魔女と王の花
誰か、教えて欲しい。なぜ、このような状況に置かれているのか。
気づけば魔女とふたりきりで、わたしは談話室に取り残されていた。
なんというか、居心地が悪いこと、このうえないのだけれど。
魔女と同じテーブルに着いたわたしは、心のどこかで大役の失敗を歓迎していたのかもしれない。このときには、完遂させる自信も、そのほぼすべてを削り取られていたような気がする。
そもそも、王の花だと知られた時点で、この計画は失敗が確定していたはずなのに。わたしはまだ、手を伸ばせば公爵に触れられる場所に置いてもらえていて。
けれどそれを好機と思えるほど、楽観的にはなれなかったから。
王の花の、手のうちを知り尽くしているであろう魔女を相手にすれば、なおさらで。
魔女が見せている無邪気な笑顔が、なにより一番怖い。
「わたしが夢渡だったと聞いて、驚いた?」
「……はい」
驚かずにいられる人なんて、いないと思う。しかも胡蝶だったなんて。
どういう経緯で王の側室となったのかは、聞くまでもなくさきほどの公爵の言葉だけで、だいたいの予想はついたのだけれど。
胡蝶は王のお言葉を拝聴し、王の夢をお護りする役目を賜った者の呼び名で。王の望まれる夢を、王にお見せする夢渡のこと。
たとえば王が国の繁栄を望まれれば、胡蝶はそれを夢に思い描き、王にお見せする。それは大いなる導きの光となり、やがて国に繁栄をもたらす。
これは古くから続く、欠かせない儀式でもあった。
そしてひとりの王にお仕えできる胡蝶は、原則、王の生涯を通してひとりきり。
けれど例外的にメリッサさまが、レオーネ王にお仕えするふたり目の胡蝶となられたことは、王の花たちのあいだでは知られた話だった。
先代の胡蝶が若くして
けれど事実は違ったのかもしれない。
少なくとも魔女が夢渡だというのは嘘ではなさそうだし、そのあたりの詳しい経緯を聞いていいものなのか、言葉を探して迷っていたところ。
「もうひとつ聞くわね。ルクスとの関係だけれど。あの子は、あなたを抱いてくれた?」
笑顔から放たれた先制に、瞬時に顔が火照り、わたしは口籠もる。
初夜こそ、ともに過ごしたけれど。あれから公爵が夜に、わたしの部屋を訪ねてきたことは一度もなかったから。
だから公爵とわたしはまだ、真に夫婦となったとは言えなくて。公爵がわたしに接するときの態度は、婚儀を執り行うまえとまったく同じで。
惨めにも思えるくらい、なにひとつ変わってはいなかった。
「まあいいわ。あなたを苛めても意味はないし。それにあなたの返答しだいでは、仲良くしたいと思っているのよ」
「……仲良く、ですか?」
「そうよ。ようやく念願の娘ができたのですもの。それにね、あの子。あなたのことは特別に扱っているみたいだし」
「そうは……思えませんが」
口にしたあとで、棘のある返しになってしまったことに、わたし自身、驚いていた。
その反応が面白かったのか、ふっと微笑んで魔女が目を細める。
「聞いていたとおりの可愛い子ね。けれどデマばかり、その可愛いおつむには叩き込まれているのでしょうね」
デマばかり、という魔女の言葉を、わたしは即座に否定することができなかった。
「カネレ伯爵から婚姻の話を持ちかけられたとき、あなたについては調べさせてもらったわ。ディアには——、デアサルトのディアーナは知っているわね」
「はい」
「そうよね、ディアには伯爵家に何度も足を運んでもらったものね。それはあなた自身について調べてもらうためでもあったのだけれど。おかげで面白い話がたくさん聞けたわ。それで判断したの。あなたなら大丈夫、適任だって」
わたしのことを、ディアーナがどのように報告したのかは考えたくないけれど。本当に初めから、すべて知られていた。それを実感したわたしは、魔女に心臓を握られているような気分になる。
「わたくしに、なにをさせるおつもりですか」
そうたずねたのは、利用価値を認めたからこそ、魔女はわたしを受け入れたのだと思ったから。
そしてその問いを受け、揺るぎなくわたしに向けられた魔女の瞳からは、ひしと訴えかけてくる真剣さが感じ取れた。
「あなたにはね、ルクスの胡蝶になってもらいたいの。次期王の胡蝶候補でもあったあなたなら、胡蝶の役目は知っているでしょう?」
胡蝶を務めていたという魔女が現在、どこまで王の花の内情に精通しているのかはわからない。ただ、その頼みはどのような誘惑にも優り——。心が、揺れないわけがない。
けれど。
「王たるおかた以外の胡蝶になるなど……、承諾できません」
「ルクスのそばにいて、同じ夢を見て、その夢を護ってくれるだけでいいの」
「それこそ——」
許されない。
呑み込んだ言葉に、自分自身の心が傷つき、痛みで……涙が溢れそうになる。
それもとっくに、顔に出ていたのかもしれない。魔女の表情が哀しげに翳る。
「そうよね……、あなたは王の花だものね」
最後にひとつだけ。そう言って、魔女は口を開いた。
「信じるかどうかは、あなたしだいだけれど……。王はもう、サンファーロ王国のために生きることを放棄しているわ。そうでないのだとしたら——。最悪、王はすでに、
「メリッサさまの?」
いくらなんでも話が荒唐無稽すぎて、ついていけない。メリッサさまの名まで持ち出したことに憤りを感じる。
「申し訳ありませんが、そのお話は信じられません。なにより王を傀儡になど、できるはずがありません」
「傀儡というのは憶測でしかないし、王がいま、なにをお考えなのか、わたしにもわからないわ。確かなことは、王の花を動かせるのは王のみで、王に逆らえる王の花はいない。道を踏み外した、胡蝶以外にはね」
それは単純に、いま得ている富を手放したくないから、王とメリッサさまに非を押しつけようとしているだけではないのかしら。
そう思うのに。告げられた信じがたい話に動揺せずにはいられなかった。
強く否定できないわたしをまえに、魔女が微笑む。
「わたしの想いはもう、王には届かないから……。いいえ、違うわね。最初から、届いてなどいなかったのだわ」
魔女の微笑みは、見ているこちらが痛々しく感じるほど切なげで。
けれどどうしてなのか、羨ましく思えるくらい、わたしの目には綺麗に映った。
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