葬り去った心



 夢渡は夢を見せ、心を支配し人を操る。


 深層に抱いた願望を解放するか。

 幸福な夢を与え、その夢に溺れさせるか。

 あるいは過去に負った傷をえぐり、心を壊すか。


 いずれにしても、ひとたび夢に囚われてしまえば、抜け出すのは容易でない。やがて夢渡の思うがままに、人は動くようになる。


 夢渡が見せる夢には毒があるから。

 夢に含ませた毒は、ときに薬にもなりえ、そしてときに、死さえもいざなう。






   ******






 人の心というのは、なんて……もろいの。


 まだ、夜も明けきっていなかったけれど。ふらりとベッドから降りたわたしは、シエロを呼ぶため、寝衣のまま公爵の私室をあとにした。


 魔女よりさきにシエロを選んだのは、彼なら容赦なくののしってくれると思ったから。辛辣な糾弾を受ければ、もうあと戻りはできないのだと、もっと深く、身に刻めるはずだから。


 月明かりを頼りに、薄暗い廊下をとぼとぼと歩く。

 シエロがいるはずの部屋近くまで行くと、目的の扉のまえに、ふたりの警備官が不寝番をしている姿を見つける。

 けれど以前に訪ねたときもそうだったし、なにより余裕を持ち合わせていなかったわたしは、深く考えもせず話しかけていた。


「……ルクスさまが、お目覚めになりません」


 寝起きのまま、髪さえ整えていなくて。しかも寝衣だったこともあり、最初は訝しがられたけれど。切迫した事態なのだと思わせる効果は充分にあったようで。


 ひとりを廊下に残し、もうひとりの警備官が厳しい顔つきで部屋へと入っていく。すると待ち侘びる時間もなかったほど、すぐさま警備官が戻ってくる。

 そのとき、部屋から出てきたのは警備官だけではなかった。


「事と次第によっては、お前の命はないと思え」


 顔を合わせるなり、期待を裏切らない悪魔の形相でわたしを睨んだのはシエロだった。

 どこだ。と、低く抑えた声で問いを落とし、公爵の居場所を手短に確認したあと。


「お前たちも来い」


 警備官たちに指示を出しながら、わたしの手首を乱暴に掴み、そのままの勢いで執務室に向かって歩き出した。


 妥当な扱いだとは思うけれど。わたしに対する心配りひとつなく、シエロは進むさきを無言で睨んでいる。執務室まで行き着くと、つぎには派手な音を立て、扉を押し開けた。

 勝手知ったるなのか。迷いなく続き部屋に入ると、今度は掴まれていた手首に力が込められる。


 ぎりりと締めつけられた手首の痛みに、反射的に顔をしかめてしまったけれど。それでも、わたしの目に涙が滲むことはなかった。


 どこかぼんやりとしていて、夢のなかにいるような気分だった。

 シエロが見つめるさきには、ぴくりとも動かずベッドに横たわる、公爵がいたから。


 なかばシエロに引き摺られ、ベッドまで歩み寄る。

 顔を背けたわたしとは逆に、シエロが公爵の顔を覗き込んだところだった。シエロの意識すべてが、公爵へと向けられたのかもしれない。わたしの手首がするりと解放される。


 ただ、ここまで騒がしくしても、公爵が目覚める気配はいっこうに感じられなくて。そのような状態の公爵を見つめ続けるシエロの横顔からは、すべての感情が消え失せていた。


 もっと、激昂するものとばかり思っていたのに。


「彼らなら信用できる。気にせず事の顛末を教えろ」


 低く響いた声は、気味悪く感じるほど落ち着いていて。話をするつもりで呼んだはずなのに、躊躇してしまう。

 それに、いくらつき従ってきた警備官たちが信用できると言われても。いまからわたしが話そうとしている内容は、王国の機密に触れるもので——。


「すぐにでも首を刎ねられたいか」


 脅しとは思えない台詞が、即断できずにいたわたしに飛んでくる。


 奇跡的にも、シエロが話を聞く姿勢でいてくれているようなのに。その気さえ失わせてしまってはもともこもない。いまはまだ、首を刎ねられるわけにはいかないし。


 躊躇いを捨て、事情を説明すると、終始、無言で耳を傾けていたシエロだけれど。話が終わったあとも、公爵に目を向けたまま、しばらく思案を続けているようだった。


 彼がどのような結論を出すのか。まさしく罪人の心境で、わたしは裁定を待ち続けていたのだけれど。


「その提案、乗ってやる」


 どのような考えがあっての返答なのかしら。最大の難関とまで位置づけていたのに。

 わたしの話をどこまで信用してくれたのかはわからないけれど。意外なほどあっさりと、わたしはシエロという協力者を得てしまっていた。






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