帰り来た魔女



「魔女が帰ってきた」


 真顔でそう口にした公爵に連れられ向かったさきは、中庭に面した談話室だった。


 中庭に出るための通路も兼ねていて、大きな硝子ガラス扉や窓からは中庭も眺められ、お茶を飲むには最適な場所なのだけれど。


 これから、身の振りかたを決められてしまうかもしれない場面に臨むのだと思うと、尻込みしそうになる。それでも立ち止まるわけにはいかないから、緊張しながらも、談話室へと足を踏み入れたというのに。

 まだ、誰も来ていなくて。

 座って待とうと公爵に促され、ふたり並んでソファに腰を下ろしいた。


 開かれた窓から見える空は、清々しいほど晴れ渡っていて。さらりと吹く風も心地よくて。それだけに、こうして誰かを待っていると、初めてリベルタス領入りをした日のことを思い出す。

 しかも魔女という言葉が指し示す人物で、思いつく相手はひとりしかいないから。緊張は解けず、そわそわと落ち着かなかった。


 まがりなりにも、わたしの義母となる人なのだし。なにより、わたしが王の花であると、魔女は確実に知っている。

 そのようなことを考えていたところ。公爵は、今日も変わらない笑顔を見せてくれて。


「緊張しないで、普段どおりにしていればいいよ」


 おまけに、ありがたい助言まで頂いてしまう。

 けれど。そんなに、わたしは感情が表に出ているのかしら。


 用心しなければと気を引きしめていると、派手な音を立て、勢いよく廊下がわの扉が開かれた。続いて靴音も高らかに談話室へと入ってきたのは、思いのほか小柄な女性だった。

 公爵ほどの年齢の子供がいるとは、にわかに信じがたい若々しい外見をしていて。意地悪く見積もっても、二十代後半にしか見えない。


「どうにか間に合ったわね」


 安堵混じりにそう口にした女性が微笑むと同時に、場が華やいだ気がした。


 それに——。どういう……、ことなの?

 こちらに向けられた瞳はあおく澄んでいて——。彼女の肩で跳ねたのは、明るい蜜色の巻き髪で——。


 彼女が、魔女だとでもいうの?


 女性の容姿に、わたしは焦りを覚える。胸が締め上げられるような息苦しさは、かろうじて残っていた落ち着きを奪っていった。

 理由はたったひとつ。公爵の記憶のなかにいたあの少女と、目のまえの女性が酷似していたからで——。

 ジュラーレの港街を見渡せる崖の上。公爵に柔らかな微笑みを向けていた少女の姿が、脳裏にまざまざと蘇る。


 夢と現実の狭間に立っているような気がして目眩めまいを覚える。そんな感覚を断ち切ったのは、公爵の声だった。


「間に合ってないから、全然。一週間まえ、婚儀はとっくに終わったよ」


 呆れながら立ち上がった公爵に続き、わたしも慌てて腰を上げる。

 すると女性は、信じられないといった表情を見せた。


「嘘でしょう? 当然延期したものと思っていたわ。どれほど、わたしが花嫁衣装を楽しみにしていたのか……。ルクス、あなたは知っていたはずよ!」

「ドレスなら、あとで好きなだけ見たらいいだろ?」

「なあに? 怖い顔をしないでよ。遅れたことを責めているの? ブランの新元首を始め、たくさんのかたにお声がけいただいたのですもの。すべてのお誘いを受けるわけにもいかないし、お断りするのにも苦労したのよ。これはむしろ、喜ばしいことでしょう? お父さまに無理を言って、お役目を奪い取った甲斐があったというものよ」


