気遣いや優しさが好きなんだろうな。カジ殿が作ったモンスターも、そういうところが気に入っているのだろう」
「そ、そうかな?」
自覚はあまりない。まあ、気に入られているなら嬉しいことだが。
「それに気付く前、私は何度もここから逃走しようと考えた。何度も捕虜用魔術を自力で解除しようと考えた。でも、できなかった」
「どうして?」
「ずっと帝国に怯えながら暮らしていた私は、ここに居心地のよさを見つけてしまったんだよ。異世界人の少女たちも辛い事情があるのに、心が安らいでいる。それに――」
「それに?」
「いつの間にか、私もカジ殿の優しさを……好きになっていた」
『好き』
彼女の言葉に僕の顔が紅潮し、心拍数が上がる。
それはクリスティーナも同じだった。一瞬、視線が互いの顔に向くが、すぐに別々の方向へ。
「君は、僕以上に僕のことを知っているなぁ」
「一緒に暮らしてるとだんだん分かってくるものだろう? 筋トレやらストレッチ中に観察を積んだつもりだ」
「そっか」
ここまで話していて、ようやく分かった。
やはり彼女は見た目どおり、凛々しい人だ――と。偶然にも弱点となる部分に遭遇してしまったために僕の中でのイメージは一度崩壊したが、そうじゃない。
本当の彼女は、仲間想いで、真面目で、責任感があって、優しくて、観察力にも優れている。彼女は自分のことを「脆弱で何もできない」と言っていたが、そんなことはない。責任感が強すぎるのが問題だけど、彼女は
彼女のそういうところを、僕は――
「じゃあ、ちょっとニルニィを連れ戻してくるよ」
「そうだな。彼女に謝罪したい。よろしく頼む」
僕は椅子から立ち上がり、ニルニィが開けっ放しにした扉へと向かっていく。
「あ、そうだ」
「どうした、カジ殿?」
「戻ったらさ、君の集落を救う方法を一緒に考えないか? 君が死ななくてもいいようにさ」
「ふふっ、ありがとう、カジ殿」
彼女は微笑みながら僕へ手を振った。さっきまでの『死にたい』と言っていた表情は完全に消えている。
そんな瞬間が、僕にはとても幸せに感じられた。
いつまでもこんな空間にいたい――そう願った。
* * *
「ニルニィ、ここにいたんだ」
「先輩ですか? 何の用です?」
ニルニィはモンスターの飼育施設で清掃作業を行っていた。僕が彼女の傍に寄っても、こちらに振り向かずに清掃用ブラシをかけ続けている。彼女の機嫌が悪いのは明らかだ。
「クリスティーナはお前の言葉を聞いて反省してたぞ? 『自分が無責任だった』って」
「そうですか」
「だからさ、お前に謝りたいみたいなんだよ。もう一回、彼女のところへ行ってくれないか?」
「……」
彼女のブラシをかける手が止まる。
「――私、途中から気付いてました。クリスティーナさんは死にたがっているって」
「そうなのか?」
「あの人の仕草や言葉の中に、昔の自分と似たような部分を見つけたんです。孤児院に預けられていた頃、私も『死にたい』って考えてました。死ねば、天国にいるお父さんとお母さんに会えるかも――って」
孤児院から引き取られた当時の彼女が脳裏に浮かぶ。あのときの彼女は暗く、どこか思い詰めた表情をしていた。
「でも、今、私は幸せなんです。先輩や先輩の両親や、ルーシー姐さん、他にも色んな人に囲まれて、いつからか死への願望は消えていました」
「そっか」
「クリスティーナさんを見ていると、あの頃の自分と頭の中で重なるんです。周りが心配しているのが見えていなかった頃の自分と」
「うん……」
「それが見ていられなくて、でも死にたがっている人にどう接すればいいか分からなくて、恐くて、勝手に死のうとして先輩を困らせていることに腹が立って、だから――」
「だから彼女と距離を取っていたのか……」
食事や雑談のとき、ニルニィはクリスティーナとあまり打ち解けていなかったのを思い出す。ただ単に敵兵だから警戒していたのではなく、接し方が分からなかっただけなのだ。
僕は後ろから彼女を抱き締める。
「もう彼女は大丈夫。だから、ニルニィも普通に接していいんだよ」
「先輩……」
「だからさ、戻ろう。みんな心配してる」
「はい!」
* * *
「あれ、ギルダさんじゃないですか?」
「あ、本当だ」
研究所に戻る途中。
僕とニルニィは、数人の屈強そうな部下を引き連れて廊下を歩くギルダを発見した。僕の研究所の方角から歩いてきている。僕が留守にしている間に再度訪ねてきたのだろうか。だが、彼は僕のことなど見えてないようにスルーしていく。
研究所にはクリスティーナが残っていたはずだが。
嫌な予感がする。
その集団の先頭には、薄く笑いを浮かべているギルダ。その横を彼の忠臣であるユーリングが歩く。
そして、その後方には――
「クリス……ティーナ?」
ギルダたちとすれ違う瞬間、彼の並んで歩く部下たちの隙間に彼女のものらしき金髪が揺れ動いていたのを、僕の視界が捉えていた。
まさか――嘘だろ!?
僕は瞬時に踵を返してギルダの集団を追いかけた。そして集団の中へ割って入り、その金髪の持ち主の肩を掴んでこちらを向かせる。
「クリスティーナ!?」
「……」
確かに彼女はクリスティーナだった。
だが、顔面は蒼白で、生気を感じられない。口をポカンと開け、体に力が入っていないようだ。視線は宙に留まっており、僕を見ても何も喋らない。凛々しく美しいあの姿は完全に消失していた。
「ギ、ギルダ!?」
「どうした、カジ? 私を呼び捨てにするとは、随分といい身分になったものだな」
「彼女に……クリスティーナに何をした!?」
「ああ、この女捕虜のことか? こいつはな、魔王様の妻となるのだ」
「え」
あのおっさんの妻!? 何を言ってるんだ、こいつは!?
「この女は魔王様の性欲解消において価値を発揮した。だから魔王様の健康状態を維持するには適役であり、永遠の伴侶とすることがふさわしい。貴様もそうは思わんか?」
「ぼ、僕は……」
「そこで、貴様がこの女にかけていた捕虜として留めておくための術を解除し、私の
「ど、どうして……」
「『あの魔王様の妻になれ』と言ったら、激しく抵抗されたものでな。人間風情が我々の要望を拒もうとするなど、思い上がりも甚だしい。貴様も捕虜を抱える手間が省けて気分が楽だろう?」
「……」
僕は、何も言えなかった。
彼女にギルダから
嘘だろ。彼女といると、あんなに楽しかったのに。
再び、笑い合うこともできない。
それに、僕は、僕は彼女のことを――
「数日後に魔王様とこの女の結婚式を開く、これまでにないくらい盛大にな。今回の件に貢献してくれた貴様も式くらいは招待してやる」
「……」
「それでは、私は忙しいので失礼させてもらおう」
ギルダはクリスティーナを引き連れて去っていった。
廊下には絶望感で呆然と立ち尽くす僕と、それを逡巡と眺めるニルニィだけが残されたのだった。
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