消えない懸念
「焦らずとも大丈夫です。まだ、リベルタスに着いたばかりですし。打ち解けるための時間は充分にあります」
小声で話しかけてきたソフィアに、わたしはさきを歩くルカを気にしつつも笑みを零す。
「ソフィアがいてくれるだけで、心強いです」
「そうでしょうとも」
視線は前方へと向けたまま、ソフィアは気取った様子で頷いた。
そのソフィアらしい受け応えが、わたしの心に余裕を生む。
ひとつ年上で、わたしよりも貴族然とした気品のあるソフィアは、幼いころから憧れの存在でもあった。
無造作に結い上げた栗色の髪は艶やかで美しく、容姿も申しぶんない。そんな彼女の凜とした振る舞いは、いつも頼もしく思う。
「それにしても——」
呟いて、周囲に視線を巡らせたソフィアがなにを言いたいのかは、すぐにわかった。
広々としたエントランスホールは、一歩を踏み出すたび、靴と触れ合った、白い大理石の床が高い音を響かせる。
柱から天井へと施された金の装飾は精巧を極め、頭上では、煌びやかな
正面へと視線を戻すと、二階へと向かい緩やかな曲線を描く大階段が嫌でも目に入る。
さらにホールから左右に延びる通路へと進めば、名だたる絵画や彫刻などの美術品がずらりと壁を飾っていて、通る者の目を感嘆と羨望に染め上げるに違いない。
絢爛豪華。まさにそれに尽きる。
もう、眺めているだけで頭がくらくらしてきて。低俗このうえない。というソフィアの心の声が、いまにも聞こえてきそうで——。
いいえ。ルカがいなければ間違いなく、すでに吐き捨てられていたと思う。
そんな通路の終わりには、警備官らしきふたりの男性とともに、もうひとり、赤毛をひっつめ髪に結った女性も立っていた。
そこで歩を止めたルカが、わたしとソフィアを振り返る。
「これよりさきが、公爵さまご家族の居室となります」
ルカはそう前置きしたあと、待っていた女性を手のひらで示した。
「彼女は侍女のニーナです。今日からは彼女がおもに、ロベリアさまのお世話をさせていただきます」
ルカが紹介した女性は、二十代なかばくらい。細面で整った顔立ちをしているのだけれど。愛想が悪く、にこりともしない彼女の青い双眸は冷淡に感じた。
上手くつき合えるのか。彼女の人柄に不安を覚える。それでも頷くと、ルカはソフィアへと視線を移した。
「ソフィアでしたね。あなたには、わたくしとともに来ていただきます」
「ソフィアを、どこへ?」
突然の話に、わたしは思わず、ルカに説明を求めていた。
「ロベリアさまに快適に過ごしていただくためにも、彼女には、この城館での作法を学んでもらいます」
「ならばわたくしも——」
ソフィアと引き離されるなんて、絶対に駄目。その想いに駆られるまま、わたしも一緒に作法を学びますと願い出ようとしたのだけれど。
すべてを声にするまえに、ソフィア本人から遮られてしまう。
同時にソフィアは、答えまで出してしまっていて。
「ロベリアさま。いまのわたくしでは、まだ、こちらの城館でロベリアさまのお役に立てないということなのでしょう。その点をご配慮いただいたうえでの采配かと存じます」
ここで騒ぎ立てるのは得策ではない、というソフィアの考えは察することができるのだけれど。どうしても、懸念を抱かずにはいられなくて。
「……ソフィア」
「しっかりなさいませ。今生の別れのような顔をなさっていますよ。わたくしは優秀ですから、こちらの作法も完璧に身につけたうえで、すぐにロベリアさまのもとへと戻ってまいります」
「そう……ですね。ソフィアなら、大丈夫ですよね」
いくらソフィアの言葉でも、そう簡単に懸念は払えなくて。素直に了承もできなかったけれど。
ルカの目もあり仕方なく同意を示すと、ソフィアは満足げに頷いていた。
「ロベリアさま。わたくしをお気遣いいただくより、ご自身が不作法を働いて、周囲のかたにご迷惑をおかけしないか、そちらを心配なさったほうがよろしいかと思いますよ」
「ちょっ! ソフィア!?」
なにもそんな、実際にやらかしそうな話などしなくてもいいのに。
わたしは不満を込め、めいっぱいソフィアを睨んだ。つもりだったのだけれど……。ソフィアには効果がなかったようで。
返ってきたのは優しい微笑みだった。
「行ってまいりますね、ロベリアさま」
そう言い終えたソフィアは、ふたたび取り澄ました表情をつくっていて。
まもなく
途端に、ひとり取り残された気分に陥る。
それでも。目的の達成なくして、この城館から逃げ出すなど考えられないから。ソフィアのように顔を上げ、まえを向いて進まなければ。
心細さに負けて俯かないよう、決意を新たにする。
たとえ現状に希望を見いだせなくても、最終的にはすべてが成功へと導かれる。そう信じていたから。
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