51匹目 黙殺された申し出

「――ん?」

「目が覚めました? クリスティーナさん?」


 僕は研究所にクリスティーナを運び、仮眠用ベッドに寝かせていた。決して上質なベッドとは言えないが、捕虜を扱う分には問題ないだろう。


「うわぁっ!? どこだ、ここは!?」

「僕の研究所ですけど」


 目を丸くして飛び起きるクリスティーナ。被せていた毛布が吹き飛ばされ、彼女の豊満なボディーラインが露になる。彼女が着ているのは捕虜用の薄い布の服たった一枚だ。手足には魔力で実体化した手枷と足枷が付けられており、自由に動くことを禁じている。


「私をどうするつもりなんだ!」

「しばらくはこの部屋で過ごしてもらいます。いずれ捕虜交換のカードとして、向こう側に差し出す予定で――」

「次の捕虜交換はいつになる?」

「未定です。下手したら、数年後になるかもしれません」

「そ、そんな……」

「無闇に危害を加えないことは約束します。ですから、どうか落ち着いてください」


 彼女は「はぁ……」と深いため息をつき、全身から力が抜けたようにベッドへ倒れ込む。彼女は経験の浅い新兵で、敵の本拠地に独りきり。絶望するのも無理はない。


「そ、それで、拷問のときの記憶が私にはないのだが、私は何か喋っていたか?」

「自白用の薬品を使ったら色々喋ってくれましたね。『勇者が行方不明』だとか『エクスカリバーの所在を掴みたい』とか、こちらが聞いたことは全部。そのおかげでこちらは楽に尋問が終了しましたけど」

「あああああっ! く、薬を使うなんて卑怯な!」

「人間も魔族も使ってる常套手段ですけど……」


 クリスティーナはこれ以上ないくらいにポンコツ兵だ。僕の中にあったクリスティーナへの憧れがボロボロと崩れていく。麗しい容姿でそう見えただけなのか。理想と現実の落差に、僕の口からも大きなため息が出る。


「ここが、僕の研究所です」

「先客が結構いるな」


 僕がクリスティーナを研究所へ連れて来たことに対する反応は皆それぞれだった。

 ニルニィはクリスティーナから距離を取り、家具の陰から彼女を見ていた。いくら人見知りが改善しても、敵国の兵士ともなれば不安に感じるだろう。それに、彼女の両親は帝国兵によって殺害されている。不信感を持つのも無理はない。

 一方、異世界のジョシコウセイと呼ばれる少女たちは、クリスティーナのことを興味津々に近くから見ていた。「コノセカイノニンゲンダ」とか「キレイナキンパツ」などと喋っている。僕は彼女たちを研究所の外へ積極的に出したことはない。だから、外から来る者が珍しいのだろう。もしくは、自分と異世界人との違いなどを見比べているのかもしれない。


 クリスティーナもそんな様子を見て、僕に尋ねる。


「カジ。ここは随分と女の多い場所だな」

「まあ。色々わけがあるんですよ」

「まさか、私もコレクションに加えるつもりなのか!?」

「彼女たちをコレクション呼ばわりしないでください」

「いや、信じられないな。カジは私の胸を覗いていた男だからな」


 その言葉がクリスティーナから発せられた瞬間、僕は背後から殺気のような視線を感じて振り返った。あの勇者にも負けない強者の気配。そこには扉の陰に半身を隠しながら僕を無表情で見つめているニルニィがいた。


「ニルニィ……今の話は違うんだ」

「先輩。幻滅しました」


 ニルニィは部屋の奥へ消えていった。








     * * *


 僕の研究所にクリスティーナが暮らすようになって、さらに数日が経過した。


 帝国には彼女を人質として預かっていることを通知したのだが、人質交換に関する連絡は全く来ない。おそらく彼女は見捨てられたのだろう。所詮、人間の価値は出身や身分によって違うのだ。農民出身の下っ端騎士と貴族出身の指揮官では確実に後者へ助けが来る。

 ここへ来た当初は「ここから早く出せ」と反抗的な態度を見せていたクリスティーナだが、その表情にはどこか暗い部分があった。本当のところ、自分が救出するに値しないのを分かっていたのかもしれない。


 だが、不可解な部分もある。帝国軍の兵士の士気を上げるためにも捕虜交換は有効なはずだ。「敵に捕らえられてしまっても交渉で助けてくれる」というイメージを兵士に抱かせる。