 反論の隙を与えず捲し立てていた女性だけれど。つぎには不満を前面に押し出し、公爵を睨んでいた。


「それに、いくら魔女と呼ばれているわたしでも、天候までは操れないわ」


 迫力は皆無だし、信じがたいけれど、彼女が魔女であることは間違いなさそうだった。会話の内容から判断しても、彼女が王の側室で、公爵の実母——ミネルヴァ。


 けれどどうして、あの少女の面影があるのかしら。

 魔女の顔をいくど確認しようと、少女が愛らしさを残したまま、成長したようにしか見えなかった。天真爛漫な言動も似ている気がしてならない。


 その、魔女だけれど。いま現在、なぜか公爵のまえで得意げに胸を反らしていた。


「こっちは体張ってるんだから。思うぞんぶん、わたしをねぎらってちょうだい」

「それについては感謝しているよ」

「なら、話はあとでいいわね」


 満面の笑みで言い終わるが早いか、魔女はきびすを返していた。


「ちょっと待て。感謝はしているけど、いまはこっちが優先だろ」

「…………」


 首だけを捻り、魔女が恨みがましく目を細める。その双眸は、ついいましがた魔女の肩に置かれたばかりの、公爵の手に向けられていて。

 対する公爵の顔からは、いっさいの表情が消え去る。


「花嫁衣装だよ? まさか、着る気じゃないよね」


 上向いた魔女の視線は、公爵の顔を捉えていた。


「うふっ」


 愛らしい微笑みを魔女が披露した、その刹那。公爵の顔には感情が欠落した、冷めた笑みが浮かんでいた。

 するといさめようとした公爵の先手を打ってか、魔女が表情を曇らせる。


「怒ったら……、泣くわよ」


 魔女は本気で泣いてしまうのかもしれない。魔女の訴えで公爵は、ぐっと言葉を呑み込んでいた。

 かたや、明らかに興味を別のものに移した魔女が小首を傾げる。そして不運にも魔女の視線のさきには、わたししかいない。


「——彼女が、そう?」

「ああ。そうだよ」


 脱力して返答した公爵を置いて、魔女がわたしへと歩み寄る。

 呆気に取られるような受け応えを目にした直後なだけに、わたしは反応が遅れていた。


「もう、この子の夢は覗いた? なにが見えたのか、当ててあげましょうか。そうね——。ひとりの少女に想いを寄せる、いじらしい青年の記憶でも見えた?」


 間近で碧い瞳を目にし、あの少女の記憶にまたしても心を奪われそうになったその瞬間。


「なんだって?」


 まっさきに魔女の問いに反応したのは、わたしではなく公爵だった。


「もしものときの、予防線。張っておいたの」

「また、勝手なことを……」

「あら、彼女のためでもあったのよ」


 それよりも。と、ぽつりと呟いた魔女が、意外にも、愛情に満ちた母親らしい微笑みを見せる。公爵に向けられたその表情は、どことなく寂しげでもあり。


「あなたはまだ……、わたしたちの関係修復を望んでいるのね」


 魔女の言葉に、公爵が黙り込む。


「わたしの力が働いた。それがなによりの証拠でしょう? そうよね、アネモネ」


 ふたたびわたしへと視線を移した魔女から、実名を呼ばれたうえに同意を求められる。


 正負どちらの想いにしろ、対象の心が望まない夢は、そう簡単に植えつけられない。魔女はきっと、そう言いたいのだと思う。

 そして、それは魔女が、わたしと同じ異能を持つ者だということを指し示す。

 その事実に戸惑うだけで、頷く動作さえできなかったわたしに、再度、魔女が問いかけてくる。


「あなたはルクスの夢を覗いた。そして見たのでしょう? 王の記憶を」

「王の、記憶——?」


 魔女は、なにを言っているのかしら。崖の上で覗き見た、あの夢がそうだというの?

 実際、鮮明に思い出せるあの少女は、年齢こそ違うけれど、容姿からして魔女、ミネルヴァで。本当に公爵のものではなく、あれは王の記憶だったというの?

 けれど待って。それが真実なら、あの少女は、公爵の想い人ではなかったということ?


 その意味を呑み込めたとき、単純にも、すっと胸のつかえが下りたように感じた。

 だとしても、現状が劇的に変わるわけでもなく。公爵の夢を覗き見たときに覚えた違和。その正体が明確になる。


「夢渡の異能が使われることを想定し、防壁となるよう、ルクスさまに仮初めの記憶を与えられたのですね」

「ええ、そうよ。それであなたは、そのさきの深層には辿り着けた?」


 魔女からは、微笑みを向けられただけなのに。挑戦的な態度が透けて見え、気圧される。


「わたしが植えつけた記憶を撥ねのける。その程度の実力も、あなたにはないのかしら」


 魔女はわたしの目を覗き込み、さらに挑発してきたのだけれど。


「こらそこ、むやみに威嚇しない」


 割って入ってくれた公爵の声で、不思議なくらいあっさりと気が抜ける。わたしを庇った公爵を見て、魔女も深い溜息をついていた。


「……母親の想いって、報われないものなのね」


 こちらが悪いことをしてしまった。そのような気分にさせられる表情で、魔女は肩を落としていた。

 けれどそんな魔女をも尻目に、公爵はにこりと微笑む。


「順番が遅くなってしまったけど、紹介するよ。彼女が俺の母親。そして魔女——。いや、夢渡でもあり、俺を身籠もるまでは、胡蝶こちょうを務めていた人だ」






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