拭えない事実
「宰相派で、私を擁護してくださっているカネレ伯爵からの申し入れとはいえ、近ごろ王宮では、私を失脚させようと画策する、不穏な動きもありますから」
前室へと場所を移したあと。穏やかに弁解を始めたのは、シエロ・フィーニの名を騙っていた、ジュラーレ公爵だった。
そんな公爵とわたしは、テーブルを挟んで向かい合い、座っていたのだけれど。
胸のうちにある困惑が、そう簡単に消えてくれるはずもなく。それどころか困惑は、心を迷わせ判断の邪魔をする。
公爵だと信じて疑わなかった彼、シエロが同席していることも理由のひとつで。いまは公爵の隣で黙しているけれど、平静とはほど遠い、見るからに苛立った表情をしていたから。
そのような態度のシエロにも、公爵は慣れているのかもしれない。いっこうに気にせず、話を続ける。
「このとおり心配性の従兄弟殿は、あなたが養子だという理由だけで、よからぬことを企む者の密偵ではないかと疑い、入れ替わりを提案してきたのです。身分を取り繕うための養子縁組など、珍しくないというのに」
公爵の言葉に、違う、とわたしは思う。
密偵などではない。間違いなく修道女——王の花だと、わたしは疑われていた。
事実、好都合にも娘のいなかったカネレ伯爵を操り、大役を果たすための布石として、わたしを養子に迎え入れさせてもいた。
ただ、神殿で祈りを捧げる修道女の存在は広く知られていても、そのなかに王の花と呼ばれる者たちがいることは、神殿に住まう一部の者か、高位の為政者、そして王族のみが知りうる事実だから。
公爵は不用意な発言を避け、密偵と言い換えたのかもしれない。
もしそうなら、望みはあるのではないかしら。王の花だと疑われているとしても。公爵はまだ、わたしが普通の娘だという可能性を捨てていない。
そう思ったところに公爵は、予想もしていなかった方向に話を持っていく。いいえ、本来ならまっさきに考えるべきだったのに。
わずかに目を伏せ、公爵が口を開いた。
「カネレ伯爵のうしろ盾を失うのは、さすがに惜しいですが……。シエロの提案に乗って身分を偽り、あなたを騙した私に嫁ぐなど、不愉快に感じられるでしょう」
「そのようなことは——」
「そうですか? いまならまだ、すべてを白紙に戻すことも可能です。もちろんあなたの名に傷がつかぬよう、配慮もいたします」
公爵の言葉を聞き、ふと、ある考えが頭をよぎる。
かりに、わたしが婚約を破棄したとしたら……。公爵は、あの少女のもとへと戻るのかしら。
おそらく公爵は、それを心から期待している。縁談をどうやって断ろうかと、さんざん策を練っていたと、シエロも言っていたし。
けれど、このままわたしと結婚してしまえば——。
そのさきを考えそうになった自分に心底嫌気が差し、ぐっと歯を食い縛る。
この状況で、なんて卑しい考えが出てくるのかしら。そのようなうしろ暗い感情に呑み込まれずとも、わたしが導き出すべき答えはひとつしかないのに。
そう。返答の台詞はとうに決まっている。大役を成し遂げないまま帰るなど、許されないのだから。
そこに公爵から、最後の確認を求められる。
「ロベリア嬢。あなたの望みに添えるよう、私は最大限の努力をすると約束します。ですから正直に、望みを仰ってください」
そんな言葉を公爵がくれたのは、わたしを騙したお詫びのつもりだったのかもしれない。そうだとして、選択をわたしに委ねたことを、公爵はきっと後悔する。
けれど、わたしもあとには引けないから。
「わたくしの望みはひとつだけです。どうかこのまま、公爵さまのおそばに——」
置いてください。
そう口にした瞬間だった。遠慮のないシエロの舌打ちが、部屋に響いた。
******
自室に戻ったわたしはひとりになりたくて、気分が優れないと嘘をつき、ベッドへと潜り込んだ。
けれどまだ、陽は沈み始めたばかり。そうでなくとも眠れるはずがなく、天蓋を見つめながら考えるのは、これから選択すべき行動。それはリベルタス領入りをして、常に考え続けてきたことで。
状況が悪化したのか好転したのか見極めがつかない現状、答えなど、いままで以上に出るはずもなく。
このようなときにこそ、ソフィアの意見が聞きたい。そう、せつに願うけれど。
ソフィアの名を口にしただけなのに。疑いが晴れたわけではないから会わせられないと、これだけはがんとしてシエロが譲らず、取りつく島もなく話題自体を切り上げられてしまった。
唯一の頼みは、皮肉にも公爵だけ。これから、眠りを誘わなければならない相手だというのに。
ソフィアがわたしのもとに一日でも早く戻れるようシエロを説得する、そして絶対に危害を加えたりしない。そう、公爵は約束してくれて。
いまはその言葉を信じるしかなく——。
なによりも優先されるべきは、ソフィアよりも託された大役の完遂。
そうだと、わかっているのに。
ソフィアを案じてしまうだけでなく、目的と矛盾する、胸に抱え込んだ厄介な想いを、いまだわたしは消し去れずにいた。
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