外界に続く街



 北の国境に接するのは、遠征を繰り返し他国制圧を目論もくろむ、アイゼンバンデ帝国。海を隔てて西には、航路開拓、植民地化により版図はんと拡大を続ける、海洋国家ブラン共和国。


 そのような列強に囲まれた小国でありながら、サンファーロ王国の歴史は古い。


 それはサンファーロ王国が、いかなる国の侵略も許さなかったから。サンファーロ王国を欲した者は、まさにその瞬間、災厄の檻に囚われてしまうから。


 大国の王であろうと、そこに例外はない。


 ある者は内乱により玉座を追われ、ある者は腹心の部下の手で暗殺された。狂乱の果てに、自ら命を絶った者もいた。


 それらすべて、サンファーロ王国への侵攻を企てた者が辿った、哀れな末路。


 なんの前触れもなく破滅へといざなわれるその様は、天災よりもはるかに凶悪で。防ぐ手立てを講じる暇すら与えられない。

 そして破滅のまぎわ、侵略者はようやく、神の怒りを買ったのだと気づく。けして触れてはならない、忌むべき国に触れてしまったのだと。


 それこそが、このサンファーロ王国が忌国と呼ばれるようになった所以ゆえん


 ところがいま、よりにもよって王国内に巣くう不信心者により、神の権威が地に落ちようとしていた。

 すべては、いまだリベルタス領が神の御手みてへと返還されないことに起因している。


 強欲な側室、ミネルヴァの振る舞いを見かねての返還命令。それなのに彼女は富にしがみつき、神に逆らい続けている。

 諫められない周囲の人間たちも彼女と同罪。


 そして、領主であるジュラーレ公爵の罪は、きわめて重い。






   ******






 石畳の上を軽快に走る、二頭立ての箱馬車のなか。わたしはシエロと並んで座っていた。


 窓に映る景色は、ジュラーレの港街で。石造りの建物が軒を連ねる街並は、サンファーロ王国の王都、フルゴルとそれほど変わらなかったけれど。

 閑散とした空気が漂っていたフルゴルと違い、ジュラーレには活気が満ちていた。道行く人々の表情も、明るく輝いているように見える。


 疑いを持っていたわけではないけれど、それが否応なく、与えられた情報に信憑性を加味していく。王都の財政難を知りながら、援助の手を差し伸べもせず、リベルタス領は富を独占しているのだと。


 そして、わたしに与えられた役割がいかに重要なものなのか、あらためて認識する。


 けれど、そう。確かに認識して、自覚もあるのだけれど。街に溢れる賑やかな情景に心が惹かれるのは、どうしても止められなくて。


「アスール広場ですね。馬車を降りて、歩いてみますか?」


 シエロから問いかけられたのは、おでこをこすりつけるくらい窓に顔を寄せた、まさにその瞬間で。わたしの目には露店市が映っていた。


「興味がおありでしたら、案内しますよ」

「はい、ぜひ!」


 好奇心のままに振り返り、勢い込んだ返事をしてしまったわたしを見て、シエロが優しく微笑む。


「お連れした甲斐がありますね」


 彼は……。いつもこのように笑顔でいるのかしら。


 シエロの受け応えに気恥ずかしさを感じる。子供のような振る舞いを見せてしまったことには、後悔を覚えていたのだけれど。


 シエロはというと、なにかを思い出したらしく、そうでした、と話を続ける。


「さきにお伝えしておきますが、街で私は、ヴェントスという名で通っていますので、ご留意いただけると助かります」

「……偽名を、お使いなのですか?」

「やむなくです。本名を告げると、生じる不都合が多いものですから」


 不都合——。というと、理由として思い当たるのは彼の父親、王弟レオパルドが起こした不祥事くらいだけれど。


 親が犯した罪の余波を、シエロは十一年が過ぎたいまでも、こうむり続けているのかもしれない。レオパルドは王の逆鱗に触れるほどの大罪を犯し、国外追放になったと聞いているし——。


 そこまで思い起こしたところで、小さな疑問が湧き上がる。


 そういえば、レオパルドはどのような罪を犯したのかしら。


 いままで関心の欠片も抱かなかった国外追放の理由に、初めて首を傾げていたところ。

 ふっと、シエロが微笑んだ。


 けれど。向けられた琥珀色の双眸には、企みを感じさせる、不穏な影。


「そうですね。ロベリア嬢には、アネモネと名告っていただきましょうか」


 アネモネ——。そのひとことに、ひやり、と頭の芯が一気に冷める。


「……わたくしも、偽名を?」

「いま、あなたは時の人ですから。そうだと知られて無用な騒動にあなたを巻き込んでしまっては、ルクスさまの許可なくあなたを連れ出した、私の首が飛びます」


 首が飛ぶとは、補佐役を解任されるという意味合いにしても、シエロがおおげさに話を膨らませているだけだと信じたい。


 けれど実際、公爵とわたしの婚約は、すでに国民にも公表されている。自国の第二王子の婚約話。知らない者を探し当てることのほうが難しい。公爵の領地であるここ、リベルタスでならなおのこと。

 わたしがその婚約相手だと知られれば、少なからず騒ぎになる。それをシエロが心配するのは当然だとも思うけれど。


 これだけは、確認しておきたい。


「なぜ、アネモネなのですか?」

「ヴェントスとアネモネ。どちらも風という意味を持っていますでしょう?」


 淀みなく答えたシエロの態度に、変わった様子は見受けられず——。返答と一緒にくれたのは、優しい眼差しだった。


 やはり、考えすぎかしら。すべてを承知したうえで、アネモネという言葉を出したのだとしたら、こんなにも警戒心なく、わたしの隣にいることはできないはずだし。


 そうは思うものの、わたしが黙り込んでしまったからか。シエロは苦笑していた。


「揃いの名がお嫌でしたら、別の名を考えますが」

「いいえ! けして嫌というわけではっ……」


 反射的に、全力で首を横に振ったところ。


 本心ですか。とでも問いたげな、疑惑の色を双眸に浮かべ、こちらがたじろいでしまうほど見つめられる。


「では、よろしいのですね?」

「……はい、あの——、シエロさまがヴェントスで、わたくしがアネモネ……ですね」

「私のことは、ヴェンとお呼びください」


 そう言ってまた、シエロが微笑むから。わたしはそれ以上、考えるのをやめてしまった。


 思えば、このときにはすでに、彼はわたしを『わたし』として、見てくれていたのかもしれない。






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