第3章 触手の蒙昧

8匹目 クライング・クラーケン

 早朝、僕はそのクライング・クラーケンを連れて玉座の間を訪ねた。

 案の定、そこには生気のないおっさんと、それを操る召喚士ギルダが佇んでいる。


「あの、失礼します」

「よく来たなカジ。随分醜いクリーチャーを連れて来たものだな」


 ギルダは僕の連れているクライング・クラーケンを見るなりそう言った。


 確かに、彼の言うとおりクライング・クラーケンの外見はお世辞にも美しく強かとは言えない。目はギョロギョロしてるし、鳴き声だって気持ち悪い。

 でも、僕は合成したモンスターに対してそれなりに愛情は注いでいるつもりだ。僕の目から見れば、模様とか漏斗とか可愛いところもけっこうある。多分。


「それで、僕はこいつの触手をどうすれば良いんですか?」

「そうだな。まずは、魔王様から指示を仰ぐからそこで待っていろ」


 ギルダはそう言うと、おっさんに小声で何かを話し始めた。

 彼の手には『国語辞典・小学生用』という謎の文字が書かれた分厚い書物が握られている。


 あれは、異世界の書物だろうか?


「ホラ、ノゾミドオリショクシュヲツレテキテヤッタゾ。ソレデ、オマエハドウヤッテヨッキュウカイショウスルンダ!? ハヤクコタエロ!」


 ギルダはおっさんに向かって異世界の言語で何かを言っていたが、僕には内容がサッパリ掴めない。


「ショクシュ……カラダ……マトウ」


 ギルダに返答するように、おっさんはそんなことを言った。それからおっさんは何を聞かれても、その言葉を連呼する。


「え~と……」


 おっさんの口から出た言葉を確認すると、ギルダは手に持っていた書物をパラパラとめくって何かが書かれたページを探し始める。『国語辞典・小学生用』という本は、どうやら異世界言語の翻訳に必要な書物らしい。


「分かったぞ、カジよ」

「え」

「魔王様は『触手』、『体』、『まとう』と仰っているのだ」

「……は?」


 何だそれは?

 また訳の分からない言葉が。

 本当にこれって、おっさんの性欲解消に繋がるのか?

 謎が謎を呼ぶ展開になってきた。


「『体』って、何の『体』なんです?」

「そこは分からん」

「じゃあ、『纏う』って何をどう『纏う』んです?」

「そこも分からん」


 結局、お前も全然分かってねぇじゃねぇか!

 このインチキ召喚野郎!

 インテリぶってんじゃねぇぞ!


 と言ってやりたかったが、言えなかった。


「さすがにヒントが少なすぎません?」

「触手が関わっていることは間違いないだろう」

「そんなこと言われたって分かりませんよ。情報が断片的です。もっと具体的な情報をください」

「黙れ! この情報だけで十分だろ!」

「えぇ?」


 何か、逆ギレされた。


「この仕事は貴様に任せたんだ! 貴様が解読しろ! 私には脳味噌の容量をなるべく軽くするために『触手』なんていう低知能な生物に関する知識は捨てているんだ!」

「はぁ」

「低知能な生物の研究には、低知能な貴様が似合ってるぞ、低知能君!」


 ハァ!?


 彼にそう言われ、僕の手には拳が作られ力が篭る。

 こいつが上司じゃなかったら、100発くらい殴りたい。

 僕の拳がわなわなと震える。


 そのとき――


「ギルダ様、失礼します!」


 僕の背後から男の声が発せられる。振り返ると、ギルダの部下、ユーリングが玉座の間の入り口に立っているのが見えた。


「どうした、ユーリング?」

「ご報告が……」


 ユーリングは僕のことを無視して、ギルダに耳打ちで何やら相談を始める。

 まぁ、地獄耳な僕にはよく聞こえるのだが。


(帝都でエクスカリバーの適合者の選定が完了したようです)

(何だと?)

(今、『勇者』が決まったことで帝都はパレード状態です。間もなく、帝国領に向けて出発するとか)

(早急に勇者暗殺部隊を編成しろ! 人選は貴様に任せる!)

(かしこまりました)


 その相談が終わるとユーリングは下がり、ギルダは再び僕へ視線を向けた。


「貴様、まだそこにいたのか?」

「え、だって、情報が少なすぎて」

「私と魔王様は仕事で忙しいのだ! 次の仕事が詰まってる! お前は早く出て行け!」

「えぇ?」

「お前はさっさと研究所に戻って、その低知能を魔王様に役立てるよう仕事をしろ!」

「そんな殺生な」







     * * *


 そんなこんなで、僕とクライング・クラーケンは玉座の間を追い出された。

 僕らは城内の廊下で呆然と立ち尽くす。


「『体』、『纏う』かぁ」


 僕は横に立つクライング・クラーケンを見つめた。

 こいつが魔王様の体に触るのか?

 そんなことで性欲解消されるのか?


 いや、それなら『触る』って言うはずだ。


 じゃあ、『纏う』ってどういうことなんだ?


 異世界には体に纏わり付くだけで性欲を消し去る触手生物が存在して、それを異世界人も活用しているのだろうか?


 つまり、クライング・クラーケンは完全に違うということになってしまうのか?


「ダメだ。分からない」


 僕は考えるのを諦め、クライング・クラーケンを見た。

『え? 僕の出番はないの?』と言わんばかりの悲しい目をしている。


「ごめん……」


 僕は謝った。


 その後、とりあえずクライング・クラーケンは研究所が所有する飼育施設に収容された。







     * * *


 結局、研究所に篭って一日中考えても答えは出なかった。ボーっと考えているうちに、夜が明け、朝が来る。

 僕は木製の硬いベッドの上に体を横にして、研究所の天井を見上げていた。

 そして、異世界人の性欲解消の方法が分からず鬱屈する。


「人間なら好きな相手を抱くことが性欲解消の手段じゃないのか?」


 一見、異世界人とこの世界の人間にはあまり外見的な違いはない。文化やイデオロギーの違いはあるかもしれないが、基本的な生物的な欲求は変化しないと思うのだが。


「考えるほど分からなくなってきた」


 そのとき――


 バァン!


「先輩! 大変です!」


 助手のニルニィが研究所の玄関扉をぶっ壊して入ってきた。

 ニルニィはけっこう力が強い。重い資材を運ぶ際には役立つのだが、こういう面があるから悩みの種となることもある。


「うわ、びっくりした!? っていうか扉壊すな!」

「すいません! でも、大変なんです!」


 ニルニィの様子がおかしい。

 彼女がここまで慌てるとは、さすがにこれはタダ事ではないだろう。

 僕の身にも緊張が走る。


「依頼で合成したドラゴンが、飼育施設に預けていたドラゴンが!」

「え?」

「泡を吹いて倒れているんです!」

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