慈悲深き悪魔



 ひとつ、発見があった。


 最初はジュラーレ公爵、そのつぎにはシエロだと思っていた彼——ラディウス殿下は口数が少ない人なのだと認識していたところ。それが意外にもよく喋る、という、なんの得にもならない発見ではあるのだけれど。


 王がお目覚めになったあとも、異能を使った疲労から昏々と眠り続けていたわたしが、ひと晩を過ごさせてもらった部屋で。起きがけにやってきて肘掛け椅子のひとつを陣取ったのは、どうやら無愛想だけはもとかららしいラディウス殿下だった。


 身分を隠し、ジュラーレの城館で一年以上もくすぶっていた反動もあるのかもしれない。ローテーブルを挟み、正面の椅子に座ったわたしが無言でいるにも拘わらず、殿下は話を続けていた。


「叔父の件も、リベルタス領返還の件も、胡蝶に真実が伝わらないよう情報操作をしていたのは、王ご自身だったようだ。胡蝶の自尊心を満たしてやり、暴走を抑えるおつもりだったらしいが……。我が父ながら、対応が甘いにも程がある」


 そう批判した殿下だけれど。口調は落ち着いていたから。王を理解したうえでの台詞なのではないかしら。王がお取りになれる、それが精一杯の対応だったのだと。


 結局、胡蝶であっても、メリッサさまは王の花のひとりに過ぎなくて。王の許しがなければ王宮から出ることもままならない。胡蝶の権限で影響を及ぼせる範囲は、実際そう広くないのだと思う。

 それはおそらく、王のお立場にも同じことが言えるから。


 なんにしても。と、溜息混じりに殿下が言葉を吐き出す。


「刃物全般、王の居室への持ち込みは禁止されているし、管理も厳しいから諦めたのか。メリッサが刃物を持ち出さなくて、お前も助かったな」


 それは同意する。メリッサさまはわたしに対して、明確な殺意をお持ちだった。下手をすれば、刃物のひと突きで命はなかったかもしれないもの。


 ただ、胡蝶であり続けることを望まれていたメリッサさまだから、規律に反するような考えが、はなからなかっただけのような気もする。けれど規律に従っていたからといって、道を踏み外してしまわれたメリッサさまの行いは、けして赦されはしない。

 リーリエ王妃の本当の死因である、毒殺もそうで。いままさに、ラディウス殿下は自分からその話題を持ち出していた。


「王妃の一件があってから、古狸にひとまず退けと言われたときには、王を見捨てるのかと、さすがに憤りはしたが——」


 殿下が言う古狸とは宰相のことらしく。それはいいのだけれど。

 冷静で客観的に事の顛末を語っている殿下の、胸のうちを推し量ろうとしても、心に負った傷を想像するのは簡単ではなくて。

 心苦しく、わたしは殿下のお心を案じていたというのに。


 このかたは——。


「こんな危ない場所、おちおち寝ていられないだろう? 迂闊に女も抱けやしない。だから古狸の提案に乗ってリベルタス領へ——」


 そこまで口にした殿下だけれど。わたしが眉間に皺を寄せ、身を退いたことに気づいたらしく。途端に渋面を見せていた。


「誤解するな。女なら誰でもいいわけじゃないし、お前に手を出すことは未来永劫、たとえ媚薬を飲まされたとしても、絶対にありえない」


 話が、ずれているのではないかしら。そのうえがっつりと、失礼な言われようまでされた気がするのだけれど。


「そろそろ、本題に戻られたらどうですか」

「……そうだな」


 そんなに言い出しにくい内容だったのかしら。どのような結末でも、わたしは受け入れる覚悟でいるというのに。

 ただ、殿下の様子は、なにか決めかねているようにも見え——。


 ひと呼吸置き、殿下は居住まいを正してから口を開いた。


「王はお前の処分を俺に委ねられた。ゆえに、これは王の言葉だと思え」


 面倒だとでも思っているのかしら。わたしが頷くと、ひとつ大きな溜息をつき、それから殿下は宣言した。


「名を騙り、我が弟を惑わしたお前は、王の花より除名処分とする」


 それはわたしに下された、罰だと思ったのだけれど。


「どこへなりと、望む場所へ行くがいい」

「——望む場所……ですか?」

「なにを驚いている。それとも俺の胡蝶になりたいのか。今回の騒動がなければ、いずれそうなっていたんだろう?」

「王命とあらば、従います」

「承服しながら、そう露骨に嫌そうな顔をするな。いいから望む場所を言え。送り届けてやる」


 急に望む場所といわれても、わたしが知っているのは、生まれ育った神殿と、王宮の一部、あとはリベルタス領くらいしかなくて。

 見知らぬ土地へ行き、ひとり生きていけというのが、わたしに下された罰なのかしら。


 けれどもし、願いを聞き届けてくれる余地があるのなら。


「やりたいことでも、構いませんか」

「なんだ、勿体ぶらずに話せ」


 じろりと睨まれたので、おそるおそる希望を伝えてみたのだけれど。


 やはり願いを口にすること自体、間違っていたのかもしれない。椅子の肘掛けに頬杖をついた殿下から、不服そうな顔を向けられる。


「なあ、聞いていいか」

「……なんでしょうか」

「いまだに疑問なんだが。どんな夢を見せたら、あんな安心しきった顔で、あいつを眠らせることができるんだ?」

「————それは……っ」


 どうして、いまここで、そんなことを聞く必要があるのかしら。

 遥か遠くから飛んできた予想外な質問に、瞬時に頬が赤らむのを感じ、わたしは焦って俯いていた。


「……まあいい。いまのお前の表情で、だいたいの想像はついた」


 想像まで、予想外なものを思い描いていないのならいいのだけれど。ラディウス殿下が相手では、確認するのも、真実を言葉にするのも躊躇われ——。


 それに、これから進むさきを考えれば、そのような一抹の不安など、瞬くまに押し流されていた。






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