 それなのに、帝国軍はなぜ彼女の交換に応じようとしないのか。

 もしかすると、クリスティーナには事情があって帝国から疎まれているのではないだろうか。彼女自身もそれに気付いていて、暗い表情を見せているのだろうか。それなら彼女と戦闘したあのとき、彼女は本隊から離れて敵を討つよう危険な命令されていたという可能性にも納得できる。


 とにかく、捕虜交換の申し出を黙殺するということは「クリスティーナを殺してしまっても構わない」と同義だ。

 魔王軍からも「交換に応じないのなら、彼女を早く処刑した方がいいのでは?」という勧告が来ている。


 それでも僕は、敵兵である彼女を葬ろうとは思わなかった。

 彼女は一応触手作りの恩人だし、僕からも「危害を加えない」と約束している。

 最初は彼女は僕らに反抗的だったが、徐々に大人しくなっていった。一応、彼女には捕虜用の魔術がかけられており、一部攻撃的な行動や逃走行為はできなくなっている。それでも他人の経験談と比較すると大人しい方らしい。


「お前、捕虜に手錠もしないまま研究所に過ごさせているのか?」

「そうだけど……」

「相手は腐っても軍人なんだぞ? それは止めておけって」

「でも、すごく大人しいし」

「俺が捕虜を管理したときは、ヤツらとにかく俺から逃げようと必死だったんだぜ?」

「彼女は窓から逃げようともしないけど」

「どうなってんだよ、お前のとこの捕虜は……」

 

 捕虜の多くは「いつ拷問または処刑されるか分からない」といった恐怖に支配され、自分で捕虜用魔術を解除して逃げようとするらしい。

 しかし、彼女はそんな様子を見せない。逃げ出す隙はたくさんあったはずなのに。ただ単にここからの逃走ルートが分からないだけかもしれないが。

 僕が研究する様子をぼんやり見つめながらストレッチなどをしていたと思う。生活態度に一切の問題もなく、ここから追い出す正当な理由も見当たらない。


 それに、彼女といると不思議と楽しかった。

 クリスティーナとは一緒にご飯も食べるし、雑談もする。彼女は一緒に住んでいるジョシコウセイたちとも仲よくなった。笑顔も増えていき、研究所の面々とすっかり打ち解けている感じがした。

 ただし、ニルニィを除いて――。

 彼女だけは、どこかクリスティーナを避けている。なぜか彼女に悲しそうな目を向けていた。





     * * *


 長い捕虜との共同生活の中で、ルーシー姐さんにクリスティーナの身体を洗うよう頼むこともある。ニルニィはクリスティーナを避けているし、男性である僕が服を脱がせて身体を洗うのも警戒させてしまう。


「分かった。クリスティーナちゃんは引き受けたわ」

「カ、カジ殿。このサキュバスは信頼できる人物なのか?」

「う、うん。多分」


 ルーシー姐さんにクリスティーナを任せると、彼女らは浴場へ消えていった。手枷によって自由に身体を洗えないクリスティーナに代わって、姐さんが石鹸を泡立てる。クリスティーナを屈ませ、白く筋肉質な肌を背後から泡で撫でていった。


「クリスティーナちゃんって、なかなか面白い子なのね」

「わ、私が面白いだろうか……?」

「美人なのに、所々残念な部分があるというか、性格が堅すぎるわね。帝国に暮らしていた頃、恋人なんて作らなかったでしょう?」

「うっ……」


 ルーシーの言葉に、クリスティーナには心当たりがあった。

 自分が育った山間の宿屋。あそこを彼女自身が継がなければ、宿屋を切り盛りできる人間がいなくなってしまう。母との思い出が詰まった宿屋をどうにか残したい。しかし、どこかに自分が嫁いでしまえば、それも難しくなる。クリスティーナの村では多くの女性が嫁ぎ先に住み込み、家事や子育てに専念する。この慣習に従ってしまうと、母の世話も難しくなるし、宿屋を残すなんて絶望的だ。

 これまで彼女に何人かの男性が結婚を申し込んできたが「結婚後は自分の家に住み込んで、子どもを沢山産んでほしい」という要望は共通だった。クリスティーナはそんな男性たちとの縁談を次々と断ったため、まともに恋愛などした経験はない。母は「私のことは気にしないで好きな異性と結婚しなさい」とは言ってくれたが、心の整理はできずにいた。


