第5話

「サカイちゃあ~ん。どうしてこんな女に惑わされちゃったのかなあ。おれのほうがサカイちゃんをいっぱい可愛がってあげられるのにさあ。こんなふうにコチョコチョいじってあげられるのにさあ~」

 オオバが粘っこい口調でサカイを羽交い絞めにしていた。息のかかりそうなほど背後から近寄られて、嫌悪感に顔をゆがめるサカイは、頬が紅潮して何やらアダっぽい。

 おれの心臓はドックドック早鐘を打っていた。まるで清水の舞台から飛び降りる前のような。いや、清水寺に行ったことはないが。

 ――おれはこうすることで、罪滅ぼしをしたいのかもしれないし、汚名返上・名誉挽回したいという下心があるのかもしれない。

 けど、おれ自身、もう変わりたいんだよ。

 もう飽きちまった。今までのおれであることにさ。

 変わるためには、まず一歩。これまで取らなかった道のほうへ進まねえと。

 オオバ、と呼びかける声は、われながら情けないほど裏返って震えた。サエグサが目を丸くするのを視界の端で感じつつ、おれはオオバに近づいた。

 迫力のかけらもねえ声を聞いたところで、オオバがひるむはずもない。やつは「あぁ!?」とふり向き、サカイを抱えたままひと回り体の大きなおれを見据えた。

「なんだ、タカヒロじゃねえか。久しぶりだな。が、おれは今忙しい。話ならそいつらが代わりに聞くぜ」

 おれは小学校時代のトラウマが頭をかすめ、

「や、ややや、やめろよ、暴力は……」

 尻すぼみの声になるおれに、オオバは、「おあっ!? あんか言ったかよ、おあぁっ!?」と被せるように威嚇してくる。

 クラス一長いおれの脚は、おれの期待もプライドも裏切り、ガクガク震えまくった。チビりそうな気配が尿道に溜まった。

 それでも、さらにもう一歩。

「お、お前の暴力で。一体、どれだけのやつらが、不当な痛みをこうむってると、思ってる。お前が自分自身を持て余して、ヤケになってるだけなのを、皆、お、お見通しなんだぜ。お前は、は、ハハはだかの、王様みたいなもんなんだぞっ。カッコ悪いんだぞっ」

「…………」

 それを聞いたオオバは、すぅっと表情を凍らせ、動きを止めた。

 おれの繰り出した言葉がオオバの心の柔らかい部分に、見事に刺さってしまったらしい。この手の不良が荒れる原因はだいたい似通ってるのだ。

 オオバは無言でサカイを手放した。倒れこむサカイにサエグサが駆け寄り、体を支える。

 聞いたこともないような低い声を、オオバは腹の底から出した。

「タカヒロ……クラスのやつらの前でケツひん剥かれて泣いてたお前に、そんなことを言われる日が来るとは思わなかった。いつから訓垂れるほど偉くなったよ。図体ばかりでかくなりやがって、ケンカのやり方もロクに知らねえんだろ。なんならここで教えてやろうか。ほんとの殴り合いってやつを」

 オオバはくいっとアゴを突き出した。オオバの舎弟的ふたりがポキポキと指を鳴らし、ニヤニヤ笑いながら近づいてくる。

 ――これから血を見る戦いが始まるというのに。

 なんでだろう、おれの心にはだんだん静けさが広がっていった。そして、何とも言えない解放感を覚えていた。

 ああ、ようやくこの場所へ来られたんだ、と。

 この階段の最初の一段を上がるまでに、おれはなぜあんなにも迷い、恐れ、おびえていたのだろう。足をえいやと前に出せば、こんなにも簡単なことだったのに。

 おれは何も、不平等で不条理なこの社会を憂えてたわけじゃなかったのだ。

 おれは、何の行動も起こせずに鬱屈してる自分自身に苛立っていたのだ。

 わかっちまえば、なんてこたぁない。

 おれはいっそ楽しい気分になってきて、最初の顔面への一撃を受けた。続けざまに腹、胸、背中。息がつまる。立ってられないほどの激痛が迷走する。ゴフッと口から何かを吐き出す。けど、殴られることの痛みは、殴られることを恐れる不安より、実際大したことじゃなかった。

 おれはサンドバッグにされながら思った。トモキチは、トモキチの主義を貫いてるから、自分であることに居心地悪さを感じてない。サカイを助けないという選択肢はトモキチの主義によるものであり、それはそれでアリなんだ。

 サカイだって一本筋が通ってる。ポチを守ることが自分の主義だと思ったから、腕っぷしはなくても立ち向かい、おびえながらも暴力に屈しなかった。小さな体で自分の志を曲げなかったサカイは立派なサムライだ。

