夢渡が見た夢
わたしはこのとき初めて、死というものを理解したのだと思う。
活気と希望に満ちていたジュラーレの港街が、一日にして哀傷と不安に塗り潰されていた。
それは、公爵逝去の一報が街を駆け巡ったからで。
真実は報じられず、公爵の死因は不慮の事故と公表され、葬儀はジュラーレに建つ教会で執り行われたのだけれど。参列者は途切れず、公爵の顔が見られるわけでもないのに、皆が教会に長くとどまろうとした。
それはひとえに、ヴェントスとして領民に対し親身に接してきた、公爵の功績なのかもしれない。
意外だったのは、魔女が絶えずわたしのそばにいてくれたこと。
葬儀中は、お互い黒いヴェールで顔を隠していたため、心情を察するのは難しく、本音ではどう思われているのか知るよしもなかったのだけれど。
いまだわたしに、表立って疑いの目を向ける者は誰ひとりいない。
これも、魔女がそばにいてくれるおかげなのかしら。そう思っていたところ。
「……昔話を聞いてくれる?」
ぽつりと、魔女が言葉を落とした。
葬儀も終わり、教会から墓所へと出立する準備が整うのを待っているときで。遺族のために用意されたこの部屋には、魔女とわたししかいなかった。
さきに席を選んだ魔女から隣を指し示されたため、促されるまま、同じベンチに並んで腰かけていたのだけれど。
ヴェールを取った魔女は、いつになく疲労感を漂わせていた。
「わたしね、息子たちと一緒に王のもとから逃げだそうとして、失敗したことがあるの。その結果、手助けしてくださったレオパルドさまにまで迷惑をかけてしまって……」
初夜に覗き見た公爵の記憶と、すぐに結びつく。けれど、わたしは黙って魔女の話を聞いていた。俯いてしまった魔女の口振りは、まるで懺悔のようだったから。
「ひと足さきに、侍女とともにリベルタスへと向かっていたストラーダも連れ戻されて、王宮すら抜け出せなかったルクスとわたしは、別々の部屋に監禁されてしまったわ。だからあのときはルクスとストラーダが無事でいるのか、不安でふあんで仕方がなかったの。あの子たちと引き離されたことが、なによりも耐えがたくて——」
気のせい、ではないと思う。わたしが知る魔女は、伸びやかで明るく話す人なのに。いまの様子はそう、公爵の記憶を覗き見たときに目にした状態と同じ。
硬い声は怯えているようにも聞こえ、膝の上でぎゅっと組まれた手は、かすかに震えていて——。
「わたしはね……。とうとう禁忌を犯してしまったの」
消え入りそうな声で告白された罪に、わたしは息を呑む。
「力を……、使ったのですか?」
「そうよ。わたしは夢渡の力を使って、わたしたちに自由を下さいと、王に願ってしまったの。そしてその願いは、まもなく叶えられたわ。リベルタス領の全権をルクスに与えるという形でね。きっとそのとき、王の心にあった綻びまで広げてしまったのね。その綻びが、のちのちメリッサの干渉をより強く受け入れてしまう要因となったのだと思うわ」
そこで言葉を切って顔を上げた魔女の双眸が、躊躇いがちにわたしへと向けられる。
「それからね。もうひとつ、あなたには聞いて欲しいことがあるのだけれど——」
どことなく言い出しにくそうにしていたから、わたしは魔女の顔を見て、はいと頷く。
すると憂いを帯びた微笑みを浮かべ、魔女は話を続けた。
「あなたを産みの親から引き離したのは、わたしなの。胡蝶の資格を失っていながら、夢渡の誕生を、わたしは神殿に告げたのよ。ルクスの幸せを護りたくて……。未来にどのような運命が待ち受けているのかも見透せないまま、夢で見たあなたを巻き込んでしまった」
どのような夢を見たというのかしら。目を伏せてしまった魔女の視線のさきには、
「いまのこの状況は、夢渡が己の欲を満たそうとした、その報いなのかもしれないわね。王と見た花の名まで、あなたに押しつけてしまって……」
魔女の言葉に、わたしは目を瞠る。
考えもしなかったのだけれど——。それはつまり、魔女がわたしの名づけ親だということ?
「ルクスにその話をしたら、よけいにあなたとの結婚を破談にしようと動いていたみたいだけれど。夢渡が見た夢などに、結婚まで決められてしまうのは、ご免だとでも思ったのでしょうね」
魔女の口から、長い溜息が零れた。
「けれど当然よね。ルクスはずっと、わたしという夢渡に振り回されてきたのだもの。わたしだけじゃない。あの子は幼いころから、王の花に命を狙われていたから」
「どういう……ことですか?」
そのままの意味よ。と、魔女が苦笑する。
「夢渡が送り込まれてきたのは、あなたでふたり目なのだけれど。ひとり目は、リベルタスへと移り住んでまもなくだったわ。そのときは夢渡だと気づかないまま、心を許した女性に夢を覗かれてしまって……。けれど触れた記憶が鮮明だったこともあって、感応しすぎたのね。ルクスの代わりに、女性のほうが心を壊してしまったわ」
「もしかして、その夢渡が覗き見たのは、王が剣を手にされたときの記憶——ですか?」
「おそらくそうだと思うわ。けれど……。王の蛮行を、あなたも覗いたのね。それはね、わたしが王のもとを去ろうと決意した出来事よ」
魔女は気丈にも微笑んでいたけれど。自嘲的な声音からは後悔が感じられ。
「愛していると、たったひとこと、あの人に伝えられていれば……」
そう零した魔女の気持ちは、厭になるほど理解できた。
私欲に溺れるは、禁忌。
本心を伝えたくても教理が邪魔をする。
伝えてしまうことで、相手の気持ちを自分の都合のいいように塗り替えてしまうのではないかと、そのような恐れもつきまとう。少しでも好意を持ってくれていれば、夢を介し、特別な相手にだってなれてしまうから。
それでも。
「……まだ、間に合います。王がミネルヴァさまを大切に想っておいでなのは疑いようがありません。でなければ、サンファーロ王国にとって主要な地であるリベルタス領を、おいそれと預けたりなさらないはずです」
思わず力説してしまったわたしに、魔女はつかのま、驚いた顔を見せていたけれど。
「お嫁に来てくれたのがあなたで、本当によかったわ」
そう言って微笑みをくれた魔女に、わたしはなにひとつ応えられなかった。
******
棺の埋葬まで、滞りなく終わったあと。
城館へと戻るまえに墓所から抜け出したわたしは、夕闇に紛れ、指定された路地に向かった。
そこには、ひと足さきに姿を消していたソフィアが馬車を手配し待っていて。
晴れやかな笑顔でわたしを迎えてくれた。
「よく、お戻りになりました」
「責めないの……ですか?」
「なにを責めろと仰るのです。王の御為、これはアネモネさまにしか果たせないお役目でした。それにアネモネさまのお考えなど、わたくしにはすべてお見通しです」
「……ソフィア」
「さあ、王都へと戻りましょう。事の成就を、王が待ち侘びておいでです」
喪が明ければ、領主を失ったリベルタス領は王へと返還される。大役を果たしたわたしは、人知れず、リベルタス領をあとにした。
なにより——。
公爵とともに歩む未来を踏み
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