19匹目 後輩との出会い

「あらぁ、気分はどうかしらぁ?」

「え……?」


 目の前に、酒場で働くルーシー姐さんがいる。彼女はいつもと変わらず、妖艶な笑みを浮かべていた。


 ここはどこだ? 姐さんがいるということは、酒場かな?


 状況を整理するのに数十秒要した。

 僕は自分の研究室にいて、仮眠用のベッドに眠っていた。なぜか、ルーシー姐さんに膝枕された状態で。

 僕の頭は彼女の柔らかい太腿の上にあり、僕の手前には豊満な双丘が見える。


「あの……この状況、何なんです?」

「アタシ、『あなたが倒れた』って聞いたから看病しに来たのよ? 城の廊下で派手に倒れたそうじゃない? デュラハンさんとあなたの後輩が心配してたわ」

「いや、そうじゃなくって、姐さんが僕を膝枕していることについてです」

「いけない?」

「いけなくはないですけど……」

「あなたもウチの大切なお客さんだし、たまにはこういうサービスも、ね?」


 姐さんはウインクする。


「それにしても、あなた……ちゃんと健康的な生活を送らないとダメよ?」

「深夜に酒を出す姐さんが言っても説得力はないですね……」

「自分の健康を崩してまでいい気分に浸りたいときに飲む。それがお酒よ? 不健康なときにお酒を飲んでら、周りも自分も楽しくないわ」

「まぁ……そうですよね」


 僕は自分の研究室を見渡した。今はまだ昼間で、窓の外が明るい。

 そういえば、僕の体臭はどうなったのだろう? ルーシー姐さんは臭くないのだろうか?


「あの……僕、臭くないですか?」

「以前は芳醇な香りがしたけど、今はそんなでもないかしら。あなたが眠っている間に後輩のお嬢さんが体を拭いて、服まで着替えさせてくれてたみたいだから……」


 ニルニィがそんなことを?

 最近、彼女には迷惑をかけてばっかりだな。


 僕は膝枕されながら研究室を見渡した。しかし、ニルニィは見当たらない。


「そう言えば、ニルニィが見当たらないですね。いつもこの時間は、彼女が研究室にいるんですけどね。知りませんか?」

「ああ、彼女ならアタシがここに来るのと同時に、顔を真っ赤にして挨拶もせずに部屋を出て行ったわ」

「そうですか……」

「彼女のことが気になる?」

「まぁ、彼女はすごく人見知りですから……」


 僕の前では明るく振舞うニルニィだが、普段は極度の人見知りだ。研究室に僕以外の人物が訪ねると、僕の後ろにすぐ隠れる。人前に立つと、顔を真っ赤にして口をパクパクさせるのだ。

 現在だってそうだ。ルーシー姐さんがここに来たから、この部屋を出てってしまったのだろう。

 まったく、そんなんじゃいつまでも独り立ちできないぞ……?


「あらら、可愛い子なのに残念ねぇ。明るく振舞えば、もっと魅力的になれそうなのに」

「そうかもしれません。彼女とは昔から仲が良くて、僕だけには懐いてくれるんです。でも、他の人には全然心を開かなくてね。僕の教育方法が悪かったのかなぁ……って」

「教育方法? あなた、彼女のお父さんみたいなこと言うのね」

「実際のところ、そういう関係に近いです」

「どういうこと?」

「元々、彼女には身寄りがなくて、僕が里親なんですよ」


 僕とニルニィはただの先輩後輩関係ではない。そんな関係よりももっと深く、研究所で働く以前からの付き合いである。


「姐さん……少し、相談に乗ってくれませんか?」


 僕は姐さんに、僕とニルニィの関係について話し始めた。

 姐さんは人付き合いが上手で、どんな客でもうまく丸め込む。そんな彼女に相談すれば、今のニルニィとの関係や今後の彼女について何か解決策を得られるような気がしたのだ。








     * * *


 僕とニルニィの関係は10年以上前に遡る。


 彼女と出会う直前の僕は、魔王軍の養成学校を卒業したばかりだった。実績を積むまでは好きな部署への配属は許されず、僕はデュラハンの部下として活動していた。そうした新兵に任されるのは、調査や偵察など危険の少ない任務が多い。


 その日も、僕は帝国軍に襲われた集落の調査として戦場跡へ派遣されたのだ。

 その場所で、僕は様々なものを見た。


 周辺に転がる武器。

 散らばった魔法の残留粒子。

 破壊された家屋。


 そして、死体の山。

 当時は雨が降り、死体から流出した血液が地面を赤黒く染めていた。


 派遣された僕らは家屋の被害状況や使われた兵器の種類、犠牲者数などを細かく記録していく。

 魔族側の犠牲者は、槍や弓、軍用魔法など、様々な手段で殺害されていた。


 一方、帝国軍側の犠牲者のほとんどが、鋭利な刃物によって失血死させられていた。首や胸に、ナイフらしき刃物が刺さった跡が見られる。おそらく、一撃で殺されたのだろう。


「こりゃあ、ひでぇな。カジ」

「ああ。ほとんどが同じ武器で殺されている……しかも、急所を一撃で……」

「きっと、凄腕暗殺者の仕業だぜ。そいつが帝国軍の兵士と交戦したんだ」







     * * *


 僕らは調査を続け、半壊した家屋へ足を踏み入れた。部屋の中まで兵士によって荒らされ、帝国軍による襲撃の激しさが窺える。


 そして――


「そこに誰かいるのか?」

「……」


 家具が散乱した薄暗い部屋の奥に、一人の少女が膝を抱えて佇んでいた。彼女の手元には血の付着したナイフが1本。


「君……名前は?」

「……ニルニィ。あなたは魔王軍の人?」

「そうだけど。ここには君以外誰もいないのか?」

「いないよ……みんな死んじゃった」


 少女は下を向き、こちらと目を合わせない。

 彼女は完全に放心状態にあり、生きる気力を感じられなかったと思う。







     * * *


 それが僕とニルニィとの出会いだ。


 ニルニィこそが襲撃した帝国軍の兵士をナイフ1本で全滅させた人物であり、熟練の兵士すら超越した殺しの才能を秘めている少女であることを、僕は直感していた。

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