第3話
「で?」
土曜の昼下がり。トモキチはおれの部屋の床に寝そべり、続きをうながした。おれはじゃっかん極まり悪い思いで、
「んで、これに入って届いたわけだ……」
と、ぼそぼそ言った。トモキチは㈱マスク・オブ・ジャスティスの箱とメッセージを見、
「この送り主の連絡先は実在?」
「電話はいつも話し中だ。住所はネットで検索したけど見当たらず」
ウヘー、とトモキチはうなった。
「いやはや。摩訶不思議ってマジであるんだな。信じられねえけど、信じざるを得ねえわな。だって実際見ちゃったわけだし」
オオバグループ征伐のあと、トモキチのサル顔をますますサル面にさせるのには成功したのだったが。それは当然ながら、鳥人仮面の登場によるものだった。
お前が巷でウワサのアイツだったのかと、トモキチは声を引っくり返らせた。ごまかそうとしたおれだったが、言い繕えない状況だった。鳥人仮面が現れたのがタイミングよすぎだったし、いくら腕に羽が生えてるとはいえ白ブラウスに黒ズボンという制服姿のままだったら、悪友に図体でバレるのは当然といや当然だ。オオバへのお仕置きを理性的に考えてたつもりのおれだったのに、どうやら冷静さを欠いてたらしい。われながら情けない。
バレちゃしかたないので、おれはトモキチに鳥人仮面となるに至った経緯を、こうして休みの日に打ち明けてるわけだ。
めったに見せない考えぶかげな顔をしてたトモキチだったが、ゴロンと仰向けに寝転がると、いつもののんびりした調子で、
「まー、不思議なことは不思議のまま受け入れるしかねえもんな。おれ、お前がヒーローになったのを受け入れることにする。欲言えば、もうちょっとカッチョいいヒーローだったら、ダチとして誇らしかったけどな。とゆーわけで、今後もお前への対応を変えるつもりはないから、そのつもりで」
「そのうち見てろ。でっかいヤマ解決して、お前がひれ伏すほど超ヒーローになってやるから」
おれが言うと、トモキチはキャキャッと笑った。
まあ、能天気なダチでよかったよ。この重大な秘密を明かすのは少々ためらいがあったが、いつまでもひとりで抱えるのは気づまりにも感じてたしな。
鳥人仮面の正体はウチのガッコの生徒らしいとのウワサが広まってしまったのも、おれのウカツだった。でも、あの場で正体がおれとすぐわかったのはトモキチだけだろう。今後は気をつけるし、よほどのことがないかぎりバレることはないさ。同じクラスで席の近いサカイだって、自分を助けてくれたヒーローがおれだとは気づいてなかった。
あのときサカイは、失禁のうえ気絶したオオバを静かに横たえるおれのことを、あっけに取られた顔で見つめてた。大きな瞳をうるうる潤ませ、頬を紅潮させて。そんなサカイを見て、おれはふと、ひょっとしてオオバ、こいつにムカついてたのじゃなく、衆道に引っ張られそうで調子を乱されてたのではと、ちょっとイケナイ妄想に走りかけた。
もとい、サカイは、「さらばや(この別れの言葉、意外に気に入ったのだ。ハハ)」と背を向けて立ち去ろうとするおれに、「ありがとうございました」と声をかけてきた。
「あなたのおかげでポチが救われました」
おれは背中越しにこたえた。
「今回は手助けしてやったが、これは本来お前ひとりで戦うべき戦いであった。お前はハートが強い。その強さを肉体的にも表に出せるよう、今後は精進するがよい」
「はい」
素直に返事したサカイだったが、それからちょっとためらいがちに、
「けど、あの、オオバくんたちにずいぶん容赦なくお灸を据えましたね。鋭い舌鋒だけで成敗するのが鳥人仮面さんのやり方だと思ってたので……ちょっと意外でした」
おれはギク、とした。たしかに、それまでの鳥人仮面は誰にも物理攻撃を繰り出したことはなかったのだ。サカイには、オオバが以前から目に余る行動をしてたので、全部の分をいっぺんにお仕置きしたのだと濁しといたが。
今回の成敗は、私情も多分に含まれてただけに、やり方が少々えげつなくなってしまったかもしれん。でも、まあ、トモキチに笑顔で、
「オオバがこてんぱんにのされて胸がスッとした。うちのガッコの生徒皆も快哉だぜ。代表して礼を言うよ。ありがとよ」
とか言われると、少々の後ろ暗さも晴れるというものだった。
無事前期期末試験を切り抜け、待ちに待った夏休みがやって来た。
