掴めない真意



「ロベリア」


 名を呼ぶ声に目線を上げてみれば、本当になにを考えているのか、待っていたのは興味深げな光を宿した琥珀色の双眸で。


「君は、贅沢を悪だと思っているよね」

「そこまでご理解されているのでしたら、回りくどい質問をして、わたくしで遊ばれるのはおやめください」


 やはりお見通しだったらしい公爵の言葉を受け、苛立ち混じりに言い返してしまう。


 もう、反論したくらいで公爵が怒ったりしないのは知っていたけれど。あの少女に対して抱いているうしろ暗い感情まで、見透かされてしまうのではないかという焦りも、苛立ちには含まれていたから。

 悟られて、愛想を尽かされはしないかと、不安が込み上げる。


 けれど尽かすほどの愛想を公爵が持ってくれているのかも疑問だし、それも、悩むだけ無駄だったのかもしれない。


「君で遊ぶだなんて……。心外だな。俺は君の本音が聞きたかっただけなのに。だからね、最初から君が素直に喜んでくれていたら、俺もこんな回りくどい質問をしなくて済んだと思うんだ」


 そうでしょう? と、異論を許さない問いをくれた公爵は、けれど穏やかに微笑んでいて。それは、笑顔を見せれば誰もが思いどおりに動くと考えているのではないかと、ときに疑いたくなるような代物で。


 実際、その微笑みひとつで、非難したい気持ちが帳消しにされてしまいそうになるから、たちが悪い。


「……公爵さまは、笑顔を見せれば誰もが納得するとお思いなのではないですか?」

「そう見える?」


 悪びれもせず、また、笑顔。

 捉えどころがないというより、公爵はこういう性格なのだと諦めるしかないのかもしれない。


 ここで幻滅して、彼を嫌えたら——。


 そう考えてしまうのは、この不毛な想いが枷となるのを恐れているから。大役に失敗して、サンファーロ王国をいっそうの危地へと追いやるなどあってはならないから。


 なのに。公爵はすぐに、わたしを惑わすような台詞を口にする。


「ちゃんと知っているよ。笑顔が通用しない相手もいるって。それからね。君が都合よく動いてくれる人形じゃないってことも、充分に理解しているつもりだよ」


 そこに深い意味など、ないのかもしれない。けれど固めきれない決意は、公爵の言葉で容易に揺れ動く。


「……公爵さまは——」


 そのあと、なにを口にしようとしたのかは自分でもわからない。ただ、公爵の心のうちを知りたかったのは確かだと思うのだけれど。


「待って」


 公爵のそのひとことによって、わたしの言葉は紡ぐ機会を失っていた。


「そろそろ、ふたりでいるときくらい名前で呼んでくれないかな。今日から君は、公爵夫人になるんだし」


 ふたり……、というか、ニーナもいますが。という意見は、きっと口にするだけ無駄なので、心にしまっておく。


「まさか俺の名前、覚えていないの?」

「いくらなんでも覚えています!」

「じゃあ呼んでみて」

「……ルクス、殿下」

「殿下?」


 不満たっぷりに、笑顔で睨まれる。


「ルクス……さま?」


 おそるおそる声にすると、公爵からは針の筵に感じる長い沈黙が返ってきた。


「ルクスさまでは……いけませんか?」

「まあいい、それで許す。だけど呼び間違えないでよ」


 許すって——、ほかにどのような呼びかたがあるというのかしら。呼び間違えないでと言うからには、ヴェントスと、名を騙っているときのことかもしれない。

 そのように考えを巡らせていたのだけれど。


「俺も……」


 呟き、伸ばされた公爵の手が、わたしの頬に触れる。

 本当に、ただ……それだけなのに。その不意打ちのような仕草で、またいとも簡単に、わたしの決意は崩れそうになる。


 勘違いしてしまいそうになるから。このまま、幸せな花嫁になれるのではないかと——。


「……ルクス……さま?」


 続く言葉を待ちきれず、名を呼んでしまったわたしに応じ、にこりと笑った公爵だけれど。


「いや、なんでもない」


 そう口にする一瞬まえ。垣間見えた憂いを帯びた表情に、夢のひとときから現実へと突き落とされた気がした。


 頬に触れていたはずの公爵の手も、呆気なく遠くへと離れてしまい——。

 婚儀の始まる刻限が迫っていたこともあり、話はそれ以上、続かなかった。






   ******






 ブラン共和国へと向かう海路の天候は荒れているというけれど。リベルタス領の上空には、目に痛いくらいの青空が広がっている。

 その空の下、婚儀は執り行われていた。


 場所は、城館を初めて訪れた日に案内された、あの真っ白なあずまやで。テーブルと椅子は片づけられ、代わりに白い髭を蓄えた、老齢の司祭が立っていた。


 生涯をともに歩むと誓い合い、それを王の代理である司祭が見届け承認する。それがサンファーロ王国で行われる、一般的な婚儀なのだけれど。

 立会人はシエロとルカ。それから司祭の横で補佐をしている、司祭見習いだという少年。あとは、あずまやから見渡せる庭園に、真紅の花を咲かせた薔薇たちだけ。


 カネレ伯爵家の列席は公爵が望まなくて。わたしにしても、なにがきっかけで素性が明らかにされてしまうかわからないし、そのほうが好都合ともいえた。

 もともと縁もゆかりもない人たちだし、気に病んだりもしないのだけれど。


 公爵が公爵として人前に顔を晒さないのは真実らしい。

 街の人たちだけではない。この城館の使用人のなかにも、彼が公爵だと知らない者がいるのではないかしら。公爵のことを皆、ヴェントスと呼ぶのだもの。


 だからだと思う。いまここに、限られた人たちしかいないのは。


 そして場所が庭園という以外、特別な趣向もない伝統に倣った婚儀は、感動もないまま、あっというまに終わっていた。

 誓いの言葉は聞くだけ虚しく、自分の台詞は上滑りしているようにしか思えなくて。


 わたしはすでに、サンファーロ王国のため、王のためだけに生きると誓っている。

 王から託された大役どおりに上手く事を運べば、サンファーロ王国——王都フルゴルにも、ふたたび繁栄が戻る。

 それを成し遂げるためにわたしはここにいるのだし、それ以外に、ここにいる意義はない。


 婚儀のあいだ、それを繰り返し自分に言い聞かせてもいたから。それもきっと、感動もなく婚儀が終わってしまった理由のひとつ。

 けれど、それでよかったのだと思う。わたしにとって王のお言葉は絶対で、そこに疑念など入り込む余地はないのだから。


 なのに……。


 それに逆らうように光を得て瑞々しく葉を広げた想いは、胸の奥深く、簡単に振り払えないほどに根を張ろうとしていた。






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