見慣れた港街
どこに向かっているのかしら。
箱馬車に乗せられたわたしは、脱いだボンネットを両手で握りしめ、窓の外を眺めていた。そのさきには、すっかり見慣れたジュラーレの港街が広がっている。
公爵とは、すぐに触れられる位置に並んで座っているというのに。わたしの心に、うしろめたさがあるからかもしれないけれど。拒まれているような、果てしなく遠い距離を感じる。
終わりの見えない沈黙に耐えかね、わたしはとうとう口を開いた。
「……ミネルヴァさまは、お変わりありませんか?」
「あの人なら、相変わらずだよ」
「エルマやニーナたちは……、どうしていますか?」
「城館には一年前と変わらない顔触れが揃っているよ。君以外はね」
棘のある口調に、少しむっとしたけれど。身勝手に出ていったのはわたしだから、なにも言い返せなくて。ただ、思いつく限りの問いを繰り返すことしかできなくて。
「ラディウス殿下から伺ったのですが、ルカが本物のシエロさまだったのですね」
「——ああ」
「新しい公爵さまは、どのようなかたですか?」
「そんなに彼らが気になるのなら、城館に顔を出せばいい。皆が歓迎する」
吐き捨てるような公爵の物言いに、ふたたび沈黙が落ちる。その沈黙が痛くて、わたしはまた、懲りもせず言葉を探してしまう。
「……王には、お会いになりましたか?」
「君と約束したからね、会いに行ったよ」
「お話は、されましたか?」
「————」
ついには、返答すらなくなる。
「あの……。どちらへ向かわれているのですか?」
この質問にも、公爵の返答はなかった。けれど、代わりに違う台詞が返ってくる。
「まさか、君が兄と結託するとはね。いや、結託というより利用されたのか。兄は、君を囮にしたらしいね」
「それは……。さきに行動を起こしたのはわたしですし、ラディウス殿下はメリッサさまからわたしを——」
「兄を庇う必要はない! 嘘に信憑性を持たせるため、俺の葬儀まで執り行わせたのも兄なんだろう?」
自分が犯した罪は自覚していたはずなのに。問い詰めるような口調にびくりと青ざめてしまう。
「……怒って、いらっしゃいますよね」
狼狽えてしまったわたしにすぐに気づいた公爵が、はっとした顔をする。くしゃりと自分の前髪を両手で掻き上げ、そのまま前屈みになって頭を抱えていた。
「……すまない。そうじゃないんだ。確かに、あの腹立たしい笑顔で、これで政敵が減ったと言われたときには殴りたくもなったが——」
腹立たしい笑顔、というのは、見たこともなければ、見たいとも思わないのだけれど。おそらくラディウス殿下の笑顔で間違いなくて。
けれどそれよりも、公爵の取り乱しようになんと声をかけたらいいのか、わたしはおろおろとするばかりで。
ただ、公爵らしいというか。長く息を吐き、つぎに顔を上げたときにはもう、表面上は冷静さを取り戻しているように感じられた。
まだ、目線だけは箱馬車の床に向けられたままだったけれど。
「兄が花嫁に贈ったヴェールを見た瞬間、目の覚める思いがした」
「あれを……、ご覧になったのですね」
「わざわざ、俺宛てに送ってきたんだよ。そこで細やかな図案と丁寧な仕事を見て、君だとすぐにわかった」
「だから……工房に?」
「そうだよ」
頷いた公爵は目を伏せたまま、自嘲的な微笑みを浮かべていた。
「葬儀に関しては、王の威信を回復するためにもそれでよかったのだと、いまは納得している。怒っているのは、兄が君の居場所を知りながら黙っていたことと、こんな近くに君がいたというのに、それに気づけなかった自分自身に対してなんだ」
「……秘密にしておいてくださいと、わたしがお願いしたのです」
合わせる顔がなかったから。
リベルタス領を去ったとき、ここに戻ることはもう、二度とないと思っていた。
わたしが選んだのは公爵ではなく王で。命まで奪ったわけではないけれど、許しも得ず強制的に眠らせるという暴挙に走ってしまった。
害なく調合された睡眠薬を飲ませるのとは訳が違う。わたしは異能を使って、公爵の心に干渉したのだから。
そのくせ未練たっぷりに、公爵の夢に寄り添おうとして。
夢渡の異能以外で唯一物になりそうな、刺繍の仕事がしたいとラディウス殿下に願い出て。工房まで紹介——というより、行きさきだけは、ラディウス殿下が強制的に決めてしまったのだけれど。
それからお世話になっているのが、アマンダさんの刺繍工房リベラで。
ジュラーレにいることで、醜くも心の片隅では、公爵の顔だけでも見られたならと、偶然の出逢いを期待したりもして。
そもそもリベルタス領に戻ってくるべきではなかったのに。本当に意志が弱いと、自分でも思う。だからこそ、常に不安はつきまとう。
いつかまた、自分の身勝手で、しかも今度は己の欲望を満たすためだけに、夢渡の力を使ってしまうのではないかと。
たとえば、取り返しのつかない罪を犯してしまったメリッサさまのように。
それに、同情の余地があるとはいえ、ミネルヴァさまでさえ禁忌を犯してしまったのだから。道を誤ることは絶対ないと言いきる自信を、わたしが持てるはずがない。
公爵に対して力を使ってしまったときからずっと、わたしはそう思っていた。
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