可能性と希望



 謁見の間に入ると、そこには誰ひとりとして控えている者がいなかった。


 王のお姿をお隠しするためにある、紺碧の天鵞絨ビロード薄紗はくしゃでつくられたとばりも開け放たれていて。一段高い位置に据えられたからの玉座が、言いようのない不安を掻き立てる。


 玉座の手前まで進まれたメリッサさまが、振り返り、わたしをご覧になる。そのお顔には、穏やかな微笑みがあった。


「仲睦まじいという噂は、どうやら本当のようですね」


 そのように、わたしへと言葉を投げかけられたメリッサさまだけれど。事の運び具合を、ご自分の目で確かめにいらっしゃったのかもしれない。

 事の成否が確定するまでは外との接触は避け、無駄な報告はしないと、ソフィアは言っていたし。


 だからこそ。計画のすべてが知られていたと、報告するならいましかないのに。


「……なかなか結果が出せず、不甲斐ないばかりです」


 返答に迷ったすえ、結局わたしは嘘にならない程度の弱音を零し、取り繕ってしまう。そこでようやく、公爵の意図にも考えが及ぶ。


 わたしが夢渡であると知られている事実を隠すため、公爵はメリッサさまのまえで、仲のいい夫婦を装ったのかもしれない。

 少なくとも公爵は、気心の知れた者以外のまえで不用意な行動を取る人ではないと思うし。目的は、おそらく現状維持で。


 胡蝶にはなれませんと、わたしが伝えたとき、そんなことは求めていないと、公爵は口にしていたけれど。

 さきほど聞かされた譲位の話といい、やはりわたしを胡蝶として手もとに置いておき、次期国王に名乗りをあげるつもりなのかもしれない。

 そのような考えが頭をよぎる。


 けれど。わたしがここですべてを包み隠さず報告してしまえば、意味のない行動になってしまうと、公爵なら承知しているに違いないのに。公爵はなぜ、待っていると言って、わたしを送り出せたのか。

 そう考えるともう、公爵への疑いも掻き消えてしまいそうになる。


 だって、わたしに選択の自由をくれたのだと思えたから。

 それが見当違いだというのなら、公爵はわたしが取る行動などとっくに見抜いていて、都合よく利用しようとしている可能性しか残らないのだけれど——。


 ふと、わたしが着ているドレスに、メリッサさまが目を留められる。


「王の花だと、知られたのではありませんか」


 問われ、一瞬で頭のなかが真っ白になる。ついさきほどまで、あんなにぐるぐると思い悩んでいたのに。

 けれど、メリッサさまが疑いを持たれるのも当然だと思う。


 身につけているのは淡く優しい色調の、紫がかった青いドレス。襟口や袖、そして裾にも、アネモネをモチーフとした刺繍が施されていたから。

 さらに駄目押し的な役割を担っているのが、透かし彫りでアネモネが描かれた銀の髪留めバレッタで。しかもこの髪留めは、魔女からの贈りものでもあったのだけれど。


「アネモネは、王がお好きな花のひとつだと聞きました」

「確かに——。それに露見していれば、あなたがこの場にいられるはずがないでしょうし」


 このとき。メリッサさまの解釈に安堵してしまった時点で、自分がなにを望んでいるのか、いいかげん認めるしかなかった。

 けれど今度は、認めてしまったからこその戸惑いに心が揺れる。


 それでも、どうにか表面上は平静を保てているのかしら。

 壇上に立たれ、玉座の横からわたしを見下ろされたメリッサさまは、変わらず穏やかな表情で話を進められていた。


「あなたは役目を果たすことだけに集中しなさい。たとえ結果が出せずとも、最初にお話ししたとおり、実力行使という手も考えてありますから」


 実力行使——。その言葉に、公爵から短剣を握らされたときの恐ろしさを思い出す。

 心が萎縮し、声が震えそうになるのをなんとか抑え、会話を繋ぐ。


「具体的な案は……、用意されているのですか?」

「その判断と方法は、ソフィアに一任しています。けれど——。偽りとはいえ夫となった相手が、苦しみながら死にゆく姿など、あなたも見たくはないでしょう?」

「……はい」

「でしたら望む夢を与え、最期は幸福のなか、眠るように送ってやりなさい」


 そうすることが、本当に正解なのかしら。言葉を交わせばかわすほど、メリッサさまに反発心を抱いてしまう。

 それだけでなく、自らの行いに疑いを持たず、慈しみさえ溢れるメリッサさまの微笑みは、高慢にも感じられた。


 公爵と出逢うまえは、こんなこと考えもしなかったのに。

 わたしもメリッサさまのような顔を、いつの日かするようになるのかしら。いいえ、気づかないうちに同様の顔をしていたのかもしれない。


 わたしはメリッサさまに、あらためて問う。


「ジュラーレ公爵に永遠の眠りをいざなう。それが王国の繁栄のためには必要で、最善の手段なのですね」

「それだけではありません。なによりも陛下が、そうお望みなのです」


 王のお望み——。だとしたら、そのお心を、なんとか変えることはできないのかしら。

 袖口に施されたアネモネの刺繍に目を落とす。


「メリッサさまはリベルタス領を——、ジュラーレの港街を、ご自分の目でご覧になったことはありますか」

「ありませんけれど……。それがなにか?」


 いいえ、と首を振り、わたしはメリッサさまをまっすぐに見た。


「王に直接、お伝えしたいことがあります」


 そう願い出てみると、ほんの一瞬、メリッサさまの表情が険しく翳ったような気がした。

 けれど、返ってきたのは意外な言葉で。


「陛下も、あなたに会いたいと仰せです」


 王は帳越しの謁見でさえ誰ひとり許さないと、公爵が言っていたから。このまま王にお会いすることなく帰されるのだと思っていたのに。

 わたしが大役を託された王の花だからかもしれないけれど。


 まだ、できることが残されているのならと、わたしは希望を抱かずにはいられなかった。






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