40匹目 巨大な双丘の目撃
「カジ殿! 胃の内容物ならば海中への廃棄前に調査してもいいらしいぞ!」
「ほ、ほんとですか!?」
結局、僕は帝国軍基地周辺の
木製の柵に囲まれた砂浜。その中央に
柵の外を騎士団らしき人物がパトロールしており、死体周辺では軽装の若い男たちが解体作業を進めている。
ここへ来る途中、適当な理由を作り上げて帰ってもよかったのだが、最後までクリスティーナに案内させてしまった。本来なら身バレする前にさっさと去るべきなのだが……。
何というか、僕はクリスティーナに惹かれてしまったのだ。この一目惚れした美しい女騎士に――。僕は彼女と別れるのが惜しくて「もう少しだけ彼女を見ていたい」と考えているうちに敵の拠点まで到着してしまった。
「しかし、あっさりと許可が下りましたね」
「ああ。地元住民による特例法の反対が多かったせいだな。その不満軽減のために武具素材調達以外に関しては許可を甘くしているんだろう」
僕は彼女に連れられ『関係者以外立ち入り禁止』の札がかけられたゲートをくぐる。一瞬パトロールしている騎士に睨まれたが、どうにか僕の正体がバレずに済んだ。
「最近、ここへは漁業関係者が抗議に来てな。あのパトロールの連中は、カジ殿が彼らの仲間ではないかと疑っているのだ」
「ああ、なるほど……」
どうやらここ周辺のパトロールは漁師たちに注意を払っているらしい。
現在の僕の格好は白衣で、とても漁業関係者とはかけ離れた姿をしていた。パトロールが僕をスルーしたのは、警戒するベクトルが魔族よりも漁師たちに向けられていたせいだろう。
とにかく今回は運がよかったのだ。
魔王軍幹部が帝国軍の軍事施設に入るなんて普通できることではない。
* * *
「さ、これがカジ殿が求めていた、
僕の目の前に現れたのはピンク色の巨大なブヨブヨ。まるで丘のようにそびえ立ち、強烈な異臭を放っている。ハエや砂浜の節足動物たちが集合し、それを貪り食らう。
「それでは、カジ殿。私は用があるから、ここで失礼する」
「あ、ああ。ありがとうございました」
「ここを出るときはまた声をかけてくれ。あそこの小屋で待機してる」
クリスティーナはそう言うとゲート近くの小屋を指差した。おそらく駐在所だろう。彼女は砂浜を歩き出し、その中へ消えていった。
「さて、こっちも作業を始めますか……」
僕は手袋を着用すると解体用の大型鋏を取り出し、胃袋の皮を切断した。中から消化途中の餌がドロリと溢れ出す。これがとにかく臭い。この臭いで失神してしまいそうになる。
それでも僕は内容物を広げ始めた。
溶けかけた触手の先端、溶けかけた目玉、溶けかけた吸盤、溶けかけた外套膜――ここは様々な触手系モンスター素材の宝庫だ。僕は求めている素材を見つけては、それを空の樽に詰めていく。
異臭が漂う中行われたその作業は不思議と楽しかった。まるで新しい玩具を買い与えられたような感覚だった。
やっぱり僕は「モンスターが好きでこの仕事をやってるんだな」って思う。
* * *
僕は満杯になった樽を荷車に積み、クリスティーナが待機している小屋近くに停めた。扉の前に立ち、中にいるはずのクリスティーナを呼んでみる。
「あの……終わったんですけど。クリスティーナさん?」
彼女には『帰る際、声をかけて』と言われたが、別にわざわざ報告して帰る義理はない。そのまま連絡なしで帰った方が身バレする可能性は下がるし、そうしてもよかった。
しかし――
「どうしたんです? 扉、開けますよ?」
僕はどうしても彼女のことが気になった。彼女との関係が何か発展することを期待していたのかもしれない。僕と彼女は敵同士なのに。
僕は扉を開け、中を覗いた。
そこには――
「――カ、カジ殿!?」
「え……」
白い肌に、豊満な双丘。
僕の目の前にクリスティーナはいた。
――上半身に何も纏わない姿で。
――え? 一体、これは何が起きているんだ!?
「カ、カジ殿! こ、これは誤解なんだ!」
「えっと、あの……失礼しました」
「これはさっき、急に鎧の採寸を求められて――!」
バタン――!
互いに顔を赤くする僕ら。僕はそっと扉を閉め、彼女は胸を隠した。クリスティーナの隣にはもう一人、巻尺を持った軍服姿の女性がいた気がする。
ああ、まさかこんな場面に遭遇するなんて……。
こんな関係発展の仕方はあんまりだよ。彼女と会うのが気まずくなるじゃないか。
少しドキっとしたけどさ。
* * *
――その日の夕方。
「カジ殿……さっきはすまなかったな」
「いえ……」
「鎧の胸当てを特注するに当たって、胸のサイズを採寸することが求められて……その……カジ殿の調査が終わるまでに済ませておこうと考えていたのだが」
「ああ……そういうことでしたか」
僕とクリスティーナは解体現場を後にして海岸沿いのプロムナードを歩いていた。僕は樽が積まれた荷車を引き、彼女はその横を歩く。
先程のこともあり恥ずかしさでお互いに顔を見ずに前だけを向いている。かなり気まずい。
「その……カジ殿が責任を感じる必要はない。『声をかけてくれ』と言ったのは私だからな」
「いえ……僕も、もう少し考えてから扉を開ければよかったです」
「……」
「……」
会話が続かない。
穏やかな波の音と海鳥の鳴き声だけが僕らを包む。
「で、では。僕はこの辺で失礼します。今日はありがとうございました」
「そうか。ではな、カジ殿」
僕らは互いに小さく手を振り、別々の道を歩いていく。
結局、最後は気まずいまま別れてしまった。
だけど、これでよかったのだ。
僕らは敵同士。仲が深まるなどありえないのだから。
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