託された想い



 なぜ、わたしはこのような場所に来てしまったのかしら。もう、どれくらい時間が過ぎたのかも判断がつかなくて。


 そう……。王をお救いするなど、おごった考えだったのかもしれない。


 暗黒が支配する世界に囚われ、大切なはずの目的を忘れてしまいそうになる。

 嫉妬や疑惑、悲嘆に憎悪。ここにはたくさんの想いが渦巻いていて。ひしめき溢れる負の想いに引き摺られ、これが誰の感情なのか、境界が曖昧になっていく。


 メリッサさまのお力が、いまだ王のお心に色濃く影を落とし続けているからなのだと思う。希望を見つけ、これこそが真実の想いだと肯定しようとしても、すぐさま打ち消されてしまう。

 これは、王が繰り返されてきた葛藤そのもので。身動きが取れず、泥沼に浸かっているようだった。


 じわじわと呑み込まれ、自我が薄れていく。


 いっそこのまま、すべてを忘れてしまえれば楽かしら。と、投げやりに思ったそのとき。目のまえに、仄かな明かりがぽっと灯った。

 それはきっと、奇跡に等しくて。


「やっと……、見つけた」


 耳もとで男性の声がしたと思ったら、つぎには正面から抱きしめられていた。

 感じた温もりに、じわりと涙腺が緩む。思わず縋りつきそうになったけれど、寸前で自分を律し、なんとか相手の胸を押しやる。


「ごめん、苦しかった?」


 気遣う言葉が聞こえると同時に拘束が緩む。その行動に戸惑いながら、わたしは男性を見上げた。


 彼が誰なのか。顔を確認するまでもなく気づいていたけれど。

 いま、わたしがいるのは王の夢のなかで。すべてを呑み込んでしまいそうな深い闇も、いまだ周囲に満ちたまま。

 だから、希望を求め続けたすえに生み出してしまった幻かもしれないのに。


 それでも、彼とわたしだけは暖かな光球に包まれていて。少なくとも姿形は公爵だったから。

 たとえ幻だったとしても、問わずにいられなかった。


「……なぜ、ここにいらっしゃるのですか?」

「うん。ずっと、穏やかに眠る夢を見ていたような気がする。俺の腕のなかには確かに君がいて。それだけで幸せを感じていられた。なのに、急に君が苦しみだしたんだ。しかも助けてあげられないまま、君は俺のそばからかすみのように消えてしまって……」


