第2話

「ねえねえ、タカヒロくん。また昨日も鳥人仮面(ちょうじん・かめん)が活躍したんだって。聞いた?」

 混みあう朝の電車の中、おれに話しかけてきたのは同じクラスの女子、サエグサだ。小柄だが肉づきのよい、甘ったるい声の持ち主で、目立つ子ではないのだが、ひそかに男子どもに人気がある。

 おれはそっけなく「ああ、聞いたよ」と返した。サエグサは瞳をキラキラ輝かせて、

「正義の味方ってテレビのお話だけじゃなかったんだねえ。あたしも会ってみたいなあ」

 と夢見る表情で言い、おれはフッと笑うに留めた。今お前がしゃべってる男が正義の味方の正体だよと言ったら、この子はどんな顔をするだろうか。

 初出現から二週間、「鳥人仮面」と呼ばれるようになったマスクの男は、事件やもめごとのあるところにワシのように現れては、鋭い舌鋒で解決に導いている。ウワサが広まるのは自然の成り行きというものだ。痴話げんかを止めたり、引ったくりをふん捕まえたり、交番で居眠りするおまわりに喝したり。おれもだいぶん腕を上げて、説教の精度も上がり、去り際の潔さだって身についてきてる。

 今のトコ、世直し活動は草の根的な感じに終始してるけど、いずれ出くわすかもしれない大事件までの肩ならしと思えば、まあ、精も出るというものだ。当初はただの変態おやじにしかなり得ないと思ってた鳥人仮面だったが、なかなかどうして、ひょっとしたらこのヒーローのあり方、おれの資質に合ってるのかもしれん、と見直し始めてる。

 そんな正義の活動と平行して、相変わらず平凡な高校生もやってるわけだが、ちょっとした変化があったと言えば、朝の通学のとき、それまで同じ車両に乗っても言葉を交わしたことのなかった同級生の女子が話しかけてきたことだ。それがサエグサで、先日、近所の人が鳥人仮面を見かけたというニュースをいち早く誰かに言いたかったサエグサが、電車に同乗してたおれに話しかけてきたのが、しゃべるようになった最初だ。駅から学校までは別々に歩いてくのだが、車中でおれを見かけると、サエグサは必ずそばに来るようになった。彼女はもともと兄貴の影響でヒーローものに親しんでたそうで、彗星のごとく現れた鳥人仮面の存在について、かなり無邪気に喜んでるようだ。

 一方的に彼女が話すのを、おれは、ふうん、あっそ程度に相づちを打つだけなのだが、道中の時間つぶしとしては、まあ悪くない。それに、自分の活動がどのように一般人に受け取られているのか、彼女から知ることができるのはおれとしても有益だ。

 さて、おしゃべりが一段落したらしいサエグサは、口を閉じて窓を流れる景色を楽しげにながめ始めた。色白のふっくらした頬、ぷくっとした小さな唇、ちまちました目鼻という幼い顔だちのくせに、白いブラウスの胸のあたりは風船をふたつ膨らませたように立派に盛り上がってる。

(ずるいよな。こういう存在のしかた)

 おれは目を逸らして思った。相手を油断させるいとけない仮面の下に、底なしのワナを仕掛けてるみたいな、さ。おれは何やら対抗意識を燃やし、おれが鳥人仮面であることをこの子には教えないぞという、何やら変な張り合いの気持ちが湧いてきた。


 その日は女子テニス部の練習が休みとのことで、トモキチは、「なあ、帰りにゲーセン寄ってこうぜえ」とつまらなそうに言った。おれはゲーセンなら喜んでだ。

 放課後、一階の廊下を歩いてると、どこからか泣き声のような、懇願するような声が風に乗って聞こえてきて、おれとトモキチは立ちどまった。

 窓の外を見やれば、背の高い木々の生えた裏庭が広がってて、その木の一本のもとに、男子生徒数名の姿が見えた。おれは眉をピク、と動かした。一組のオオバのグループだ。その数名に囲われるようにして、頭を抱えているのは……

