夢に溺れた花



 床に両膝をつき、ひとりの男性からうしろ手に拘束された状態のメリッサさまは、それでも高潔さを感じさせる瞳をなさっていて。


「なにを罪状に、わたくしを裁くと仰るのです。すべては王がお望みになったこと」


 心から、そう考えておいでなのかしら。メリッサさまの態度は落ち着いていて、口調も明瞭だった。そして迷わず続きを口にされる。


「陛下はルクスを、御子とはお認めになっていなかった。そのように中身のない、上辺だけ飾り立てた偽物だというのに。愚かな民衆は本物との区別もつけられず、偽物に期待を寄せるばかりか、陛下を軽んじる者までいるというではありませんか。こたびはそれを正そうとしたまでです」


 もっともらしいメリッサさまの釈明を、ラディウス殿下はいっけん冷静に聞いているようだった。

 けれど違う。メリッサさまの目前まで靴音も荒く近づいたラディウス殿下の双眸からは、抑えきれない苛立ちが見て取れたから。


「王がそれを——ルクスの死を、本当にお望みになったとお前は思っているのか。自覚しろ。お前は王の望みという免罪符を振りかざし、自分に都合のいい幻想を王と周囲に押しつけていただけだ」

「幻想を抱いているのはどちらです。誰よりも陛下を想い、誰よりも陛下のお心が平穏であるよう努めてきたのはほかでもない、わたくしです!」


 立ち上がろうとなさったメリッサさまが、男性ふたりがかりで押さえつけられる。それでもメリッサさまは強く訴え続けられた。


「陛下には、憂慮なく王国の安寧を願っていただかなければなりません。そのためにはお心を乱すような害悪は、片端から排除するのが最善。そしてそれこそが王の花——胡蝶たるわたくしに課せられた使命!」


 その瞬間、ラディウス殿下の拳が強く握られる。ひやりとして思わず顔を背けてしまいそうにる。

 けれど、握られた拳が振るわれることはなかった。


 直情的ではあるけれど。本来、暴力に訴えるような性格ではないのかもしれない。

 代わりに、重苦しい声で問いが投げかけられる。


「ルクスや叔父……、彼らだけでなく王妃までも、お前は害悪だったと言うのか」


 王妃までもというそのひとことに、ラディウス殿下が抱く憤りの根源を垣間見る。

 それでもなお、メリッサさまは穏やかな微笑みを浮かべてみせられた。


「害悪以外のなにものでもありませんでした。ですが勘違いなさっているようですね。レオパルドに関しては、王の花はいっさい干渉しておりません。レオパルド自ら、陛下の寵妻とその息子たちを攫うという、追放に値する罪を犯したのです」

「その果てに王は……、ミネルヴァさままで失ってしまわれたのですね」


 繋がった線のさきに見つけた答えを、わたしは口にしていた。

 すると、メリッサさまの視線がラディウス殿下からわたしに移る。


 追放されたのだと教えられていたけれど。レオパルドが外交官としてブランに派遣されている事実を、メリッサさまですら、ご存じないのかもしれない。

 メリッサさまの顔に薄く浮かんだ笑みは、講じた策の成功を誇らしくお思いのようにも見えた。


 だからこそ、わたしは追及をやめなかった。

 メリッサさまを正面から見据える。


「それとも、王がミネルヴァさまに対して不信感を抱くよう、メリッサさまが要因をおつくりになったのですか? 心を掠めただけの、思いつきのような疑念を膨れ上がらせて」

「この短時間で……、王の夢からそこまで読み取ったのですか? その実力。大人しくしていれば、いずれ胡蝶になる機会も巡ってきたでしょうに」

「王は危うく、手を血で染められるところでした!」


 おそらく、メリッサさまがもたらした災厄はそれだけにとどまらなくて。


「王妃が病で急逝されたというのも、偽りなのですね」

「そのとおりです。実子のためにと王位継承の確約を執拗に迫り、陛下から疎ましく思われていた妃殿下、リーリエの存在を消して差し上げたのもわたくしです」


 レオパルドについてしか否定なさらなかったから。確信すらしていたけれど。

 いざ、メリッサさまから直接聞かされれば、憤懣ふんまんを覚えずにはいられなくて。

 けれど公爵と出逢わなければ、きっとこのような感情を抱くこと自体、一生なかったかもしれなくて。


「王妃の死の発端が自分にあると気づかれた王は、それを契機に、王位を捨てる選択をなさったのですね」


 これ以上、大切なものを失わないために。


 このお気持ちは、覗き見た記憶の断片から読み取ったもので。


 メリッサさまの想いは、まっすぐなようで歪んでいて。いつしか胡蝶の役目から大きく逸脱していき、その果てに長い時間を費やし、じわじわと、王を孤独へと追い込んでいった。