 だから、いてもたってもいられなかった。そう呟いた公爵の指先が、存在を確認するように、わたしの頬に触れる。


「あちこち探し回ったんだよ? 結果、気づいたらこの闇のなかに辿り着いていて——。だけど正解だったみたいだね。こうして、君を見つけることができた」


 本当にもう、何度目なのかしら。公爵が見せる優しさに、また、このまま流されてしまいそうで。琥珀色の双眸をまえにして、わたしは無意識に身を退いていた。

 公爵の指先が離れると同時に、否定的な言葉も零れ落ちる。


「ルクスさまがここにいるなど、絶対にありえません。ここは王の夢のなかです。それにルクスさまは、わたくしが夢渡の力で——」

「だからだよ。だからこうして、君を迎えに来ることができた」


 なんと返答したらいいの。

 目のまえの公爵が幻ではなく、しかも、いまの状況に至った経緯をすべて承知しているのだとしたら? いいえ。もしそうだとしても、心から喜べるわけもなく。

 迷い、黙り込んでしまったわたしのまえで、公爵の表情が哀しげに翳る。


「俺の助けは、必要なかった?」


 咄嗟にわたしは首を振る。


「ルクスさまに来ていただけなかったら、わたくしは、あのまま悪夢に呑まれ、永遠に眠り続けていたかもしれません」

「それなら答えて。どうして、勝手にこんな真似をしたの」


 きっと公爵は、わたしが答えを口にするまで待ち続ける。そう感じさせるまっすぐな視線に晒され、結局わたしは逃げるように俯いてしまう。


 いまさらなにを伝えようと、すでに選択してしまったあとだから。わたしが犯した罪は消えないというのに。

 このようなときにこそ、気持ちを察してくれたりしないのかしら。


「下を向いて黙られたら、なにもわからないよ」


 間違いなく公爵は心が読める。そう確信してしまっても仕方のない言葉だったと思う。実際は違うのでしょうけれど、無性に悔しく感じてしまうのはなぜかしら。


 けれど公爵と向き合うことを避けている自覚はあったから。

 心のなかでは密かに白旗を揚げつつ、だからこそわたしは、あえて俯いたまま、ぎゅっと引き結んでいた口を開いた。


「ルクスさまは、王のために死んでくださいと頼んだら、了承してくださいましたか?」

「必要だと思ったら、了承していたよ」

「では、わたくしが単身で王宮に戻るという提案はどうですか?」

「反対したに決まっている。それにあとひと月、待てばいいと言ったはずだ」

「それでは間に合いませんでした!」


 勢いで顔を上げ、反論してしまったわたしに、公爵は一瞬、怯んだようだったけれど。


「もういい、諦めて戻ろう。君が責任を負う必要はどこにもないのだし。ほら、行くよ」


 そこでわたしの手を掴んだ公爵が、強引に歩き出そうとする。


「駄目です! まだ王を、探し出せていませんっ。それにわたくしは……王の花。役目を終えたわたくしには、ルクスさまのおそばにいていい理由がありません」

「——これ以上、俺を怒らせるな」


 従うのを拒んだわたしを見据え、公爵は初めて苛立ちを見せた。


「君の勝手な行動を、俺はまだ、赦せていないんだよ?」

「でしたらもう……わたくしなど……」

「この手を放せという、それが君の望みなのか。あの夜、君が口にした言葉は偽りだったというのか——。ようやく君が、俺を見てくれたと思えたのに」


 ほんの数日前、公爵に告白したばかりの想いが、とくりと胸に溢れ出す。

 これからさきも公爵とともにありたいと、心から願い、伝えた想い。


「あれは……っ」


 あの言葉だけは嘘にしたくない。そう思えるのに。どうしても声にはできなくて。ふたたび黙り込んでしまったからか。わたしの手が、するりと解放される。


 ついに見限られたのだと、未練たらしく感じた胸の痛みとともに、これで王を探しに行けると、安堵も覚えていたのだけれど。

 公爵の顔には、彼らしくない弱々しい微笑みが浮かんでいて。


「たとえ偽りだったとしても。君を助けるくらい、してもいいだろう?」


 公爵を傷つけてしまった。実感をもってそれを悟ったわたしは、これが本当に最後になるのだろうと、あらためて公爵との別れを感じていた。

 勝手だけれど、これ以上そばにいるのがつらくて、無理に笑顔をつくる。


「ルクスさまにはもう充分、助けていただきました。あとはひとりで大丈夫です」


 そう言って公爵のもとから離れようとしたときだった。


 空耳かしら。まるでわたしの行動を引きとめようとするみたいに、誰かに名を呼ばれた気がした。それはやはり気のせいではなく、遠くから繰り返し、わたしを呼ぶ声が聞こえてくる。

 それからもうひとつ——。


「いま……赤ん坊の泣き声が聞こえました」

「俺には聞こえない」

「いいえ、見つけました。王を——、ルクスさまのお父さまを、一緒に連れ戻しましょう」


 ひとりで大丈夫と口にしておきながら、わたしは公爵の手を取り、新たに灯った光を目指していた。


 だって、強く胸に響いてきたから。ルクスを連れて来いと——。







『あなたに、よく似ていますね』


 そう口にして穏やかに微笑んだのは、まだ、容姿に少女らしさを残す魔女だった。

 その問いかけを受けられたのは王で。返答までに、しばしの時間を要されたのだけれど。


『——どこがだ』


 ぼそりと呟かれたひとことは、王が抱かれた正直な感想だった。しかも、お声は不機嫌にも感じられ——。けれど、王の胸には溢れんばかりの喜びが満ちていた。


 理由は明らか。ベッドの上で半身を起こして座る魔女の腕には、すやすやと眠る、生まれたばかりの赤ん坊が抱きかかえられていたから。


 そこに魔女が、改まって口を開く。


『お伝えしておきたいことがあります』


 魔女が真剣な表情を見せるから。赤ん坊の、ふっくらとした薔薇色の頬に触れようと、伸ばされていた王の手がぴたりと止まる。


『大事な話なのか?』


 こくりと、魔女が大仰に頷く。


『夢を見ました。大切な局面で、あなたはこの子のために、アネモネという娘を選ぶの』

『まえに言っていた、娘の話か』

『そうです』

『——その娘は、俺の子じゃないのか?』

『間違いなく、あなたの娘ですよ。だから忘れないでくださいね』


 魔女の言葉が腑に落ちないのか。王はしばらく首を傾げておいでだったけれど。


『それはまだ、さきの話なのだろう? ならばまずは祝福しよう。サンファーロ王国の国王たる俺が与える、最高の祝福だ。決めたぞミネルヴァ。この子の名はルクス』

『……ルクス、ですか?』

『そうだ。兄のラディウスを助け、この国を導く、二番目の光だ』


 ああ……。この記憶は、公爵が生まれた日のもので。王のお言葉が、胸に熱く響くのと同時に、わたしは実感していた。


 公爵にも、ちゃんと伝わっていればいいのだけれど。


 王位を捨ててでも、王が護ろうとなさったもの。それはリベルタス領で——。そこで安寧に暮らす、愛した女性と我が子だったのだと。






   ******






「まだ、お休みになっていて大丈夫ですよ」


 目を覚ますと、わたしは王宮の一室らしき場所にいて。ベッドで寝ていたわたしに微笑みかけてくれたのはソフィアだった。


 けれどこの部屋にはソフィア以外、誰もいなくて。王も、ラディウス殿下も、そしてもちろんメリッサさまもいない。

 公爵に至っては、自分に都合のいい夢を見ていただけかもしれない。


 たとえそうだとしても。落胆や焦燥はなく、安らぎに包まれていたわたしは、導かれるまま、ふたたび眠りに落ちていった。


 刻限になればソフィアが、いつものように起こしてくれるはずだから。






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