薄れゆく威光



「この国には、神のご加護があるではありませんか」

「確かに、この国は忌国いみこくと呼ばれ、現在も呪いによって護られています。ですがその呪いも、平和が長く続くほどに効力は薄れ、いずれ忘れ去られてしまう日が来るでしょう」

「シエロさまは……、神のご加護を呪いとお考えなのですね」

「加護に甘んじて努力を怠った結果が、いまの王都です。ならばそれはもう、自国さえも破滅させる、呪いでしかないでしょう」


 声音は穏やかだったけれど。真剣なシエロの表情に、わたしは落ち着きを失っていく。


「王都が困窮しているのは、努力を怠った結果だと仰るのですか?」

「ロベリア嬢はたしか、ご結婚を決められてから、王都のカネレ伯爵邸へと住まいを移されたのでしたね」

「……はい」

「でしたら、王都フルゴルが閑散としているのもご存知でしょう。主因は、ろくな産業も育ててこなかったため、国民が職を求め、リベルタス領へとやってくるからです。その悪循環が、王都に困窮を招いた」


 しだいに熱のこもり始めた言葉に、心から、シエロが国を憂えているのだと伝わってくる。

 そこに今度こそ、国の衰退を明確にする言葉が聞こえてくる。


「リベルタス領が貿易の拠点としての価値まで失えば、この国は確実に取り残されます」


 未来を見据えるシエロの声が、胸に重く響く。隣にいることが息苦しくも感じ始めたわたしは、この場から離れるための理由を探した。


「海を……、眺めてきても構いませんか?」


 話を断ち切るように口にした願いだったのに。シエロの表情が緩む。


「つまらない話を、してしまいましたね」

「いいえ……。ただ、わたくしには、少し難しいお話でした」


 苦し紛れに口にした理由にも、シエロが微笑んでくれたので、ほっとする。

 けれど、それもつかのま。そそくさと立ち上がったところ。


「ロベリア嬢」


 注意を引くように名を呼ばれ、なにを言われるのかと、思わず身構える。


「……なんでしょうか」

「海を眺められるのでしたら、崖から落ちないよう気をつけてください。どうやらあなたは、なにかに集中すると、ほかの行動が疎かになってしまわれるようなので」

「……ご心配いただかなくとも、結構です!」


 不意打ちで、しかも的確な指摘を受けたわたしは、恥ずかしさでいっぱいだというのに。


「でしたら、ここで見ていますね」


 そう言ってシエロは、楽しげな笑みを見せた。


 シエロと接するほどにわからなくなる。彼を通して見るリベルタス領は、聞いていた話とまったく違って見えたから。どうして彼のような人が、公爵に従っているのか。


 心が……、乱される。


 そう感じたわたしは一刻も早く距離を取りたくて、シエロに背を向け、海のほうへと歩き出した。


 崖のふちに近づくほど風は強く吹いているようで、潮の香りを孕んだ風に、髪が玩ばれる。

 崖の下を覗き見る勇気はないから確かめていないけれど。海面まで、かなりの距離があるのは間違いなくて——。視界いっぱいに広がった海に、一瞬、体がぶるっと震える。

 感じた怖さを紛らわそうと、さきほどシエロと眺めていた帆船を探してみたけれど、行きさきすら、もう掴めなかった。


 風に煽られないようドレスの裾を気にしつつ、目的のないまま、海を横目に崖ぞいを歩く。すると岩場の陰に、紫がかった、青色の花が群生しているのを見つける。


 花の形はヒナギクのようだけれど……。なんという名の花なのかしら。


 シエロなら知っているかもしれないと思い、振り返ってみたのだけれど。シエロは立てた右膝に腕を置き、そこに顔を伏せるようにして座っていた。


 見ていると、言っていたのに。

 わたしは感じた不満に任せ、シエロのもとへと戻る。


「……あの、シエロさま?」


 眠っているのかしら。反応がない。


「シエロさま。このようなところで眠られては、お風邪を召してしまいます」


 もう一度声をかけてみたけれど、やはりシエロは眠っているようで。わたしは迷いながらも、シエロの肩へと手を伸ばしていた。


 これは、ようやく巡ってきた好機かもしれないから。あわよくば、大役を果たすための手駒を増やすことができるから。

 それに彼が見せる、笑顔の裏にある本心を探り当てられたなら。きっともう、やすやすと惑わされたりしない。


 けれど。どのように理由づけしようと、それは単純に、シエロをもっと理解したかったから取ってしまった行動にほかならなくて。


 わたしはこのとき、愚かにも自覚のないまま、禁忌を犯していた。






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