53匹目 女騎士の過去

 僕は粘液まみれのクリスティーナを背負い、浴場へ向かった。

 城に勤める者なら誰でも利用できる大浴場。そこで彼女の粘液を洗い流すのだ。

 途中、ルーシー姐さんとも合流し、彼女がクリスティーナを洗うことになった。脱衣所に彼女を横たわらせ、服の留め具に手をかける。


「あらあら。またすごい量の粘液ね」

「すいません。今回もお願いします」

「じゃあ、この捕虜用の服を脱がすわよ」


 姐さんは彼女の服を剥いでいき、白い肌が露になっていく。

 さすがに僕がこの場にいるのはまずいだろう。僕は彼女の体から視線を逸らし、脱衣所を出ようとした。


 しかし――


「ん?」


 僕が着用している魔術師用ローブの足裾が誰かに引っ張られる。僕は振り返り、足元を確認した。


「クリスティーナ?」

「カジ……いかないでくれ」


 彼女の手が僕の足裾を掴み、僕が遠くへ行こうとするのを阻む。彼女は薄く目を開けて僕を見つめており、朦朧とした意識の中でこの動作を行ったのだろう。今の彼女はこれまでの付き合いから想像できないほど弱々しく見えた。


「カジ。この子の傍にいてあげて」

「姐さん? でも、僕、男ですし……」

「傍にいてくれた方が、この子、きっと安心するから」


 ルーシー姐さんに促され、結局僕は粘液の洗浄に最後まで同行することになった。幸運にも大浴場には僕ら以外に誰もおらず、人目を気にしないで利用できた。






     * * *


「カジ殿。すまないな、見苦しい姿を見せた」

「いや、その原因を作ったのはこっちの事情だから、謝る必要はないよ」


 数時間後、粘液を洗い流したクリスティーナは研究所のベッドで横になっていた。ようやく気力が回復してきたようで、顔色もかなりよくなっている。

 僕はそのベッドの横に椅子を置き、彼女の様子を見守っていた。


「もう大丈夫? すごく辛そうだったけど?」

「ああ。落ち着いてきた。カジ殿にはこんな姿、見せたくなかったのだがな」

「触手に触れられるのをすごく嫌がってたみたいだけど」

「私な、触手が大嫌いなんだ。アレを見てると、アイツの顔を思い出してしまう」

「アイツ?」

「私の義父のことだ。アイツは私に――」

「辛い記憶なら無理に喋らなくてもいいんだぞ」

「いや。話させてくれないか。カジ殿には伝えておきたい気がするんだ。こんなに脆弱で、何にもできない私のことを――」


 そう言うと、彼女は自分の過去について話し始めた。






     * * *


 クリスティーナが幼少期に住んでいたのは帝国の辺境にある港町だったらしい。

 父親が若くして他界してしまい、母は自分とクリスティーナを養ってくれそうな男と再婚した。再婚相手は魚介類の卸売業者を営む金持で、母の美貌に惹かれて求婚を受け入れたのだ。


 それがクリスティーナの悲劇の始まりだった。


 再婚相手の目的はあくまで彼女の母親であり、義理の娘など不要な存在だった。彼女のことは無視され、一度も遊んでもらえたことがない。

 やがて母と再婚相手の間に子どもが誕生すると、その育児放棄ネグレクトはエスカレートした。再婚相手は自分と血の繋がった子どもだけに夢中になり、母親も彼女のことが見えていないように振舞った。

 そして、クリスティーナへの虐待はさらにエスカレートする。不漁などが続いて自分の経営する会社の業績が落ち込んだ義父は昼間から酒を飲み、その鬱憤をクリスティーナへとぶつけた。顔に傷があると周囲からも虐待を疑われるため、他人からは見えにくい腹部を殴られた。母は特に何もせず、それを見ているだけだった。

 義父にとってクリスティーナは邪魔な存在でしかない。彼はとにかく家から彼女を追い出そうと、あらゆる手段で嫌がらせを行った。


 そして、彼女が触手嫌いになる出来事が発生する。


 ある日、義父の所有する漁船が引き上げた網に大量の小型触手系モンスターがかかっていた。偶然それを知った義父はクリスティーナで鬱憤を晴らすための新しい方法を思い付いてしまう。


 港に巨大な木箱が用意され、その中に大量の触手モンスターが入れられる。義父はクリスティーナもその木箱の中へ放り込んだのだ。


『止めて! ここから出してよ!』

『ハハハハッ! ほうら、絡み付け絡み付け!』


 クリスティーナの体全体に触手が纏わり付いていく。まるで、義父の指示に従うように。

 粘液の冷たくぬるぬるした感触が彼女に嫌悪感を抱かせる。彼女は泣き叫び、失禁し、一晩中モンスターと一緒に閉じ込められた。

 それから義父は触手を使った嫌がらせをしてくるようになった。不意に触手を投げ付けられたり、彼女の持ち物が触手の粘液でベトベトになっていることもあった。


 それから彼女が触手を見る度に、当時の義父が嗤う顔が脳裏を過ぎるようになる。







     * * *


「そっか。大変だったな」

「ああ。聞いてくれてありがとう、カジ殿」


 ベッドで横になる彼女の手に、僕は自分の手をそっと重ねた。そうせずにはいられなかったのだ。彼女の手は微かに震えており、恐怖を思い出しながらも語ってくれたことを僕に教えてくれる。


「さっき、私があの触手に抱かれたとき、義父の顔が浮かんだんだ」

「そうか……」

「私のことを嗤ってた。あの声が自分の耳にこびり付いて、頭がおかしくなりそうだった。すごく苦しくて、恐かった。でも――」


 クリスティーナは僕の手を握り返す。


「――そんな私を、カジ殿が救ってくれたような気がした」

「僕が?」

「あのとき、カジ殿は粘液まみれの私を抱き締めてくれた。温かくて、心地いい――そんな感触がした」

「そうかな?」

「あの悪夢ような記憶の中に、救いの手が差し出されたような気がするんだ。いつの間にか義父の嘲笑は聞こえなくなっていて、目の前にカジ殿がいた。それが、すごくホッとした」


 だから先程クリスティーナはずっと僕を傍に置こうとしたのか。

 彼女は僕の顔を見て微笑む。


「でも、あのエクスキマイラに君を触るよう命令したのは僕だし……」

「カジ殿が故意でそういうことをするようなヤツではないのは知っている。あのギルダとかいうヤツに従わなければいけない立場なのだろう? 私も一応軍人だし、嫌でも上司の命令に従わなければならない辛さは分かっているつもりだ。だから、気にするな」

「そっか……」


 彼女のこの言葉に、僕は胸を撫で下ろした。

 優しい人だな、この人は――。


「こんな僕でも、クリスティーナの役に立てたのなら嬉しいよ」

「礼を言わなきゃならないのは私の方だ。あのときは助かった」


 彼女の表情は解れ、今は随分穏やかになっている。


「そっか。じゃあ、僕がお茶でも淹れて来るよ。喉渇いたでしょ?」


 僕は椅子から立ち上がり、研究所内の簡易調理場へ向かおうとした。


 しかし――


「ま、待ってくれ。カジ殿!」

「何?」

「私の過去の話だが、まだ続きがあるんだ。カジ殿には最後まで聞いてほしい。私が生きたことを証明する一人として――」

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