「あれ、サカイじゃね?」

 トモキチが目を凝らして言った。見ればたしかに、あれはうちのクラスの一番チビだ。

「うへー、あいつ前からなぜかオオバに目ぇつけられてたからなあ。ウサ晴らしのターゲットにされるなんて、お気の毒」

「お気の毒、とはずいぶん他人事だな」

 おれはム、とした。

「あいつら、手加減知らねえからボコボコにのすぜ。同級生のピンチを黙って見過ごすつもりかよ」

「んなこと言ったって、おれケンカ弱えし。先生にチクるの、おれのスタイルじゃねえし」

 なんとふぬけたことを抜かしやがるか。

「あー、そうだったな。お前がケンカに強えのは、ゲームの中だけの話だった。二次元弁慶だもんな」

 手をひらひらさせて言うおれに、トモキチもカチン、ときたらしい。

「んだよ。お前だっていつも口ばっかで、行動に移さねえじゃねえか。お前もおれも同じ穴のムジナだよ。口だけ男が粋がるんじゃねえよ」

 口だけ男、だとぉ……? その言葉におれはカッと血が上った。

「何を、類人猿の亜種の分際で!」

「ふん、図体だけでかいノミの心臓!」

「サルの尻笑い!」

「でくの坊!」

 ふたり、次第にガキの言い合いみたいになってきて、

「あー、そうかい」

 トモキチが吐き捨てた。

「だったらお前が仲裁して来いよ。おれ、ここから見ててやる。もしケンカを止められたら、お前にパンと飲み物、毎日三食おごってやるよ」

 おれは胸をふんぞり返らせた。

「目を皿にしてよく見とけ。お前のサル面が徹底的にサルになるほど驚きの方法で、あの場を鎮めてやる」

 肩をいからせつつ、足音も荒く、おれは玄関へと向かった。

 おれの歩調に合わせて、グミもどくんどくんと熱く脈打ち始めてる。見て見ぬふりなんかできるか。……そりゃ、今まではこうした事態に遭遇したとき、諸事情あって結果見ないフリになってしまったことはあるかもしれん。でも、今のおれは鳥人仮面の本体として恥ずべきことはしたくないのだ。強きをくじき弱きを助ける、これぞ正義だ。

 ……とか言いつつ、じつは他にもわけがある。

 オオバ。ええい、思い出すだに腹が立つ。

 小学校時代、おれはヤツに言いようにコキ使われる立場を強いられていたのである。あるときにはサンドバッグにされ、あるときには使いっぱしりにされ。だのに、歯向かうすべをもたなかったあの頃。なぜなら、おれはチビだったからだ。

 中学校は別々だったから、交流は絶えて久しいし、今ではヤツの身長をゆうに追い越して体もでかくなったのだがな。

 これはヤツに復讐できる、またとないチャンスではないか。おれは裏庭に向かって歩きながら考えた。高校入ってからも相変わらずのあいつに、キッツイお灸を据えてやる。おれを執念深いと言わないでほしい。単におれは何につけ平等とバランスを重んじるというだけだ。つまり、やられた分をやり返すだけさ。

 ケンカを止めてサカイを助けるという目的は、オオバに一泡吹かせるに容易にシフトされた。おれはニタリとほくそ笑んだ。心なしかグミも「どっくん」とワケありげに鼓動したようだった。

「……って、だからさあ、サカイちゃ~ん。お前が大事に抱えてるソレをさあ、ボクらに寄越しなさいってば。何度言ったらわかるかなあ」

 妙な抑揚でしゃべりながら、オオバは、木の根元で何かを抱えるようにしてしゃがみこんでるサカイに顔を近づけた。サカイは恐怖に顔を引きつらせ、涙で頬をべしょべしょに濡らしながらも、やだ、とか反抗してる。

「ああっ!? 聞こえねえよっ!?」

 突然のオオバの大声に、こっけいなほどビクンと身をすくませるサカイ。取り巻き連中はそれを見て大笑いだ。

「ギャハハ、こいつ、おもしれー!」

「もっと脅かしてやろーぜ!」

「じゃ、こいつにおもらしさせたヤツが優勝な!」

(……完全にやつらのなぐさみ者になってやがる。情けねえなあ)

 おれは木の陰に身を隠しつつ、そっとため息をついた。同じ男としてあれはいただけん。助けてやったら、サカイにもひとこと言ってやらねえと。おれは首を回し、ポキポキ骨を鳴らした。

「もー、なんでそんなに頑ななの? 開いちゃいなよ。体、開いちゃいなよ。おれの前で股広げてみろっ……て、おおっ!?」

 オオバがハリウッド映画の爆発シーン並に、派手にぶっ飛んだ。

 おれが空中から切り込んだのだ。残りのやつら、一瞬呆けたマヌケ面をさらす。

 そして、やつらの視線の先に仁王立ちしてるのは……そう、鳥人仮面タカヒロ。おれだ。

「このバカどもがぁー!」

 大音声はすこし離れた校舎の窓も震わすほどだった。

「よってたかってたったひとりをなぶって何が面白い! 弱い者いじめを楽しむお前らの根性、ただ叱っただけでは戻るまいな! 人をおもらしさせたら優勝なんだろう、だったらこのおれが優勝だ!」

 おれはフワッと浮き上がり、息をいっぱい吸い込んだ。そして、特急スピードでふたたびやつらへ突っ込んだ。やつらは逃げる間もない。ひとりには高速往復ビンタを張り、仕上げにカミナリオヤジの得意技ゲンコツを脳天に落とす。ひとりは持ち上げて宙に運び、蜂の巣のある木の枝にはりつけの刑。もうひとりは校舎の二階の窓枠に手をかけさせて、吊り下げの刑に処す。全員のズボンを下ろし、パンツ姿をさらす辱しめの刑も忘れない。なんたって全員、ビビッておもらししてるんだからな。ギャラリーにとくと見てもらいやがれってんだ。