 これまでのおれは、正義の信条を掲げながらも、それをきちんと行動に移してなかった。文句があるなら口に出して言えばよかったのに、言えないのなら腹立つ資格はなかったのに。要するにおれは批判精神ばかり旺盛で、でも臆病で、だからクールを気取ってただけなんだよ。

 おれのこれから取るべき行動指針、おれの主義は、鳥人仮面タカヒロでやってたことにしたい。たとえ空飛ぶ力や鋭い舌鋒はなくても、おれの感じたこと考えたことをきちんと面と向かって人に伝えられるような、そういう人間になりたい。不様でも、不恰好でもさ。

 それで、ああそうかと、おれはとうとう悟りの境地へと達する。

 おれという存在は、肉体という名の器に入った魂なのだ。つまり、おれの本体は魂であり、肉体はマスクなのだ、と。

 ――だったら、マスクの上にマスクは要らなかったな。

 おれが切れた唇で笑い声をもらすと、舎弟のやつらが何だコイツ頭狂ったんじゃねえかと警戒する口調で言った。おれはそれを聞いてよけい愉快になって、大声で笑った。

 そして、立ち上がった。両のこぶしを強く握りしめ、

「おれは狂ってねえよ」

 重いの、一発ずつ。

「おれ自身に、戻っただけさ……!」

 やつらの顔面に。

 舎弟ふたりをノックダウンさせたあと、おれはゆらりとオオバに近づいた。あっけに取られてるオオバの頭に、脳みそのつまったおれの頭で、渾身のヘッドバットをかます。

 オオバが白目をむいてくずおれたそのとき、バタバタ走ってくる足音が聞こえて、

「コラァッ、やめろ、お前らぁ!」

 と、紺色の制服さんたちの姿が見えて、おれはその後の記憶が飛んでいる。


 それから三日間、学校から自宅謹慎を言い渡されて、おれは部屋から出ることを許されなかった。どっちみちベッドの上から動けなかったけど。なんせ体じゅうアザだらけで、ミシミシ骨が悲鳴を上げるし、顔も岩のようにデコボコに腫れ上がってる。

 警察を呼んだのはトモキチだった。自分の手は汚さず権力に頼るのもひとつの手なんだぜと、ウキャキャッと笑ってた。

 サカイは昨日わざわざ見舞いに来てくれた。つくづく律儀なヤツだ。ピンクのカーネーションの花束とケーキ持参でやって来て、ホレちまうじゃねえか。いや、志にだぜ。

「彼女もくれぐれもよろしくって言ってた。本当にどうもありがとう。きみには一生足を向けて寝られないよ」

 と、侍サカイの言。彼女って言い方が、なんかすでに板についてた。

 サエグサの名前が出たとき、胸がズキ、とする自分がいて、バカだよなー、おれは、とつくづく思った。今さら自覚したって遅せーのにさ。

 サエグサは今回のことがあったからといって、おれのあの裏切り行為を帳消しにはしてくれないだろう。おれもそれはまったく期待してない。そもそも彼女を救うことが第一の目的ではなかったのだ。おれはこれから、サエグサにした仕打ちをクビキにして、しっかりおのれの主義を貫く生き方をせねばなるまい。いつか彼女におれの生き方を認めてもらえるような日が来たら、それはもう僥倖なのだ。

 おれは横たわりながら、ガーゼだらけのボコボコの顔をサカイに向けて言った。

「……サエグサは男を見る目があるな。お前、いい男だよ」

 サカイはポッと頬を赤らめてた。


 それから程なくしてだった。

 謎の会社、マスク・オブ・ジャスティスから封書が届いた。手紙にはこう書いてあった。


〝脱皮証書〟

 あなたは弊社のマスクを用いて、無事ヒーローとなるための脱皮に成功されました。よって、本日をもって弊社との契約を満了とさせていただきますことをお知らせ申し上げます。

 あなたにマスクはもう必要ありません。

 正義の志と熱きハートを持ったあなたは、あなた自身のままでこの社会に新しい風を吹き込む力を持っている。そのことをあなたは思い出したからです。

 ヒーローであるあなたの今後のご活躍を、社員一同心より楽しみにしております。


 株式会社マスク・オブ・ジャスティス 社訓

「仮面や仮象にとらわれず

 おのれの志のままに進め

 おのれの魂のままに生きよ

 それが正義と正論と直情だ」


 鳥人仮面のグミはいつの間にか消えていた。ポケットを探しても、机の中を探しても、どこにもなかった。おれは、鳥を頭に乗っけた鳥面のカミナリオヤジを懐かしく思い返しながら、つぶやいた。

「さらばや。鳥人仮面タカヒロ」


(了)

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鳥人仮面タカヒロ えびあさ @ebi_asa

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