成すべき使命



 謁見の間を通り抜け、そのさきにある柱廊ちゅうろうを進み、メリッサさまとわたしは王の居室へと繋がる中庭まで来ていた。


 敷き詰められた小さなモザイクタイルにより、足もとには複雑で美しい模様が描き出されていて。

 連なる円のひとつひとつは花を模しているのだけれど。色調も豊かに青色のタイルがたくさん使われているから。中天から降り注ぐ陽の光を受けると、きらきらと輝く海のようだった。


「陛下は体調を崩されておいでなので、心労をおかけするような言動は慎みなさい」


 メリッサさまのお声を聞きながら、中庭に面して造られたテラスに王のお姿を見つける。肘掛け椅子に深く腰かけていらして、メリッサさまとわたしがおそばまで近づいても、王は視線を中空へと向けられたまま。


 そのさきには、リベルタス領と同じ、抜けるような青空が広がっていた。


 やはり王と公爵は、物静かで優しい面持ちがとてもよく似ておいでで。なぜ、命を奪おうとなさるまでに仲違なかたがいをされてしまったのか。考えるだけで胸が痛む。


 ただ、胸が痛む理由となっているのは、それだけではなかった。


 王のお顔を最後に拝したのは、カネレ伯爵邸へと向かう直前で、それから半年以上は過ぎているけれど。

 王のお顔にくっきりとできた青黒いくまは、目もとを暗く落ち窪ませて見せ、生気の失われた表情に、より憔悴感を与えていた。


 体調を崩されておいでだと、メリッサさまは仰っていたけれど。お姿のお変わりようは直視にたえず——。

 もし、病が原因でないのだとしたら。


『王はすでに、傀儡と化しているのかもしれない。現胡蝶、メリッサの夢のなかで』


 ここに来て、魔女の言葉が心に重くのしかかってくる。


 メリッサさまは、王命に従っていらっしゃるだけ。王のお姿をじかに目にする直前までは、そう考えていたけれど。

 しっかりとした睡眠を、王は取られているのかしら。いまのご様子は、夢渡の力を王が拒み続けられた結果のようにも見受けられた。


「陛下。アネモネを連れて参りました」


 メリッサさまが呼びかけると、虚ろだった琥珀色の双眸に光が戻る。その目が、メリッサさまに向けられた。


「来たか。ならばメリッサ。君はもう下がっていい」

「——わたくしが、ですか」

「メリッサ。私に二度も、同じ台詞を言わせる気か」


 語調も苛立たしく王から睨まれたメリッサさまは、表情を硬くして口籠もられた。


 王の花として育てられた性なのかもしれない。けれど、そこでさらに疑いが深まる。

 王は真実、メリッサさまに抗い続けてこられたのではないか。メリッサさまは王を、完全には支配しきれていなくて。だからこそ王は、ここまで憔悴されてしまったのではないかと。


 そしてわたしがいたからか。結局メリッサさまは強く出るような真似はなさらず、王命に従い、この場を辞されていった。

 そこに疲れを感じさせる、重い溜息が落ちる。


かしこまらなくていい。もっとそばに寄れ」


 そのようにお許しを下さった王は、さきほどメリッサさまを恫喝した人物とは別人のようで。平常の落ち着きと穏やかさを取り戻されていた——ように思えたのだけれど。


「手を出せ。いいから早く」


 離れて暮らしていても、やはり親子だということかしら。命令口調の声だけを聞いていると、公爵かと錯覚してしまいそうになる。

 椅子に座ったまま、わたしの手を取られた王は、袖の刺繍をじっとご覧になっていた。


「——ミネルヴァか……。でなければルクスだな」


 ぽつりと零された名前に、目頭が熱くなる。

 魔女と公爵が、アネモネの花にどのような想いを込めたのかまでは、容易に推し量れないけれど。ふたりの想いが王まで、確かに届いたような気がしたから。


 わたしは膨らむ期待を胸に、言葉を紡ぐ。


「髪飾りがミネルヴァさまで、ドレスはルクスさまのお見立てです」

「嫌みな選択だな」


 自嘲気味ではあったけれど。微笑まれると、本当に公爵とそっくりで。わたしに託された大役も、願えば撤回してくださるのではないかと希望が湧いてくる。


「ジュラーレの港街が見渡せる崖まで、ルクスさまにお連れいただきました」

「ジュラーレか……、懐かしいな。アネモネは、今年も咲いていたか?」

「……はい。あの崖から見える景色は、昔となにひとつ変わっておりません」

「——そうか」


 会話はちゃんと成立していて。ついいましがた、希望が見えたような気がしたのに——。弱々しく呟かれた王のお姿に、今度は胸が騒めく。

 王はまだ、わたしの手を取られたままだったけれど。琥珀色の双眸は、もはやなにも映していらっしゃらなくて。


 じりじりと不安だけが募っていく。


「……陛下?」


 たまらず零してしまった呼びかけにも、王の双眸に光が戻ることはなく、それどころか、聞こえてきたのは望みを断つようなお言葉だった。


「時間はあまり残されていない。王の花として、為すべき使命を果たせ」


 絞り出すような、か細いお声ではあったけれど。


 王の花として、使命を果たす——。道はやはり、それしかないのかしら。ほかになにか、打てる手立てがあるのではないかしら。そう思っても、口には出せないまま。

 少しずつ高まっていた期待が、今度はいっきに萎んでいく。


「朗報を待っている」


 そのお言葉を最後に、王は口をつぐんでしまわれて。わたしの手を取られていた腕も、ぱたりと落ちる。


 意識が混濁していらっしゃるのかもしれない。そのお姿が確信を伴い、夢渡の傀儡と化すまで一刻の猶予も残されていないのだと、せつに感じさせる。


 だからこそ——。わたしは王のまえでひざまづき、願った。


「事が成った暁には現胡蝶を解任し、のちの座は、わたくしにお与えください」

「いいだろう、約束しよう」


 そこでまた、王は微笑んでくださったのだけれど。宙に向けられた双眸は虚ろで。


 相手は神と崇め、信じ続けてきた王だというのに。逆らうご意思は、まだ強くお持ちのようだけれど。夢を深く覗くまでもなく、王はわたしの手にすべてをなげうってしまわれて。

 その瞬間、己の芯を成す大切な部分を、完全に失ったような気がした。


 それでもわたしは、このかたを裏切れない。お護りしなければと、いまも変わらず心からそう思っている。






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