刺繍とドレス



 姿見越しにニーナを見る。


「衣装の選択はすべて侍女任せでしたので、仕立屋の名となるとさっぱり……。似通った形ばかりだとは思っていましたけれど」

「ロベリアさまがそう思われるのも当然かと存じます。オリーゴのドレスは縫製だけ見れば称讃に値するのですが、全体的に格式張った、簡素な仕立てが基本ですので」


 そこでいったん黙ったニーナだけれど。ドレスの着こなしに乱れがないか、確認していたらしく。


「ロベリアさま、つぎはこちらへお願いします」


 お喋りを続けながらも自分の仕事は忘れていない彼女から、姿見のまえに用意されたスツールへ座るよう促される。

 どうやら今日も、仕上げとばかりに髪を結ってくれるらしい。


 誰に、見せるわけでもないのに——。


 心のなかで、ぽつりと自虐的な愚痴を零し、気落ちするままに目を伏せていると、ニーナが思い出したように口を開いた。


「一着、オリーゴのドレスでも、襟から裾にかけ、前合わせの部分に刺繍が施されたものをお持ちでしたね」

「えっと、初日に着ていた空色のドレスですか?」

「はい。銀糸を使って描かれた、細やかな花の図案が印象的でした」

「あの……。あれはわたくしが……。刺繍だけでも手ずからと思い、仕立屋に頼んで任せてもらったもので——」


 その裏には、刺繍が公爵の気を惹く要素のひとつにでもなれば、という思惑があったりして。

 それも結局、刺繍に費やした時間ごと、初日から無駄になってしまったのだけれど。


 感心、からだと思う。かすかではあるものの、ニーナが目をみはるのを初めて見た。


「では、ロベリアさまが刺されたのですか?」

「はい、恥ずかしながら……」

「謙遜されるなど勿体ない。リベルタスの職人でも、あれほど繊細な表現をできる者はそうおりません」

「過大評価ではありませんか?」

「いいえ、素晴らしい仕上がりでした。ミネルヴァさまがご覧になれば、きっとひと目でお気に召します」

「ミネルヴァさまが……? でしたら光栄なお話ですけれど——。あの、ニーナ。ひとつ、たずねてもいいですか?」

「なんなりと」

「では……。ミネルヴァさまですが、いま、こちらの城館にいらっしゃるのでしょうか」


 いい機会かもしれないと、気になっていたミネルヴァの動向を聞いてみたのだけれど。

 なにか不都合な質問をしてしまったのかしら。わたしの髪を櫛で梳いていた、ニーナの手がぴたりと止まる。


「……まさか。ミネルヴァさまがどちらにおいでなのか、誰もお伝えしていないのですか?」


 はい。と、わたしが躊躇いがちに頷くと、ニーナの口から小さな溜息が零れ落ちた。


「揃いもそろって——」

「……あの、ニーナ?」


 いまの台詞は、いくらなんでも聞き間違いか、気のせい……よね?

 だって。揃いもそろって、うちの男どもときたら——。だなんて。そのように聞こえた気がしたのだけれど。


 きっと空耳だったのだと思う。振り返ってみると、ニーナは頭を下げていた。


「申し訳ございません。ミネルヴァさまはいま、ブラン共和国からの招待をお受けになり、留守にされております」

「ブラン共和国……、ですか?」

「はい。なんでも、新元首就任の式典が盛大に催されるそうで。当初のご予定では、王の名代として、宰相のヴァルフレッドさまがご出席なさるはずだったのですが。直前でミネルヴァさまがお役目を代わられたのです。本当に、ロベリアさまとは入れ違いでした」

「……そう、だったのですね」


 サンファーロ王国の宰相、ヴァルフレッド・ベルトーニといえば、ミネルヴァの父親に当たる人物で。ミネルヴァの自由な振る舞いが許されてきた理由の一端は、その宰相にあると断言していい。


 元老院の賢人を軽んじ、さらには王のご意思まで捩じ曲げてしまう宰相は、罪深き者のひとりだから。


 それだけに、宰相の名は気になるのだけれど。


「すぐにお目にかかれないのは残念ですが……、ご公務では致しかたありませんね」


 そう言って、なんとかニーナに微笑みを返す。


 ブラン共和国は、サンファーロ王国とは海を隔てて西に位置する国。なので避けられていたわけではなかったのだと、この件に関しては胸を撫で下ろす。

 ただ、聞かなかったわたしも悪いとは思うのだけれど——。ミネルヴァの行きさきや予定を、誰ひとり教えてくれなかっただなんて。


 本当に、落ち込む出来事が続く。


 それに、わたしという婚約者を、公爵は歓迎していないのではないか、という最大の不安要素はわずかも取り除けていなくて。ソフィアとは、いまだ引き離されたまま。


 ソフィアと同じくニーナも始めは作法を学んだと聞いたときには、一応の安心を得はしたのだけれど。それも気休めにしかならなかったようで。

 懸念は消えるどころか、時間が流れるほどに増していく。


 だからといって、ソフィアのことをしつこくたずねて公爵の不興を買いでもしたら、今後に支障を来しかねない。そう考えると、このまま大人しくしているのが賢明にも思える。

 ただ、託された大役を落度なく遂行するためには、なにか策を講じたほうがいいのではないか——。


 などと、堂々巡りも甚だしい自覚はあるのだけれど。相談相手のいない現状では、こういった具合に気を揉むばかり。

 指示を仰ごうにも城館内に協力者はおらず、外との連絡係はソフィアが担っていたから。


 こんなとき、指針となるのは。レオーネ王のおそばから、わたしにこの大役を指示してくださった、メリッサさまのお言葉しかない。


 わたしは、わたしらしくあればいい。

 わたしだからこそ相手が油断し、事を成功に導く機会も容易に巡ってくると、メリッサさまは仰ってくれた。


 ただ、どう前向きに解釈しようと、誉め言葉とはほど遠い内容だったのではないかと、いまごろになって思うのだけれど。

 王との謁見が許されたこと自体、名誉でもあるのだし。誰よりも王に近しく仕えておいでのメリッサさまのお言葉は、すなわち王のお言葉も同然。


 公爵に疎まれているのなら、やはり少しでも好意を持ってもらえるよう努力しなければ。


 これはすべて、サンファーロ王国のためなのだから。






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