夢が誘うもの
着いたさきは、公爵の葬儀が行われた場所。さきほど工房でも話題に上がっていた、ジュラーレに建つ教会だった。
「降りて」
さきに馬車から外に出た公爵が、わたしに手を差し出す。その手に導かれるまま、わたしも馬車を降り、教会の入口へと歩き出した。
まえもって人払いをしていたのかもしれない。教会のなかに入ると、司祭の姿さえ見えなくて。公爵とわたしの足音だけが響き、高い位置にある円蓋へと吸い込まれていく。
薔薇窓から光が降り注ぐ祭壇のまえに立つと、その神聖な雰囲気に、自然と
いったい、なにを考えているのかしら。隣に立つ公爵が気になり、こっそり顔色を窺ってしまう。
すると視線を感じたのか、にこりとした笑みを、公爵が見せた。
「君は婚儀のとき、ずっとうわのそらだったよね」
笑顔のわりに、不満を感じさせる口調だったけれど。もう偽りは口にしたくなかったので、わたしは正直に頷く。
「あのときは……、託された大役のことばかり考えていましたから」
わたしの返答に、公爵が複雑な表情を見せる。
「緊張していたとか、言いようはいくらでもあるのに。これは結構、傷つくな」
「……え?」
一生に一度だろう。とのぼやきが、かろうじて耳に届く程度の大きさで、公爵の口から零れた。
どうやら心ない返答をしてしまったようで。だからといって取り繕おうにもやはり、嘘はつけなくて。わたしが動揺していると、公爵は悟ったような、けれど諦めにも似た色を瞳に湛えていた。
「まあ、仕切り直すつもりでここに来たんだし」
右腕をこちらへと伸ばした公爵だけれど。彼の手で、なぜかわたしの右手は、胸の高さまで持ち上げられていて。琥珀色の双眸が、正面からわたしに向けられる。
これは、いったい……。
状況が呑み込めず、わたしは右手を預けたまま、ただ呆然と突っ立っていた。
だからかしら。空いた手で公爵は、わたしの髪を少し乱暴に、くしゃりと梳いた。
「しっかり聞いててよ」
「…………はい?」
なにをだろう。と、間抜けな相槌を打ちつつ首を傾げたわたしに、公爵は満面の笑みを浮かべる。
「いいから、話を聞け」
「はいっ!」
強い口調に反射的に応じてしまったわたしは、慌てて口を引き結ぶ。
話を聞く態勢の整ったわたしを確認すると、落ち着くため——かしら。公爵は深く息を吸い、ゆっくりと……吐いた。
そしてふたたび口を開く。
「いいかい? 偽りで始まった俺たちだけど、偽りのなかにも真実は確かにあったのだと、生涯を懸け証明することを、俺は君に誓うよ。だから願わくは、俺とともに歩み、夢を語り、同じ未来を見て欲しい」
それは……つまり——?
聞けばきくほどに、わたしの思考は混乱を来していた。けれど向かい合い、支えられた右手といい、これは宣誓——なのかしら。公爵は再度、夫婦となるための誓いの言葉を口にしてくれたというの?
正式な台詞とはまったく違っていたけれど。そうと理解しても、わたしはまだ、どこか他人事のように感じていた。
これは、掴んでもいい夢なのかしら。
それでも、掴んだ瞬間に脆く消えてしまうのではないかという懸念を打ち払えず、答えを求めるように視線を合わせれば、彼の瞳に宿る、揺るぎない光とぶつかる。
その光は、陽の当たる場所に出たばかりのようなわたしには、とても眩しくて——。
急激に落ち着きを失っていったわたしは、体ごと逃げ出したくなり、身を引こうとした。
けれど。
「もう二度と、黙っていなくなられるのは、ごめんだから」
公爵の真剣な眼差しに息を呑む。
逃がしはしないとばかりに握られた右手から、じわじわと実感が湧きあがり、煩いほどに胸が高鳴り始める。
真実の想いを告白した夜とは比べものにならない。彼を求め際限なく溢れる想いは、いまだ対処のしように困る。
そして同じくらい、自分が夢渡であることへの不安も溢れ出す。
けれど公爵は待ってくれず、最後通牒のように迫る。
「それとも。君の夢を預かるには、俺では不服だとでも言うの? だからって納得したくはないけど、それはそれで構わないから。あの夜のように君が……、アネモネ自身が望む未来を、もう一度、俺は聞きたい」
一年ぶりに聞く、公爵の口から不意に落ちた「アネモネ」という響きは、わたしの心を熱くした。
ほかの誰でもない。彼はわたし自身を望んでくれているのだと感じられたから。これは夢とは違う。望めば手に入る、紛れもない現実なのだと教えてくれる。
それに彼は、もう一度と言ってくれた。
真実の想いとして受け止めてくれていたのかもしれない。心に抱き、けして失いたくないと願った、わたしの夢を。
「聞かせてくれ、アネモネ」
再度、公爵がわたしの名を呼んだ。
「わたしは……。わたしの夢は、あの夜からなにも変わっていません。もし許されるのなら……。いまでも、わたしはルクスさまとともにありたいと、心より願っています」
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