第4話
夕闇に包まれ始めた自分の部屋の中、おれはグミ状の鳥人仮面マスクを握りしめながら、ベッドに腰かけていた。
なんか今日はずっと意識がどっかに飛んでた。朝のチカン騒動のあと、学校に行って授業を受けて下校したことが、何やら夢みたいに思える。
――おれは今日、何をやった?
さっきからくり返し問うている、自分への質問。
何もやらなかった。
が、何もやらなかったせいで、おれは何かをやらかしてしまったのだ。決定的に、取り返しのつかないことを。
サエグサを助けることができなかった。
いや、できなかったんじゃなく、「助けなかった」んじゃないのか。
あのとき、何かに行動を制限されたように感じた。その何かは何かと言えば、要するに素の自分だ。素のおれは、混みあう車内で人々の殺気を察知し、その空気に勝手に中てられて、ひとり声をあげるという目立つ振る舞いをすることを逡巡した……そういうことなんじゃねえのか。車内で話しかけてくるサエグサに、おれがまともに受け答えしなかったのは、まわりと異質な平和な空気をもつことをためらったからじゃねえのか。空気読めないヤツになっちまう、などと気を回してさ。
……おれはそんな人間だったかよ。
鳥人仮面のマスクを送られる前から、毅然とした批判精神旺盛な熱血漢だったんじゃないのかよ。正義の心を持ってるから、ヒーローに選ばれたんじゃねえのかよ。
マスクがなかったらただの腰抜けかよ、お前は。
いつからそんな、マスクに頼ってでしか正しいことをできない人間になっちまった。
トモキチのサル面が浮かぶ。あいつ、おれのことを「口だけ男」と言ったっけ。素の状態のおれを。陰で義憤をぶちまけても、面と向かっては言えない。それをトモキチは見抜いてやがったのだ。
ああ、チクショー……
部屋が暗くモノクロに変化してく中、おれはベッドに寝転がって、天井の闇をじっと見つめた。
仮面を被ったヒーローって何だ。お面で顔隠して正義の鉄槌を下してさ。
だが、素顔で同じことをできないのだったら、そいつは真にヒーローと言えるのか?
おれに正義のマスクをつける資格はあるのか?
おれに対する女子の視線が険を含んだものになるまでに、そう時間はかからなかった。サエグサが友人たちにどう話したのか、くわしくは知らないが、それでもサエグサはおれを責める言葉を使わなかったという。
「……ただ、ガッカリしたのは間違いないと思うよ」
と、ツンケンして言うのは、サエグサの親友というカノウだ。サエグサが文句を言おうとしないから業を煮やして、代わりにカミナリを落としてやると、こうして休み時間、ひと気のない階段の踊り場におれを呼び出したのである。
カノウは長い髪を無造作にかきあげてから、わざとらしい大きなため息をこぼした。
「今さら言うのもなんだけどさ。あの子、あんたのこと気になってたんだよね。こないだまであの子、うれしそうにしゃべってた。タカヒロくんってクールで孤高の人って感じだと思ってたけど、話をしたら何でも聞いてくれる優しい人だってわかった、って。でも今回のことで彼女、すごい心に傷を負ったよ。隣でキモイ男にチカンされてるのに、すぐ横にいる好きな人が助けてくれなかったなんてさ。タカヒロくんはただ気づかなかっただけだと思うだなんて、あの子は庇ってるけど。あたしは、たとえあんたが気づかなかったのだとしても、あんたは見殺しにしたも同然だと思ってる。女の子の危機に気づかない、窮地を助けられない男なんて、はっきり言って地球のゴミ、宇宙のチリほども価値がないよっ!」
カノウの鼻の穴は膨らみっぱなしで、わがことのようにいきり立ちっぱなしだった。
おれは黙って聞いていた。カノウはサエグサの代わりに怒ってると言うけど、たぶん実際はそれだけじゃなく、常日頃から「助けてくれない男」全般に対して腹を立てていて、おれにその怒りをぶちまけたいんだろうと思った。なんでそんなふうに察することができるかと言えば、自分も身に覚えがあるからだ。日常その行為を目にしては怒りを蓄積し、ある日それが飽和状態に達したら、そのとき目の前にいた行為者にそのうっぷん全部を吐き出す。怒りのはけ口にしてしまう。だから攻撃が苛烈になる。今ならわかる。おれは鳥人仮面のとき、それをやってた。
サエグサがおれのことを好きだったなんて初耳だし、つーか寝耳に水だし、好きな人に助けてもらえなかった傷とやらは、おれがつけようとしてつけたわけじゃないからおれに責任はないし、自分でチカンだって叫んで自分の身くらい自分で守りゃよかったんじゃねえのか、白馬の王子様待つみたいな真似しないでさ、とか。おれも言い分はいくらでも考えついたが、それを口にしたら最後、男として最低に落ちぶれることがわかってたので、言わなかった。
カノウはチャイムが鳴るまで口を極めておれを罵り、去っていった。その後おれは壁にもたれながら思い返した。サエグサにおれが鳥人仮面であることを教えてやるもんか、などとつっぱってた自分のことを。今さら打ち明けたところで、まずは信じてもらえないだろうし、信じてもらえたとしても、本体の知れた鳥人仮面に魅力など感じはしないだろう。
