44匹目 【勇者編】三度目の触手

 そいつらは、ぬるぬるしていた。






     * * *


 ――魔族領国境近くの森林。

 深夜、周辺の森林は深い闇に包まれ、鳥や虫の鳴き声すら聞こえない。


 俺は木々の間に腰かけ、休息していた。落ちていた枝で焚き火を作り、水を温める。


 明日はいよいよ魔族領に侵入して魔王軍の前線基地に襲撃をかける日だ。今のうちに疲労を回復し、万全の状態しなければ。


 俺は背中にかけていた聖剣エクスカリバーを手に取り、その刃を眺める。

 そこに刃こぼれは一切ない。表面も鏡のように焚き火の光を反射している。どうやら得物を手入れする必要はなさそうだ。


「ふぅ……それじゃ、かたきは討ってやるからな。オルネス……ミア……」


 俺の仲間はもういない。

 モンスター・デベロッパーが作ったモンスターによって殺された。

 帝国の上層部は『新たに勇者へ随行者を追加する』と言っていたが、俺はその話を断った。

 今や、俺にとってこの戦いは仲間だった者たちの弔い戦のようになっている。新たな仲間を私情の戦いに巻き込みたくはなかったし、再び仲間を失いたくもなかった。これから先、犠牲になるのは俺だけで十分だ。


 それでも帝国の上層部はエクスカリバーを失いたくないらしく『すぐに厳選した騎士による部隊を派遣する』と言っていたが。


「待ってろよ。カジ……」


 カジ・グレイハーベスト。

 俺の仲間を殺害したモンスターを作った魔術師らしい。


 俺はヤツへの憎しみを抱きながら仰向けになり、目を閉じた。


 そのとき――



 ――ガサッ!



 落ち葉を踏む音。

 その音源が徐々に俺のところへ接近している。それは1つや2つではない。合計で何十もの音が自分を取り囲み、こちらの様子を窺っているようだ。


「まさか、敵か?」


 ここは魔族領近くの森林。敵が待ち伏せしていてもおかしくはない。

 しかし、鎧が擦れるガシャガシャという音までは聞こえない。となると、相手はモンスターだろうか。


 甘ったるい異臭。

 ベチャベチャと嫌な音が響く。


 そして――


 ブチャアァッ!


 襲撃。

 木々の間から、鞭のような攻撃。


「くっ!」


 後方に跳んでその攻撃を回避した俺はエクスカリバーを持って立ち上がり、鞘から剣を抜いた。


「敵か!? 来いよ!」


 ベチャッ! ベチャッ!


 その攻撃はあちこちから行われた。木々の狭い間、藪、樹上――俺から死角となる場所からの攻撃が俺に命中していく。

 エクスカリバーから斬撃を飛ばすも、木々が遮蔽物となって敵に当たらない。


「ちくしょう! どこか広い場所に出ないと……!」


 俺は走り出した。音を頼りに、敵の足音が一番少なかった方向へと。

 今回の状況は俺にとって最悪だった。ただでさえ視界が悪いのに、敵が自分の姿を晒してこないのだ。長い鞭のような攻撃が遮蔽物の向こうから行われるだけで、俺は敵の本体を捉えることができない。


「ハァッ! ハァッ!」


 俺は開けた場所を目指して走った。


 そして発見する。

 木がない、広場のような場所を。そこなら敵も攻撃の際に自分の姿を晒す必要があり、迎撃には最適だった。


「ここだぁっ!」


 俺はそこに飛び込んだ。


 しかし――


 ズルッ!


「ぐぁっ!?」


 盛大に転んだ。地面がぬかるんでおり、足元が不安定だった。俺は地面に手を付き、立ち上がろうと力を込めた。

 そのとき、気付いた。


「何だよ……これは!」


 足場を不安定にしていた液体は、明らかに水ではない。ぬるぬるとした潤滑液だ。甘ったるい異臭まで放っている。地面から手を離すと糸を引いていた。そんな液体が全身に纏わり付き、気色悪い感触を俺に抱かせる。


 そのとき――


 ――ベチャッ!


 森林の方から嫌な音が響く。

 それは、俺を追っていた敵の足音だった。


 厚い雲がゆっくりと移動し、月明かりが敵を照らす。

 そこで、自分を追う敵の正体が明らかになった。


「何だ、お前ら。気持ち悪っ!」


 そこにいたのは、何匹もの触手生物。

 合計で何百本という触手がうねうねと宙を動く。月光が彼らの纏う粘液に反射して、てらてらと不気味に輝いていた。


「お前ら、魔王軍の手先か?」

「ユウシャ……コロス……メイレイ」


 触手のうち、巨大な個体がカタコトで喋る。触手を持つ様々なモンスターが俺を取り囲み、ギョロリとした目玉で睨んだ。

 ただならぬ殺気。

 俺はそれを感じ、聖剣を鞘から抜こうとした。


 だが――


 ――ヌルッ!


「え……」


 手に付着した潤滑液のせいで、剣をうまく握れないのだ。どうにか鞘から抜くことはできたが強く握ろうとすると手が滑って剣を落としてしまいそうになる。

 一方、触手たちは潤滑液が撒かれた地面を滑らかに移動していく。まるで氷上のソリのように――。


 このとき、俺は完全に触手たちの罠に嵌っていた。潤滑液を散布した広場へ誘導し、剣の握りと足場を不安定にする。それがヤツらの狙いだったのだ。


「……カカレ」


 リーダー格の触手が他の触手へ号令を発すると、一斉に俺へ跳びかかる。

 俺はそれを、手から滑りそうな剣を振ってどうにか切り落としていく。ヤツらの死体が地面に転がり、ベチャベチャと音を立てる。息絶えてもなお、触手は地面でビチビチと動いていた。

 大丈夫。触手はそこまで硬くない。

 ドラゴンのように硬い皮膚や鱗を持っていたら危なかったかもしれない。だが、これなら切り落とすことも可能だろう。


 しかしこのとき、もう一つ大きな罠が俺を捉えていた。


 それは――








 ――股間が熱い。

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