初めての来客



 約束の刻限にはまだ早く、時間にも、たっぷりと余裕があったのだけれど。わたしは確実に焦りを募らせていた。


「……駄目です。やはり決められません!」


 与えられた自室で、手にしていたドレスをソファへと放り出す。


 頭を悩ませているのは、ドレス選びで。ここぞとばかりに、わたしの優柔不断ぶりが邪魔をしてくれるものだから。こうしているあいだにも、時間はどんどん浪費されていく。


 ソフィアがいれば、てきぱきと決めてくれるのに。ニーナは衣装の組み合わせに関する助言はくれるのだけれど、これにしましょうといった類の言葉はひとつもくれず——。


 ソフィアを恋しく想い、力なく項垂れる。


「せめてシエロさまに、目的地をお聞きしておくべきでした……。城館内ということも考えられますよね」


 ぼやくように零してしまった言葉に、ニーナが応えてくれる。


「いまから伺ってまいりましょうか?」

「ニーナ……。ぜひ、お願いします!」


 天の助けとばかりにニーナに縋ったその直後。扉を叩く音が、この部屋で暮らし始めて以来、初めての来客を報せる。

 誰だろうと思っていると、応対に出たニーナが迎え入れたのは、よりにもよって、シエロだった。


 そう、止めるまもなかったのだから、仕方がないではないか。


「ルクスさまのため、ですか」


 ベッドやソファの上に放り出されたドレスの山を一瞥し、ぽつりと呟いたシエロは、複雑な表情をしていた。声音には、苛立ちが含まれていたような気さえして。


「……すぐに、片づけます」


 見るにたえない部屋の有様に、不快感を示したのだと思い、そう口にしたのだけれど。


「ああ、違います。そういった意味ではなく、ここまでしてもらえるルクスさまが、羨ましく思えて」


 どう、取ったらいいのかしら。苦笑したシエロに困惑する。だって、自分を少しでも好ましく見せようとするのは、けして公爵のためではなかったから。


 けれど、誤解を解こうとするのも不自然で。かといって誤解されたままなのも嫌な気がして。

 もやもやとした気分を味わっていると、なにかしら。言いづらそうに、シエロが話を切り出した。


「その、ルクスさまなのですが——。体調をお崩しになり、案内役を務めることができなくなってしまいました。まえもってお時間を頂いておきながら、本当に申し訳ありません」

「どこか……お悪いのですか?」


 そう聞き返しつつ、今日は公爵と会えないのだと理解する。同時に、せっかくの機会が遠退いてしまったと惜しむよりさきに、すっと気が抜けるのを自覚していた。

 夜もろくに眠れないほど、緊張していたせいもあると思うのだけれど。そんな自分に、すぐさま苦々しさが湧き上がる。


 心を入れ替え、ソフィアの助けがなくとも、ただただ目的達成のためだけに邁進しようと決めたばかりだったのに。わたしの決意はまたしても、行き場を見失っていた。

 けれど、病気とは無縁そうなのに。約束を取りつけた翌日に体調を崩してしまうような公爵も、気合いが足りないのだと思う。


 このとき、わたしが表情を曇らせていたのは、そのように自身の不甲斐なさに落ち込み、最後には公爵に対して、私憤をぶつけていたからなのだけれど。

 公爵を案じていると、シエロは解釈してくれたのかもしれない。


「大事を取ってお休みいただいているだけですので、心配には及びません。見舞いも不要だと仰っていました」


 すかさずくれたのは、そんな補足の言葉だった。


「そう……ですか。お目にかかれるのを心待ちにしていたのですが——」


 残念です。と、本心と言えなくもない台詞を口にし、落胆して見せたわたしに、シエロからひとつの提案が投げかけられる。


「私でよろしければ、当初の予定どおりにご案内させていただきます。ルクスさまからも、そうするよう言いつかっておりますので」


 それは思いもよらなかった展開で。間違いなくシエロも、公爵——ひいてはミネルヴァにくみする者のひとりだというのに。


 向けられた微笑みと提案内容に、少なからず浮上してしまった心は、わたしの意に反し、脳天気にも庭園の外へと飛び立つ夢でも見ていたのかもしれない。






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