16匹目 【勇者編】悲しみの泣章魚
俺の視界の隅で、再び泣章魚が動き出す。
ヤツの巨大な目玉には、オルネスの姿が映り込んでいた。
「こいつ、まだ動けて……!」
俺が再びエクスカリバーを手に握ろうとした刹那、泣章魚は残っていた腕を伸ばしてオルネスの体を抱え込んだ。
アォ……オォオォ……オオン……!
大きな亀裂の入った外套膜を震わせ、途切れ途切れの鳴き声をあげる泣章魚。
その悲しそうな鳴き声に、今はどこか喜びのようなものが混ざっているような気がする。
次の瞬間、ヤツは突然どこかに向かって走り出した。その動きは意外にも素早く、俺たちとの距離を一気に引き離す。オルネスを腕の中に抱えたまま、化け物はある方向へ森の中を一直線に突き抜けていく。
「お、おい! 待てよ! オルネスを放せぇ!」
「まずいわ……あっちの方向は……!」
早くオルネスを助けないと、彼女の体が毒に犯されてしまう……!
泣章魚は瀕死とは思えない速度で森の中を進んでいく。俺とミアは必死に追いかけたが、その距離は縮まらない。
「くそっ! 脚がないくせに、どうしてこんなに速いんだよ!?」
やがて、前方に崖が見えてくる。
このとき、俺はモンスター討伐作戦の前に周辺の地理を確認したのを思い出した。
この崖の下は、確か湖だったはず……。
あの化け物……まさか、あの崖から飛び込む気なのか!?
そして――
――ザッパァァァン!
高く上がる水飛沫。
「ああっ! くそっ!」
「間に合わなかった……」
タコの化け物は俺たちの仲間を抱えたまま、湖へダイブした。水面には巨大な波紋が広がり、泡がぶくぶくと上がってくる。
その湖はかなり濁っており、水中の様子を視認することはできなかった。
「クリスティーナが言ってた……『この近くで資源採掘が行われていて、水が濁っている』と……」
元々は綺麗な湖だったのだろう。
しかし現在は水中に細かい粒子が漂っており、深さ数センチ先も見ることができない。近くの山が削られ、そこから流れ出した土がこのような現象を作り出していた。
俺たちから見えるのは、水面でなかなか消えない泡粒だけだ。
「オルネスー!」
叫んでも反応はない。
彼女はあの化け物とともに湖の底へと沈んだのだ。
「オルネスさん……どうしてこんなことに……」
ミアは崖の上で泣き崩れる。
オルネスが毒に犯されていた時点なら、まだ解毒術や蘇生術で助ける手段もあっただろう。
しかし、現在、オルネスは俺たちから見えない場所まで沈んでしまっている。ミアの魔法をオルネスの場所まで届けることは不可能だ。水中に潜って彼女を引きずり出すにしても、いつになるか分からない。蘇生魔法は死後数分経過すると完全に効かなくなる。
「ちくしょう……やられた……!」
俺は心の奥底から湧き上がる怒りや悔しさに、拳を握り、唇を噛みしめた。
* * *
半日経過しても、彼女とあの化け物が湖から浮かび上がってくることはなかった。
おそらく、泣章魚が水底で息絶えているのだろう。オルネスを抱えたまま……。
まさか、あんな行動をしてくるなんて……。
あの化け物は今まで俺たちが戦ってきたモンスターと何かが決定的に違う……。
アイツの目的は一体何だったのだろうか……?
* * *
俺とミアは一度、宿屋に引き返すことにした。気が付けば、夕日が沈もうとしており、森林はオレンジ色へ染まっている。
宿屋に到着すると、そこの主人である老婆が出迎えてくれた。
「あら、おかえりなさい。で、化け物はどうなったんだい?」
「はい……湖に飛び込んで逃げたが、瀕死の重傷を負っていた。おそらく、水中で息絶えているかと……」
「そうか、そうか……それなら村も一安心だねぇ……」
「……」
「おや? 獣人族のお嬢ちゃんが見当たらないけど、何かあったのかい?」
「それが……」
「まあ、ゆっくり聞きたいし、食堂においで……」
「すまない……恩に着る」
* * *
食堂に場所を移した俺たちは、老婆に討伐作戦での出来事を全て話した。
泣章魚との戦闘のこと。
オルネスが毒に犯されていたこと。
化け物がオルネスを道連れに湖へ沈んだこと。
全て話し終えると、黙って聞いてくれていた老婆はゆっくりと口を開いた。
「そうかい……アイツはただのモンスターじゃないとは思っていたけど、まさかそんなことをするとはねぇ……瀕死なのに敵を担いで逃げるなんて、普通のモンスターじゃ考えられないよ」
「どうして、あの化け物……あんな行動を……」
「多分だけど……あのモンスターは寂しかったんじゃないのかい?」
「『寂しい』……ですか?」
老婆は遠くを見つめ、独り言のように語り始める。
「アイツの鳴き声にはさ、悲しみが込められているように感じるんだよ。きっと、友達や家族がほしかったんだろうねぇ。もっと、誰かと仲良くしたいのに、自分が持つ毒のせいで近寄って来ない。アイツは独りぼっちだったのさ」
老婆はおもむろに立ち上がり、食堂の窓から見える森林へ視線を向けた。
「そんなときに、自分に近づいて来てくれるアンタたちが現れた。それが嬉しくて興奮しちゃったんだろうねぇ」
「アイツには、俺たちのことが友達に見えていた……?」
「そうかもしれないね。人里近くに住み着くくらいなんだから、人間慣れしているのは間違いない。意外にも、人懐っこい性格だったのかもしれないよ。だから、アイツはお嬢ちゃんと仲良くなりたくて、湖に引き込んだ」
「……そんな」
「まぁ、所詮、老いぼれの戯言だから、本気で信じないでくれよ?」
* * *
結局、あのモンスターの行動を結論付けることはできなかった。
それより問題は、『オルネスが死亡したこと』である。
世間に『勇者の仲間が死亡した』と伝われば、帝国民の士気は下がり、魔族の士気は逆に上昇するだろう。オルネスは獣人族の中でも、名の知れたトップクラスの戦士だ。それ故、彼女の死は非常に影響力がある。
だから、俺とミアは、オルネスの死を隠すことにした。実際、帝国軍からも、そうするよう通達が出た。
オルネスは存在自体も抹殺され、最初からいなかったことになる。
――大切な戦友の死。
そんなことは隠したくなかった。
彼女の生きた証を残したかったが、仕方なかった。
このとき、俺は初めて、勇者として仲間を率いる辛さを実感したのだ。
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