おれも一高校生、試験期間中はさすがに正義の活動がおろそかになりがちだったが、休み中は思いきり打ち込めるというものだ。真夏のピーカンな暑さに頭をやられる愚かな若者どもが増える時期ということもあって、おれの活躍を期待する声は方々から聞こえてきた。おれは任務を順調にこなした。ウワサを聞きつけたテレビ局やら新聞やらの記者たちがおれを追い回して、少々ウザいときもあったが、これは、まあ、「どうしたって人の注目を浴びてしまう者」の宿命として、致し方ないことと割り切るしかない。
で、今日は戦士の休息日とさせてもらった。おれはトモキチと他同級生男子三名とともに夏祭りに繰り出した。男ばかりの集いで癒しも何もないが、同性だけの気安さってのは心地よいもんだ。最近は鳥オヤジとしてあちこちでカミナリを落としてばかりだったし、同年代と取り留めない話で笑えるってのはなんだかしみじみで、新鮮にも思えるおれである。
夕方の茜色の空の下、露店の並んだ神社の境内で、おれらはタコ焼きや焼きそば、ソーセージなんかを頬張り、型抜きやら射的やらで遊びまくった。ときおり同じ学校のやつらがカップルで浴衣姿で歩いてやがって、冷やかしてウザがられたりしてさ。
お面を売ってる店があって、テレビの戦隊もののヒーローとかアニメのキャラのお面とかが棚に並んであった。ガキの頃欲しがってダダこねたよなー、本気でキャラになれるって信じてたもんなー、とおれらは笑い、そのうちだれかが、
「全員でお面被って歩かねえか!」
と提案して、やろうぜやろうぜと盛り上がった。トモキチは怪獣の面を選んだのだが、アニメの女子キャラの面を選んだヤツに、怪獣の威を借るサルとうまいこと言われて、襲ってた。おれは無難になんとかレンジャーのお面で、だが主人公のレッドは譲らず、イエローをすすんで選んだヤツは、素の自分をよく把握しての選択だ。もうひとりは幼児キャラの面を被ったが、おデブなために顔の肉がむにっとはみ出てるのが面白すぎた。仮面集団が祭り会場を練り歩いたらさぞかし目立つかと思いきや、今夜は皆が浮かれてて、めいめい思い出作りに余念がなく、大して注目されなかった。いや別に注目されようという腹だったわけじゃないが、軽くハズした感はあったよ。まあ、それはそれで楽しんだんだけどさ。
歩き疲れてちょっと休憩することにして、会場からすこし離れたところにある古びた社の石段に腰かけ、ペットボトルを回し飲みした。快い疲労感による静寂が下りてから、おもむろに幼児面のヤツ(今はもう面を上げて頭に乗せてる)が口を開いた。
「なあ、この夏の夜の興奮にまかせて、おれ、ちょっと打ち明けてもいいだろうか」
「何だよ、渋ちん(彼は渋谷という苗字なのだ)」
「重い話題はナシだぜ。あと、筆おろし完了とかうらやましい話もダメ」
皆口々にうながすと、渋ちんは言った。
「うん。あのな、おれ、明日も夏祭りに来る予定なんだ」
「は? なんで?」
つまり、こういうことだった。渋ちん、面から顔がいっぱいはみ出す巨漢のクセに、明日他のクラスの女子と祭りデートの約束をしてるのだ、と。瞬間、おれらの周りの空気がフリーズした。それから氷がバリーンと割れるように、渋ちんにワッと皆詰め寄った。
「てめっ、うらやましい話はダメっつっただろうがっ!」
「いつの間にそんな展開? どうして渋ちんがまっ先に幸運?」
「ちょっとここの神様聞いてます? 人って生まれながらに不平等なんすかっ?」
「まあまあ、お前ら。とりあえず渋ちんの話を聞こうじゃないか」
こいつらより精神年齢の高いおれが口をさしはさむ。渋ちんは大きな体をクネクネさせて、恥ずかしそうに馴れ初めを語った。試験勉強するために地域の図書館に行ったら出会ったとか、同じ机で勉強しているうちおたがいプライベートな相談もするようになったとか、そのうち夏休みも会いたいねという話がどちらともなく出たとか。
「渋ちん、真面目におべんきょしなきゃな期間中に、ちゃっかり恋を育んじゃったわけ。いけない子ね」
トモキチがおネエ口調で冷やかし、皆くくっと笑った。何だかんだ言って渋ちんは皆に愛されてるから、けっきょく最終的に飛び交うのは祝福の言葉だった。と、イエロー面のヤツが、
「よし、この際だ。自分の好きな女子の名前、発表会しようぜ!」
などと突拍子もないことを思いつきやがった。トモキチがまっさきに手をあげて、「マナミちゃん!」と叫び、お前のはダダ漏れだから知ってると皆に軽く受け流された。おれは「くだらん」と一蹴した。ひらりと脳裏によぎったのはサエグサの顔だったが、でもおれはあの子を好きとかじゃない。おれの視界によく入ってくるようになった女子という程度の存在だ。
