7匹目 初めての触手
「さて……仕事を引き受けたのはいいけど、どうすんだこれから……」
僕は深夜、こっそりと研究所の素材保管庫へ向かった。保管庫内部には闇が充満し、来る者を拒んでいる。
「……とりあえず、試しに一体作ってみるか……」
とにかく、アクションを起こさないことには何も始まらない。
その第一段階として、あのおっさんに触手生物を見せてみることから始めようと考えたのだ。
僕は手元のランプの明かりを頼りに、素材のラベルを確認していく。
「『触手』……『モンスター』……か」
僕は召喚士ギルダから出されたキーワードを小声で連呼した。
本当にそんなものが異世界人の性的欲求解消に使われるのだろうか……?
ほんとに、異世界人の性事情が掴めない……。
そんなことを考えながら棚をチェックしていると、とあるラベルが目に留まった。
「『触手』と言えば……これかなぁ……?」
僕は埃を被った瓶を取り出す。ランプに照らされた瓶ガラスの奥から、目玉のような感覚器が僕を見つめていた。
「『ヘル・アネモネ』……」
瓶に貼られているラベルにはそう書かれている。
《ヘル・アネモネ》――触手を持つモンスターで一番有名なヤツである。イソギンチャク型の巨大モンスターだ。
長い触手を100本近く持ち、その一本一本が細かな真正刺胞に覆われている。その刺胞に何かが触れると、捻じれるように折りたたまれた針が飛び出す。それと同時に、針の先端から毒液も発射される。これで獲物を弱らせて捕食するのだ。
この発射される毒液がとにかくヤバイ。
その毒液は《ヘル・ショッカー》と呼ばれ、人体に侵入すると即死は免れない。その威力は、フグ毒であるテトロドトキシンの数千倍とも言われる。これが、触手を持つモンスターの中で一番有名な理由だ。
彼らは普段、海流が穏やかな海底に生息しているが、目玉のような感覚器官や触手で獲物を察知すると一気に接近して触手で対象を包み込む。中型の漁船も軽く包み込めるサイズにまで成長することもあり、港町の漁師から恐れられている存在だ。
僕はそのヘル・アネモネの感覚器が入った瓶を机の上に一旦置き、別の触手生物の標本を探した。
しかし、それ以外に触手系素材はなかったのである。
「触手を持つモンスターの素材は、保管庫にはこれだけか……」
基本的に、保管庫にあるのは生物兵器に応用できそうな素材しかない。モンスター・ディベロッパーの僕に求められているのは強いモンスターであり、攻撃能力や防御能力が高くないモンスターの素材はあまり置いていないのだ。
――はっきり言って、触手系のモンスターは弱い。
触手を持つモンスターの多くは、角や爪といった攻撃手段が乏しい。それに加え、硬い鱗や甲殻も皆無。
そうした理由で、触手系モンスターに関係する素材は保管庫に少ない。
今、僕が手にしている『ヘル・アネモネ』の素材は『強力な毒液を持つので、攻撃に転換できる』という理由で保管されていた。
ただ、これまで使う機会はほとんどなかった。保管している瓶が埃まみれなのも、そのせいだろう。
「まぁ……ベース素材はこれでいいか……」
次に、僕はサブ素材を探した。
サブ素材に求めるものとしては、ヘル・アネモネの凶暴性を抑えるものが良い。そのままヤツを実体化させても良いのだが、魔王の前に出すとなってはその凶暴さが心許ない。そのモンスターをどう使用するかも分からないのに、いきなり強力な毒を保持する個体を出しては不安が残る。
なるべく生息環境が違わず……比較的穏やかな性格のモンスターの素材を……。
そうして、僕は使えそうなものを発見した。
「《クラーケン》……」
タコ型の巨大なモンスターである。硬い外套膜が保存されていた。合成するモンスターの硬さを補うサブ素材として保存されていたものだ。
《クラーケン》は比較的に穏やかな性格のモンスターだ。普段は天敵に怯えて砂底に身を隠している。硬い外套膜を震わせて仲間とコミュニケーションを取り、巨大な群れを作ることで知られている。
凶暴なベース素材と合わせるには丁度良い素材だった。
ただ、不安なのはクラーケンは触手を持たないことだ。
8本の巨大な腕があるが、正確に言うとそれは触手ではなく触腕である。似ているが、僕らはそう呼んでいる。
触手と比べるとかなり器用に使用することが可能で怪力も発揮するため、このような区別が作られた。
あのおっさんは、絶対に触手じゃないとダメなのだろうか?
触腕だと欲求解消できないのではないだろうか?
そんな不安が僕の頭を過ぎる。
最終的に素材はミックスされるので、半分触手・半分触腕という形になるのだが……。
一体、あのおっさんのボーダーラインはどうなっているのだろう。
「……」
無言で考える時間が数十分間続いた。
「……何考えてんだ、僕は……」
しかし、そんなことを考えるのもバカバカしくなってきた。
大衆から見れば、触手も触腕も同じだろう……。
僕はそれらの素材を持って実験場へ向かう。
床に魔法陣を描き、素材を並べた。
「顕現せよ、我が
僕の言葉が放たれた瞬間、魔法陣は白煙と眩い光を上げる。
「アオオオオォォン!」
魔法陣の中央から、人間が泣き叫ぶような音が発せられた。クラーケンの外套膜から出される音によく似ている。
そして煙が消え、僕の目の前に巨大なタコのようなモンスターが現れた。
何本もの触手。
ゴツゴツとした外套膜。
巨大な目玉。
「成功だ……」
数年間モンスター・デベロッパーをやってきたが、触手系モンスターの合成は初めてだった。しかし大方、狙ったとおりのモンスターが合成できたと思う。
新たに、このモンスターへ名前を付ける必要がある。
「……お前の名前は……《クライング・クラーケン》にしようか」
先程の人間が泣き叫ぶような音――そこから採った名前だ。
「アォォォオオオン!」
実験場にそいつの鳴き声が響き渡った。
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