 最後にオオバだ。

 腰を抜かしたまま、驚愕と恐怖の目でおれを見つめるオオバに、おれはゆっくりと近づいていった。

「ま、待て。待ってくれ、鳥人仮面!」

 オオバはおれに向かって引きつった笑みを浮かべた。

「あんたのご高名はかねがね。正義の味方なんだろ。な、聞いてくれよ。おれらがなんでサカイを囲んでたのか」

 往生際の悪い、さっきまでの威勢はどうした。仮面の下でおれはフンと鼻で笑った。まあ、すぐに手を下すのも味気ない。おれはオオバの話に耳を貸すことにしてやった。

「ほう。何か言い分があるようだな。申してみよ」

「へえ。ありがとうございます」

 オオバはお白州で奉行におもねる下手人さながら、手をもみながら話し出した。

「じつはですね、サカイが捨て犬を拾って、そこの木の陰でこっそり飼ってたんすよ。学校の規則で動物を校内に持ち込んじゃいけないって決まりがあるんでね、おれらはそれをサカイに教えてあげようとしてただけなんです。なのにこいつ、おれらが犬を虐待したって言いがかりつけてきやがって。だったらおれらも黙ってられないじゃないっすか」

「い、言いがかりじゃないよ。ポチのこと、いじめてたじゃないか」

 サカイが横から口を出してきた。その腕に抱いてるのは茶色の汚れた子犬だ。おれは思わず「ポチて」と内心ベタ過ぎるネーミングに突っ込んだ。

 サカイは憐れみいっぱいの瞳を腕の中に落とし、

「かわいそうなポチ……すっかりおびえちゃってる。ぼくが暴力振るわれるのは構わない。でも、ポチには手を出さないでよ!」

「てめ、だれに物申してんだ」

 対サカイだと、オオバは凶悪に目を光らせる。

「そもそもお前が校内で動物飼ってんのが悪りんだろ。おれらはただ犬っころを追い出そうとしただけだ。それを暴力たあ、人聞きが悪りーこと言うなよなっ」

 サカイは身を震わせつつも、オオバをキッとにらみつけてる。おれはちょっと感心した。サカイはチビでナヨナヨで、明らかに戦い向きの男ではないのに、案外芯のあるヤツではあるらしい。

 おれはふたりを手で制した。

「お前らの言い分は概ね分かった。たしかにこの高校に属している以上、規則は守らねばならんな。サカイよ、捨て犬をここで飼っていたということは家で飼えない事情があったのだろうが、他の保護方法はいくらでも考えられたはずだ。けっきょく半端に可愛がられてあとがつらいのはこの犬だぞ。愛しいと思うならば、お前はあえてあくまで理性的にこの犬の将来を思案するべきだった」

 しゅんとなるサカイ。ニヤリと笑うオオバに、おれはおだやかな口調で話しかけた。

「オオバ、お前が校則にのっとってサカイの行ないを注意したこと、評価に値する。多少荒っぽい方法であったようだがな」

「はっ、すんません。おれは口が巧くなくて、どうしても行動に出てしまうもんで」

「お前らがサカイをいたぶってるように見えてしまったために、おれはお前の仲間たちを吊るし上げてしまった。謝るつもりはないが、すこし性急に判断してしまったかな」

「い、いやっ、気にしないで下さいよ。あいつら打たれ強いんで」

 おれは鳥面カミナリオヤジのマスクも和んで見えるくらい、慈愛に満ちた気配を全身から発しつつ、オオバに近寄った。オオバは自分の主張が聞き入れられたと思って、気を許してるようだ。

「オオバ、そう言ってくれるとありがたい。では握手をしよう」

「こちらこそわかっていただいて、ありっした」

 無邪気に差し出されたオオバの手をおれは握り。ぎゅうっと力いっぱい握り。

「ん? てっ!? あれっ、ちょっ、鳥人仮面さんっ、人間には少々、その握力、くぅ、暴力っ……て、ぎいやぁぁーーーーー!!」

 オオバの絶叫が空に伸び上がった。おれがオオバの手をつかんだままロケット発射さながらに飛び上がったからだ。一気に鳥人仮面の最高度、地上三階の高さまでのぼる。上空でおれはオオバをひっくり返し、両足をつかんだ。オオバは逆さに吊るされて、まともな悲鳴も出てこない。

「ひ、ひぁ……はわっ……」

「なあ、オオバ」

 おれは木の葉ずれのさやさやという音を耳に感じ、体に心地よいさわやかな風を感じつつ、ゆったりと言った。

「お前がさ、校則を守るよい子なことはよくわかったよ。でもさ、やっぱ、ああいうイジメはよくねえわな。ガキの頃イジメっ子だったヤツって、高校生にもなればたいていそれなりに更生してるもんじゃね? だけど、お前は全然ダメダメだな。生来根性がひん曲がってるんだ。いっぺん強制的に矯正しないとな」

「き、きょう、せい……っ?」

 両腕をぶらぶらさせ、股の下から血走ったまなこで必死に見上げてくるオオバに、おれは笑いかけた。マスクの下で。

「さあ行くぞ。お前の人生の背骨を、整体だ!」

 そうしておれは、逆さまのオオバをもちながら音速でフリーフォールしたのだった。五回ほど。いや、もっとか。

 オオバの断末魔の叫びは超音波と化した。

 その日の夜、町の郊外の山に棲息していたコウモリが一斉に引っ越したというローカルニュースをテレビで見たおれは、オオバとの関連を思った。


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