「タカヒロってこの手の話になるといつもノリ悪いよな」
イエローは鼻を鳴らし、さっさと標的を女子面に変更した。フン。人の秘密を聞きたいなら、まずは自分が先に開示すべきだろうに、自分のことは棚に上げやがって。イエローに迫られた女子面は、女子の面しといて筋金入りのオクテだから、挙句の果て、頭の上にあげてた面を被って顔を隠してしまった。
トモキチが、「おれ、こいつの好きなヤツ知ってる。六組のイワサキだよ。そうだろ?」と暴露した。女子面は面をつけたまま反論した。
「あんなノッポ、好きなわけないだろ。違う子だよ、お前らの知らない子」
その平静を装った口調、背筋を伸ばしたぎごちない態度。
顔を隠してても、やつのウソは体の動きや体から放たれる空気でバレバレで、皆はブーッと吹き出した。
けど、おれはそのとき、ひとりだけ笑わなかった。
なんだか目を見張るような思いがしたからさ。そんなこと感じたのは、ずっと面を使ってシゴトしてるせいかもしれないが。
――面を被ってるからこそ、声や態度が際立ち、かえって本性を見透かされる。
マスクをつけることで正体を隠してるつもりでも、案外自分自身をさらしてるのかもしれない、などと。そんなふうにおれは感じたのである。
面を被ってるからこそ伝わる本音がある、とも言えかえることができるかもしれんが。
でも、だったら。マスクをつけたときだけ怒りの本音を思うさま人々に叩きつけるおれって。マスクをしてないときのおれ、つまり素の自分って。一体、何だ?
何気ない仲間うちのじゃれ合いを見て、おれはひそかに、何か胸を突かれるものがあったのである。
夏休みが終わり、二学期が始まった。
朝ぎゅうぎゅうに混みあう電車に乗るのも久しぶりだ。しかも早朝に車両点検をした関係だとかでダイヤが乱れてて、人の混み具合が半端ない。休み中にずれた生活リズムのせいで眠くてしかたないおれは、半眼でウトウトしつつ、ラッシュにイライラしつつ、電車に体を揺られるにまかせた。
鳥人仮面の活動はきちんと続けてるが、おれはここのところ、どうも最初の頃にあった、あのフレッシュなやる気が、少々薄らいでる気がする。鳥人仮面をやることに嫌気が差したわけじゃなく、手も抜いてはいないのだが、ちょっとばかり義務的になってきてるというか。これは、仕事に慣れてきたってことなのかもしれないけどさ。
でも、気分が乗らないってのは、ヒーローとして尻の座りが悪くて、そういや夫婦には倦怠期というものがあるらしいけど、その気持ちがこんな感じなのかもしれん、などと、ゆらゆら揺れながら考えた。鳥人仮面とおれは夫婦なワケじゃないのに、眠い頭の思考はどうしようもない。
電車に軽くブレーキがかかり、乗客が前のめりに押しくらまんじゅうになる。それから電車は徐行運転になった。同じ線路上にいる他の電車と運転間隔の調整をしながら走ってるから、スピードにムラがあるのだ。
と、おれの隣からすごいGをかけてくるヤツがいた。おれは思わずチッと舌打ちした。ラッシュ時だから押し合いへし合いなのはしかたないが、ときおりまわりに体を預けて自分は立つ力を抜くという怠惰な不届き者がいやがるのだ。
その手合いかと隣を見れば、おれの視界のずいぶん下方に、人の間に埋もれるようにして久々のあどけない笑顔があった。サエグサだ。
サエグサはいたずらっぽく瞳をキラキラさせて、「オハヨ」と、ぷっくりふくらんだ口を動かした。どうやら彼女はおれを見つけてそばに移動してき、わざとおれに体重をかけてきたものらしい。おれは表情だけでオウ、と返しといた。まったくこいつは。こいつには自分が女子で、体がフワフワだという自覚がないのかね。
話しかけてくるサエグサに、おれは、ああ、うん、と短く返す。おれには密集した人々の殺気が居心地悪く、サエグサがひとりで放ってるほわんとした空気を共有する気には、どうもならない。
そのうちサエグサはおれに話しかけるのをやめ、楽しそうに電車に揺られた。いつも以上に混雑してることと、思うように進まないこととで、いっそうイライラエネルギーが充満してる車内だ。そんなギラついた空気の中にいるにも関わらず、サエグサという女はひとりだけ楽しげで、ウキウキで、柔らかくてモチモチ……あ、いや、「柔らか」から以下は削除。もとい、サエグサはどこにあってもいつでも、ほわんとした空気を身にまとってる。これはもう彼女の一種の才能であり、だからこそ天然のワナだとも言えるんだろう。