 心の機微を細かく読めてしまうからこそ、些細な想いも見逃せず、過剰な対処を選択なさってきたのかもしれない。


 けれど。


「メリッサさまは、孤独となられた王が、王国の安寧を願えるとお思いなのですか?」

「胡蝶であるわたくしがいます。ですから陛下は、王であり続けてくださるだけでいいのです。なのに陛下は……、お役目を放棄なさろうとした」


 語尾を弱くしたメリッサさまの瞳がわずかに揺れる。


「胡蝶であるわたくしに、足りない資質などありません。けれど……そう。いまだ陛下のお心にはミネルヴァが居座り、わたくしの邪魔をする。わたくしこそが、陛下の胡蝶だというのに——。ミネルヴァの存在が陛下を堕落させ、お役目を放棄させるに至ったのです」

「ミネルヴァさまではありません。王を追い込んだのはメリッサさま、あなたです。メリッサさまも、本当は自覚がおありなのでしょう?」


 確信はなかったけれど。そう問いかけると、メリッサさまの表情に迷いが生じたように見えた。

 それは気のせいではなく、彷徨う視線がメリッサさまの動揺を明らかにしていて。つぎに聞こえてきた声音には、震えが生じていた。


「わたくしは……ただ、陛下に胡蝶として認めていただきたかっただけ。なのに、そのまえに陛下は、お役目を放棄なさろうとして——。どうすればよかったというのです。陛下が王でいてくださらなければ、わたくしは胡蝶でいられなくなるというのにっ!」

「言いたいことはそれだけか」


 冷ややかな声が、部屋に重く落ちた。


 身を切るような鋭さを持つそれは、ラディウス殿下の声で。

 問われたメリッサさまは、王に等しい琥珀色の双眸を見続けることを耐えがたく感じられたのかもしれない。苦しげな表情を見せ、顔を伏せてしまわれる。


 けれど、視線は一点に集中していて。


「真に罪に問われるべきは、胡蝶でありながらただの女に身を堕とし、まさしく禁忌を犯した、ミネルヴァではありませんか!」


 声を絞り出すようにして吐き捨て、顔を上げられたメリッサさまは、迷わずわたしをご覧になった。


「あなたもです。あなたもいずれ、夢に溺れるでしょう」


 その表情は、どこか自嘲的で。やはりメリッサさまは、ご自分が道を踏み外していると気づいていらしたのかもしれない。

 自分の身に宿る異能の危うさに、あらためて恐れを感じる。


 そこにふたたび、ラディウス殿下の声が重く落ちる。


「連れていけ、目障りだ」


 実母である、亡きリーリエ王妃を想ってかもしれない。王の居室から連れ出されていくメリッサさまを、ラディウス殿下は姿が見えなくなるまで睨んでいた。


「いつしか王は、誰の進言であろうと聞き入れてくださらなくなった。俺の言葉でさえ、疑いを持たれるようになっていった」


 聞こえてきたのは心もとない、消え入りそうな声で。


「王は王として、生きておいでなのか?」

「はい……。お目覚めにならないのは、ご自分を見失わないため、拠となる記憶に回避しておいでだからだと思います」

「助けられるのか? お前に任せて、大丈夫なんだな?」


 念を押すようにたずねられ、いまだ眠り続けておられる王へと目を向けた。


 夢渡としての能力は、おそらく誰よりも魔女が優れているのでしょうけれど。魔女では王の疑念が強すぎて、きっと拒まれてしまう。

 ほかにも夢渡はいるけれど、わたしほど深く夢に潜れる者はいなくて。


 なによりわたしの助けを、王ご自身が望まれているように感じたから。


「わたくしが連れ戻します。そのために、わたくしは王宮へと戻ってきたのですから」






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