54匹目 生きる価値、生きる意味
「私の過去をカジ殿には全部知っていてほしいんだ。私の生きた証を遺すために」
「分かった。聞かせてくれ」
僕は再びベッドの横にある椅子へ腰かけた。
「私は義父から嫌がらせを受けて、家から出ることを決意した。しかし外へ出ても、行く当てはない。飢えながら、雨に打たれながら、モンスターに襲われながら、私は目的地のない旅を続けた。そして、ついに倒れた。名前も知らない山の中で」
「それで、どうなった?」
「気が付いたら、近くにあった集落の民家にいた。そこは宿屋でな、主人のおばあさんが私を拾って介抱してくれたんだ。その日から、私はそのおばあさんの娘として生きるようになった。おばあさんは優しいし、ちゃんと私の面倒も見てくれる。私は幸せだった。義父との生活が嘘のように感じるほどな」
「それはよかったじゃないか」
僕は彼女の話を聞いてホッとしていた。ハッピーエンドになったのなら何よりだ。
しかし――
「でも、幸せは長く続かなかったんだよ」
「え、どうして?」
「魔族との戦争の激化で、村の周辺から兵器の素材になる材木やら鉱石やらが搾取されるようになった。もちろん、その指揮は帝国政府だ。その搾取のせいで村の資源や収入が減った。集落はどんどん困窮して、村民は一丸となって帝国政府に抗議した。でも、却下された。あいつらは辺境に暮らす農民の生活なんて考えちゃいないのさ」
「それで、クリスティーナはどうしたの?」
「こうやって騎士団に入って、外貨を稼ぐようになった。今のご時世、商売の才能がなくても稼げるのは軍事関係の仕事ばかりだからな。私の給料でどうにか村は食い繋いで、帝国に抗議を続けた。ヤツらはそんな私たちが、いい加減疎ましくなったのだろうな」
ここで僕は気付いた。
彼女の捕虜交換が行われない理由に。
「まさか、帝国軍がクリスティーナの交換に応じないのは――」
「ああ。私を戦場で行方不明にさせることで村民の収入源を潰し、村を本格的に壊滅させるつもりなのだ」
「そんなことが……」
「それだけじゃない。私は帝国軍に入って様々な内部情報も調査していたのだが、村の地下には鉱脈があることも彼らは掴んでいたらしくてな。村を壊滅させれば、うるさい輩もいなくなって、地下のお宝も入手できる。一石二鳥という訳だ」
「国が地方自治体を壊滅させようとするなんて……」
港町エルラシアを訪ねたとき、漁師が「内陸で帝国軍が資源採掘している」と言っていたのを思い出す。彼女の村もその被害に遭っていたのだ。
「きっとヤツらは集落の資金源に気付いて、私を捨てることに決めたんだろう。正当な理由なく騎士団は解雇にはできない。だから『戦闘中に行方不明』という形でな」
「クリスティーナが本隊から離れて僕を狙ってきたのは――」
「私が捕まったときの戦闘も、わざと上官が私に単独で奥の弓兵を叩くよう命令したのだ。私も、何となくその命令が危険なことは分かっていた」
「じゃあ、どうして命令に応じたりなんか――」
「応じなければ、命令違反やらで軍法会議にかけるつもりだったんだよ! ヤツらは! そうやって集落を潰す算段だったんだ! だから、私は危険と分かっていても従うしかなかったんだよ……」
クリスティーナの声に怒りが篭る。
「数ヶ月前、同じ部隊に似た境遇の青年兵がいたんだ。そいつは『帝国の鉱石採掘のせいで村の生活が苦しくて、ここへ稼ぎに来た』と言っていた。でもヤツはすぐに行方不明になった。上官からの無茶な命令に従ったせいで」
「そんな……」
「それで私は気付いたんだよ。高い給料を餌に、潰したい集落の働き手を戦場で消す――そういうことが軍の裏で行われていることにな」
胸糞の悪い話だ。帝国軍にはそんな闇のカラクリがあるのか。
「私は、宿屋の母上から受け取った恩を返したい。村人もみんな私に優しくしてくれた。彼らを困らせたくない」
「クリスティーナ……」
「でも、今はそれができなくなってしまった。私がこうしている間にも集落周辺の自然が荒らされ、村の仲間が困っているだろう。今頃軍内部で私は行方不明扱いされ、給料の支払いが滞っているはず……」
彼女の目に涙が溜まり始める。
「私には村の仲間に深い恩がある。だから、その恩は絶対に返す。例え、私が死んでも――な」
クリスティーナは僕の目を見つめた。真剣な眼差しで。
「帝国軍の裏の顔に気付いた私を、今度こそ上層部は殺しに来るだろう。例え、私がこのまま軍を辞めてしまっても、な」
「そんな……」
「ただ唯一、母上へ大金を送る方法がある。ずっと考えていたのだが――」
「まさか……それって」
僕にはクリスティーナが何を考えているのか分かった。
いや、分かってしまった。
『私の過去をカジ殿には全部知っていてほしいんだ。私の生きた証を遺すために』
この言葉の意味を理解してしまった。
戦死補償金。
戦死者の遺族へ払われる金だ。彼女は自ら戦死して自分の死体を晒すことで、補償金を遺族へ送ろうとしている。
「あのとき、お前に弓で殺されてもよかった。厳しい拷問で獄中死してもよかった。とにかく敵に討たれて殉職という形になれば、一時的にでも母上らに資金が手に入る」
「そんなこと、言わないでくれ……」
「でも、思い通りにはならなかった。触手やら薬やらでうまく回避された。運の悪いことにな」
彼女の隠していた事情に、僕は言葉を失った。彼女から発せられた言葉を信じたくない。そんなことを考えていたなんて。彼女の眼差しから、僕は目を逸らした。
クリスティーナは上半身を起こし、僕の手を両手で強く握る。
「この世に未練はもうない。カジ殿が私を始末してくれればそれでいい」
「クリスティーナ。それは……ダメだ」
「カジ殿が帝国に向けて『クリスティーナという帝国兵を処刑した』と大きく広めるんだ。それならヤツらも言い逃れできまい。それで仲間に大金が送られる」
「僕にはできない。『危害を加えない』と約束した」
「こんなことを頼めるのはカジ殿しかいないんだ。それに、私はヤツらにビクビク怯えながら暮らすのにもう疲れた。だから――」
そのとき――
パァン!
突如、部屋の奥から現れたニルニィが、クリスティーナの頬を平手打ちした。
「痛……」
「先輩を困らせないでください、クリスティーナさん」
「ニ、ニルニィ殿?」
鬼のように怒りの篭った視線で、彼女はクリスティーナを見下ろしていた。
「集落の人はそんなお金なんか受け取りたくないはずです! あなたはそんなことも分からないんですか!?」
「そうかもしれない。だが――」
「あなたは、大切な人を悲しませるつもりですか!? どれだけその人の心に深い傷を残すか知ってるんですか!?」
ニルニィは泣いていた。呼吸が乱れ、握られた拳がわなわなと震えている。
僕には分かる。その涙の意味が。
「それに先輩はあなたのことが――」
「カジ殿が、何だ?」
「もういいです! あなたのことなんか知りません!」
そう言い放つと、ニルニィは研究所を飛び出していった。涙でしわくちゃになった顔を白衣の袖で隠しながら。
僕とクリスティーナは開け放たれた扉を、しばらく呆然と眺めていた。
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