胸に刺さる棘
馬車が止まったのは、ジュラーレ郊外に広がる、森への入口だった。
シエロとわたしは馭者を残し、なにやら大きめのバスケットを手にしたルカを連れ、森のなかへと続く小道を進み始めた。
頭上では、陽の光に透かされた常緑の葉が、風が舞うたびきらきらと明度を変化させていて。
木洩れ陽が落ちる自然のままの小道は、悪路とまでは言わないけれど、
そう、あんなに迷っていたのに。いま身につけているものだけれど、ドレスから装飾品に至るまで、気づけばシエロが率先して選んでくれていた。
彼はそのために、早くから顔を出したのではないかとさえ感じたくらいで。けれどその推測は、あながち間違っていなかったのかもしれない。
それだけでも体は軽くなる。
一歩さきを行くシエロも、景色を楽しむ余裕が持てるくらい、ゆっくり歩いてくれていて。おのずと、足取りまで軽くなったのがいけなかったのだ。
「ロベリアさまっ!」
「……えっ?」
ルカの焦った声が耳に届いた、そのときにはもう対処のしようがなくて。唐突に揺らいだ視界に、小さく悲鳴を上げたわたしは、ぎゅっと目を閉じていた。
けれどいつまで経っても、覚悟していた衝撃はやってこず……。ただ、なにかにしがみついている感触だけは確かにあり。
「大丈夫ですか?」
声が聞こえたほうへと頭を上げてみれば、間近で向かい合っている、これは……。シエロの……顔?
「すみませんっ!」
状況を理解し、慌ててシエロから離れる。
足もとに注意を払っていなかったため、浅い窪みに足を取られ、ものの見事につまづいたらしく。けれど幸いにも地面への激突だけは免れ、寸前でシエロに抱き止めてもらえたようで。
そこまでなら、お礼もすんなり伝えられたと思うのだけれど。
「危うく、ドレスを傷めてしまうところでしたね」
「…………はい?」
まっさきに、ドレスの心配ですか。
シエロがくれた言葉のせいで、わたしは首を捻るしかなかった。
そこに背後からコホンと、ルカの咳払いが聞こえてくる。すると失言に気づいたのか、その揉み消しを図ってだと思われる笑みがシエロの顔に浮かぶ。
「足を
「……いえ、わたくしはなんとも——。助けていただき、ありがとうございました」
迷惑をかけたのは事実だし、今度はお礼も伝えられたのだけれど。ついでのように気遣われたわたしは、シエロにとって、ドレス以下の存在なのかもしれない。
そこでふと、拗ねている自分に気づきはしたものの。
歩きやすい靴を選んでもらっておきながらも見事につまづき、彼にしがみついてしまった失態を思い返し、遅れて恥ずかしさが込み上げてくる。
「いま少し、ゆっくり歩きましょうか?」
「……あの、大丈夫です」
恐縮するわたしのまえに、軽く肘を曲げた状態で、シエロの片腕が差し出される。
「よろしければ、お手をどうぞ」
「……ありがとうございます」
断るのも失礼かと思い、そっと腕に手を添えると、シエロはどことなく困った顔をしていた。
「じつはですね。幼少のころ、転んでドレスを破いてしまった女性から、大泣きされた経験がありまして。大切な人にもらった特別なドレスだったらしいのですが……。あのときは、宥めるのに苦労したものですから」
それでドレスの心配を。と納得して、幼い少女が痛々しく泣く姿を思い浮かべていると、わずかに目を伏せたシエロが溜息をついた。
「本当に、いつまでたっても成長しない人で。彼女には、いまだに手を焼かされているんです」
その女性は、仕立屋で口にしていた『彼女』と、同じ人物なのかもしれない。
諦めたような口調のなかにも親しみを感じ取ったわたしは、なぜだか胸が騒めくのを抑えられなくて。ちくりと胸を刺した感情を抱えたまま、シエロの腕を支えに歩いていく。
進んでいる森の小道は、どうやら緩やかにのぼる勾配になっているようで。
辿り着いたさきは、ジュラーレの港街を見渡せる丘——というより、瑠璃のように青い海に臨む、切り立った崖の上だった。
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