おれは何やら確固たる自分としてあったものが液状化してしまったかのような、土台がずぶずぶ溶けてしまったような心地がして、それからの日々をその混沌とした状態で過ごすことになった。
当然ながら、鳥人仮面タカヒロは休業だ。
トモキチがキャキャッとして教えてくれた情報はかなり驚きだった。サエグサとあの衆道系チビ・サカイが付き合い出したというのだ。
「タカヒロ。逃がした魚は大きかったな。しかも逃げた先の相手が小エビみたいなやつだもんな。キツイよな」
と、じつにうれしそうにトモキチは言った。
トモキチは、おれがサエグサの危機を救えなかったと知るや、そっこーバカ笑いしやがった。お前らしいなと。で、その後もトモキチは変わらない態度でおれに接してくる。おれが口だけ男でも、鳥人仮面でもそうじゃなくても、女を助けられないチキンでもだ。だからおれは、トモキチが底抜けのバカで能天気で、どんなおれにも同じサル顔でよかったなどと、ひらりと思うわけである。
サエグサとサカイというカップル成立により、各所で反応があったようだ。サエグサという女は、わかりやすいモテ美人ではないが、コアなファンってのがいて、「諸君よ。三次元を去り、二次元へ戻ろう」とファン同士、なぐさめ合ったとか(どんなやつらだ)。さらに意外だったのは、サカイにもファンがけっこういたことだ。体の小ささや幼児っぽい顔だち、非戦闘的気質から、女子からひそかにマスコット的人気があったらしい。男がいいと思う男と、女がいいと思う男はずいぶん違うものだと、つくづく感心する。
そんな萌え~、なふたりがカップルとして結ばれたわけだから、そのウワサは広くに知れ渡ったのだろう。
だから、やつらは標的にされたのだ。学校の規則を守る、よい子のあいつらにさ。
その日、トモキチは荒れていた。なんせ女王様と崇めてたマナミが、とうとうひとりの男と真剣交際することになったからだ。相手は二年生で、眼鏡をかけたすかした野郎なのだが、成績がつねに学年ダントツトップで、ゆくゆくは最高学府との呼び声高く、マナミとしてもブランド力を感じてのチョイスだったのだろう。
「タカヒロ。今日は付き合え。明日の朝が来るまで付き合え!」
トモキチはささくれた声でわめきちらし、おれはまあまあとなだめすかし、放課後行きついた先はカラオケ店だ。失恋ソング特集だと叫んで、声をつぶす勢いの自虐で次々歌いまくるトモキチの唄を、おれは右から左へ聞き流しつつ、もの思いにふけった。
トモキチが、どう希望的観測にもとづいても、手に入れられるはずのない高嶺の花を想い続け、しかも本人に聞こえそうに公言してはばからなかったことを、以前のおれは心のどこかで笑ってた。だが、その考えが最近変わってきてるのを、自分でも感じる。素顔のままじゃ言いたいことも言えないおれが、むき出しの自分で言いたいことを言えるトモキチを笑える資格などあるだろうか。
おれは、自分自身を変えねばならないという思いがしてきている。
じゃあ、どんなふうに変わるのか。おれはどうなりたいのか。
ボリュームマックスの音量で絶叫するトモキチの唄が、ふいに止まった。リモコンで音楽を止めつつ部屋の窓に顔を押しつけて、「あ、やっぱり」と、トモキチは声をあげた。
「どうした」
「うん。あれ、サカイじゃね? あとサエグサじゃね?」
「えっ」
地上二階の窓から外をのぞくと、高校の制服を小学生に着せたみたいなサカイと、たわわな胸を揺らしてるサエグサが、手に手をとって足早に歩いてるのが見えた。と、その後ろから二、三人、バラバラッと走ってきて、ふたりの前に回り込んだ。そいつらもうちの制服だ。ふたりは男たちに囲まれて、道ばたに追い込まれた。まるでヒツジ狩りのような。そこは裏通りで、人通りもめったにない場所だ。
オオカミ連中のやつらのこと、おれはすぐに思い当たった。なんせいずれも見覚えのある後頭部ばかりだ。鳥人仮面のときに見たからな。
「オオバたちだ……」
うへー、と息をもらすトモキチ。
「二度も襲われるとは、サカイってつくづくツイてねえな。しかも女と一緒じゃ、ますます分が悪い」
サカイはサエグサの前に立って、自分の女に指一本触れさせまいと両足を踏んばり、両腕をいっぱい広げていた。が、しょせん大人と子供ほどの力の差がある。オオバにサカイはあっけなくなぎ倒された。サエグサの肩を乱暴につかむオオバの腕に、必死に食らいつくサカイ。まわりのやつらに引きはがされるサカイ。それでもオオバの足にかじりつき、そして踏みにじられる。サエグサも泣きながらオオバを止めようとする。そんなサエグサを男がふたりがかりで取り押さえた。絶体絶命だ。
おれは静かに言った。
「トモキチ。おれは行ってくるよ」
トモキチはわかってたようだった。顔をキャッとほころばせて深くうなずいた。
「ああ、行って来い」
「お前は行かねえのか」
「うん。おれはケンカが弱い。行ったところでどうにもならない」
「はは、それもひとつの主義だよな」
おれは扉を開けた。ポケットには、もちろん何も入ってない。
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