と、サエグサのことを考えてたら、おれはなんだかよけいイライラが強くなってきた。そのイライラが車内感染によるものなのか、あるいは自分自身に対する苛立ちなのか、よくわからない。
と、サエグサが、
「……」
何やら身じろぎした。
最初は気にも留めなかったのだが、サエグサは肩をピクッと動かしたり、ため息をついたりして、落ちつかない様子を見せ始めた。
何事かと彼女の顔をちらと見て、おれはますます訝しんだ。サエグサの表情が今まで見たことのないものになってるのだ。冷や汗までたらしそうなほど顔面蒼白で、ぽよぽよの眉をきゅっと寄せ、何かにビックリしたように目を見張ってる。明らかに何かおかしい。
わけがまもなくわかった。サエグサの後ろにピッタリ密着してる、ねずみ色のスーツ姿の冴えない中年男がいた。サエグサはヤツから離れようと身をよじらせてるのだ。
おれは気づかれぬよう、さりげなく下に視線を落としてみた。で、度肝を抜かれた。
なんと中年男、周囲に悟られないよう、そっと注意深く、だが執拗に、サエグサの体をまさぐってるのである。
――チカンだ。
実際現場に居合わせたことなんか、これまでにない。エッチなマンガでよくチカンものがあるけど、現実エロいモンじゃない。なんかいっそグロい。サエグサの顔は世界で一番みじめな拷問を受けてるように色を失くし、おびえて引きつってる。
女にこんな顔をさせることを厭わない男がいるなど、にわかに信じがたく、隣で水面下で行なわれてる犯行に、すぐに現実感が湧かなかった。
と、サエグサが涙をいっぱい溜めた目で、おれのほうをうかがったのがわかった。
視線は合わなかったが、おれに助けを求めてるのだと察せられた。
反射的に、おれは、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。この場で鳥人仮面になることの支障とか考える余裕もなく。
が。
(……ない)
グミ状態のマスクがポケットに入ってない。
なんでだ!
焦って思い出したのは、昨日ズボンのホコリを払うために、部屋でバサバサ服をふり回したのだった。あのとききっと、ポケットから落ちてしまったのだ。
サエグサが小刻みに震えながら、無言でおれを呼び続けてる。助けて、助けて。その思いを口に出せないほど、彼女は恐怖に縛られている。
おれは。どうしたら。
鳥人仮面じゃない、むき出しのおれがどうすれば。
だが、何かに動きをブロックされてしまったかのように、おれはとっさに何の手出しもできなかった。
そのときだった。
「――おい、あんた。何やってんだ!」
背後から若い男の怒声が聞こえた。
ぎゃっと叫んだのは、サエグサを辱めていた中年男で、なぜならそいつの腕は、大学生風の男にぐいっと思いきりひねり上げられたからだ。
何事かと車内がにわかに騒然となった。
大勢の人前で臆することなく、だぼだぼの白いパーカを着たその男は毅然と言い放った。
「こんな若い子に手を出して、あんたそれでも大人かよ。てめえみたいな腐ったオヤジがいるから、女が安心して生きてけねえ社会になったんだよ。バカヤローが!」
白いパーカ男の横にいたサラリーマングループも加勢して、チカン男の腕をつかまえた。
「この兄ちゃんの言うとおりだ。てめえみたいなヤツのせいで、マジメに生きてるおれらまでつねに疑いの目を向けられるんだぞ」
「次の駅で警察に引き渡してやるから覚悟しやがれ!」
会社員風の女がサエグサの肩に手をやり、サエグサを自分の座ってた席に座るよううながした。
「かわいそうに。あたしも同じ目に遭ったことがあるのよ。恐い思いしたね。でも、もう大丈夫だからね。もうちょっとで駅に着くから、それまでここに座ってなさい」
先ほどまで殺気立っていた車内は一転、正義という名のもとに皆が一致団結し、連帯感さえ生まれていた。サエグサは涙を流しながら、なぐさめの言葉をかけてくるまわりの人たちに、ありがとうございますと礼を言っていた。
立ち尽くすおれのほうには、目を向けてこなかった。
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