「ひ、否定はしない……」

「そういう口調も堅苦しいわね。そんな歳で処女を貫いている女性も珍しい」

「な、何でそんなことも分かるんだ!」

「アナタ、処女の匂いがするもの」


 ルーシーは泡の付いた手で、クリスティーナの腹を優しく擦った。突然、敏感な部分を弄られ、彼女の身体がビクンと跳ね上がる。変な悲鳴を上げながら逃れようとするが、泡だらけの床に滑って転び、だらしなく仰向けになった姿をルーシーに見せつけてしまった。


「ふふふっ、可愛い。ちょっとアナタの性感帯を触ってみちゃった。腹筋、すごいわね」

「や、やめてくれ……いくら女同士でも、こんなのは耐えられん」


 クリスティーナはルーシーの笑顔に戦いた。このサキュバスに身体を洗わせていたら、もっと刺激的なことをされるのではないか。男性に弄ばれるのとは全く別の、未知なる恐怖を感じていた。


「心は堅苦しいのに、身体は敏感……アナタって本当に面白いわね。カジがアナタを守ろうとするわけが、分かった気がする」

「私を守ろうとしている、とはどういう意味だ?」

「あら、知らないの? アナタを早く処刑するよう軍から彼に勧告が出されているのよ? 捕虜の維持にもお金がかかるからね。でも、カジは魔王軍幹部の権限を使って処刑時期をどんどん先延ばしにしているの」

「そ、そんなの初耳だぞ!」

「カジはアナタを怯えさせないために、敢えて伝えていないのかもしれないわ」


 なかなか処刑の瞬間が訪れないことを不思議に思っていたクリスティーナだったが、その疑問が驚愕へと変わった。


「どうしてカジ殿はそんなことを……?」

「きっと、彼はアナタに惚れているのね。もしかすると、一目惚れでもしたんじゃないかしら」

「えっ、私に……?」


 一目惚れという言葉に、クリスティーナの頬が一気に赤くなる。

 カジが自分のことを好いているだって?


「いやいや! そんなのありえない! だって、私はカジ殿と敵対する国の兵士で、彼に刃を向けたこともある! そんな相手を好きになるなんておかしいだろ!」

「本気で惚れているなら、それくらい許せるわよ。そうでなければ、アナタは今頃処刑されていると思うのだけれど」


 クリスティーナは何も言い返せなかった。

 思い返すと、これまでカジと生活していて、思い当たる部分はいくつもある。彼の作った料理を自分が食べているとき、嬉しそうな顔をする。彼の愛読しているモンスター図鑑を、饒舌になって説明してくれる。私の衣服がはだけていると、彼は赤くなった顔を手で隠し、服の乱れを指摘してくれる。

 普通の捕虜になら、絶対にそんなことしてくれないだろう。昔、騎士団内で「女性捕虜が強姦された」という噂も聞いたことがあるが、そんなことをしてくる気配もない。海獣の王リヴァイアサンの胃袋を提供した御礼にしては丁重すぎる。


 カジは私のことが好きなのだ。

 そのことを確信し、クリスティーナは身体の芯までさらに火照った。


「わ、私はどうしたらいいんだ!」

「別に受け入れてもいいんじゃないの? 身分や種族を超えた恋愛って素敵じゃない」

「それはそうかもしれないが……」

「大丈夫。きっと、何かあればカジが守ってくれるわよ」


 ルーシーは微笑みかけるも、それと対照的にクリスティーナの表情は落ち込んでいた。深く俯き、泡だらけになった自分の胸を見つめる。


 クリスティーナは不安だった。

 確かにカジの傍で暮らしていれば、自分の命は守られるかもしれない。

 しかし、自分はこのまま故郷に帰ることができないのではないか。自分を育ててくれた母親に恩返しができなくなるのではないか。

 カジはこれから自分をどう扱うつもりなのだろう。帝国軍へ引き渡すにしても、処刑するにしても、地獄は避けられない。


「アタシもアナタのこと、応援しているわ」


 黙ったまま俯くクリスティーナを、ルーシーは背後から抱き締めた。それでも、彼女の不安げな表情は変わらない。自分の置かれている境遇を、ずっと呪っていたままだった。










 ギルダと魔王のおっさんが僕の研究所を訪ねてきたのは、そんなときだった。

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